消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(216) 新しい世界秩序(33)アジアにおけるゴールドマン・サックス(5)

2009-09-08 12:44:10 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 2 中国のゴールドマン・サックス


 紅衛兵の経験があり、河南省政府役人になり、州政府が所有する企業の経営を任されていた方風雷(Fang Fengle)は、1995年に中国最初の投資銀行、中国国際金融有限公司(CICC=China International Capital Corporation)を創設した人である。

 この投資銀行は、モルガン・スタンレーが34%を出資した。この年この投資銀行の扱った株式扱い額は中国で一位であった。

 そして、2004年にゴールドマン・サックスとの合弁投資銀行である高盛高華証券(Goldman Sachs Gao Hua Securities Co.)を設立している。これは、ゴールドマン・サックスが1億ドルを出資して設立されたものである。そして、07年、中国最初のプライベート・エクウィティ・ファンドの厚朴基金(Hope Fund)をも創設した。これは、60億人民元(7.9億ドル)の規模で、07年6月に成立した中国のパートナーシップ法(共同経営企業法)に則るものであった。ゴールドマン・サックスはこのファンドに3億ドルを出資した(http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601014&sid=amgdBItF2kyc&refer=funds)。

 ただし、09年に入って逆流現象が出てきた。09年6月2日のロイターによれば、ゴールドマン・サックスが、09年6月2日に中国工商銀行(601398.SS: 株価, 企業情報, レポート)(1398.HK: 株価, 企業情報, レポートの株式30億3000万株を19億ドルで売却した。ゴールドマンは中国工商銀行の株式を4.93%保有していた。6月2日の売却はそのほぼ20%に当たる。ゴールドマンは、09年に入り、2010年4月まで持ち株の80%を引き続き保有すると表明していた(http://jp.reuters.com/article/financialCrisis/idJPJAPAN-38355420090602
)。

 ゴールドマンが保有する中国工商銀株は約75億ドル相当で、一部売却により10億ドルの資金を確保できる可能性がある。ゴールドマンは、08年10月に注入された米国政府の公的資金100億ドルの返済に、株式売却で調達した資金を充当するのであろう(http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-37118420090324)。

 中国工商銀行の株主であるアメリカン・エキスプレスとアリアンツ・グループが、それぞれ保有する同行の株式1.93%と0.38%をゴールドマン・サックス経由で売却すると09年4月24日に報じられた。同行は09年3月にゴールドマン・サックスと協議し、4月28日と10月20日に解禁される164.76億株のうち80%は一般流通せず2010年4月まで延期することで合意した。残りの20%も解禁後は売却される見通しである。アメリカン・エキスプレスとアリアンツ・グループが保有する同株の解禁条項は変更されなかった。しかし両社とも同行に対し売却先については、株価を高め市場への影響を抑えるため指定法人に割当を優先することをすでに伝えている(http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0424&f=stockname_0424_056.shtml)。

 08年時点で、中国政府は、フレディマックとファニーメイ関連の証券を3760億ドルを保有していた。ブッシュ政権下のポールソン財務長官は、米国の不良債権を中国に購入してもらうべく必死になっていた(http://www.redpills.org/?p=2224)。

 ポールソンは、古巣のゴールドマン・サックス救済のために、100億ドルを注入した。08年10月3日に、紆余曲折を経て彼が成立させた、7000億ドルを不良資産買い取りに投入するという金融安定化策(不良資産救済プログラム=TARP=Troubled Asset Relief Program)に基づくものであった。しかし、気になるのは、その責任者にゴールドマン・サックスのOBのニール・カシュカリ(Neel Kashukari)を据えたことである.

 カシュカリについて、インド系ジャーナリズムは以下のような興奮した記事を書いている。

 世界中の金融市場急落の中、米財務長官は08年10月6日、インド系米国人であるニール・カシュカリ次官補を、7,000億ドル(約72兆円)の不良資産買い取り業務の責任者に選任した。

 ポールソン財務長官は、ジャンムー・カシミール州にルーツを持つインド系のカシュカリ次官補を暫定的に、緊急金融安定化法実行のための財務省・金融安定化担当次官補に任命した。

 財務省の発表によれば、カシュカリ次官補はこの起用で、不良資産買い取りプログラムを含む業務を監督することになるという。

 35歳のカシュカリ次官補は現在まで財務省の国際経済・開発担当官として、国内では、投資環境育成のための財務省方針の作成と実施、対外的には世界経済成長の支援などの任務を遂行してきた。

