machaの浅学妄想

今、感じたことや想うことを書いておく。

中国の食品

2014-08-04 | Weblog
マクドナルドが7月25日以降、中国のチキンは一切使わないと決定した。

中途半端で結局は中国から抜け出せない他の企業と比べて立派なものだ。

中国の学校教育では日本人を殺してもよい敵と教えているのだから、そんな人間に食わせる食べ物なんて犬以下であっても罪悪感は起こらない。
むしろ腐ったものや床に落として踏んづけたようなものを製品にするのは誇らしいことだ。

そんな敵国からでも食料を輸入せざるをえない我が国の政治の貧困が恥ずかしい。

食料を調達するなら、日本に対して好意的な国からにしよう。
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岡田正平と大叔父

2014-08-04 | Weblog
知り合いのイギリスから来たハーフの若夫婦とその赤ちゃんが暑さでストレスが溜まっているというので、奥只見ダムまでドライブに連れて行った。
平地は35度の暑さだがダムに行く素掘りの総延長20kmの水浸しのトンネルは13度位まで下がり、ところどころのトンネルの切れ目では急に温度が上がりフロントガラスが一瞬で真っ白になったりする。

寒いトンネルを抜けた奥只見ダムの駐車場は照り返しで30度もあり期待外れだったが、スロープカーとかで堰堤に上がり電力館に向かう坂道の神社の隣に立派な銅像があって岡田正平と書いてあった。もしかしたらと思って家に帰ってから調べてみると大叔父と懇意にしていたというその人だった。

岡田正平は明治11年生まれ、魚沼一の財閥だったが戦前、鉄道会社や電力会社など60もの事業をことごとく失敗し石垣と塀だけの無一文にまで落ちぶれてしまったとのこと、19歳で中条村(現十日町市)の村長を務め、戦後は初の民選知事に立候補し選ばれ2期8年の任期中に奥只見ダム発電所という大事業を成功させた。彼の三人のブレーンが若き田中角栄、塚田十一郎、渡辺良夫という新潟の保守本流であり、田中角栄の日本列島改造論は岡田正平の思想の継承と言える。

大叔父も同じ時期十日町に住み、鉄道省で水力発電所のダム建設の技術者として赴任していたのだから交流があったのだろう。母から聞いた話によると、岡田正平が苦しい時期に家の修理か何かで助けてあげた恩返しで大量の材木を頂いたそうだ。私が生まれ育った千葉の実家の家を見てみれば直径1mはある越後杉で、家を一軒建ててまだ余って求める人に分けたというぐらいだ。大叔父が退職し東京の大手建設会社に相談役として天下ってから現職の新潟県知事だった岡田正平には建設会社が大叔父を生涯在籍させたほど仕事上でとても大きな手助けをしてもらった。

大叔父は大正時代に大学を出て建築の技術者として鉄道省に入ったとはいえ、学校が休みの時は大工仕事をしていたというくらいの貧しい大工の息子、生まれは財閥で実力のある政治家の岡田正平とどういう交流があったのか興味深い。岡田正平について知りたいのでいつか十日町市に調べに行こうかと思う。
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