昼頃の山の様子で、午後は万水川で大糸線を狙うのが吉と見ていた。「レトロ大糸線」という名前はどうも好かんのだが、大糸線を走る機関車牽引の列車はどれくらいぶりになるのだろう、というところなので狙いはそれだ。昼食を食べてから外を見た時、後立山連峰の様子がまだ良好だったので、久しぶりの鉄分増強活動だなと思いつつ、準備をして自転車で北上した。豊科方面に若干所用があったので、用足しをしてから15時過ぎに予定の場所に着くと、既に2、3人のカメラマンの姿が見えた。三脚にカメラをセットして待つが、ウインドブレーカーを着なくても問題ない程の暖かさで、待ち時間が苦痛ではない。
2010.11.06 76M 特急「あずさ26号」 柏矢町-豊科
警報機の音が聞こえたので注目していたら来たのがこれ。「なあんだ」という感じだが、よくよく考えてみれば4053M~76Mは、大糸線内唯一の優等列車である。とはいえ、車内を見ると思い切りよく空いている。これまでこの列車を見る限りでは乗車率はさほど良いとは言えず、定期列車でいられるのもいつまでか、と思えてしまう。
2010.11.06 9322レ 快速「レトロ大糸線」号 柏矢町-豊科
今行われているらしい「信州デスティネーションキャンペーン」の一環で運転された、「レトロ○○線」シリーズの3線区目である。大糸線では1年くらい前の「セピア色の大糸線」以来の旧型客車入線かと思われるのだが、ヘッドマークはそのときの使い回しかと思われるくらいよく似てるし、編成も牽引機がEF64 39→38に、中間のオハ47が2246→2266に変わっただけという、まあ、「前にどっかで見たな」という列車。とはいえ、何せ車両のバラエティに乏しい大糸線では非常に貴重な存在だし、機関車牽引の列車が非常に少ない今ではそれだけでも貴重だ。見たところ乗車率はよくなさそうで、この列車が直接的に観光キャンペーンに貢献しているかどうかはかなり疑問だが、たとえ車で来たとしても他の都府県から人を集めることができていればOKか。この席の埋まり具合だったら、今日は天気が良かったし、TR47台車を履いたスハ43系客車の乗り心地は、今の電車などと振動の減衰が全く違って非常に良い(と思っている)ので、往復乗ってみるというのもよかったか、と、ちょっと悔やまれる。
牽引機はEF64 38[高]。1971年5月汽車製造+東洋電機(電装)製。新製配置は長岡だが、その後甲府→八王子→高崎となっているので、上越線や中央東線を中心に走っていた機関車だ。
スハフ42 2234。1954年4月日本車輌(本店)製(スハフ42 234)。1962年10月電暖取付(→スハフ42 2234)。手持ちの配置表(1981年4月1日現在)では盛モカとなっているので、東北・常磐線で使用されていたようだ。
オハ47 2266。1952年7月日立製(スハ43 221)。1959年7月電暖取付(→スハ43 2221)。1968年7月大宮工場で台車振替TR47→TR23(→オハ47 2266)。手持ちの配置表では北オクなので、常磐線で使用されていたようだ。
オハニ36 11。1955年12月汽車製造東京支店製造(オハニ63 11=オユニ26289の鋼体化名目)。1958年1月長野工場で台車振替TR11→TR52(→オハニ36 11)。高速運転に対応させる為台車を振り替えたということで、それによって当然乗り心地はかなり向上したらしい。手持ちの配置表では福フチなので山陰を走っていた模様なのだが、何故かその当時から横軽対策車らしい。
明日も暇で天気が良かったら、別の場所で狙ってみようかと思う。
2010.11.06 76M 特急「あずさ26号」 柏矢町-豊科
警報機の音が聞こえたので注目していたら来たのがこれ。「なあんだ」という感じだが、よくよく考えてみれば4053M~76Mは、大糸線内唯一の優等列車である。とはいえ、車内を見ると思い切りよく空いている。これまでこの列車を見る限りでは乗車率はさほど良いとは言えず、定期列車でいられるのもいつまでか、と思えてしまう。
2010.11.06 9322レ 快速「レトロ大糸線」号 柏矢町-豊科
今行われているらしい「信州デスティネーションキャンペーン」の一環で運転された、「レトロ○○線」シリーズの3線区目である。大糸線では1年くらい前の「セピア色の大糸線」以来の旧型客車入線かと思われるのだが、ヘッドマークはそのときの使い回しかと思われるくらいよく似てるし、編成も牽引機がEF64 39→38に、中間のオハ47が2246→2266に変わっただけという、まあ、「前にどっかで見たな」という列車。とはいえ、何せ車両のバラエティに乏しい大糸線では非常に貴重な存在だし、機関車牽引の列車が非常に少ない今ではそれだけでも貴重だ。見たところ乗車率はよくなさそうで、この列車が直接的に観光キャンペーンに貢献しているかどうかはかなり疑問だが、たとえ車で来たとしても他の都府県から人を集めることができていればOKか。この席の埋まり具合だったら、今日は天気が良かったし、TR47台車を履いたスハ43系客車の乗り心地は、今の電車などと振動の減衰が全く違って非常に良い(と思っている)ので、往復乗ってみるというのもよかったか、と、ちょっと悔やまれる。
牽引機はEF64 38[高]。1971年5月汽車製造+東洋電機(電装)製。新製配置は長岡だが、その後甲府→八王子→高崎となっているので、上越線や中央東線を中心に走っていた機関車だ。
スハフ42 2234。1954年4月日本車輌(本店)製(スハフ42 234)。1962年10月電暖取付(→スハフ42 2234)。手持ちの配置表(1981年4月1日現在)では盛モカとなっているので、東北・常磐線で使用されていたようだ。
オハ47 2266。1952年7月日立製(スハ43 221)。1959年7月電暖取付(→スハ43 2221)。1968年7月大宮工場で台車振替TR47→TR23(→オハ47 2266)。手持ちの配置表では北オクなので、常磐線で使用されていたようだ。
オハニ36 11。1955年12月汽車製造東京支店製造(オハニ63 11=オユニ26289の鋼体化名目)。1958年1月長野工場で台車振替TR11→TR52(→オハニ36 11)。高速運転に対応させる為台車を振り替えたということで、それによって当然乗り心地はかなり向上したらしい。手持ちの配置表では福フチなので山陰を走っていた模様なのだが、何故かその当時から横軽対策車らしい。
明日も暇で天気が良かったら、別の場所で狙ってみようかと思う。