飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム 花、ひめゆり

2011年08月25日 | 万葉アルバム(自然編)

夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の
知らえぬ恋は 苦しきものそ               
    =巻8-1500 大伴坂上郎女=


夏の野の草の繁みに咲いている姫百合の花は、人に知られない。そのように相手に気づいてもらえない心に秘めた恋は苦しいものです。という意味。

相手も回りもわからないまま恋が進行するつらさ、すなわち片思いを歌った。

大伴坂上郎女は、万葉集の女流歌人としては、指折りの人で、佳品を多く遺している。異母兄の大伴宿奈麻呂との間に、坂上大嬢(さかのへのおおいらつめ)と坂上二嬢(さかのへのおといらつめ)とを生んでいて、この大嬢が家持の妻となっっている。
坂上郎女の歌は万葉集に83首もあり、女性歌人では一番多いが、悲しい恋や、ときめく恋の歌は見受けられない。

多感な歌人で穂積皇子(ほづみのみこ)をはじめ藤原麻呂や大伴宿奈麻呂、大伴百代(ももよ)らと愛人関係にあったとされるが、この歌の相手は特定できないようだ。

「姫百合」は、本州南部の山地に自生し、小さくて可憐なユリの花。茎の先に濃いオレンジ色の花を上向きに開く。

万葉集に「ひめゆり」の歌はこの1首のみである。

万葉アルバム 野草、うはぎ(ヨメナ)

2011年08月10日 | 万葉アルバム(自然編)

春日野に 煙(けぶり)立つ見ゆ をとめらし
春野のうはぎ 採みて煮らしも
   =巻10-1879 作者不詳=


春日野の方に青い煙が立ちのぼっているのが見えるけれど、あれはきっと、乙女た
ちがヨメナを摘んで煮ている煙に違いない。という意味。

万葉時代に春日野と呼ばれていた所は、今の奈良公園の一帯。
遠くから春ののどかな風景を眺めて想像をめぐらしている。

「うはぎ」は現在のヨメナ(嫁菜)と呼ばれているもの。秋には淡紫色の可憐な花が咲く。
ヨメナは3月頃、萌え出る若芽を摘みとり、生の葉を天ぷらや汁の実にする。かるくゆでたものはおひたしやあえもの、炒め物に、細く刻んでご飯に散らして蒸らすとヨメナ飯が出来る。

万葉アルバム 花、すもも

2011年07月27日 | 万葉アルバム(自然編)

わが園の 李(すもも)の花か 庭に降る
はだれのいまだ 残りたるかも
    =巻19-4140 大友家持=


うちの庭が白く見えるのは、スモモの花が散っているからか、それとも、雪が残っているのだろうか。という意味。

花の白さを庭の残雪にたとえたものと思われる。

「はだれ」は、ハラハラと降る雪のこと。

大友家持が高岡の地で詠んだ歌。前年に,都に帰り,妻を伴って高岡に戻った頃の歌である。

「すもも」は、中国原産の落葉高木で、古くから日本へ渡ってきたバラ科の植物。現在は,広く果樹として栽培されている。春に白色の花が咲き、秋に果実は赤紫色または黄色に熟し酸味はあるが食用にできる。スモモの名は、「すっぱいモモ」から付けられた。



こちらの万葉歌碑は、奈良県橿原市にある万葉の森に置かれているもの(2011/11/14写す)。

万葉アルバム 樹木、このてがしわ

2011年07月02日 | 万葉アルバム(自然編)

千葉の野の 児手柏の ほほまれど
あやに愛しみ 置きて誰が来ぬ
   =巻20-4387 大田部足人=


千葉の野の,このてがしわのようにういういしいが,なんとも痛々しくて,そのまま手を触れないで,野山を越えてはるばるやって来たよ。という意味。

この歌は、下総国千葉郡(ちばのこほり。今の千葉県千葉市あたり)の大田部足人(おおたべのたるひと)という人が詠んだ歌。天平勝宝7年(755年)2月、防人として筑紫に派遣された。好きだった女性に手も触れずに旅立ったようだ。
「ほほまれど」は「ふふまれど」の東国訛り。蕾のままであるが、の意。
「千葉の野」は現在の千葉市街をとりまく一帯の総称。

