施餓鬼会(せがきえ)、通称、お施餓鬼(※1)とは何かについて考えたいと思います。
お施餓鬼は、日本の仏教宗派を超えておおよその寺院で行われている、年に一度の大行事です(一度にこだわらないで年間通して随時行う場合もある)。
また、古来、お盆(盂蘭盆会<うらぼんえ>)の時期に行われていたので、お盆と混同されがちですが、別の行事になります。
おそらく、由来のエピソードが少なからず似通っているために余計に混同しがちになるのでしょう。
ここで整理したいと思います。
まず、お盆は、お釈迦さまの十大弟子の一人、神通第一の「目連尊者」のお母様が餓鬼道に落ちているのを救うために行った、僧侶への供養がはじまりとされています。
目連尊者が餓鬼道に落ちている亡き母を見て、お釈迦様にどうすれば母を救えるか相談をしたところ、
「目連よ、そなたの母を救うために、七月十五日、僧たちが三ヶ月の安居を終えて遊行に出掛ける日、僧たちに供養しなさい。供養の功徳によって救われるはずだ・・・・」と教えられました。
これが、そもそもお盆の供養の由来とされています。
退屈ですか・・・
眠らないでくださいね。
さらにお施餓鬼の由来を続けます。
やはりお釈迦様の十大弟子の一人、多聞第一の阿難尊者のもとに、ある夜、餓鬼がやってきます。
その餓鬼に、お前はあと3日後に死んで、私と同じような姿になると告げられたため、お釈迦さまに相談されました。
お釈迦様は阿難尊者に陀羅尼(呪文)を授けられました。
彼がその陀羅尼を唱えたところ、一器の食物が無量の飲食に増やされて無数の餓鬼に施されました。これによって阿難尊者は事なきを得たとされます。これが施餓鬼会の由来です。
ふたつの行事の由来を整理しましょう。
・お盆=目連尊者の母を餓鬼道から救うために七月十五日に行われた供養。
・施餓鬼=阿難尊者を餓鬼道行きから救うために行われた法要。
そして、これらのエピソードが、日本古来の先祖供養信仰と結びついて、お盆、お施餓鬼ともに日本の仏教文化として定着したと言えましょう。
さて、ここで問題になるのは、以上のような、仏教説話的なエピソードを聴いて、私たち現代人がどこまで共感することができるのかという点だと私は考えます。
こうした仏教の六道輪廻に代表される神話的世界観が、現代においては方便として機能しづらくなっている現状がある。
それは科学的合理主義や物質還元主義にもよりましょう。
打ち明ければ、すでに私自身そうした素朴な神話的世界観を丸呑みに信じることはできませんし、またそれを信じ込むよう強要することもあまり意味のないことだと思っています。
こうした世界観が、前近代まで(幕末から明治頃まで)の人々に素朴に信じられていた頃は、方便として人々が安心を得るのに有効に機能していたことでしょう。
しかし、現代、刀の山とか、釜茹で地獄、閻魔様、三途の川などと言われても、なかなかリアルにイメージできなくなってしまった以上、仏教行事を新たに捉えなおすことが求められているのではないでしょうか。
もちろん、古来の説話はそれはそれとして大事にしなければいけませんが。
仏教は、いつの時代、またどのような地域にあっても、時代の価値観、社会環境、風土に応じて、柔軟に姿を変えて、苦悩する人々を導いてきました。
お釈迦さまからして、その人がおかれている状況に応じて、教えを融通無碍に変えながら説いて、悩める人々を救っていたのです。
これを仏教の言葉で、「対機説法、応病与薬(たいきせっぽう、おうびょうよやく)」と言います。
ですから、言葉で表されたものが表面的に姿を変えて説かれても、仏教の本質を見失わない限りは、なんら問題がないと言えるのです。
では次に、仏教の方便としての神話的世界観はひとまず置いて、現代の私たちが共有しやすく心の安心につながりやすい世界観は何か。
また、お盆、お施餓鬼という行事を古来の説話を踏まえつつ、現代的にどのように捉え直せばよいのか考えて行こうと思います。
