【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

地下鉄

2020-07-07 07:22:50 | Weblog


 ロンドン地下鉄は1863年(日本では文久三年)に開業しましたが、最初は蒸気機関車が走っていました。私は蒸気機関車がトンネルに入ったらどうなるか実体験を持っていますが(煙が客車に入ってきてすごいことになるのです)、地下鉄は最初から「トンネルの中」です。一体どうやったんでしょうねえ(知らない人は調べると、面白いですよ)。

【ただいま読書中】『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド 著、 谷崎由依 訳、 早川書房、2017年、2300円(税別)

 こちらの「地下鉄道」は、アメリカ南部から北部へ、奴隷を逃がすための秘密ルートのことです。特に19世紀前半に多数の奴隷の逃亡を助けました。もちろん本当に「地下」に鉄道を敷いてあるわけではなかったそうです。
 奴隷の日々は悲惨です(「そうではない」と主張する人は、ぜひ自分で同じ生活を味わってみることをお勧めします)。重労働・暴力・強姦・不平等な扱いが、生活のほとんどすべてです(1930年代に「奴隷生活を体験した人」から証言を得るプロジェクトがあり、本書はその史料をベースにしています)。人権も自由もありません(「人間」ではなくて「所有物」ですから))。南北戦争はまだ数十年先、ジョージアには「地下鉄道」の支線や駅はできていないはずでした。しかし、それを作りたいという白人は存在していました。そして、逃亡したいという黒人奴隷も。
 シーザーという男性奴隷に見込まれて逃亡に誘われたコーラ(15歳、女性)は、散々逡巡した上で決断。農場を抜け出した時点で指名手配(発見されたら私刑、その後持ち主によって極刑)となった二人は、「地下鉄道」の「駅」にやっとたどり着きます。そこで二人が見たのは「地下鉄道」でした。いや、ここ、笑う所なんでしょうね。単線ですが立派な地下トンネルの鉄路、そこを走るおんぼろの蒸気機関車。「地下鉄道」だから「地下鉄道」なんだよ、と著者がニンマリしている気がします。
 逃げる者がいれば追う者がいます。逃亡奴隷追跡者です。自由州に逃げ込んでほっとしている黒人の寝込みを襲って無理やり奴隷州に連れ戻すプロです。もちろん裁判官や弁護士は文句を言いますが、こんどは自分(たち)が奴隷州に逃げ込めたらそれでゲームは“勝ち”なのです。ジャン・バルジャンを追うジャベール警部を私は思い出します。ただ、阿漕な連中は。自由黒人(奴隷から正式に解放された者)を捕まえて奴隷市場で売り払ってしまうそうですが(これはジャベール警部はやらないでしょう)。コーラを追跡するリッジウェイは、自分なりのポリシーを欲望に優先させるタイプの男でした。
 サウス・カロライナは南部の中では進歩的で、コーラとシーザーは、偽装の書類でベシーとクリスチャンになります。書類上は二人とも政府によって購入された黒人です。しかしここでも、黒人は“奪われる存在”でした。
 「このアメリカ」で一番問題になっているのは「黒人の人口増」でした。白人が少数派になってしまうのは困るのです。サウス・カロライナでは「説得による断種」で対応しようとします。ノース・カロライナは「ジェノサイド(黒人は殺し、綿花摘みは白人移民で代替)」。自分を追う追跡人から逃げようとして、コーラはそのノース・カロライナに逃げ込んでしまいます。袋小路、どこにも行きようがない罠の中へ。
 ついにリッジウェイの手に落ちたコーラは、手枷足枷をかけられて馬車で運ばれます。まずはテネシーに。かつてチェロキーが住む土地だったのを白人があっさり奪ったのですが、コーラはそこが一面焼け野原になっているのを見ます。人々(白人)は難民となっています。さらに黄熱病の噂も。そして……
 本書で州ごとに全く違う「世界」となっている「アメリカ」は、人種ごとに全く違う「世界」となっている「アメリカ」を象徴しているようにも見えます。「地下鉄道」はあるいは「タイムトンネル」なのかな。くぐるたびに「違う(時代の)アメリカ」が登場しますから。また、その「トンネル」を、最初は誰かと一緒に「乗せてもらう」だけだったコーラが、最後には独力で進むようになっていきます。この姿に私は感銘を受けます。
 そういえばトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の「アメリカ」は、「共和党のアメリカ」「白人のアメリカ」以外の意味を持っているのでしょうか?

 


差別

2020-07-07 07:22:50 | Weblog

 「差別は正しい」と言って差別をしている人間と、「差別は良くない」と言いながら差別をしている人間と、どちらが“悪い”んでしょうねえ?

