【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

アプリの不具合

2020-07-12 11:15:33 | Weblog

 厚生労働省の「接触通知アプリ」がまた不具合だそうです。厚生労働省は「個人データの収集」は好きだけど、「データを国民のために活かす」のは好きじゃない、ということなのでしょうね。たぶんそんな発想や具体的な作業に不慣れなんだろうな。

【ただいま読書中】『紫外線の社会史 ──見えざる光が照らす日本』金凡性 著、 岩波書店(岩波新書1835)、2020年、800円(税別)

 ニュートン以来、日光(可視光線)は複数の色の混合体であることはわかっていましたが、1800年にハーシェルが赤外線、1801年にリッターが紫外線を発見。1877年には紫外線の殺菌作用が報告されます。日本でははじめは「紫外線」だけではなくて「菫外線(きんがいせん)」という呼び方も使われていたそうです。
 紫外線を日常的に体験できるのは「日光浴」でした。20世紀初めの「国民病」肺結核に対して「日光療法」が新しい治療法として普及しました。また19世紀末から紫外線ランプによる治療(「光線療法」)も医学の世界では始まっていました。「日光浴で結核を治療」と聞くと笑いたくなりますが、21世紀にも「日光を体内に入れてコロナウイルスを消毒」なんて主張をする人もいるので、あまり大笑いはしない方がよいでしょう。
 紫外線は「目には見えない未知の存在」でした。そして100年前の人たちは、ラジウムにも「何か良いこと」を期待したのと同様に、紫外線にも「何か良いこと」を期待したのです(ラジウムについては近い内に『核の誘惑』を読みます)。
 100年前の美容の世界では、太陽光は「美容(色白)の敵」でした。ただ「病的な白さ」よりは「健康的な桜色の皮膚」を良しとする論者もいるので、「美」はなかなか扱いにくいものです。
 ビタミンDと紫外線の関係も一本調子に述べるわけにはいきません。「くる病に肝油が有効だったが、肝油に含まれているビタミンAは無関係とわかり有効成分がビタミンDと名付けられた」「植物油に紫外線を照射したら肝油のようなにおいがしてくる病に有効だった」という世界各地の研究がまとまり、太陽光線と病気の意外な関係が明らかになります。さらにこの話は、鶏肉の大量生産にもつながっていきます。鶏の骨の成長促進に紫外線が有効だったのです。脚気の病因をめぐって「細菌説」と「ビタミン説」が論争をし、結果としてビタミンブームが日本に起きます。
 そういった背景を元に、1927年ころ「紫外線ブーム」が到来します。それまで「賛否両論」だったのが「賛」一辺倒。まるで万能の霊薬のような扱いです。1933年寺田寅彦は「科学と文学」で、当時の人が「科学」としてイメージするものとして「飛行機」「ラジオ」「紫外線療法」を挙げています。日本社会は紫外線を渇望し、同時にその不足に気づくことになります。そこでテクノロジーの出番、「人工太陽」です。この紫外線ランプを使った「太陽灯浴室」「日光浴室」は、小学校や工場などに設置されました。なお写真で見る限り中で紫外線を浴びている人たちはちゃんとゴーグルをつけているので、私は安心します。さらに、家電としての紫外線ランプも開発された、というのには驚きます。家庭で全身に紫外線を浴びて健康増進、だそうです。
 産業界では、牛乳に紫外線を照射して「ビタミンD強化牛乳」として売り出しました。欧米ではこれがくる病対策に有効だったそうです。パン、シリアル、ビールなどもあったそうです。日本では養蚕の関係者が紫外線に注目していました。もっともこれは不発だったようですが。
 「文明生活は人を虚弱にする」という主張から、裸での生活や自然に近い食品を勧める人たちは、「太陽光線を遮る大気汚染や窓ガラス」も敵視しました。で、そのための代替手段が「人工太陽」。自然なのか不自然なのか、文明てきなのか反文明的なのか、よくわかりません。海水浴もまた「太陽に近づく」手段です。昭和の中頃日本の浜辺では盛んに(今は差別語になってしまいましたが)くろんぼ大会が開かれていました。子供たちがいかに日焼けをしたか、競うコンテストです。元気いっぱい外で遊んでいたら、日焼けをして自然に真っ黒にはなるでしょうが、真っ黒になることを目的に砂浜に寝そべっている人たちは本当に健康的なのだろうか、と子供心に不思議でしたっけ。
 「総動員体制」になると「日光浴」を「太陽信仰」とからめた主張が登場します。物資は配給となりますが、紫外線もまた配給の対象です。「産めよ増やせよ」のためには女性の健康が重要で紫外線もその一翼を担いました。
 戦後しばらくしての小学校の保健室に「太陽灯(紫外線ランプ)」が置かれていた、という目撃証言があり、「小児の健康」についての考え方は戦前のものが踏襲されていたことが窺えます。
 昭和30年代は「レジャーの黎明期」で、日本では「日焼け予防」が言われるようになってきました。ところが同時期の欧米では日焼けは「セレブのファッション」として重要でした。黒人差別と両立していたのが、不思議ではありますが。
 1970年代に「公害」が社会問題化、ロサンゼルスの「新型スモッグ」が排気ガスと紫外線で発生する、と報じられます。さらにそれまでも「強い紫外線で皮膚炎」は言われていましたが、さらに皮膚がんに対する言及が増え、80年代のレーガン大統領の皮膚がん治療が大きなニュースとなります。また、79年には「フロンガス」「オゾン層減少」と一緒の文脈で「有害紫外線」が登場。「紫外線」に対する風向きが大きく変わります。美容業界もその変化に敏感に対応。環境問題とからめて紫外線は「敵」認定をされることになりました。
 ネットや出版物には「健康に良い」「美容に良い」と「医者(あるいは科学者)が勧める○○」が実にたくさん広告に登場しています。「紫外線」はその“御先祖”だった、ということのようですが、逆に言えば日本人は100年進歩をしていない、とも言えそう。まあ、紫外線のように「御国の為に」を言われないことだけはまだマシになったのかもしれませんが。