メキシコに着任したときの私の手荷物は2つでした。大きなトランクケースとギターケース。中身はロマニロス。私の宝物でした。アパートが決まるまでは安ホテルに滞在していました。二日目の夜はホテルの部屋で軽くギターを弾きました。異国でこれからもギターを弾く生活が続くんだろうなと思いつつ。
1週間目はさすがにいろんな手続きやアパート探し、社内を含め主要ディーラーへの挨拶回りなどであっという間に過ぎました。そして原田支店長は私にミッションを与えました。「3万人以上の人口の町全てににディーラーを作れ」でした。そして赴任2週間目にはメキシコ人と二人でディーラー開拓の出張が始まりました。名前はホルヘ。メキシコ人やラテンの人はもともとよくしゃべるのですが、このホルヘはまた一段とおしゃべりでした。
夜遅くにバスに揺られながら目的地に移動したんですが、やたらと飛ばすんですね。しかも荒っぽい運転でくねくねした山道も猛スピードで走るんです。「こんなメキシコの田舎で死にたくないぞ、もう少しスピードを落としてくれ~!」と心の中で叫びながらやっとたどり着いたホテルのベッドのシーツが何となく湿気があって臭いんです。道中のホルヘのしゃべりにくたびれて真夜中にたどり着いたホテルがひどいので落ち込んでいるのにまたホルヘが話掛けてくるのでもうたまりません。私はブスっとしながら返事をする気にもなりませんでした。
そして翌朝起きると写真のような田舎町だったんです。中心街はもう少し町ですが、町外れはこの写真の様な風景なんです。人口3万人以上の町全てにディーラーを作れとは大変なミッションなんだとその時に思いました。
そして2週間彼と出張して3週間目からは一人で出張に出かけました。通常は語学研修もさせてもらえるのですが、スペイン語学科を出たんだから必要ないと言うことで放り出されたのです。しかし、皆さんも英語を中学・高校・大学と勉強したから英語が話せるかと言うとそうではありませんよね。此方の言いたいことは中学英語レベルのスペイン語で言えるんですが、相手の言うことが聞き取れないんです。兎に角現地の人のしゃべるのが早く感じました。
当時はエレクトーンが主力商品でしたので、家具屋を探しました。田舎の楽器屋は安いギターと民族楽器やカセットを売っている程度でエレクトーンを売れるような店は1軒もありません。家具屋に飛び込んで「ヤマハから来ました。エレクトーンは如何ですか?」と売り込むのです。先ずは町の地図を買って繁華街を歩きながら家具屋をチェックします。そして一番大きな構えの資金力のありそうな店から訪問しました。しかし、店の前で深呼吸をして気合を入れないと足がすくんで店に入れないんです。言葉のプレッシャーは大きかったですね。そして普通の家具屋は「うちは家具屋だぞ。楽器屋ではないぞ。お前は何しに来たんだ?」とたどたどしいスペイン語を話す日本からの若造に半分興味を抱きながらも怪訝な顔をされました。
今思うとこの時の経験は何にも替えがたい経験だったと原田支店長に感謝していますが、毎週月曜日は会社に出て営業会議で先週の出張報告をし、また火曜から出張に出て週末に帰るというパターンが続くんです。お陰でロマニロスはケースから出してもらうことが殆どなくなりました。何しろ新しい生活と新しい仕事に慣れるのに必死でしたから・・・
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