芳志戸幹雄ホームページ - ミューズの日記
ミューズ音楽館からの発信情報  ミューズのHP  http://www.muse-ongakukan.com/

 



皆さん、芳志戸幹雄さんのホームページがあるのをご存知ですか?
(http://hoshido.com/index.html)
1996年に惜しまれながら世を去ったギタリスト・芳志戸幹雄さんのホームページが今年立ち上がったんです。芳志戸さんが亡くなられて来年で10周年になるのを記念して元お弟子さんたちが立ち上げられた様です。そして来年5月6日、新宿近江楽堂において追悼演奏会を開催する旨を芳志戸さんのお母様に報告されたようです。芳志戸さんは「鬼才」と謳われ、荘村清志さん、渡辺範彦さんらと「三羽烏」と謳われて大活躍されました。私も大好きな演奏家の一人で良くヤマハの名古屋時代に演奏に来ていただきました。そして名古屋の若手を育てると言う目的で月1回のマスタークラスを1年半に渡ってやっていただきました。私も毎月レッスンを受けました。従って私の師匠にあたります。芳志戸先生と呼ばせていただきます。添付した写真がそのマスタークラスの生徒募集のチラシです。

私はこのホームページを見て胸を打たれました。まず、大好きで尊敬する芳志戸先生のホームページが存在すること。そしてHP立ち上げの発起人の一人に名古屋のマスタークラスを受けていた樹神 功さんが居るのです。彼はHPにも書いていますが、月1回のレッスンに飽き足らず毎週上京してはレッスンを受けて先生が亡くなられる96年5月15日までお世話になったそうです。そしてHPのBGMに使われている「メランコリー・ガリアルド」が、勿論芳志戸先生の演奏ですが、何とも切なく悲しく響いているのです。

私も一度先生のお宅までお邪魔したことがありました。そして二人で小さな居酒屋で飲んだ事があります。その時先生は「山下さんは僕の弟子ですよ。」と言ってくれてそれが何とも嬉しかった記憶があります。歳は私より3つ上でした。そして上智大学でした。私が南山大学だったので姉妹校なんですね。私が南山に入って上南戦(上智と南山の交流会)で東京に行き演奏したときには、「すごい上手い人が居た」と言ううわさだけを聞きました。先生はもう中途退学されてプロデビューし、スペインに留学されていました。そして私の学生現役時代に帰国されて華々しい活躍が始まりました。そんな芳志戸先生にヤマハに入社した私が演奏のお願いをしたりマスタークラスのお願いをしたり出来たのは幸せなことでした。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



« 8mm映画 11弦ギター »
 
コメント
 
 
 
RE:芳志戸幹雄ホームページ (古橋)
2005-09-28 22:38:15
古橋です。芳志戸さんと聞いて思わず反応します。

私は学生時代、小原安正さんに師事していました。

芳志戸さんは既にスペイン留学から帰国されデビューされていました。

当時、荘村清志さん、渡辺範彦さんと並んで3羽烏と称されていましたが、何回かお会い出来た事も有り、私は芳志戸さんの演奏が一番好きでした。

訃報をニフティのパソコン通信で知った時はショックでした。

お弟子さん達が芳志戸さんを偲んでHPを立ち上げたのは嬉しい事です。

これから見てみます。
 
 
 
芳志戸さんのギター (おさるのギタリスト)
2007-12-19 02:06:35
HPを見てたら、芳志戸さんが生前使用なさってたギターが、東京の某楽器店で売りに出されてるようですね。1977年、フレタ イーホス。
息子さんが没後10年間、大切に保管なさってたもののようです。興味湧くなぁ。
芳志戸さん、本当にいい音でしたから。
ワタシは、青春時代に芳志戸さんの音と演奏を聴いてなかったら、たぶん今ごろギター弾いてません。山下さんは、レッスンを受けていらっしゃったとか。どんなレッスンだったのでしょうか。うらやましい限りです。
 
 
 
ホントですか? (山下 高博)
2007-12-24 12:38:17
師匠が使っていたフレタが売りに出されているんですか?それは貴重品ですね。見てみたいですね。私も師匠の音が大好きでしたからね。レッスンはやはり一音一音を大切にするレッスンでしたよ。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。