児手柏(コノテガシワ)、鑑賞用として公園や庭などに植えられるヒノキ科の常緑樹。木の高さは10~15m。葉は魚の鱗(うろこ)のように生えていて,このような葉をもつものはほかにヒノキ,クロベ,イブキ等がある。また木の葉は裏表の区別がなく,次の年には葉は緑色から褐色に変わる,さらに次の年には剥がれ落ちる。花は雄花が葉の先端につき,褐色。雌花は緑色で枝と葉の間くらいにつく。

中国北部,西部が原産で日本には江戸時代に持ち込まれたという説もあり、万葉の頃には、この樹木はなく別のものであったかもしれず、ブナ科のナラという人もいる。

万葉アルバム 花、はまゆふ

2011年06月12日 | 万葉アルバム(自然編)

み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 百重(ももえ)なす
心は思へど 直に逢はぬかも
   =巻04-0496 柿本人麻呂=


熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、幾重にも幾重にも百重にもあなたのことを思っていますが、直接には会えないことだ。という意味。

690年、9月13日から24日まで紀伊の国への行幸があり、この行幸に供をした柿本人麻呂がその時に歌ったとみられる。

はまゆふ(現在のはまゆう)は暖地海岸の砂地などによく生える大形のヒガンバナ科の多年草。葉が厚く幾重にも重なり、浜の強い潮風にも耐えている。夏には葉の間から花茎を出し、先に白い花が集まって傘形に咲く。浜辺に生えオモトに似ているので、別名ハマオモトとも呼ばれている。

『万葉集』に詠まれる「はまゆふ」は上記の一首のみ。


万葉アルバム 花、あじさい

2011年06月06日 | 万葉アルバム(自然編)

あじさいの 八重咲くごとく 八つ代にを
いませ我が背子 見つつ偲はむ
   =巻20-4448 橘諸兄=


アジサイの花が幾重にもかさなりあって咲くように、いつまでも栄えて下さいよ。花を見るたびにあなたを懐かしく思いましょう。という意味。

橘諸兄(たちばなのもろえ)が彼の下役である右大弁丹比国人眞人(うだいべんたぢひのくにひとまひと)が開いた宴に参加したときに作った歌。「わが背子(せこ)」は、この宴の主人を指している。
アジサイは俗に七変化の花で、政治の世界も一寸先は闇だから、いつまでもお元気でという気持ちを伝えたのだろう。

アジサイの歌は万葉集に2首残る。

この万葉歌碑は名古屋東山植物園内にある万葉の散歩道に置かれているもの。

万葉アルバム 野草、のびる

2011年05月23日 | 万葉アルバム(自然編)

醤酢(ひしおす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願う
我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)
    =巻16-3829 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)=


醤(ひしお)に酢を加え 野蒜(のびる)を搗きまぜたタレを作って鯛を食いたいと願っている。この俺様の目の前から消えてくれ、まずい水草の吸い物なんかは。という意味。

 多くの庶民は毎日、雑草のような野草ばかり食べていた。たまには鯛を食べたいという庶民の気持ちを切に表している。

醤(ひしお): 醤油や味噌の元祖でもろみに近い。大豆、うるち、酒、小麦を原料として醸造したもの
酢: 米から作る米酢と酒を腐らせた酒酢があった
醤酢:今の酢味噌の類
蒜(ひる): のびるのことで独特の強い臭気がある
蒜搗き合てて:蒜をつき砕いて 混ぜて
水葱;ミズアオイ科の一年草、葉を食用とする。水中に自生
羹: 熱い汁で吸い物のこと。

 のびるは、万葉時代には貴重な香辛野菜で、若菜を茄でて醤酢を和えたり、魚の膾に和えたり吸い物の具にもした。ノビルはニラよりも、カルシウム・鉄・ビタミンCが多い。ナギはミズアオイの別名で、水田や沼地、池、河川の下流域などに広く生育していたらしい。
 
 万葉時代の庶民にとって、のびるは生きるためにやむを得ず食す野草だったかもしれないが、現代の私にとっては、のびるは酒の肴に格好の食材である。
生のまま味噌をつけても、ゆでて酢味噌和えにしても、いずれも珍味だ。

万葉アルバム 樹木、しい

2011年05月09日 | 万葉アルバム(自然編)