 同次官補は2006年7月、財務長官ポールソンの上級顧問として財務省入りしたが、それ以前はサンフランシスコのゴールドマン・サックスで、IT証券投資銀行業務を統率、合併・買収、金融取引などについて官・民間企業から相談を受けるなどしていた。

 オハイオ州アクロン生まれの同次官補は、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校をエンジニアリングの学士・修士号を得て卒業。また、ウォートン・スクールから経済学でMBAを取得している(http://indonews.jp/2008/10/gs.html)。


野崎日記(215) 新しい世界秩序(32)アジアにおけるゴールドマン・サックス(4)

2009-09-07 22:11:33 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 翌年は、9.11テロによる金融界の動揺で業績不振であったが、それでも、2001年を通してゴールドマン・サックスはM&A仲介者としてこの業界を独走していた。

 
M&A仲介額の8割はゴールドマン・サックスの手によるものであった。日本のM&Aの46%を占有し、ドイツでは第二位であった。この年、IPO関連では全米第一位であった。しかし、M&AとIPOへの過度の傾斜によって、収益構造は非常に脆弱なものになってしまった。こうした業務は浮き沈みが激しいからである。事実、2002年になると、両者ともに沈滞してしまった。M&Aは42%も縮小し、IPOは、2001年12月から2002年3月までに4件しか米国ではなかった。

 加えて、ゴールドマン・サックスの規模は、ライバルに比べて小さかった。シティバンクの規模はゴールドマン・サックスの3倍であり、JPモルガン・チェースは2倍であった。そのこともあって、ゴールドマン・サックス自体がM&Aの対象になるのではないかとの噂も飛び交った。

 そうした噂をポールソンはきっぱりと切り捨てて、『ビジネス・ウィーク』に語った。

「われわれは優秀なグローバル投資銀行、証券会社であり続けたい。もっとも重要なマーケットでもっとも重要な顧客との取引をとてつもなく大きくしたい」、これを達成するためには、「米国、ドイツ、英国、日本、中国」との政府関係者と密接にならなければならない」と。ゴールドマン・サックスの歴史はまさにそれを地でいくものであった。

 ゴールドマン・サックスの関連子会社を以下に列挙しておこう。ゴールドマン・サックス&カンパニー(Goldman, Sachs & Co.)、ゴールドマンサックス・アジア・ファイナンス・ホ-ルディングズ(Goldman Sachs (Asia) Finance Holdings L.L.C.)、ゴールドマン・サックス・アジア・ファイナンス(モーリシャス)(Goldman Sachs (Asia) Finance (Mauritius)、ゴールドマン・サックス(英国)(Goldman Sachs,United Kingdom L.L.C.)、ゴールドマン・サックス・グループ・ホールディングズ(英国)(Goldman Sachs Group Holdings (United Kingdom)、ゴールドマン・サックス・ホールディングズ(英国)(Goldman Sachs Holdings (United Kingdom); Goldman Sachs International (United Kingdom)、GSフィナンシャル・サービス(GS Financial Services L.P.)、ゴールドマン・サックス・キャピタル・マーケット(Goldman Sachs Capital Markets, L.P.)、ゴールドマン・サックス(日本)(Goldman Sachs (Japan) Ltd.)、Jアローン・ホールディングズ(J. Aron Holdings, L.P.)、Jアローン&カンパニー(J. Aron & Company)、ゴールドマン・サックス・モーゲジ・カンパニー(Goldman Sachs Mortgage Company)、ゴールドマン・サックス・クレジット・パートナーズ(Goldman Sachs Credit Partners L.P.)、ゴールドマン・サックス・ホールディングズ(オランダ)(Goldman Sachs Holdings (Netherlands) B.V.)、ゴールドマン・サックス・ミツイ・マリーン・デリバティブ・プロダクツ(Goldman Sachs Mitsui Marine Derivative Products, L.P.)、ゴールドマン・サックス(ケイマン)ホールディング・カンパニー(Goldman Sachs (Cayman) Holding Company)、ゴールドマン・サックス&カンパニー(ドイツ)(Goldman, Sachs & Co. oHG (Germany))、ゴールドマン・サックス・フィナンシャル・マーケット(Goldman Sachs Financial Markets, L.P.)、GSハル・ホールディング(GS Hull Holding, Inc.)、ハル・グループ(The Hull Group, L.L.C.)、SLK LLC)、スピーア・リード&ケロッグ(Spear, Leeds & Kellogg, L.P.)、.SLKホールディングズ(SLK Holdings Inc.)、ファースト・オプション・オブ・シカゴ(First Options of Chicago, Inc.)である。

