(写真追加しました)
采女の袖吹きかへす明日香風
都を遠みいたづらに吹く
=巻1-51 志貴皇子=
采女の美しい袖を返していた明日香風も、都が遠くなって吹き返すべき采女の袖もないままに空しく吹いている。持統8年(694)飛鳥浄御原宮から藤原宮へ遷都された後、さびれた古都のさまを歌った皇子30歳頃の作。
甘樫の丘から耳成山を望むと、その手前に藤原宮跡が広がっている。
丘の上に立つと、万葉の頃と変わりないであろう、心地よい風が頬をなでる。(2006/9)
遠くに二上山が、近くに大和三山のひとつ畝傍山が激動の飛鳥・奈良時代がなかったのかのように、やさしくたたずんでいる。(2006/9)
甘樫の丘の中腹にこの歌碑が立っている。(2006/9)
万葉学者故犬養孝先生の筆になるもの。
万葉の大和路を歩く会で犬養孝先生とともに、
この地に来たのが今では懐かしい思い出である。(1986/6)
采女の袖吹きかへす明日香風
都を遠みいたづらに吹く
=巻1-51 志貴皇子=
采女の美しい袖を返していた明日香風も、都が遠くなって吹き返すべき采女の袖もないままに空しく吹いている。持統8年(694)飛鳥浄御原宮から藤原宮へ遷都された後、さびれた古都のさまを歌った皇子30歳頃の作。
甘樫の丘から耳成山を望むと、その手前に藤原宮跡が広がっている。
丘の上に立つと、万葉の頃と変わりないであろう、心地よい風が頬をなでる。(2006/9)
遠くに二上山が、近くに大和三山のひとつ畝傍山が激動の飛鳥・奈良時代がなかったのかのように、やさしくたたずんでいる。(2006/9)
甘樫の丘の中腹にこの歌碑が立っている。(2006/9)
万葉学者故犬養孝先生の筆になるもの。
万葉の大和路を歩く会で犬養孝先生とともに、
この地に来たのが今では懐かしい思い出である。(1986/6)
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