一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

エホバの証人の方たち

2007年07月25日 | 哲学・思想・宗教
夕方本堂の戸締りをしていると、小ぎれいな身なりをした品のいいご夫人二人がやってきました。
おや、これはもしかして・・・
直感は当たりました。
「ものみの塔」、通称「エホバの証人」の方たちです。
どこそこで行われる大会の案内で来たとのこと。

彼らの信仰について否定をする気は全くありません。
しかし、どうして彼らがお寺にまで足を運んでくるか、その神経が分からないのです。
というのは彼らがきわめて原理主義的であり、彼らの信仰の根底に、自分たちの信仰だけが絶対に正しく他の神や他の信仰を認めないという考えがあるからです。
どうして、そういう方々がお寺に来て自分たちの布教活動をしなければならないのか、しかもこの私に向かって・・・。

私は彼女らに言いました。
「あなた方は、ご自分たちの教えが、自分たちの神が唯一絶対に正しいと思っているわけでしょう? 他の神や、他の教えは間違っていると・・・。私はそうは思っていない。キリスト教の教会に行けば、ちゃんとキリスト教のやり方でお祈りします。 じゃあ聴きますが、あなた方はいまここで、この寺のご本尊さまに手を合わせることができますか? もしそれができたら、お話も伺いますし、そのパンフレットも受け取りましょう。」
と聞いたら、案の定いいえできません・・・と答えました。
「そうですか。だったら、どうぞお引取りください。あなた方は失礼なことをしているとは思いませんか。」
それでも何か言おうとする彼女たちに、
「いや!聞く耳を持ちませんから、お引取りください!」と言ったら、やっとすごすごと帰っていきました。

原理主義的宗教は、必ず他の宗教を排斥しようとします。自分たちだけが唯一絶対に正しいと信じ込んでいるわけですから、当然と言えば当然ですけど。。。
しかし、そうした宗教のあり方が人類史においてさまざまな悲惨な争いを引き起こしてきたのは自明の事実です。
私は現代こそ、他宗教間の根底に流れている共通した霊性を通して、交流すべき時期だと考えています。

宇宙はひとつですから、どれが正しくてどれが間違っているということは究極には言えないし、各宗教はただ現れ方が異なるだけで本質は一緒なのだと考えています。
これについては、とてもここで一言では言えません・・・。

その点、「ものみの塔」は時代の流れに逆行しています。というか、宇宙の流れ、人類の進化に逆行しているように私には思えるのです。自分たちの信仰に誇りを持つことは素晴らしいことだと思います。しかし、それは他の信仰を認め、尊重するということが前提です。
異質な他者として、他の信仰を認めない宗教に賛同することはできません。もちろん存在することは認めますが・・・。

彼女たちには可哀想な気もしましたが・・・寺の住職が毅然とした態度を取ることは彼女たちのためにもなるでしょう。