 主要なライバルは、クレディ・スイス・ファースト・ボストンン・コープ(Credit Suisse First Boston Corp.)、メリル・リンチ(Merrill Lynch & Co. Inc.)、モルガン・スタンレー(Morgan Stanley)などである。

野崎日記(215) 新しい世界秩序(32)アジアにおけるゴールドマン・サックス(4)

2009-09-07 22:11:33 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 翌年は、9.11テロによる金融界の動揺で業績不振であったが、それでも、2001年を通してゴールドマン・サックスはM&A仲介者としてこの業界を独走していた。

 
M&A仲介額の8割はゴールドマン・サックスの手によるものであった。日本のM&Aの46%を占有し、ドイツでは第二位であった。この年、IPO関連では全米第一位であった。しかし、M&AとIPOへの過度の傾斜によって、収益構造は非常に脆弱なものになってしまった。こうした業務は浮き沈みが激しいからである。事実、2002年になると、両者ともに沈滞してしまった。M&Aは42%も縮小し、IPOは、2001年12月から2002年3月までに4件しか米国ではなかった。

 加えて、ゴールドマン・サックスの規模は、ライバルに比べて小さかった。シティバンクの規模はゴールドマン・サックスの3倍であり、JPモルガン・チェースは2倍であった。そのこともあって、ゴールドマン・サックス自体がM&Aの対象になるのではないかとの噂も飛び交った。

 そうした噂をポールソンはきっぱりと切り捨てて、『ビジネス・ウィーク』に語った。

「われわれは優秀なグローバル投資銀行、証券会社であり続けたい。もっとも重要なマーケットでもっとも重要な顧客との取引をとてつもなく大きくしたい」、これを達成するためには、「米国、ドイツ、英国、日本、中国」との政府関係者と密接にならなければならない」と。ゴールドマン・サックスの歴史はまさにそれを地でいくものであった。

 ゴールドマン・サックスの関連子会社を以下に列挙しておこう。ゴールドマン・サックス&カンパニー(Goldman, Sachs & Co.)、ゴールドマンサックス・アジア・ファイナンス・ホ-ルディングズ(Goldman Sachs (Asia) Finance Holdings L.L.C.)、ゴールドマン・サックス・アジア・ファイナンス(モーリシャス)(Goldman Sachs (Asia) Finance (Mauritius)、ゴールドマン・サックス(英国)(Goldman Sachs,United Kingdom L.L.C.)、ゴールドマン・サックス・グループ・ホールディングズ(英国)(Goldman Sachs Group Holdings (United Kingdom)、ゴールドマン・サックス・ホールディングズ(英国)(Goldman Sachs Holdings (United Kingdom); Goldman Sachs International (United Kingdom)、GSフィナンシャル・サービス(GS Financial Services L.P.)、ゴールドマン・サックス・キャピタル・マーケット(Goldman Sachs Capital Markets, L.P.)、ゴールドマン・サックス(日本)(Goldman Sachs (Japan) Ltd.)、Jアローン・ホールディングズ(J. Aron Holdings, L.P.)、Jアローン&カンパニー(J. Aron & Company)、ゴールドマン・サックス・モーゲジ・カンパニー(Goldman Sachs Mortgage Company)、ゴールドマン・サックス・クレジット・パートナーズ(Goldman Sachs Credit Partners L.P.)、ゴールドマン・サックス・ホールディングズ(オランダ)(Goldman Sachs Holdings (Netherlands) B.V.)、ゴールドマン・サックス・ミツイ・マリーン・デリバティブ・プロダクツ(Goldman Sachs Mitsui Marine Derivative Products, L.P.)、ゴールドマン・サックス(ケイマン)ホールディング・カンパニー(Goldman Sachs (Cayman) Holding Company)、ゴールドマン・サックス&カンパニー(ドイツ)(Goldman, Sachs & Co. oHG (Germany))、ゴールドマン・サックス・フィナンシャル・マーケット(Goldman Sachs Financial Markets, L.P.)、GSハル・ホールディング(GS Hull Holding, Inc.)、ハル・グループ(The Hull Group, L.L.C.)、SLK LLC)、スピーア・リード&ケロッグ(Spear, Leeds & Kellogg, L.P.)、.SLKホールディングズ(SLK Holdings Inc.)、ファースト・オプション・オブ・シカゴ(First Options of Chicago, Inc.)である。

