今回のお施餓鬼の目玉は、なんと言っても私が敬愛してやまない岡野守也先生の講演でした。
岡野先生の活動については、講演の際に檀家に配布した略歴を以下引用します。
<岡野守也先生略歴>
1947年広島県生まれ。関東学院大学大学院神学研究科修了。多年に渡り出版社編集長を勤め、1992年独立し、サングラハ心理学研究所(現名称 サングラハ教育・心理研究所)を主宰。
法政大学、武蔵野大学、青森公立大学などでも講師を務めておられ、大乗仏教の思想をベースに、生きる意味、いのちの尊さを伝える授業をされて、多くの学生たちの支持を得ています。
岡野先生は元々はキリスト教の牧師でしたが、キリスト教のみに限界を感じ、臨済宗の秋月龍老師から禅を学び、秋月師に示唆を受けて「唯識(ゆいしき)」を研究。また、現代アメリカを代表する心理学者 ケン・ウィルバーの思想に深く共感し、彼の提唱する「コスモロジー」も積極的に取り入れています。過去から現在、西から東とジャンルを問わず精力的に研究を重ねておられます。
主な著書は、『生きる自信の心理学』、『トランスパーソナル心理学』、『唯識の心理学』、『唯識のすすめ』、『道元のコスモロジー』、『空海の十住心論を読む』、『自我と無我』、『唯識と論理療法』、『よくわかる般若心経』・・・などがあり、その他翻訳書も多数出版されています。
また、岡野先生は、曹洞宗、天台宗の布教師研修や、曹洞宗保育連合の講師として招聘されるなど、その活動は日本仏教界の間でも注目を集めておられます。
人々が生きる意味を見失い、命がますます軽んじられる現代、人と人、人と世界のつながりはバラバラに寸断され、現代人の心の荒廃は進む一方です。大乗仏教をベースにした、つながりの世界観を説く岡野先生の多岐にわたる活動が、この混迷した現代に多くの示唆を与えることを確信してやみません。
以上。
岡野先生との出会いは私にとってかけがえのない宝物です。
先生との出会いによって、自分が人生で目指すべき方向性が決まったと言ってもいいでしょう。
とは言え、いまだ心の方はなかなか定まらず・・・といったところですが、何より人生観が圧倒的に豊かになりました。
また、人生や世界にむなしさを感じることもなくなりました。
つまり私の中のニヒリズム的傾向が、意味のある世界観に転換したということです。
さて今回の講演のテーマは「つながりを大切にする心」。
檀家のみなさんに、ご先祖様をさかのぼるお話などをもとに、平易に、すべての命・存在はつながりあっていることを説いてくださいました。
私たちの命は誰しも自分の意志によって生まれたわけではない。
はかり知れない数のご先祖様が、この「私」にまで命を繋いでくださったからこそ生かされている「命」であるということ。
私の命は、代々、代々、はるかな過去から、親から子へ愛情が受け継がれてきた、いわば、ご先祖様の「愛情の結晶」であるということを話されました・・・。
(どうも先生がこの話をされると、涙腺が緩んできてしまっていけません・・・。)
そのことを思えば、人間として「感謝」の気持ちを起こさない方がおかしいのではないか?
