消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(220) 新しい金融秩序への期待(165) 日本のゆくえ(4)

2009-09-16 08:09:26 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 
戦後のアメリカの対日戦略の変遷

 はじめアメリカは、日本に気前よくモノを与えてくれていたのです。例えば自動車などは、日本は本当に幼稚産業でした。アメリカ製はセル一発でモーターがかかりました。ところが私たちは車の前に回って、クランクを一所懸命回しました。しょっちゅうエンストを起こしました。しょっちゅうオーバーヒートを起こしました。

 このようにアメリカ車と日本車の差に歴然たるものがありながら、アメリカのビッグスリーは日本に入って来ませんでした。これは我が日本の競争力が強かったからではありません。アメリカの国策です。反共の国家として、資本主義的繁栄をさせなければ、と。アジアがすべて共産主義になっている中で、資本主義が素晴らしいのだと思わせるためには、まずは日本の民族資本を育成するしかないのだというのがアメリカの戦略でありました。

 一ドル=三六〇円という為替レートも、これは正直申しまして、円安だったと思います。その間に、連鋳設備とかいろいろ技術を日本は盗むのですが、アメリカは、それにもいちいち文句は言いませんでした。鷹揚に構えておりました。これは、反共国家を造っていきたいという、ただそれだけの政治的な思惑でありました。

 そして、冷戦体制が終わりました。今度は日本の経済力が邪魔になります。あっと気付いたのです。あらゆる産業が、日本によって潰されたと。日本のトランジスタ・ラジオが出たお陰で、アメリカのラジオ産業は潰れました。ブラウン管はそもそもアメリカのものなのに、自由に使わせてしまったためにテレビもアメリカではもう作れなくなってしまいました。コンパクト・ディスク・プレーヤーもそうですし、液晶もそうです。気付いたら何もない。そして、この野郎というかたちで日本いじめが始まったのでありますが、アメリカのまだ甘いも酸っぱいも分からない経済学博士を持っているだけの若造たちが、したたかな日本の老人たちに翻弄されている姿を見て、アハハと私は思っていました。

 しかし、アメリカも気付いたのです。これはイカンと。そこで登場したのが、ゴールドマン・サックスの会長、ルービンです。彼の指揮下で行われたのが、日本の銀行潰しです。これを叩き潰したら日本の産業の足腰も潰れてしまうはずだと。

 その戦略は、結果的に正しかったのであります。日本の銀行は、潰れました。その時に持ってきた理論というものが凄いのであります。正直言って、こういうところがアングロ・サクソンと農耕民族の私たちとの違いなのです。

 とにかく、銀行預金が日本の全てである。しかし、銀行預金は銀行にとっては自分のお金ではない。借金だ。この人様から得た借金で長期投資をするとは何ごとかと。一年という短い期間のお金を借りて、それで一〇年という長期投資をするとは何ごとかと。ここを攻めてきたのです。これがBIS規制というものであります。BIS規制で示された資産のうちの自己資本が八%というのは、あれは言葉の綾で、自己資本の一二・五倍しか融資してはいけないぞという意味なのです。しかも、日本の巨大銀行は自己資本なんか持っていません。日本人は銀行が株式を発行するなんて思ってもいませんでした。自己資本がほとんどない状況のもとで一二・五倍と言ったら、これはもう壊滅的打撃です。

 日本の銀行は、系列の企業集団の中核にいて、系列企業の株式を大量に保有していたのです。系列外から買い占められることを警戒していたからです。

 BIS規制設定後、銀行の自己資本を上回る株式を持ってはいけないということになった。自己資本以内に保有株を収めろとなってくると、値段の高い優良株から銀行は売るしかありません。その株を外資が買い漁った。気付いたら日本の優良企業のほとんどは、自社株の四〇から五〇%を外資に保有されている状態になった。

 保険の新しい第三分野というものも、ほとんどが横文字になってしまっている。それに加えて、「M&A」(企業買収)の横行。企業がいともたやすく乗っ取られ、売られています。

