消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(109) 新しい金融秩序への期待(109) サブプライムローン危機の歴史的意味(1)

2009-03-19 07:14:36 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)


 はじめに


 米政府は、〇八年九月、世界的な金融危機で経営破綻した自国の企業に対し救済措置をとった。FRBが、〇八年九月一六日、資金繰りが悪化している米保険最大手アメリカン・インターナショナル・グループ(American International Group=AIG)の破たんを回避するため、AIGの株式約八〇%を担保に八五〇億ドル(約九兆円)のつなぎ融資に応じると発表。この日までに、米政府は、投資銀行大手ベアー・スターンズ(Bear Stearns)や、米連邦住宅抵当公庫(ファニーメイ、Fannie Mae)と米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック、Freddie Mac)の破綻回避のため巨額の公的資金を投入していた。

 一九九七~九八年のアジア通貨危機の際、米政府は、資金不足の企業を救済しようとしているとしてアジア各国政府を非難した。アジア通貨危機の際、米政府と国際通貨基金(International Monetary Fund=IMF)は、アジア各国の政府に対し経営不振企業をいわば見殺しにするよう指示した。〇六年九月一八日付『ニューヨーク・タイムズ』は、アジア通貨危機当時、韓国に二〇〇億ドルを融資する条件として経営不振の銀行や企業を救済せず、そのまま破綻させるように、IMFが指示したという、当時、IMFの交渉に深く関わった韓国のエコノミスト、高麗大学のパク・ユンチュル(Yung Chul Park)の話を伝えた。

 二〇〇三~〇六年にIMFの主任エコノミストを務めたラグラム・ラジャン(Raghuram Rajan)も、「当時、米国がアジア(の地元企業の救済)に融資することに反対していた米政府の一部の専門家も、今回は基本的に政府の多様な介入を求めている」と米国の身勝手さを指摘している。

 ピーターソン国際経済研究所(Peterson Institute for International Economics)のアジア専門家、ニコラス・ラーディー(Nicholas Lardy)は、「AIGが破綻していたら、主に欧州の銀行が大きな影響を受けていただろう。米国はAIGの破綻を回避することで世界に対する大きな役割をはたした」と言い、「今、我々が目の当たりにしているのは、世界の金融システムの中心にある企業だ」とアジア通貨危機との違いを強調した(http://www.afpbb.com/article/economy/2519830/3360418)。『ビジネス・ウィーク』誌のAIG救済策への批判は厳しいものであった("The Unraveling of AIG," BusinessWeek, September 19, 2008)。

 サブプライムローン問題の歴史的意味は、金融の安全を保証する保険機関ですら投機に走り、自滅したということに集約される。資本主義の根幹である信用が自壊したのである。


 一 保険が信用危機を生んだ


 保険会社はリスクの専門家であるはずなのに、世界最大の保険会社であるAIGは、自社が抱えるリスクにはあまりに無頓着すぎた。住宅ローン担保証券(MBS)

(1)などの取引による損失拡大の泥沼化にあえいでいる。

 二〇〇八年九月一五日、過去一年間で七〇ドルをつけたこともあるAIGの株価は、四・七六ドルまでに落ち込んだ。わずか一年足らずで、時価総額にして一七六〇億ドルもの資本が消えた。格付け機関による相次ぐ信用格下げにより、AIGの資金調達は厳しさを増した。〇七年度は一一〇〇億ドルの収益を上げ、資産一兆ドルという巨像、業界トップ企業のAIGが、突然転落した。

 AIGは、〇八年五月、新株や社債の発行で二〇〇億ドルの資本増強をおこなった。しかし、焼け石に水であった。

 〇八年九月一五日、デビッド・パターソン米ニューヨーク州知事が保険規制を緩和し、子会社の資金の利用を承認するという措置をAIG講じた。この措置で、AIGは、新たに二〇〇億ドルの資本金の利用が認められたのである。

 だがそれでも十分とは言えなかった。パターソン知事は、ニューヨーク州の措置が呼び水となり、連邦政府が直接支援するか、ほかの企業に支援を要請することを狙ったのである。そして、その数時間後は、FRBは、ゴールドマン・サックス(GS)とJPモルガン・チェース(JPM)に対し、AIGへの七〇〇~七五〇億ドルの融資を要請したと、『ウォールストリート・ジャーナル』紙が報じた。それでも不十分であった。

