それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

育児マンガを思い出しながら

2011-09-12 07:01:08 | 日記
最近、昔よく読んでいたマンガのことを思い出した。

そのマンガは一種の育児日記で、4コマ漫画の形式でほのぼのとした家庭の情景が描かれていた。

連載されていた雑誌は読んでいなかったが、そのマンガは単行本が出るたびに買って読んでいた。

単行本の発売がいつの間にか止まって、僕もイギリスに渡ってしまい、もうそのことは忘れていた。

最近、そのマンガのことを急に思い出して調べると、作者(女性)は夫と離婚していた。

なるほど、これはもはや単なる育児日記では通せなくなったのだろうな。

ネットで調べたかぎり、離婚した件は連載していた雑誌に発表されたという。

果たしてどの時点までマンガになっていたのだろうか?

さらに調べを進めていくと、その著者がなんとすぐに再婚していたことも判明。

さらに第二子も生まれており、事態はとても素早く展開していた。



メディアに携わり、自らのプライベートな情報でビジネスをする人の性(さが)を思う。

私のように少しばかりの興味を持った人間でもここまで分かるのだから。

しかし自らの私生活を公にしながら、なおかつそれが多くの人に支持される人もいる。

ボロボロになりながらも徐々に強くなっていったメアリー・J・ブライジのように、現代の女性の憧れのような存在になる人もいる。その強さよ・・・。



私を含め日本のメディア消費者は、人間の生の物語を強く欲しているように思う。

それは昔から変わらないのかもしれないが、最近は特にアイドルもバライティ番組も人間が葛藤し喜ぶ生き生きとした姿を商品化したものがヒットしている様子が目に付く。

リアリティを作出する技術が発達した今日に、その技術の裂け目から見える生の人間の「生」そのものに惹かれるとすれば、それはかえって納得のいくことのように私には思えてならない。