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<写真追加しました>
多摩川に 曝(さら)す手作り さらさらに
何ぞこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき
=巻14-3373 作者未詳=
多摩川にさらさらと晒して仕上げる手織り布のように、さらにさらにこの娘がかわいくてたまらない、という意味。
納める布を白く晒すため、多摩川の清流で布を洗う娘たちのことを詠んだ歌である。
武蔵国(今の東京都ほか埼玉県、神奈川県に分属する地域)の歌。多摩川河畔では手織りの麻布を朝廷に調(税)として献上した。今も調布の地名が残る。
調布市の布多天神社の境内に布晒しの碑と呼ばれる弘化三年(1846)の碑がある。
この碑に下記の縁起が誌してある。
「垣武天皇の延歴十八年(799)に中国から木綿の実が渡ってきたが、布に織る術をしらなかった。そのころ多摩川の近くに住む広福長者という者が天神社にこもってお告げを受け、木綿の布を織り、多摩川の水に晒して調えた白布を朝廷に納めた。これがわが国の木綿の始めとされ、天皇はこの布を調布(てづくり)と名付け、この地を調布の里と名付けたという。後にこの布が国中に流布され、調布の神社を布多天神社と改めたという。」
狛江市の多摩川河畔に、この万葉歌碑が建っているのは知っていたが、歌のもとになっている調布に布晒しの碑が江戸期にすでに存在していたというのを、深大寺について検索している時に初めて知った。そこで先日深大寺散策へ出掛けた際、途中にあるこの神社を訪ね碑を探し、やっとそれらしき碑を見つけて確認したのであった。
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