片岡の この向つ峰に 椎蒔かば
今年の夏の 蔭にならむか
   =巻7-1099 作者不詳=


片斜面のこの向かいの岡に、椎の実をまけば、若木の影をせめて今年の夏の日陰に見なせるだろうか、という意味。

 「 片岡 」 は地名と見るのがすなおな解釈かもしれない。「 片岡 」は奈良県北葛城郡王寺町から香芝市の志都美地方にかけての地域とみられ、志都美神社(しづみじんじゃ)本殿裏の森がこの歌を鑑賞するにふさわしいとされる。
本殿裏は椎の木を中心とした原生林で奈良県指定の天然記念物に指定されている。

神社参道入り口にこの歌の歌碑が建っているとのことだが、私はまだ未訪問地だ。
ここに掲載した万葉歌碑は、かつて訪問した明日香の万葉文化館庭園に置かれているものである。

万葉アルバム 花、さくら

2011年04月18日 | 万葉アルバム(自然編)

あしひきの 山の間照らす 桜花
この春雨に 散りゆかむかも
   =巻10-1864 柿本人麻呂歌集=


山の間を照らすように咲いている桜は、この春雨に散ってしまうのだろうか。という意味。

 万葉人には桜の花の時が近づくと花が咲くのを待ち望む心が、咲いた桜が春雨にぬれて散ってしまうと花が散るのを惜しむ心が、ある。現代人よりも自然に咲く花に対する愛着が強く感じられるようだ。

 万葉の頃はサクラといっても自然に咲く桜、すなわち山桜であった。



 この万葉歌碑は名古屋の東山植物園の万葉の散歩道に立っている。(2010/12/24写す)

万葉アルバム 花、つつじ

2011年04月06日 | 万葉アルバム(自然編)

水伝ふ 磯の浦廻(うらみ)の 岩つつじ
茂(も)く咲く道を またも見むかも
   =巻2-185 作者不詳=


 水が沿って流れている岩のみぎわの曲がり角にある岩つつじが盛んに咲くこの道を、再び見ることができるであろうか。という意味。

日並皇子(ひなしみのみこ)の死を悲しんで舎人(とねり)たちが作った歌の一つ。

『万葉集』に詠まれた「つつじ」は九首ある。
「つつじ」と単独で詠まれないで、「岩つつじ」や「白つつじ」と詠まれている。
「岩つつじ」は、大岩を裂くように生えるつつじを意味し、現在の「さつき」の原種とされており、山野に生えるミツバツツジが近いといわれている。  

 この万葉歌碑は名古屋の東山動植物園内の万葉の散歩道に置かれている(2010/12/24写す)。


こちらの万葉歌碑は、奈良県橿原市にある万葉の森に置かれているもの(2011/11/14写す)。 

万葉アルバム 花、おもいぐさ(ナンバンキセル)

2011年03月14日 | 万葉アルバム(自然編)

道の辺(へ)の 尾花が下の 思ひ草
今さらさらに 何をか思はむ
   =巻10-2270 作者不詳=


道のほとりの尾花(ススキ)の陰の思い草ではないか。今さら何を思い迷うことがありましょうか。私はあなたの愛を信じ、あなた一人を頼りに思っております。という意味。

 「思ひ草」の名は、横向きのややうつむきかげんに咲く花を、もの思いにしずむ佳人のさまに見立てたものだと思う。ススキなどの根に寄生してひっそりと咲くこの花の生態から、人知れずひとりひそかに思い悩む女の姿が浮かぶようだ。万葉集で「思ひ草」が詠まれているのはこの1首だけである。

 「思ひ草」 南蛮煙管(ナンバンキセル) ハマウツボ科 ススキなどの根にはえる。花の形がその名の通りたばこのパイプつまり煙管の雁首にあたるところが花で別名を南蛮煙管(ナンバンキセル)とも呼ばれている。

 この万葉歌碑は名古屋の東山植物園の万葉の散歩道に立っている。(2010/12/24写す)




万葉アルバム 樹木、すぎ

2011年02月21日 | 万葉アルバム(自然編)

