【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

許さないを許さない

2018-03-29 07:12:04 | Weblog

 「許すことが大切だ」と主張する人は「過去の恨みを忘れない人」のことは許さない、と主張しているようです。

【ただいま読書中】『大いなる失墜 ──甦る悲劇の人、ペタン元帥』ジュール・ロワ 著、 三輪秀彦 訳、 早川書房、1967年、450円

 フランスがナチスドイツに降伏した後、著者を含むフランス軍人は、「フランス」の一部を支配して(ドイツに協力して)いた“英雄"ペタン元帥の指揮下に入るか、それともイギリスに脱出したドゴールという無名の若い少将のもとにはせ参じるかの選択を迫られました。著者はまずペタン元帥を選択、しかし後日イギリスに脱出して、自由フランス軍としてドイツ空襲に参加しています。
 本書は、そういったやや複雑な著者の経験と、官報に詳細に記録されたペタンの裁判記録とをもとにして、終戦から20年後に「あの時のフランス」を再構成した“ルポルタージュ"です。
 「わが国の軍首脳のなかで最も高貴にして最も人間的な人物」と呼ばれたペタン元帥は、フランスが敗色濃厚となったときに大使をしていたスペインから呼び戻され八十代半ばで内閣首班に任命されました。しかし軍隊はもう戦闘不能状態。ペタンはドイツと休戦協定を結びます。
 これが「裏切り」だと、裁判では主張されます。というか、すでに「ペタンは裏切り者だ」という結論は用意されていて、そのための論理だけを組み立てることがこの裁判の目的だったように、私には見えます。終戦後に生まれたドイツの子供たちが成長してから親に「戦前は何をしていた(なぜナチスに抵抗しなかった)の?」と質問したときに親たちが狼狽した、という話を私は思い起こします。休戦協定が締結されたとき、多くのフランス人はほっとした気分だったはずで、それを「裏切り」だと言われたら、多くの人は狼狽を感じたはずだったでしょう。だからこそ「戦後体制を是としペタンを罰するための論理」が必要になったのでしょう。
 次々登場する証言者のことばは、ペタンに対して容赦ありません。「敵」はもちろんペタンを攻撃しますが、ペタンに協力したり宣誓をしてペタンのために働いた過去を持つ者はまるでその過去がなかったものであるかのようにペタンを激しく攻撃します。官報にはその言葉が詳細に記録されています。その「雰囲気」までもが。
 重要なのは、フランスが「降伏」したのではなくて「休戦」したことです。そのため「フランス政府とフランス軍」が(たとえ形だけではあっても)存続できました。そして著者は「職業軍人」であり続けることができたのです。問題はその軍人が仕える先ですが、一度宣誓をしたら武器を取って命令に従って「敵」と戦うのが職業軍人の仕事です。「敵」や「フランス」を定義するのは軍人ではなくて政治家の仕事なのです。ではナチスと休戦したフランスは「フランス」だったのでしょうか?
 ペタン(あるいはその弁護人)は「ドゴールは矛、ペタンは盾」という“理論"をひねり出します。国外のドゴールが活動しやすいように国内を整備しておくのがペタンの仕事だったのだ、と。1945年7月23日から裁判が始まりましたが、日本で「戦争」がまだ行われている同じ時期に、フランスでは言葉による「戦争」が展開していたのです。8月6日に裁判所に「広島の原子爆弾」のニュースが駆け巡ります。そして8月14日深夜、陪審員は評議を開始、15日午前四時に判決の言い渡しが始まります。
 本当にペタンを責めることができる人間がいるとしたら、占領軍であるナチスに対してレジスタンス・マキ・パルチザンなどとなって戦った人たちくらいでしょう。ペタンが有罪なら、「ナチスに負けた現実」を受け入れてしまった人間は、すべて「有罪」だったはず。
 そういえば、日本で「占領軍に対する武装抵抗運動」ってどのくらいありましたっけ? 「押しつけられた憲法は否定」と主張する人は、占領軍に対してどのくらい激しく戦っています?