(次回に続く)
お施餓鬼は、日本の仏教宗派を超えておおよその寺院で行われている、年に一度の大行事です(一度にこだわらないで年間通して随時行う場合もある)。
また、古来、お盆(盂蘭盆会<うらぼんえ>)の時期に行われていたので、お盆と混同されがちですが、別の行事になります。
おそらく、由来のエピソードが少なからず似通っているために余計に混同しがちになるのでしょう。
ここで整理したいと思います。
まず、お盆は、お釈迦さまの十大弟子の一人、神通第一の「目連尊者」のお母様が餓鬼道に落ちているのを救うために行った、僧侶への供養がはじまりとされています。
目連尊者が餓鬼道に落ちている亡き母を見て、お釈迦様にどうすれば母を救えるか相談をしたところ、
「目連よ、そなたの母を救うために、七月十五日、僧たちが三ヶ月の安居を終えて遊行に出掛ける日、僧たちに供養しなさい。供養の功徳によって救われるはずだ・・・・」と教えられました。
これが、そもそもお盆の供養の由来とされています。
退屈ですか・・・
眠らないでくださいね。
さらにお施餓鬼の由来を続けます。
やはりお釈迦様の十大弟子の一人、多聞第一の阿難尊者のもとに、ある夜、餓鬼がやってきます。
その餓鬼に、お前はあと3日後に死んで、私と同じような姿になると告げられたため、お釈迦さまに相談されました。
お釈迦様は阿難尊者に陀羅尼(呪文)を授けられました。
彼がその陀羅尼を唱えたところ、一器の食物が無量の飲食に増やされて無数の餓鬼に施されました。これによって阿難尊者は事なきを得たとされます。これが施餓鬼会の由来です。
ふたつの行事の由来を整理しましょう。
・お盆=目連尊者の母を餓鬼道から救うために七月十五日に行われた供養。
・施餓鬼=阿難尊者を餓鬼道行きから救うために行われた法要。
そして、これらのエピソードが、日本古来の先祖供養信仰と結びついて、お盆、お施餓鬼ともに日本の仏教文化として定着したと言えましょう。
さて、ここで問題になるのは、以上のような、仏教説話的なエピソードを聴いて、私たち現代人がどこまで共感することができるのかという点だと私は考えます。
こうした仏教の六道輪廻に代表される神話的世界観が、現代においては方便として機能しづらくなっている現状がある。
それは科学的合理主義や物質還元主義にもよりましょう。
打ち明ければ、すでに私自身そうした素朴な神話的世界観を丸呑みに信じることはできませんし、またそれを信じ込むよう強要することもあまり意味のないことだと思っています。
こうした世界観が、前近代まで(幕末から明治頃まで)の人々に素朴に信じられていた頃は、方便として人々が安心を得るのに有効に機能していたことでしょう。
しかし、現代、刀の山とか、釜茹で地獄、閻魔様、三途の川などと言われても、なかなかリアルにイメージできなくなってしまった以上、仏教行事を新たに捉えなおすことが求められているのではないでしょうか。
もちろん、古来の説話はそれはそれとして大事にしなければいけませんが。
仏教は、いつの時代、またどのような地域にあっても、時代の価値観、社会環境、風土に応じて、柔軟に姿を変えて、苦悩する人々を導いてきました。
お釈迦さまからして、その人がおかれている状況に応じて、教えを融通無碍に変えながら説いて、悩める人々を救っていたのです。
これを仏教の言葉で、「対機説法、応病与薬(たいきせっぽう、おうびょうよやく)」と言います。
ですから、言葉で表されたものが表面的に姿を変えて説かれても、仏教の本質を見失わない限りは、なんら問題がないと言えるのです。
では次に、仏教の方便としての神話的世界観はひとまず置いて、現代の私たちが共有しやすく心の安心につながりやすい世界観は何か。
また、お盆、お施餓鬼という行事を古来の説話を踏まえつつ、現代的にどのように捉え直せばよいのか考えて行こうと思います。
(次回に続く)