かりに、そんなの「関係ない」という考えがあるとしても、目に見えない無数のご先祖様のはたらきに感謝して生きるのと、何も感謝しないで自分勝手に生きるのでは、どちらが心豊かに生きられるだろうか?と問いかけられました。
だからこそ、日本人にとって、お施餓鬼や先祖供養、あるいは法事は、私たちとご先祖様との「つながり」を確認し、感謝の心を取り戻す上で極めて大事な行事であるということをお話くださいました。
当日はかなりの暑さでしたが、檀家さんのみなさんはいつになく真剣な面持ちで、時に笑いもあり、深く相槌を打ちながら80分の講演を聴き入っていました。
聴衆の心に染み渡る素晴らしい講演でした。
岡野先生にはただただ感謝の気持ちで一杯です。
「つながり」、「すべてのものはつながりあって一体である」とはすなわち仏教の根幹「縁起の理法」ということです。
私の外部ブログのタイトル『一顆明珠』の意味も、ズバリその真理の体験的比喩と言ってもいいでしょう。
それは、いわゆる宗教、を超えた普遍的真理であると思います。現代科学も、どうやら縁起の理法を科学的にも立証しつつあるようです。
もちろん、科学的解明と宗教的体験を安易に同定することはできないのですが、それにしても科学が縁起を語り始めてきた、いやむしろ、科学を推し進めたら、だんだん「縁起の理法」に近づいてきたと言った方がいいかもしれません。
もとよりこの考えも押し付ける気はありません。
しかし、世界中の人々の心はいまやニヒリズムの闇に覆われ、エゴイズム―快楽主義の世界観は増長する一方です。
結果として、世界と自分、自分と他人がバラバラに寸断され、孤独感に苛まれ生きる意味を見失っている人々、あるいは、自分の人生は自分の楽しみのためにあるとばかり、自分勝手に生きている人々・・・こうした心の闇に生きる人々が増えている。
こうした人々が、本当の意味で餓鬼道に落ちた人々と言えるのではないでしょうか。
私自身も自分の生き方を自省しなければなりません。
世界が、宇宙が、この宇宙のあらゆる存在が、実はひとつにつながりあって本質的な区別はない、一体であるということ。
この縁起の理法と現代宇宙科学に基づく、つながりの世界観「つながりコスモロジー」が、病んだ現代人の心を救う、もっとも有効な方便のひとつであることを確信しています。
つながりの世界観が、多くの人々に共有されることを願ってやみません。
岡野先生の活動については、講演の際に檀家に配布した略歴を以下引用します。
<岡野守也先生略歴>
1947年広島県生まれ。関東学院大学大学院神学研究科修了。多年に渡り出版社編集長を勤め、1992年独立し、サングラハ心理学研究所(現名称 サングラハ教育・心理研究所)を主宰。
法政大学、武蔵野大学、青森公立大学などでも講師を務めておられ、大乗仏教の思想をベースに、生きる意味、いのちの尊さを伝える授業をされて、多くの学生たちの支持を得ています。
岡野先生は元々はキリスト教の牧師でしたが、キリスト教のみに限界を感じ、臨済宗の秋月龍老師から禅を学び、秋月師に示唆を受けて「唯識(ゆいしき)」を研究。また、現代アメリカを代表する心理学者 ケン・ウィルバーの思想に深く共感し、彼の提唱する「コスモロジー」も積極的に取り入れています。過去から現在、西から東とジャンルを問わず精力的に研究を重ねておられます。
主な著書は、『生きる自信の心理学』、『トランスパーソナル心理学』、『唯識の心理学』、『唯識のすすめ』、『道元のコスモロジー』、『空海の十住心論を読む』、『自我と無我』、『唯識と論理療法』、『よくわかる般若心経』・・・などがあり、その他翻訳書も多数出版されています。
また、岡野先生は、曹洞宗、天台宗の布教師研修や、曹洞宗保育連合の講師として招聘されるなど、その活動は日本仏教界の間でも注目を集めておられます。
人々が生きる意味を見失い、命がますます軽んじられる現代、人と人、人と世界のつながりはバラバラに寸断され、現代人の心の荒廃は進む一方です。大乗仏教をベースにした、つながりの世界観を説く岡野先生の多岐にわたる活動が、この混迷した現代に多くの示唆を与えることを確信してやみません。
以上。
岡野先生との出会いは私にとってかけがえのない宝物です。
先生との出会いによって、自分が人生で目指すべき方向性が決まったと言ってもいいでしょう。
とは言え、いまだ心の方はなかなか定まらず・・・といったところですが、何より人生観が圧倒的に豊かになりました。
また、人生や世界にむなしさを感じることもなくなりました。
つまり私の中のニヒリズム的傾向が、意味のある世界観に転換したということです。
さて今回の講演のテーマは「つながりを大切にする心」。
檀家のみなさんに、ご先祖様をさかのぼるお話などをもとに、平易に、すべての命・存在はつながりあっていることを説いてくださいました。
私たちの命は誰しも自分の意志によって生まれたわけではない。
はかり知れない数のご先祖様が、この「私」にまで命を繋いでくださったからこそ生かされている「命」であるということ。
私の命は、代々、代々、はるかな過去から、親から子へ愛情が受け継がれてきた、いわば、ご先祖様の「愛情の結晶」であるということを話されました・・・。
(どうも先生がこの話をされると、涙腺が緩んできてしまっていけません・・・。)
そのことを思えば、人間として「感謝」の気持ちを起こさない方がおかしいのではないか?
