アルゼンチン赴任 その4 - ミューズの日記
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先回はビザも取得してやっと現地でアパートも決まったと言うところまでお話しましたが、アルゼンチンと言えば皆さんは何を思い浮かべますか?
先ずはアルゼンチン・タンゴでしょうか。バンドネオンの巨匠、アストール・ピアソラを思い浮かべる人もいるでしょうね。サッカー好きな人はマラドーナでしょうね。又はパンパ(大草原)とガウチョ(牛飼い)と言う言葉を思い出す人もいるでしょうね。今日はそのタンゴについてお話いたします。

首都のブエノス・アイレスにはタンゴの発祥地と言われる港街があります。ボカと呼ばれるこの地区は昔はアルゼンチンの玄関だったんですね。牛や作物、金や銀がこの港からどんどんヨーロッパに輸出され、ヨーロッパからは大理石から移民まで全てがこの港に到着したそうです。そんな地区で働く労働者や船乗り相手の酒場や踊り場でそれはたいそう賑やかだったそうです。いろんな国からの人達が入り混じり、音楽もいろいろと融合していく中でタンゴは生まれたんです。キューバからハバネラが伝わりそれが後にタンゴの原型となるミロンガの元になり、スペインからはアンダルシア・タンゴが運ばれてきて、更に黒人が持ってきたリズミカルなダンス音楽カンドンベや既存のフォルクローレなどが入り混じってタンゴが生まれたと言われています。

タンゴと呼ばれるものは1880年頃に生まれたと言われています。スペインから独立して70年後くらいです。最初はごちゃまぜの音楽を持ち寄りの楽器演奏していたんですね。でも主役は踊りなんですね。踊るための音楽だから楽器にはあまりこだわらなかったんですね。主にギター、フルート、バイオリン、クラリネットなどが使われていて歯切れの良い踊りやすい曲が好まれたそうです。今ではタンゴと言うとバンドネオンが主役の楽器ですが、当時はまだ入っていなかったんです。後にドイツからバンドネオンは伝わって来ました。皆さんが良く知っている「ラ・クンパルシータ」はバンドネオンが入ってから生まれた歌なんです。そう、歌詞のついた歌なんです。このバンドネオンが入ってタンゴも変化していきます。力強い旋律の中にもどこか哀愁漂う音楽になって行きます。そして踊りの音楽から聞かせる音楽に変わっていきます。そして楽団が結成されるようになると更に聴かせる音楽になっていくんですね。(つづく)

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