machaの浅学妄想

今、感じたことや想うことを書いておく。

おとりさま

2015-04-07 | Weblog
昨日の夕食の時に見ていたテレビにお坊さんが沢山出て修行の話をしていたので、ふと、30年ほど前に亡くなった母方の伯父のことを思い出して、スマホで調べてみた。

伯父は浅草千束の長國寺の先代住職、井桁日雄上人という。

私が高校生の頃から、千葉の実家でいつも長い時間、宗教談義をしたり、伯父の寺に行ったときには美味しい寿司屋にも連れて行ってもらった。

この寺は「おとりさま」の起源だと聞いたが、こんな小さい寺なのになんて思っていた。


鎌倉時代、西暦1265年日蓮上人が現千葉県茂原市鷲巣(わしのす)の小早川家で国家平穏を祈っていたところ、妙見菩薩が鷲(わし)に乗って現れたとのことです。その日が11月の酉の日。

その地に12年後、1277年日蓮上人の命により長國山鷲山寺(ちょうこくざんじゅせんじ)が建立された。

長國寺は長國山鷲山寺の第13世・日乾(にちけん)上人によって 江戸初期の1630年に開山され寺の名は鷲在山長國寺(じゅざいさんちょうこくじ)。

その時から鷲山寺の鷲妙見大菩薩(わしみょうけんだいぼさつ)の本尊掛け軸が長國寺で11月の酉の日にだけ運ばれて開帳され、沢山の人がお参りし、酉の市が始まったそうです。

江戸中期1771年鷲山寺50世と長國寺13世を兼任していた日玄上人の時代に本尊である鷲妙見大菩薩は鷲山寺から長國寺に完全に移ったそうです。

この日蓮上人が出会った鷲妙見大菩薩の霊力のこもった本尊掛け軸、酉の市には御開帳され、本堂の向かって右側の逗子のなかにあり、分かる人にはかなりの開運のパワースポットだそうです。



私の母方は祖父も僧侶だが、父方は大工で、祖父は鷲山寺の鐘楼堂を棟梁として建てた人で実家には額に入った写真がある。父は長國寺の建て替える前の本堂を昭和24年に建てた人。

茂原の鷲山寺は寂れた寺だが、寺の格は大本山と言って京都の本能寺と同格。

ここに書いた内容は長國寺のホームページからありがたく参照させて頂いたものです。

追伸

千葉に結婚式に行ったときに実家によって写真を撮ってきた。祖父の年恰好から大正末期から昭和初期だと思う。

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