 主要なライバルは、クレディ・スイス・ファースト・ボストンン・コープ(Credit Suisse First Boston Corp.)、メリル・リンチ(Merrill Lynch & Co. Inc.)、モルガン・スタンレー(Morgan Stanley)などである。

野崎日記(214) 新しい世界秩序(31)アジアにおけるゴールドマン・サックス(3)

2009-09-04 23:13:46 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 ゴールドマン・サックスは、ルービン、フリードマン時代に急激に高収益機関になった。1991年には、税引き前利益で11億ドルをあげ、従業員に支払われた1992年末のボーナスは年収の25%にもなった。1993年には世界でもっとも収益をあげる投資銀行グループとなった。税引き前利益が27億ドルとわずか2年で収益を倍以上に拡大させたのである。, この収益拡大の秘密は、米国の投資家に日本株を勧めたことになる。

 しかし、1994年、急激なドル安の進行で、債券市場が崩壊し、一挙に業績が悪化し、大量の人員整理を余儀なくされた。ほぼ50人ものベテランのパートナーたちみ辞めた。会長のスティーブン・フリードマンまでが辞任した。ジョン・コージン(Jon Corzine)が後を継いだ。

 1996年には、ヤフーの株式公開、1998年にはNTTドコモの株式公開の幹事となった("Goldman Sachs: After the Fall," Fortune, November 9, 1998, p. 128)。

 1999年にはヘンリー・ポールソン(Henry Paulson)が会長になった。この年、ゴールドマン・サックスはニューヨーク証券取引所の厳しい自己資本比率という条件に従わなくてよい投資銀行業務を営めるゴールドマン・サックス・グループ(Goldman Sachs Group)を設立し、IPO業務に拍車をかけただけでなく("IPO Again," Crain's New York Business, March 15 1999, p. 34)、株式も公開した(Creswell, Julie, "Goldman Goes Shopping," Fortune, May 10, 1999, p. 120)。 ゴールドマン・サックスのような巨大会社が、しかも、他社の株式公開引き受けを主要な業務内容としている会社が、それまで自社株は未公開だったのである。

 ちなみに、ここで、パートナー制(パートナーシップ)について説明しておく。パートナーシップとは、米国における法人形態のひとつで、日本でいう合名会社や民法上の組合のような組織に似ている。パートナーとは出資者のことであり、共同経営者となる。営業関係の契約をおこなうさいには、法人としてではなく、個人としておこなう。無限責任を連帯して負う無限責任パートナーズとそうしなくてもよい有限責任パートナーズがある。会計事務所やコンサルティング会社に多い。法人名のあとに、 &Co. をつけているのが、この制度の企業である(http://www.exbuzzwords.com/static/keyword_1086.htmlより)。

 ただし、公開した株式は一部にすぎなかった。48%はパートナーズ保有、22%はノン・パートナーズの従業員、18%が引退した元パートナーズと当時の住友銀行、ハワイのカメカメハ(Kamehameha)学校の投資部門であるカメカメハ・アクティビティーズ・アソシエーション(Kamehameha Activities Assn )の二大出資者に所有されていて、公開されたのは、わずか12%であった。販売額は6900万ドルであった(Spiro, Leah Nathans (1999-05-17). "Goldman Sachs: How Public Is This IPO?". BusinessWeek Online (The McGraw-Hill Companies Inc.). http://www.businessweek.com/1999/99_20/b3629102.htm. Retrieved on 2007-01-17)。

 株式公開とともに、それまでシニア・パートナーと呼ばれていた会長職はチャーマンと呼ばれることになった。CEOという名称も使われるようになった。ポールソンがその第一号である。

 この年、世界的に有名なマーケット・メーカーのハル・トレーディング(Hull Trading Company)を5億3100万ドルで買収した。さらに、2000年9月、スピーア・リード&ケロッグ(Spear, Leeds, & Kellogg)を63億ドルで買収した。その後、ブラジルに力点を置き、さらに、石油・電力事業の世界展開をした。原油価格騰貴はゴールドマン・サックスの投機によるといわれている
(Global Research. http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=8878. Retrieved on 2008-06-09)。.
 
