わたしが世界と親しくなる。
世界がわたしと親しくなる。
わたしの中に世界が浸透してくる。
世界の中にわたしが浸透してくる。
たとえば、
眼前に広がる新緑がわたしの一部のような・・・
わたしが新緑の一部のような・・・。
なにかすべてがサッパリとして突き抜けている様子。
それは意識の状態というよりも・・・
からだまるごとの把握のようなもの。
坐が深まるとき、そんな「構え」になることがある(状態というよりも構えと言った方がしっくりくる)。
そうは言っても、坐を解いてしばらく経つと元の木阿弥、感情の虜になってしまうのは相変わらずであるのだが。
だが、かつてと違う点は、
感情の虜になっている自分を見つめる「自分」が育ちつつあること。
相変わらず落ち込みやすい性格は変わらないが、
深く落ち込んでも立ち直りが早くなった。
やはり続けるといいことがある。
無所得無所悟はとうぶん置く。
やらないよりはやった方がいい。
世界がわたしと親しくなる。
わたしの中に世界が浸透してくる。
世界の中にわたしが浸透してくる。
たとえば、
眼前に広がる新緑がわたしの一部のような・・・
わたしが新緑の一部のような・・・。
なにかすべてがサッパリとして突き抜けている様子。
それは意識の状態というよりも・・・
からだまるごとの把握のようなもの。
坐が深まるとき、そんな「構え」になることがある(状態というよりも構えと言った方がしっくりくる)。
そうは言っても、坐を解いてしばらく経つと元の木阿弥、感情の虜になってしまうのは相変わらずであるのだが。
だが、かつてと違う点は、
感情の虜になっている自分を見つめる「自分」が育ちつつあること。
相変わらず落ち込みやすい性格は変わらないが、
深く落ち込んでも立ち直りが早くなった。
やはり続けるといいことがある。
無所得無所悟はとうぶん置く。
やらないよりはやった方がいい。
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