【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

劇団四季

2020-07-30 07:31:30 | Weblog

 この劇団は私にとってはミュージカル劇団なのですが、地方公演で「アプローズ」だったか「コーラスライン」だったかを観たとき、最後の舞台挨拶で「来年はこちらに『エレファント・マン』でお邪魔します」と言われたとき、会場のあちこちで「おー」という歓声が上がって、私は面食らいました。ストレートプレイもやるんだ、と。1980年代前半、私が現在よりもはるかに無知だった時代の、ある種幸福な思い出です。

【ただいま読書中】『浅利慶太 ──反逆と正統──劇団四季をつくった男』梅津齊 著、 日之出出版、2020年、2200円(税別)

 著者は1962年に劇団四季の演出部員に採用されました。劇団は十周年記念特別公演の練習中でしたが、アヌイとジロドゥの4作品を交互公演で2回繰り返す、というとんでもない内容でした(役者も大変ですが、裏方も大変なことになるのです。舞台は一つですから)。さらに工事中の日生劇場では、オーナーの夢(子供に夢を与える)を叶えるためにミュージカル仕立てという手法を採用することにもしていました。これがのちに「キャッツ」のロングラン公演など、日本にミュージカルが根づくことにつながります。
 浅利慶太さんは敵が多い人らしく、著者は「毀誉褒貶は優れた人物には常について回る」とか「第二国立劇場の奇々怪々は、錚々たる著名人が恥ずかしげもなく浅利落としの穴をあちこちに掘って、結局自分たちがその穴に落ちたという寂しい話なのである」とか書いています。そういえば平成のはじめ頃だったかな、雑誌などで非常に熱心に浅利さんの悪口を言っている人がいて「この熱心さは何なんだろう?」と不思議に感じたことを思い出しました。
 浅利さんがまだ学生の頃、新劇に新しい潮流が現れましたが、それを潰そうとする勢力がすごい“批評”を書いていたことの実例が挙げられています。いやあ、感情むき出しで、すごい文章です。そういった世界に「新しい演劇を」と飛び込んでいったのですから、肝が据わっていないとすぐに潰されてしまうでしょうね。観客としては「悪口」を言っている人にも「面白い芝居」を出して見せてほしい。もしかしたら両方とも面白い、なんてことがあるかもしれませんしね。ともかく「自分の気に入らないものは、どの観客も気に入らないはずだ」と潰しにかかるのはやめてほしいな。それにしても、戦後すぐの新劇が、自然主義リアリズム・形式主義・政治主義に支配されていた、というのは、一体どんな芝居をしていたんでしょうねえ。
 1961年、日生劇場設立が発表されたとき、人々は、代表取締役に東急電鉄社長五島昇・営業担当取締役に浅利慶太・企画担当取締役に石原慎太郎、というラインナップに驚きました。取締役二人はともに28歳。付き合いは数年前の「若い日本の会」という若手文化人のグループ結成からです。この緣で、浅利はかねて念願だった創作劇の上演(従来の新劇の否定)にとり組むことができるようになります。1960年に法人化した劇団四季の第一作は「狼生きろ豚は死ね」(石原慎太郎)、第二作「血は立ったまま眠っている」(寺山修司)、第三作「お芝居はおしまい」(谷川俊太郎)。みんな「若手」だったんですね。
 日生劇場のこけら落としは、ベルリン・ドイツ・オペラの引っ越し公演。とんでもないお金がかかりますが、ドイツ政府は20万マルク(7000万円以上)の援助を決定。日本政府は……権力や金に無縁の文化なんてものに興味を示しません(これは今でも基本は同じですね)。協賛してくれたのはシオノギ製薬。ドイツ政府はこの決定を重いものと受け取り、後日リュプケ・ドイツ大統領はシオノギ製薬を表敬訪問しています。訪日した一団の中で私が名前がわかるのは、ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウやロリン・マゼール。浅利と3歳年長のマゼールとは意気投合し「いつかまともな『蝶々夫人』の上演を」と約束します(これが20年後にミラノ・スカラ座で実現します)。国賓として来日したドイツ大統領は、主立った皇族を招待する特別公演を希望し、実現します。
 東宝専属のスター越路吹雪が日生に異動した(さらにひと皮剥けて観客動員がうなぎのぼりになった)ことも“反浅利”運動に燃料を投下します。こうなると浅利は演劇で成功し続けるしかありませんが、成功すればするほど反発は強まります。
 越路吹雪以外の全役をオーディション、の「アプローズ」は72年、大成功。しかし反浅利の圧力は高まり、劇団四季は日生劇場から離れることになります。つまりは、全国展開です。「ピンチはチャンス」と言うのは簡単ですが、やるのは大変だったことでしょう。
 劇団四季の「母音法」は有名ですが、その陰に「小澤征爾(とN響とのトラブル)」の存在があったとは初めて知りました。この時、衆寡敵せずで感情的な大多数の攻撃に負けそうだった小澤征爾を「契約通り」に無人の舞台に立たせる、という“演出”をしたのが浅利慶太だったんですね。その小澤征爾との会話や議論、さらに、武満徹との議論もまた「劇場で響くことば(音)」について浅利に大きな影響を与えます。レトリックや技術ではなくて、まず「発音」だ、と。
 「キャッツ」も新機軸てんこ盛りでした。劇場に芝居を合わせるのではなくて、芝居に劇場を合わせたテント小屋。チケットのコンピューター販売。私は新宿のテント小屋で2回、大阪のには1回、他の都市でもテント小屋ではなくて常設劇場で何回か「キャッツ」を観ています。毎回違った工夫があるのに感心しましたっけ。
 本書は「親浅利慶太派」の人が書いているから、当然そういった内容となっています。「反浅利慶太派」の人の著作はないのかな? 彼がいかにくだらない人間か、とか彼が作り出したものがいかにくだらないか、とか、しっかり書いてくれたら、人物についてはわかりませんが、少なくとも彼が作り出したものに関しては私なりの評価ができるので「反浅利慶太の主張」の正しさもある程度は評価可能です。