【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

秋もあけぼの

2018-11-08 07:30:40 | Weblog

 「春はあけぼの!」は清少納言ですが、今の時期のあけぼのも捨てがたいものです。すでに冬を思わせる冷気と闇に沈んだ町の向こう側、太陽が顔を見せる前に山の向こうが白んでいき、やがて稜線がくっきりと薄紅に縁取られます。これから冬至に向かって行くにつれ、夜明けは少しずつ遅くなっていくので、今この時の光景は今この時にしか見えません。だからまだ上りきっていない朝日に私は呟きます。「秋もあけぼの、やうやう白くなりゆく山ぎわすこしあかりて……」……続きは何でしたっけ?

【ただいま読書中】『奨励会 ──将棋プロ棋士への細い道』橋本長道 著、 マイナビ出版(マイナビ新書)、2018年、850円(税別)

 昨年から将棋界には「藤井聡太ブーム」が到来しました。本書もそのブームに乗った一冊、と言えますが、著者は奨励会で挫折してプロにはなれず、その後書いた『サラの柔らかい香車』という将棋小説で「小説すばる新人賞」を授賞するもののあとは鳴かず飛ばず、という自称「敗者」です。ただ、プロにはなれなかったとは言え奨励会には入っているのですから将棋の実力はアマチュアの中では群を抜いているわけですし、小説の新人賞だって何千人も応募しているはずで、何回書いて応募しても賞が取れない人の方が圧倒的に多いはず。ということは著者は相当“質の高い"敗者、ということです。「負けたこと」に目を奪われていて「資質の高さ」を活用しようとはしていないようですが。
 将棋に興味がないレポーターが「藤井さんが昼食に何を食べたか」を夢中になって報じているのよりはまだまともな内容になるのではないか、とは期待できそうです。
 「コスパ」の点から計算すると、「棋士」は金銭または時間の点でけっこう「コスパが良い職業」になるそうです。問題は、「棋士になるまでの投資」と「そもそも棋士になれるのか」。青春時代の人生のほとんどすべてを投じたのに、それで棋士になれなかったらコスパも何もありませんから。
 実は数年前から将棋の世界には「将来への悲観」が語られていました。AIの進化によって人間が勝てなくなったら、ゲームとしての将棋は魅力を失う、という「未来」です。ところが実際にAIに人間が勝てなくなったとき、逆に日本には「将棋ブーム」が起きました。「天才中学生棋士藤井聡太の登場」です。「AIが指したすごい手」のすごさはわからなくても、「すごい手を指した藤井聡太の凄さ」はわかるからでしょうか。
 プロ将棋の「メインスポンサー」は新聞社です。各新聞はタイトル戦のスポンサーをしていて、将棋欄に各棋戦の棋譜を掲載しています。ただ将来的に新聞は先細りが予想されています。それに変わるかもしれないのがネット企業。ドワンゴ(ニコニコ動画)やabemaTVが将棋番組を流すようになっています。そういった「未来」で将棋が生き残るためには「チェス」や「囲碁」との生存競争に勝たなければなりません。ただ、AIの普及で人類の余暇が増えたら、「ゲーム」に入ってくる(プレイをする、鑑賞をする)人も増えるはず。すると将棋の生き残る確率は高まるかもしれません。「ゲームとしての魅力」が広く訴求できれば、ですが。著者は「自分は将棋と麻雀を知っているから、老後もこれでずっと楽しめるはず」と言っていますが、たしかに私もこの二つに読書をプラスしたら老後に退屈する閑はなさそうです。
 本書の本題は「プロ棋士になる道=奨励会」です。奨励会の制度と厳しさについてはたとえば『聖の青春』『泣き虫しょったんの奇跡』などに活写されています。著者はオールタイムベストとして『オール・イン』を勧めています。癌で早逝した元奨励会員の作品だそうですが、私は未読です。そのうち読んでみなくては。
