【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

原爆テロ

2012-05-29 18:44:29 | Weblog

 もしも私がアメリカに対するテロを考えているテロリストで、もしも原爆を一発持っていたら……まず金持ちになることから始めます。ニューヨーク中心部の超高層ビルを買収するか自分で建築。そしてその最上階に手持ちの原爆を設置します(地上よりは空中の方が衝撃波が広く拡がりますから)。そして政府に脅しをかけるのですが、キモは「核爆発をさせない」こと。爆発させたらそれで話が終わりますから、いかに爆発させずに要求を、それもなるべく早期に通すか、に努力をするわけです。
 あ、爆発させないのだったら別に本物の原爆である必要はありませんね。皆が「これは本物だ」と信じるものだったらよいわけ。
 ここまで考えてきて、きっと誰かがもう小説に書いているだろうな、と思いました。まる。

【ただいま読書中】『スターリンと原爆(下)』デーヴィド・ホロウェイ 著、 川上洸・松本幸重 訳、 大月書店、1997年、3500円(税別)

 1946年、のちに「第11設計局(KB11)」として知られる新組織が、モスクワから400kmのサローフという小さな町で立ち上げられます。全ソ連から才能が結集されて新兵器の開発に当たりました。1948年ルィーセンコが“復権”。イデオロギーに従順でない者と「外国文化崇拝者(反ソヴィエト愛国主義者)」への弾圧が強化されます。科学者たちはそういった政治的なしめつけの中で仕事をしますが、彼らが自分の行為を正当化したのには、ナチスとの戦争体験がありました。それと、アメリカの脅威。
 イデオロギーはソ連で多くの学問分野を破壊しました。しかし、スターリンとべーリヤは「核」の成功を望んでいたため、ユダヤ人だろうと政治信条が少々怪しかろうと、実績さえ上げれば大目にみました。さらに彼らが製造していたプルトニウム爆弾の“モデル”はアメリカのもので、物理学コミュニティーは常に自分たちが国際コミュニティーの一部であることを意識し、文化的には西側と結合していました。「核抑止力」が、対決と同時に西側との架け橋になっていたのです。
 1949年8月29日ソ連最初の原爆実験が行なわれます。爆発直後に爆心地に向かわせる戦車2台の乗員の安全のために科学者が砲塔を取り払って鉛の遮蔽を取り付けようとしたら、軍人が「それでは戦車のシルエットが台なしになる」と抗議するという一幕もあります。ともかく実験は成功。失敗したら銃殺刑を覚悟していた人たちは、勲章と多額の賞金や賞品(自動車や別荘など)をもらいます。これは“正当な報酬”ではありましたが、良からぬ連中が報奨目当てにこの分野に群がるようになりました。
 スターリンは対米全面戦争を考えていたわけではありませんでした。国内と東側諸国の締めつけの方が優先事項でした。それでも「準備」はしておかなければなりません。戦争中に入手したB29をコピーし(その結果がTu4)、さらにジェット戦闘機や対空ミサイルの開発を急がせます。しかしアメリカとの差は歴然。そこで「秘密主義」をも“武器”とします。プラフでも良いからアメリカを疑心暗鬼にして「ソ連にちょっかいを出したら恐いぞ」と思わせたらよし。もっとも「ソ連の脅威」がアメリカを先制攻撃に向かわせるのも困ります。「冷戦」は、実に微妙なバランスで始まりました。
 朝鮮戦争もきわどい話です。中ソ同盟は北朝鮮を支援し「内戦」だからアメリカの干渉はない、と期待しました。1950年にアメリカは原爆を300発以上保有していましたが、あえて使用することもないだろう、と。
 原爆実験の前から、すでに水爆の研究も行なわれていました。そこで重要人物としてサーハロフが登場します。彼は、強力な武器をスターリンとべーリヤのような人間に渡すことにためらいは感じますが、水爆という「解くべき難問(自分に何ができるかの証明)」に挑戦する誘惑には勝てませんでした。ソ連の原爆はアメリカのコピーでしたが、水爆はソ連オリジナルの設計となります。お互いに相手が水爆をもつのではないかという疑念から自分たちの研究をスピードアップさせます。世界平和の観点からは困った悪循環です。そして、米ソは相次いで水爆実験に成功します。
 そして次は「奇襲への警戒」です。米ソとも「自分は正々堂々としているから先制攻撃はしないが、卑劣な敵は奇襲をかけてくるかもしれない。そのとき原水爆が大量に使われたら、こちらは反撃できなくなる」と考えます。それに対する効果的な予防策は「先制攻撃」です。あれ? 先制攻撃はしないのではなかった? しかし「大量の核兵器を双方が使用したら、全人類はどうなる?」という指摘も登場。先制攻撃への誘惑を牽制します。中国は中国で、アメリカに核攻撃される恐れをもっており、ソ連が「核の傘」でどこまで守ってくれるのかの不信感ももっていました。その結果は「自前の核保有」です。これで話がややこしくなります。
 さて、もう一つ別の「テーマ」も本書には登場します。「核の平和利用」です。そういえば私の子供時代には、核爆発で大規模土木工事を行なってシベリアの北極圏を開発、なんて計画を聞いたことがありましたっけ。
 ソ連での原子力発電は、はじめは「プルトニウム生産の副産物」でした。熱が大量に発生するから、それを生かして何かしよう、と発想の始まりです。さらに、東西の科学者が集まって平和利用の会議を行なうことで、科学者には「政治家にはできない、軍縮への動きを作ろう」という自覚が生まれ、それがのちのバグウォッシュ運動へとつながります。「平和利用」が「平和運動」をもたらそうとしたのです。
 党独裁国家において「何が正しいか」を決めるのは党です。そして「党の決定に従わない不良分子」は、排斥(弾圧、収容所送り)されます。しかし「原爆」という「実績」によって、多くの「不良分子」が栄誉と同時に「保護」を得ました。彼らはソ連社会の中ではもっとも「市民」に近い存在であり、原爆は「市民社会の小さな要素」を保護していたのです。なんとも皮肉というか、不思議なことが起きたものだと私は感慨を覚えます。



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