 2006年5月、ポールソンがブッシュ政権の財務長官として入閣。後任は、ロイド・ブランクファイン(Lloyd Blankfein)である。

 2008年9月22日、FRBの勧告を受けて投資銀行から銀行持ち株会社に転身した
("Goldman Sachs to be regulated by Fed". Bloomberg. http://www.reuters.com/article/mergersNews/idUSNWEN838420080922. Retrieved on 2008-09-21; Wall Street in crisis: Last banks standing give up investment bank status, The Guardian, September 22, 2008)。

 2000年、ゴールドマン・サックスは3億ドルの収益をあげた。

 翌年は、9.11テロによる金融界の動揺で業績不振であったが、それでも、2001年を通してゴールドマン・サックスはM&A仲介者としてこの業界を独走していた。M&A仲介額の8割はゴールドマン・サックスの手によるものであった。日本のM&Aの46%を占有し、ドイツでは第二位であった。この年、IPO関連では全米第一位であった。しかし、M&AとIPOへの過度の傾斜によって、収益構造は非常に脆弱なものになってしまった。こうした業務は浮き沈みが激しいからである。事実、2002年になると、両者ともに沈滞してしまった。M&Aは42%も縮小し、IPOは、2001年12月から2002年3月までに4件しか米国ではなかった。

 加えて、ゴールドマン・サックスの規模は、ライバルに比べて小さかった。シティバンクの規模はゴールドマン・サックスの3倍であり、JPモルガン・チェースは2倍であった。そのこともあって、ゴールドマン・サックス自体がM&Aの対象になるのではないかとの噂も飛び交った。

 そうした噂をポールソンはきっぱりと切り捨てて、『ビジネス・ウィーク』に語った(
"Wall Street's Lone Ranger," Business Week, March 4, 2002)。「われわれは優秀なグローバル投資銀行、証券会社であり続けたい。もっとも重要なマーケットでもっとも重要な顧客との取引をとてつもなく大きくしたい」、これを達成するためには、「米国、ドイツ、英国、日本、中国」との政府関係者と密接にならなければならない」と。ゴールドマン・サックスの歴史はまさにそれを地でいくものであった。

 ゴールドマン・サックスの関連子会社を以下に列挙しておこう

 ゴールドマン・サックス&カンパニー(Goldman, Sachs & Co.)、ゴールドマンサックス・アジア・ファイナンス・ホ-ルディングズ(Goldman Sachs (Asia) Finance Holdings L.L.C.)、ゴールドマン・サックス・アジア・ファイナンス(モーリシャス)(Goldman Sachs (Asia) Finance (Mauritius)、ゴールドマン・サックス(英国)(Goldman Sachs,United Kingdom L.L.C.)、ゴールドマン・サックス・グループ・ホールディングズ(英国)(Goldman Sachs Group Holdings (United Kingdom)、ゴールドマン・サックス・ホールディングズ(英国)(Goldman Sachs Holdings (United Kingdom); Goldman Sachs International (United Kingdom)、GSフィナンシャル・サービス(GS Financial Services L.P.)、ゴールドマン・サックス・キャピタル・マーケット(Goldman Sachs Capital Markets, L.P.)、ゴールドマン・サックス(日本)(Goldman Sachs (Japan) Ltd.)、Jアローン・ホールディングズ(J. Aron Holdings, L.P.)、Jアローン&カンパニー(J. Aron & Company)、ゴールドマン・サックス・モーゲジ・カンパニー(Goldman Sachs Mortgage Company)、ゴールドマン・サックス・クレジット・パートナーズ(Goldman Sachs Credit Partners L.P.)、ゴールドマン・サックス・ホールディングズ(オランダ)(Goldman Sachs Holdings (Netherlands) B.V.)、ゴールドマン・サックス・ミツイ・マリーン・デリバティブ・プロダクツ(Goldman Sachs Mitsui Marine Derivative Products, L.P.)、ゴールドマン・サックス(ケイマン)ホールディング・カンパニー(Goldman Sachs (Cayman) Holding Company)、ゴールドマン・サックス&カンパニー(ドイツ)(Goldman, Sachs & Co. oHG (Germany))、ゴールドマン・サックス・フィナンシャル・マーケット(Goldman Sachs Financial Markets, L.P.)、GS Hull Holding, Inc.; The Hull Group, L.L.C.; SLK LLC; Spear, Leeds & Kellogg, L.P.; SLK Holdings Inc.; First Options of Chicago, Inc.