 著者は中学生王将戦に優勝して意気揚々と奨励会試験を受験しましたが、大人の目からは「それほどの実力ではない(プロにはなれない)」と見えていたようです。全国大会優勝でも、ダメなんですか? 本書のユニークな点は、試験の雰囲気や体験だけではなくて、受験料や日程・会場などが具体的に書いてあることです。時代が変われば細かいことは変わるでしょうが、少なくとも「これくらいの感じ」はつかめるので、実際に受験しようとする人には参考になるでしょう。「町道場で4〜5段以上」でないと奨励会の6級合格は難しいそうです。ちなみに、ネットの「将棋倶楽部24」の棋力判定はシビアなので、ここでの4段は町道場の5〜6段相当になるそうです。
 奨励会員のお仕事に「記録係」があります。著者の時代には9000円の日給(交通費・食費などは自弁)で下手すると15時間労働。そういえば私も自分の仕事の修業時代には4500円くらいの日当で15時間以上の労働を平気でしていましたっけ。今は体力的にできないし、できたとしてもしたくありませんが。
 奨励会の年齢制限はシビアです。「21歳の誕生日まで初段」「26歳の誕生日までに四段」がクリアできないと退会です。だから奨励会で先輩に「お誕生日おめでとうございます」と言うと大体不機嫌になるそうです。
 最近は「プロになる道」が複線化しています。瀬川さんや今泉さんのようにプロ編入試験もありますし、奨励会に(相撲の「アマ横綱が幕下付け出しでデビュー」のような)途中から入るルートもあるそうです。アマ公式棋戦の優勝・準優勝者は「初段編入試験」「三段編入試験」が受けられるのです。ただ「初段編入」は「22歳以下」「奨励会員と対局して5局中3勝以上」、「三段編入」には「奨励会2段と8局対局して6勝以上」という条件をクリアする必要があります。しかも「三段編入」には「三段リーグに在籍できるのは最長4期まで」というさらに厳しい条件が。(今泉さんは奨励会を一度退会後「三段編入試験」に合格してまた奨励会員になれましたが,結局四段になれず退会、のちにプロ編入試験でプロ棋士になっています)
 奨励会は完全実力主義です。年齢ではなくて段級位による序列が優先。ただ、将棋連盟の理事や会長には「将棋の力」ではない能力が必要なはずですが、そこでもタイトル数などが優先される点に著者は疑問を感じています。
 奨励会を勝ち抜く道はただ一つ。将棋に精進すること。
 奨励会からドロップアウトする道は、たくさんたくさん。たとえばギャンブル。著者の時代にはパチンコ・スロットが大流行で、著者のまわりにもパチスロで月に数十万円稼ぐ奨励会員はけっこういたそうです。将棋に比べたらパチンコやスロットはやや簡単なのだそうです。ただ、ギャンブルは中毒性があり、そちらにのめり込むことで将棋の力はどんどん落ちます(これは将棋以外でもそうですね。「人生の力」が落ちる、と言ってもよいでしょう)。ほかにも麻雀・酒・スマホ……さまざまな「誘惑」が奨励会員を誘います。ただ、恋愛で身を持ち崩した、という人はあまりいないそうです。奨励会員(男)は女性にモテないだけかもしれませんが。
 友人との対局はやりにくいか、という設問に著者は「米長哲学」で答えます。「相手にとって意味があり、自分にとって意味を持たない将棋こそ全力で勝ちに行かねばならない」という厳しい教えです。この対局で友人が自分に敗れたら降級する、あるいは奨励会を退会しなければならない、自分は勝っても負けても大きな影響はない、そんなときでも、いや、そんなときだからこそ「勝負を汚すな」と言うのです。。勝負の美学です。
 最後に「将棋に強くなる方法」が書かれています。それもネット時代に最適な方法が。読んでいて、もしかして私もこの方法に従って将棋の勉強をしたら、またもう一度若い頃のようにある程度強くなれるかもしれない、と思いました。著者はもしかしたら「指導者」としては「勝者」かもしれません。そして、本書は「将棋の本」ではありますが同時に「ビジネス書」それも「失敗をしてそこからの再起を期す人のための本」なのかもしれません。




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