それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

休日

2012-03-08 19:29:17 | 日記
指導教官に今回の章を提出した直後、僕は自動的に休日に入った。

読み書きはもちろん、日本語のラジオを聴くのすらもできなくなり、ギターを弾いて少し歌を歌った後、ただぼーっとしていた。

やることがなさすぎたのでバスルームを掃除し、とりあえず早く寝た。

翌朝メールが来た。お世話になっている先生からの献本のお礼だった。

そうか、ついに出版されたのか、あの論文集。と思いながら、僕はぼーっとしたまま、日本の指導教官にも今回の章を送った。

日本の指導教官は私にとって大きい存在で、彼からの返信は本当に嬉しい。

間もなく、彼から返信が来た。一度読み、あとでもう一度読み直すことにしてから、僕はまたぼーっとした。

そのメールには色々嬉しいことが書いてあった。

自分が頑張っている姿は、フラットメイトしか見ていない。

それでも書いたものを見て、自分の頑張りが誰かに分かってもらえることはとても嬉しい。

誰かに確かに届けば、それだけで僕は泣いてしまう。

そして重要なアドバイスがひとつ。休むのも大事、とあった。

ようやくラジオくらい聴けるようになったが、まだ論文や本を読む気にはなれず、少し眠った。



今回、執筆に入る直前から集中力が一気に高まったのを自分でも感じていた。

集中力は最後まで上がり続け、肉体ギリギリのところまで行って書きあげた。

最終日、このまま続けたら論文にやられると思い、一気に決着をつけた。

今回は楽しかった。だからこそ、少しやりすぎた。

前回と今回の執筆でひとつ何かが体に入った。新しい技術と感覚、たぶん。