飛鳥への旅

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万葉アルバム(奈良):山の辺、引手の山

2012年08月24日 | 更新情報

衾道(ふすまぢ)を引手(ひきで)の山に妹を置きて
山道(やまぢ)を行けば生けりともなし
   =巻2-212 柿本人麻呂=


衾道(ふすまぢ)の引手の山に、妻を置き去りにして山道を行くと、自分が生きているとは思われない、という意味。

柿本人麻呂が妻が亡くなったのを悲しんで詠んだ晩歌が長歌3首・短歌7首連続して巻2に収録されている。前書きに「泣血哀慟(きょうけつあいどう)して作る歌」とある。妻が死んでも日常は繰り返され、それがいっそう妻への思いを深めてしまうと、切々と詠っている。

衾道(ふすまぢ)の引手の山は、山辺の道ぞいにそびえる龍王山のことで、
その山麓に亡き妻が葬られている。
天理市中山町から東北の丘陵地一帯を古代から衾田(ふすまだ)と呼び、古代王族の埋葬地であった。通る道を衾道(ふすまじ)と呼んだ。衾とは古代、神事などで使われた白い布のことで、貴族はこの衾で棺を覆い、引手の山(龍王山)へ向かったのであろう。

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現在は山辺の道のハイキングコースになっており、万葉時代の道とは明暗の格差が大きく、当時の雰囲気を掴むのは難しいが、そこに建っている歌碑が、いにしえの風を感じさせるようだ。


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