 私もお世話になった学生援護会。これが元大統領が関与するアメリカの巨大ファンドに乗っ取られた時には、もの凄く腹が立ちました。乗っ取られるだけならまだしも、学生の援助事業を解体した後、転売してしまったのです。本当に酷いと思いました。

 そういった「M&A」をすることが企業経営者の格なのだというようになってしまいました。お陰で企業経営者には、自社株がどれだけ上がるかということが大事になってしまいました。一瞬、ライブドアがNTT株を追い抜くという異常な状況まで出てきます。とにかくマスコミを通じるパフォーマンスをやって、株がぼんぼん上がっていって、積極果敢な「M&A」をやれば一流の経営者なのだとされるようになってしまいました。

 株が上がるためにはリストラで人間を減らさなければならない。人間を減らす時に、いつでも人の首を切れるように非正規社員の比率を増やしたのです。いまは日本人の三〇%が非正規社員です。

 こういったことは経済政策の結果、起こったことなのです。これは不可避の結果ではないのです。きちんとした経済政策さえしていれば、こんな地獄は起こってきませんでした。

 そういった形で日本の銀行を叩き潰した当のアメリカは何をやったかと申しますと、投資銀行を育成するようにしていったのです。

 ちょっと横にそれますが、日本人が誇るべきものは、少なくとも創業一〇〇年以上も続く企業が日本全体で一〇万社を超していることです。アメリカでは二、三社でしょう。一〇〇年を超える、これは凄いことです。

 これがアメリカ的な財務体質になってきて、社外重役がどうの、株式の公開がどうのとなってきたら、突然、あっという間に日本の老舗はつぶれてしまいます。少なくとも、株主が文句を言えるような企業でなかったらダメなのだということになると、このまま行けば、従業員を独立させるべく、「よう頑張ってくれた、暖簾分けしてあげる」とか、

「お客さんも紹介するよ」という、そんな日本的な企業はもう無くなっていくのでしょう。
 京都は壊滅的な打撃を受けてしまいます。このようなことで、私は日本の老舗を随分心配しているのであります。

アメリカ式投資銀行へ

 日本は一所懸命、預金銀行ということでやってきました。日本的銀行のことです。わかりやすく言えば一階にある銀行のことです。私たちが立ち寄ることのできる銀行です。

 一方、いまから申します投資銀行とは、三〇階、四〇階というビルの上の方にある銀行であります。私たちが「こんにちは」と立ち寄っても、何しに来たという顔でじろっと見られるだけです。この投資銀行に、アメリカの銀行がシフトしたのだと思ってください。自分達はBIS規制を主張しながら、アメリカ自身はBIS規制なんかへっちゃらという形で、BIS規制のかかる商業銀行からBIS規制のかからない投資銀行の方に鞍替えをしました。

 そしてどちらも名前は「バンク」(銀行)です。コマーシャルバンク、インベストメントバンク。「バンク」が同じだというので、アメリカのバンクに比べて日本のバンクの、何と営業利益の低いことよ、日本人はだめだとやられて、私たちもそうかなと思わされてしまったのであります。

 この投資銀行は、私たちから預金を預りません。大金持ちをお客さんにします。あるいはファンドをお客さまにする。彼らの資産を運用していくという銀行形態であります。

彼らは、誰から資金を得ているかということを当局に報告する義務はありません。その代わり、自分たちはBIS規制を逃れます。そして何でもさせてもらえます。これが「金融の自由化」です。そして、倒産しても文句は言いません。自己責任であります。じゃあ、それでやろうという方向へ持ってきたのであります。アメリカの中央銀行であるFRBには、投資銀行の管轄権はありません。お分かりでしょうか。日銀の管轄権の及ばない銀行は日本にはありません。ところが、アメリカの巨大な金融機関は、投資銀行形態をとると、FRBの管轄外に逃れることができていたのです。

 そして、投資銀行のトップであるゴールドマン・サックスのルービン元会長を、クリントン政権が財務長官にしました。ブッシュ政権の財務長官がポールソン。二代続けてゴールドマン・サックスの会長であります。こんなことは、日本的な感覚で許されるでしょうか。住友銀行の西川さんが財務大臣になったらどう思われますか。