 AIGは、サブプライムローンのリスクを過小評価しすぎたのである。AIGは、クレジットデリバティブ(金融派生商品)の一種であるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)でつまずいた。これは、デフォルトに備えて支払いを保証する契約である。

 保険の基本とは、リスクの分散にあるはずである。AIGは、そうした心得を無視して、サブプライムローンの引き受け、借り手への不動産ローン保険の販売、サブプライム関連の債務担保証券(CDO)のデリバティブ取引、保険預かり金の住宅ローン担保証券(MBS)への投資など、サブプライム層の住宅ローンに偏重した事業展開に傾斜してしまった。

 AIGの住宅ローン保証部門であるユナイテッド・ギャランティー(United Guarantee)は〇七年以来、巨額の損失を計上していた。そして、AIGの監査法人であるプライス・ウォーターハウス・クーパーズ(PricewaterhouseCoopers=PWC)(2)から、デリバティブ取引の評価に関する会計処理方法を変更するよう指摘を受けた。このことによって、AIGのデリバティブ取引の累積評価損が、〇七年九月三〇日時点の三億五二〇〇万ドルから〇七年一一月三〇日には五九億六四〇〇万ドルまで増加していることが明らかになった。

 AIGは、カリスマ的存在だったハンク・グリーンバーグ("Hank" Greenberg )(3)前CEO(最高経営責任者)を辞任に追い込んだ不正会計問題で、〇五年には、すでに大きな打撃を受けていた。そのうえさらに、深刻化する住宅ローン危機による損失の規模に多くのアナリストが疑念を抱くようになり、経営の健全性に厳しい目が向けられることとなった。

 〇八年、AIGの株価は下落を続けた。CEOの首が次ぐ次にすげ替えられた。八月には〇八年第二・四半期決算が発表され、デリバティブ取引の評価損は累積で二五〇億ドルに達したことが明らかになった。五月に実施した二〇〇億ドルの資本増強も焼け石に水となった。

 損害保険事業の営業利益が五四%の減益となるなど、中核の保険業務の一部においても低迷が明らかになった。そして、九月一六日、米政府とFRBによる救済が発表されたのである。

 過去の救済ルールは、預金取り扱い金融機関のみを救う、というものだった。それが〇八年三月の米証券大手ベアー・スターンズで、証券会社救済にまで広がったのは、AIGが、クレジット・デリバティブの市場で金融機関やヘッジファンドの取引の相手方(カウンター・パーティ)になっていたためである。

 AIGは、クレジット・デリバティブの市場で非常に大きな存在感をもつ企業であった。AIGは、世界中で、証券化商品や不動産に投資をおこなっている。そして、もう一つの大きなビジネスが、子会社のAIGFP(AIG Financial Products、一九八七年創設の金融サービス会社)でおこなわれていた。証券化商品の保証やクレジット・デリバティブの業務である。資金繰り難も元はといえば、この子会社が原因である。

 この子会社は第二・四半期決算の開示資料によれば、四四一〇億ドルものCDOやCLOに関連したCDSの取引がある。格付け機関に格下げをされたことで、追加担保が発生し、資金繰り難に陥った。もし、AIGが破綻するようなことがあれば、このCDSの取引を通じて、世界中の金融機関がパニックに陥る危機に瀕していたのである(大崎明子=東洋経済オンライ、「米保険大手AIGは、なぜ政府によって救済されたか」、『週刊東洋経済』、〇八年九月一七日)。

 米当局による公的管理下に置かれた米保険大手AIGは、〇八年一〇月一日時点ですでに、融資策の約七割にあたる六一二億ドル(約六兆四〇〇〇億円)をFRBから借り入れた。ほとんどは、取引先への担保差し入れなどの資金繰りに充てたとみられる。ただ、FRB融資は、金融機関同士の貸し借りの基準になるロンドン銀行間取引金利(LIBOR)に八・五%も金利を上乗せされる。負担は重く、なるべく早く返済しなければ経営再建はおぼつかない。このため、資産売却で返済資金を調達するよう、リストラ圧力がかかっている。資産売却の候補としては、傘下の米航空機リース大手「インターナショナル・リース・ファイナンス(ILFC)」や、再保険会社「トランスアトランティック」の保有株式、資産運用会社「AIGインベストメンツ」などがこれまで指摘されてきた(http://www.asahi.com/business/update/1003/TKY200810030247.html)。


 二 闇の金融組織(Shadow Financial System)(4)