かりに、そんなの「関係ない」という考えがあるとしても、目に見えない無数のご先祖様のはたらきに感謝して生きるのと、何も感謝しないで自分勝手に生きるのでは、どちらが心豊かに生きられるだろうか?と問いかけられました。
だからこそ、日本人にとって、お施餓鬼や先祖供養、あるいは法事は、私たちとご先祖様との「つながり」を確認し、感謝の心を取り戻す上で極めて大事な行事であるということをお話くださいました。
当日はかなりの暑さでしたが、檀家さんのみなさんはいつになく真剣な面持ちで、時に笑いもあり、深く相槌を打ちながら80分の講演を聴き入っていました。
聴衆の心に染み渡る素晴らしい講演でした。
岡野先生にはただただ感謝の気持ちで一杯です。
「つながり」、「すべてのものはつながりあって一体である」とはすなわち仏教の根幹「縁起の理法」ということです。
私の外部ブログのタイトル『一顆明珠』の意味も、ズバリその真理の体験的比喩と言ってもいいでしょう。
それは、いわゆる宗教、を超えた普遍的真理であると思います。現代科学も、どうやら縁起の理法を科学的にも立証しつつあるようです。
もちろん、科学的解明と宗教的体験を安易に同定することはできないのですが、それにしても科学が縁起を語り始めてきた、いやむしろ、科学を推し進めたら、だんだん「縁起の理法」に近づいてきたと言った方がいいかもしれません。
もとよりこの考えも押し付ける気はありません。
しかし、世界中の人々の心はいまやニヒリズムの闇に覆われ、エゴイズム―快楽主義の世界観は増長する一方です。
結果として、世界と自分、自分と他人がバラバラに寸断され、孤独感に苛まれ生きる意味を見失っている人々、あるいは、自分の人生は自分の楽しみのためにあるとばかり、自分勝手に生きている人々・・・こうした心の闇に生きる人々が増えている。
こうした人々が、本当の意味で餓鬼道に落ちた人々と言えるのではないでしょうか。
私自身も自分の生き方を自省しなければなりません。
世界が、宇宙が、この宇宙のあらゆる存在が、実はひとつにつながりあって本質的な区別はない、一体であるということ。
この縁起の理法と現代宇宙科学に基づく、つながりの世界観「つながりコスモロジー」が、病んだ現代人の心を救う、もっとも有効な方便のひとつであることを確信しています。
つながりの世界観が、多くの人々に共有されることを願ってやみません。
大雄山でのお話は、さぞ熱のこもった内容だったことでしょう。道了様は今もお山に監寺和尚としてお役をお持ちです。きっとどこかでりょうさんのお話を聞いていたことでしょう。
お施餓鬼も無事に終わってお疲れさまでした。
時折風月さんのご活躍を耳にします♪
いつか一杯やらせていただけたら嬉しいです^^
大雄山での話は、熱はこめられましたが、内容的には反省ばかりです。。。
道了さまも笑ってお見守りくださったことでしょう(笑)
有り難いことです♪
今回の大雄山では、なぜか道了様の存在を感じたような気がしました。
何度も訪れていますが、こんな体験ははじめてです。
もちろん漠然とした感覚ではありますが・・・
お施餓鬼は、終るとホッとしすぎてしばらく気が抜けてしまいますね・・・
仏教と深層心理学とのからみが主題。
岡野氏は、唯識仏教の研究者に、誰彼かまわず寄贈されたらしい。
当時、長崎大学の助教授だった先輩は、
「ユング心理学に詳しいお前が読んだほうがよくわかるだろう」と私に回してくれました。
その時、岡野氏はP+F研究所から籍を移されて独立の準備をなさっていたのだが、直接お会いしたのは、春秋社の編集室。
一度、当地にも来ていただいたが、時間的・金銭的も双方に負担が大きい。
岡野氏の講演が「簡単に」できるのも、関東だからこそ。
うらやましい限り。・・・。
岡野先生と、N老師はそういうご関係というか、出会いでしたか・・・
春秋社の編集室というのがいいですね~♪
編集長、現役時代の先生には興味津々です^^
老師は、そういえばユングを深く学ばれていらっしゃったんですね。
出会いというのは不思議なものですよね・・・。
やはり出会うべくして出会うのでしょうか。
私は、書店で手にとった本が、岡野先生の本だったのです。
しかもそれは仏教書ではありませんでした。
>時間的・金銭的も双方に負担が大きい
仰るとおりですね。。。
当寺と岡野先生のお住まいは、電車で30分の所なので、本当にありがたく思っております。
月に1~2回しか会えませんが、私にとっては大きいです♪