【ただいま読書中】『信長と家康の軍事同盟 ──利害と戦略の二十一年』谷口克広 著、 吉川弘文館、2019年、2200円(税別)

 家臣でさえ信じられない戦国時代に、織田信長と徳川家康の「同盟」はなんと21年も守り続けられた、という「奇跡」でした。それは一体なぜか、を解き明かそうとしたのが本書です。
 松平清康は若いときから天分を発揮し、三河をほぼ統一しましたが、家臣に殺されてしまいました。その子広忠は今川義元に頼って三河を支配しようとしましたが、やはり家臣に殺されます。その子竹千代(のちの徳川家康)は、三河を今川の保護領とする証の人質として駿府に向かいますが、家臣の裏切りで尾張(織田信秀)に身柄を送られてしまいます。わずか六歳のときです。結局2年間を尾張で過ごした後、人質交換で駿府へ。この尾張時代に十歳近く年上の信長と出会った、という伝説はありますが、確かではありません。そして駿府での十余年の人質時代、家臣は「ひどい生活だった」と記録していますが、義元は、元服の烏帽子親になる・自分の姪と結婚させる、などけっこう家康を厚遇していますし、「桶狭間」で知られる織田攻めの時には大高城への食糧運び入れという、この戦いでは要になる重責を任せています。織田は内紛と美濃・三河との戦い、三河は内紛と織田との戦いと今川支配をどうやって骨抜きにするか、そして今川は三河支配を確立しつつ尾張を攻めたい、皆さんそれぞれに忙しくしています。
 「桶狭間の戦い」によって今川義元が討ち取られ、家康はどさくさ紛れに岡崎に入城(帰還)。まず西三河をまとめ、それから東三河支配を確立していきます(その過程を著者は、松平家と今川家の文書からみごとに説明してくれます)。
 そして「清洲同盟」。この「対面」が本当にあった、と日付まで記した文書は17世紀末のもので、二人が生きた時代の文書にはその証拠はありません。ただ信長の娘と家康の息子の婚約が行われ、家康は三河一向一揆への対応、信長は美濃攻略に本腰を入れることになります。
 戦国大名の外交はしたたかです。信長は、武田・上杉両方と親交を深めて両者の信頼を得てしまいます。「三国同盟」の武田・今川・北条でしたが、今川の弱体化を見て武田は今川攻めを画策、今川は上杉と結んで背後から牽制しようとします。そこで武田は織田に働きかけ、上杉との和睦の仲介と家康による今川領侵攻を依頼します。上洛のために東が安定していることが望ましい織田信長にとってはメリットのある提案です。背後の安全を確保して武田は駿府を占領、しかし北条は今川とのこれまでの関係を重視します。北条に気を遣いつつ、武田と徳川は今川を挟み撃ちにします。
 朝倉攻めや姉川の戦いで、織田軍と徳川軍は連合して戦いました。この、朝倉・浅井との3年間の戦いの時期、「信長包囲網」はどんどん勢いを増していました。そして武田信玄が兵を動かします。これについて私は「上洛説」を信じていましたが、本書でその思い込みがひっくり返されてしまいます、というか、本書では様々な歴史上の「従来の説」(「桶狭間の“奇襲”」「今川上洛」「『天下』の意味」「長篠の戦いの『三千丁の三段撃ち』」「徳川信康の切腹を信長が迫ったこと」など)を、証拠付きでひっくり返してくれるので、「自分は歴史に詳しい」と思っている人は一読の価値があると思います。
 三方ヶ原で武田軍に一蹴された家康ですが、信玄死後に長篠城を奪還しています。つまり、信長は「西」、家康は「東」に専念し、必要なときには連合する、という「同盟」がきれいに機能しているわけです。しかし、「長篠の戦い」頃から、家康は「信長の対等な同盟者」から「従属的な立場」にポジションチェンジをしていきます。だから、武田家滅亡に際して、家康は「駿河一国をあてがわれる」の扱いを受け、家忠(家康の家臣)の日記では信長のことを「上様」と表現しても誰も不思議に思わなかったのでしょう。
 そして、本能寺の変、伊賀越え、清洲会議……家康は、甲斐を奪取し、さらに信濃支配を東方の北条・北方の上杉と争います。長久手の戦いで家康は秀吉軍に快勝しますが、それはあくまで局地戦。秀吉軍十万に対して家康・信雄軍は二万足らず、これでは膠着状態に持ち込むのがやっとです。最終的に(家康とではなくてまず信雄と和睦を成立させる、という外交手段で)秀吉が実質的な勝利を得、家康は秀吉に臣従することになります。ただ、これは信長に臣従したのとは“質的”にずいぶん違うものだったことでしょう。だから秀吉の死後に信長の死後とはまったく違う行動を家康はとったのでしょう。
 人の内面は外からは見えません。だから家康が何を考えていたのか、は、たとえ日々接している家臣であっても完全な理解は難しいでしょう。まして数百年後の人間がああだこうだと想像するのは難しい。ただ、行動の記録は残っていますから、そこから蓋然性が高い推測だったら可能なはず。事実を捏造したり勝手な思い込みを過去に押しつけたり、は、歴史(学)ではなくてフィクションの世界でやってほしい、とは思います。ただ最近の歴史小説は「事実」に立脚した上で作者の想像の翼を広げるものが多くなっているから、「無責任な思い込みの押しつけ」は小説としても成立は難しくなっていることでしょうね。