飛鳥への旅

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万葉アルバム(関東):茨城県、かすみがうら市 師付の田井

2013年05月19日 | 万葉アルバム(関東)


草枕 旅の憂いを 慰もる 事もあらんと
筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る
師付(しづく)の田井(たい)に 雁がねも 寒く来鳴きぬ
新治(にひばり)の 鳥羽の淡海(あふみ)も 秋風に 白波立ちぬ
筑波嶺の よけくを見れば 長き日(け)に
おもひ積み来(こ)し 憂いはやみぬ
   =巻9-1757 高橋虫麻呂=


(現代訳)
 旅の悲しみを慰めることもあろうかと、筑波山に登って見ると、芒(ススキ)が散る師付の田に、雁も寒々と飛んで来て鳴いている新治の鳥羽の湖も、秋風に白波が立っている。筑波山の美しい景色を見ていると、長い間思い悩んできた憂えも止んだことである。

歌にある師付の田井とは、この辺一帯の水田を指したのではないかと思われる。
碑のある付近は、昭和四十八年まで鹿島やわらと称し、湿原の中央に底知れずの井戸があり、日本武尊や鹿島の神にまつわる伝説のあるところで、土地の人は、昔から「しづくの田井」と呼び、しめ飾りをして守ってきたところでもある。(平成四年一月 かすみがうら市教育委員会)


師付の田井全景<クリックで拡大>

 師付の田井の場所について
かすみがうら市中志筑(なかしづく)。万葉の師付(しづく)の読みが志筑(しづく)という地名で残っている。
国道138号線の池の下交差点から北へ500m程進んだところの「師付の田井入口」の案内板を左折し、細い道を700mほど進むと駐車場に着く。そこから舗装された畦道を北に100m余り行ったところの、水田に囲まれた中の畦道の突き当りに位置している。
畔道の両側にかれんな野草が咲いており、春風が心地よく感じる。ここからは筑波山は山陰になっており、畦道の先まで行かないと望めないようだ。


 師付の田井の碑の裏側に今でもこんこんと湧き出る水源があった。これが伝説にある井戸なのだろう。万葉時代から現代まで止まることなく湧き出ていることで、伝説の身近さを感じた。

 師付(志筑)の田井に伝わる昔話
師付の田井のあたりは戦前まで湿地帯でもあり、不断に泉の湧く井戸があった。この井戸は、弘法大師(空海)が巡錫の途中、この地に来られ、錫杖を使って地面を突くと清烈な水が湧き出し、長らく付近の稲作におおいに役立ち、村人にたいへん喜ばれているそうである。またこの志筑の田井は遠く鹿島神宮の御手洗池と地下でつながっているという。このように弘法大師によって湧き出した泉の例は、弘法井とか、御大師様水とかいわれ、全国いたるところに見ることができる。この他、弘法大師の足跡として近くの閑居山では金堀穴の前面にある大石の上に静座され瞑想にふけっていると、妙な音楽とともに阿弥陀如来のお姿が現れ、立派な経巻を残されて姿を消した。、大師はこれは如来の賜物であると、前面が平滑で数メートルの高さの岩の下部にある穴に納めて、石で蓋をして後世の人の手にふれないようにした。この大岩を聖教石といった。また、高倉の湯ケ作山に、阿弥陀宝蔵寺の跡があるが、弘法大師がここを通りかかった時に、大変疲れており、手にした杖を大地に突き立てると、その杖の下から温泉が湧き出し、この温泉で疲れを癒したと言い伝えられている。 (千代田村の昔ばなし 仲田安夫著 ふるさと文庫より)


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本武尊 (iina)
2013-06-21 09:29:46
日本武尊は、この辺りまで遠征していたのですね。

飛鳥と亀岡文殊でTBを貼らせていただきました。

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