 いま、米国で起こっていることは、闇(shadow)の金融機関の崩壊現象である。闇の金融機関とは、すべてを秘密にし、活動内容を表に出さない金融機関である。誰から出資を募り、どのような手口で儲け、どのような利益分配をしているかを絶えず隠す組織、つまり、闇の組織である。投資銀行を代表として、一九八〇年代から米国で急速に進んだ金融自由化によって雨後の筍のごとく輩出した金融組織がそれである。

 金融が自由化される以前には、銀行は、大衆から小口預金を預かり、それを企業に融資して、わずかばかりの利子差を収入源にするという旧い型の商業銀行であった。この種の商業銀行とは、預金者が誰であり、どこに融資し、どのような利益分配をしているのかをすべて明らかにするものであった。データが公開されるという意味で、それは「パブリック」(public)なものだったのである。もしも、銀行が倒産の危機に瀕すれば、当局からの救済を銀行は期待できた。救済されるという保証を得るために、銀行はすべての活動を表に出していた。そして、当局の監督に服していたのである。つまり、商業銀行は、影のない世界だったのである。

 これに対して、闇(影)の金融機関は、活動の自由を得るべく、金融監督当局の監視を嫌う。経営危機に瀕しても当局の庇護を受けないという約束事で、闇の金融機関は、活動内容を極力秘密にする。この組織が破綻した。破綻するときに、約束違反の当局による救済を求めた。救済資金を出す代わりに監督を開始するという意図をもつ当局と、救済はして欲しいが当局による介入は嫌だという闇も組織とのせめぎ合いが〇八年の米国の金融状況であった。

 大理石の重々しい建造物で、端正に佇んでいた銀行マンは、預金者の金を企業に回せなくなってしまった。金は闇の金融機関に集中するようになっていたのである(Krugman[2008])。つまり、金は非預金組織(nondepository iinstitution)に集まっていたのである。ベアスターンズ(Bear Stearns)やリーマン(Lehman)がそうした非預金組織であった。

 こうした闇の金融組織の方が、金融を容易にし、リスクをより効率的に回避できると見なされていた。しかし、金融危機の発現によって、闇の組織の方がリスク軽減に優れているわけではなかったことが明らかになった。真のリスクは隠され続けてきたのである。金を投資している人からリスクは見えなくさせられていたのである。

 闇の金融組織がパニックに陥った。しかし、預金者たちが取り付けをするために、銀行の閉ざされた扉を激しく叩く光景は見られない。闇の組織は、預金など受け入れていないからである。けたたましく電話が鳴り、神経質にコンピュータの画面をクリックする行員の姿だけが見られる。窓口に人が殺到していないのである。

 表面に現れた光景は異なるものの、信用が急激に収縮し、資産価値が急速に減価していることは、一九三〇年代と同じものである。

 FRBと財務省は、足並みをそろえて、危機に陥っている組織を救済しようとしている。膨大な公的救済資金が注がれた。しかし、それは、買収する組織を助けるだけのものであった。株主のこと、納税者のことなど念頭にはない。しかも、当局の救済に宛てられるべき資金は枯渇してしまっている。ファニーメイやフレデリックマックを救済しても、それが、米国の財政破綻を招くことになるであろうとの意識はない。救済資金は、空しく浪費されてしまう可能性がある。必要なことは、いかに、新しいルールを早急に作るかにある。それなくして、公的な資金を垂れ流しても意味がないであろうとクルーグマンは述べている(Krugman[2008])。

 そもそも、短期の流動性を借りて、それをより長期の資産に転換するが、その資産はさらに流動化の度合いを深めるというのが、闇の組織の悪しき特徴であった。ローンを証券化し、その証券をさらに、別の形の証券化に組み替えるという際限なき手続きが闇の金融組織の常套手段であった(Roubini[2008])。しかも、デリバティブを多用すれば、商業銀行の貸付に対して設定される自己資本比率の規制を迂回することができる。この組織が輩出するようになってまだ一〇年そこそこしか経っていない(Tett & Davies[2007])。

 彼らの手法は、ほとんど外部の人間には知られていなかった。SIVs(structured investment vehicles)にしても、CDOという用語にしても、サブプライムローン問題が表面化した二〇〇七年夏以降のことでしかなかったのである。彼らは非預金組織なので、本来は、中央銀行からの資金援助など望むことができないものだったはずである(5)。


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