味酒(うまさけ)を 三輪の祝(はふり)が いはふ杉
手触れし罪か 君に逢ひかたき
   =巻4-712 丹波大女娘子=


三輪の祝部(はふり)が仕える神木に触れてしまった罰でしょうか貴方に会えないのは。という意味。

「味酒(うまさけ)」は「味酒(ミワ)」とも訓み、神酒として神に供えることから、
同音の三輪山に掛かる枕詞である。
「祝」は三輪の神に仕える神官をさす。「斎ふ杉」は標縄などを張り、神として祀られた杉をいう。

三輪山の主神「大物主(オオモノヌシ)」は酒の神でもあり、毎年新酒が出回る季節がくると、大神神社境内の杉の葉で緑も鮮やかな大形のマリモのような「杉玉」を作る。
11月14日の新酒仕込み安全祈願を祈る「酒祭り」の後、神社から小さな杉玉が全国の主要な酒屋に送られる。大和を歩くと酒屋の軒先に杉玉をよく見かける。

 この万葉歌碑は名古屋の東山植物園にある万葉の道に置かれているものである。(2010/12/24写す)

万葉アルバム 花、さきくさ(ミツマタ)

2011年02月07日 | 万葉アルバム(自然編)

春されば まづさきくさの 幸(さき)くあらば
後(のち)にも逢はむな 恋ひそ我妹(わぎも)
   =巻10-1895 柿本人麻呂歌集=


春が来るとまず咲き出す三枝(さきくさ)のように無事でいたなら後に逢えるのだから、そんなに恋しがらないでおくれ、わが妻よ。という意味。

「さきくさ」は現在の「みつまた」で樹皮は強く良質で和紙の原料になるが、寒い冬に真っ先に玉のような花をつけ、枝が三本ずつに分かれて成長していくので、それを「三つずつ割ける」から、「さきくさ」と言われたようだ。

 この万葉歌碑は名古屋の東山植物園にある万葉の散歩道に立っている。(2010/12/24写す)



万葉アルバム 花、ふじ

2011年01月13日 | 万葉アルバム(自然編)

藤波の 花は盛りに なりにけり
奈良の都を 思ほすや君
   =巻3-330 大伴四綱=


藤の花が真っ盛りですねぇ。あなたも藤の花が咲いている奈良の都を私同様さぞ懐かしく思っておられることでしょう。という意味。 


大宰府で作者が満開の藤を眺めながら大伴旅人に話しかけた歌。
藤波とは、藤の花房を波に見立てた言葉。

729年3月4日、小野老がそれまでの従五位下から従五位へ昇進しその後、老は太宰小弐(ショウニ)として筑紫の国へと派遣される。彼を迎えた太宰府の面々の歓迎の宴での万葉歌が巻三・328-335にみられる。

青丹よし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
                   小野老(オユ)・万葉集巻三・328
忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため
                   大伴旅人・万葉集巻三・334

小野老の歓迎の宴で、まず小野老が今の奈良の都の素晴らしさを歌い、続いて大伴四綱・大伴旅人が都への望郷の念を歌ったのである。

 この万葉歌碑は名古屋の東山植物園の万葉の散歩道に立っている。(2010/12/24写す)



万葉アルバム~草、たけ

2010年05月27日 | 万葉アルバム(自然編)

我がやどの いささ群竹(むらたけ) 吹く風の
音のかそけき この夕(ゆうべ)かも  
   =巻19-4291 大伴家持=


 わが家の庭の清らかな笹竹に吹く風の音がかすかに聞こえる、この夕暮れよ。という意味。

「いささ」は、いささかの、わずかな。「音のかそけき」は、吹き過ぎて行く風の音の薄れゆくこと、かすかになってゆくこと。

音がかすかに聞こえその後遠ざかってゆく、そこに静寂がある。かすかな音を歌ったというより、静寂そのものを歌ったともいえる。

 天平勝宝5年(753年)2月、家持はこの2年前に少納言に任ぜられ、越中から帰京した。しかし、政治の実権は藤原仲麻呂に握られ、家持の不満は日増しに募るばかりであり、ここの歌はそうした時期に詠まれたものである。

 タケはイネ科。米や麦と竹が親戚とはどうも理解できないが、植物学上ではそうなっているのである。

『万葉集』には「たけ」は十八首詠まれている。

この万葉歌碑は名古屋の東山植物園の万葉の散歩道にあるもの(2010/12/24写す)。