消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(219) 新しい金融秩序への期待(164) 日本のゆくえ(3)

2009-09-14 06:47:45 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 失敗した「金融の自由化」

 このところを直視しましょう。少なくとも戦後直後の日本の官僚たちに、私たちは感謝しなければいけません。彼らは、鉄を潰さなかった。素材産業を潰さなかった。しかし儲からない。儲からなければ民間の銀行は扱わないので、政府系銀行で賄ったのです。日本長期信用銀行、日本興業銀行、そういうもので補ったのです。私たちはそういった銀行には預金をしません。ですから政府系のお金が注がれていき、また割引債などが発行されました。この割引債は無記名でしたから脱税に非常に良いということで、それが買われた。割引債の発行によって一〇年、二〇年、三〇年という長期的な投資を保障する金融制度があったのだということを分かっていただきたいと思います。

 中小企業レベルにおいては、昔の無尽の伝統を継ぐ相互銀行や、新しい第二地銀とか、あるいは信用金庫、信用組合、所轄官庁は市町村という所まで配慮して、地元の地場産業をとにかく応援していく金融組織がありました。庶民の住宅取得においては、住宅金融公庫というものがありました。

 儲かる分野には都市銀行が配置されましたが、これらは厳しく日銀や大蔵省の監督下におかれました。

  これが日本型の金融制度でありました。これは世界に冠たるものだと私は思います。金融の棲み分けが日本経済を成長させたのです。ところが、いつの間にか「護送船団方式」という忌まわしい言葉がマスコミに踊るようになりました。官がああしろ、こうしろと指揮して、皆がそれに従っている。だから大きな社会の変化に対して日本は、対応できない。よって全ての境界はなくさなければならない。だからこそ、「金融を自由化」しなければならないと。

 「金融の自由化」を行った瞬間に、儲からなかったはずの日本長期信用銀行や日本興業銀行から破綻が生じました。当たり前であります。

 そもそも儲からないから張り付けられていたのに、用意ドンで競争しようとした時には、優良なお客さんはいないわけであります。こういうことを「経済学」の名の下に行ったのだと言えます。これは「経済学」の犯罪だと私は思っています。

 はたして、「金融の自由化」が起こる以前では、どこの銀行が潰れたでしょうか。それまでは、私たちは五%以上の金利を手に入れ、そして長期ローンを組むことも許してもらえました。いまのような貸し剥がしなどはありませんでした。突然金利が変わるということもなかったのです。

 それが、「金融の自由化」という美名のもとに、すべてが用意ドンで競争し、儲かるものしか生き残ってはいけないのだとなってしまい、日本では二一行あった都市銀行がわずかに三行に集約されました。こんなことが、世界に例があったでしょうか。
 少なくとも「金融の自由化」は失敗であったと言い切る経済学が、あっても良いと思います。「金融の自由化」によって、はたして得をした者がいるだろうかということがポイントであります。

 かつての日本の金融システム


  敗戦後の戦後一一年間で五大工業国に復帰したということの最大の足腰は、日本の金融システムだったと私は思います。

 日本の金融の素晴らしさを評価する人として、バングラデシュのユヌスという人がおります。経済学者です。可哀想に、ノーベル経済学賞はまだもらっていません。ちなみにノーベル経済学賞は、ノーベル賞ではないのです。

 
アルフレッド・ノーベルを記念してスウェーデン銀行が作った賞です。ですから賞金はノーベル財団からではなく、スウェーデン銀行から出ます。それはさて置き、少なくとも、金融というものが日本の足腰であったということを思い起こしてください。

 つまり、金利は五・五%で、大銀行も小銀行も皆同じ五・五%なのだから、私たちは、つい近くの銀行にお金を預けます。会議室を貸してくれるから、住民運動会にビール一ダースを寄贈してくれるからという程度の理由でその銀行に預金していたのです。銀行の名前に関係なく、私たちはお金を預けておりました。

 しかも、世界に類をみない日本語があります。「奥さま」であります。「奥さま」に匹敵する言葉は、外国語にはまずありません。奥にいらっしゃる方、台所に鎮座されている方、そして切り盛りをする山の神さま。私たちには、とにかく月給袋の封を切らずに奥さまに渡すという美意識がありました。

 そして、「頼む、今日コンパがあるんだ」ということで小遣いをもらいながら、家計を任せてきまして、それを見て子供たちは育ってきたのです。私の親父もそうでした。本当に可哀想でした。まあ私も同じでございますけれども。

(笑い)

 ですから、日本の貯蓄率は世界最高なのです。OECD三〇ヶ国の貯蓄のうちの五〇%は我が日本一国で持っています。それほど巨大な貯蓄なのです。これは男性の力ではございません。女性、即ち「奥さま」の力なのであります。

 この文化が崩れると、日本の貯蓄率は低くなるでしょう。財布のひもを握らせてくれないで、何がアメリカの女権が強いのでしょうか。財布のひもを握らせてくれないところでは、所詮は男性横暴社会でありますから、当然貯蓄はいたしません。借金だらけの経済になってしまいます。ここも思い起こしていただきたい。

 日本のそういう文化の中から出てきた金融システムというものは、ものすごく安定的な金融でありました。私たちは銀行にお金を預けっ放しにしていました。銀行も、とにかくこの企業を育ててみせるんだという気概を持っておりました。

 住友銀行がマツダを見捨てた時には、世間の非難が住友銀行に集中しました。分かってないと言われて。銀行とは企業を育てていくものだという思いがあったのであります。

 また銀行マンも、自分が担当している企業に対しては懸命になって支えようとしたし、世界の情報を集めてきて、コンサルタントをしていました。いかに長期的な技術開発をさせていくか、そのために長期金融をつけるかというのが金融マンの醍醐味でありました。この文化が破壊されたのです。

 グラミン銀行の創設者であるバングラデシュのユヌスは、日本の頼母子講の研究をしております。

 日本の凄さというのは、ユヌス先生も言っておられますが、五人組とか、あるいは日本人の好きな言葉の「連つながり」なのです。この「連」を研究していたとき、これは凄いということで、

 奥さまの力をバングラデシュでも利用しようとしたのです。グラミン銀行は女性にしか融資をしておりません。それがバングラデシュで最大の銀行であります。しかも焦げ付きはほとんどありません。無担保であります。これがノーベル平和賞をもらったのであります。経済学賞ではありませんでした。

 私たちが忘れているのは、そこなのです。日本にあった昔ながらの金融システムを、どうしてアメリカと違うというだけで、ぼろ雑巾のごとく捨ててしまったのだろうと。逆立ちしてもアメリカは、日本の金融制度を創れないのです。

 私たちの財産は何なのかという、こういったことの思い起こしが、一番大事なのであります。