それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

さぼてん

2011-09-27 09:03:46 | 日記
先週からゆっくりとしかし着実に精神の調子がダウンして、

彼女の家に着いて翌日についに爆発。

家を飛び出し、半長距離バスに飛び乗り、彼女は焦り、車を飛ばし、僕の実家にも電話し、小さな小さな騒ぎに。

後輩が亡くなってからずっとそのことを考えている。

重ならないその後輩と自分。

僕は色々なことにイライラしていた。

報告が終わって、次の学会の論文も書いて、イギリスの教官からメールも来て、後輩の祝いの儀式にも出て、一応日本での仕事が一段落した瞬間、

僕の精神は限界に達したのだろうか。

いつかどうにかなってしまうのだろうか。

ずっと色々なことが気になっていて、コップの水はいつも溢れそうになっていて、

そこに何かが加わるだけで、すぐにこぼれてしまう。

こぼれ方の問題。問題は。



僕の戦い方はとても分かりやすい。

ターゲットを絞ってひとつひとつ時間と労力をかけて撃破していく。

そのかわり、余計なターゲットが出現しないように、しても無視できるように、囲いをつくっていく。

人間関係もぎりぎりまで小さくして、

やるべきこともぎりぎりまで小さくする。

しかしそのやり方にも限界がある。

これはいつか破綻するゲームなのだろうか?