投資理論の世界では、「完全な金融市場」ということがよく言われる。「完全」という意味は、合理的な思考をもった投資家が、市場で最大の利得を得ることができることである。市場で付けられる証券の価格は、すべての情報を反映したものであると仮定される。
ただし、すべての情報とは、リスクとリターンに関するものであるという限定がつけられている。リターンとはキャッシュフローのことであり、リスクとは割引率で表されるものとされる。これによって算定された証券価格が正しく、それから離れた価格は早晩、正しい価格に修正されるという考え方で、投資理論は、組み立てられてきた。
理論上、正しいものと算定される価格が実現するのは、裁定取引が行われるからであるとされる。理論上の価格よりも低い水準に市場価格があるときには、その証券は買われる。高い水準にあるときには売られる。こうして、市場価格は算定値に収斂するというのである。
しかし、投資家は合理的に行動すると仮定しても、投資家の現実の行動を正しく分析したことにはならない。投資家の行動様式はばらばらであり、合意的なものに沿った整然としたものではない。それが現実である。
そもそも理論値が、いずれそこに向かう価格であるはずだと断言できるものだろうか。
経験的には、株価が長期持続的に上昇する傾向、あるいは下落する傾向があることは、私たちが、日常的に普通に経験していることである。それも、ファンダメンタルを反映したとは言えない環境の下で、上昇、あるいは下落局面が持続する。これは、リスクとリターンを天秤にかけて投資家が証券価格の当否を判断するという前提の正しさを疑わせるものである。そして、また、理論値からの乖離を乖離を修正するという「裁定取引」というものが、働くということを疑わせるものである。
例えば、投資信託が、投資の指標として(ベンチマーク)として、TOPIXのようなインデックスを採用している。投資信託におけるベンチマーク(benchimark)とは、運用の目標基準となる指標のこと。ベンチマークをTOPIXとする投資信託は、同期間でTOPIXの収益率を上回る運用を目指しており、その運用実績はTOPIXと比較して評価される。アクティブ運用はベンチマークを上回る成果を目標とし、パッシブ運用はベンチマークに連動することを目標とする。債券市場では、ベンチマークは指標銘柄という意味で使われている( http://sjam.co.jp/college/term_ha.htm)。
そして、ベンチマークに組み入れられた銘柄の価格は、しばしば上昇する。投資信託がその銘柄を買い増ししたり、投資家もその銘柄を好む傾向があるからである。この場合、裁定取引は発生しにくい。ベンチマークに組み入れられることになった銘柄と代替できる銘柄は見つけにくいし、そもそも、組み入れられたときには価格が暴騰しがちであるからである。米国ではインデックスに組み入れられることが決まった瞬間に、価格が二倍になたYahooの例がある(小幡績[2004]、五五ページ)。
代替性が低いほど、組み入れられた銘柄の価格上昇は大きい。つまり、裁定取引が働かないほど価格変化が激しくなるのである。インデックスの組み替えが行われるとき、新たに組み入れられた銘柄の価格が上昇し、インデックスから外された銘柄の価格が下落したということがあった。日経二二五が、二〇〇〇年四月に、三〇銘柄を入れ替えたときにそうしたことが見られたのである。追加銘柄の価格は一週間で一九%増加し、離脱銘柄は三二%も下落した。取引量も平常の四倍もあった(同、五六ページ、Greenwood[2002]に基づく)。これは、そのときの取引がファンダメンタルズを反映したものではなく、投資家の心理による需要の変化を反映したものであったことを示している。このように、これまでの完全市場を前提とする投資理論のように、投資家の心理の変化がすべてファンダメンタルズを反映していると考えることは無謀なことである。
モジリアーニ・ミラー定理(MM定理)も、現実には見られない。企業がどのような資金調達をしても、企業価値は不変であるというのがMM第一定理、企業がどのように利益配分を行っても企業価値は変化しないというのが、MM第二定理と呼ばれるものである。株式発行を通じた資金調達によるにせよ、銀行借りれに頼るにせよ、企業価値は変わらず、利益を配当に回して処分するか、内部留保に回すかの選択に関係なく企業価値は不変であるというのであるが、経験的には、資金調達方法、利益配分方法によって企業価値、つまり、発行株式の時価総額は変化してきた。なぜこの定理は妥当しないのか、定理が発表されてからの四〇年以上、この定理が妥当しない理由が検討されてきた。税制の影響があるのではないか、情報の非対称性から生み出される不合理性ではないのか等々である。
しかし、MM定理が妥当しない理由をあれこれ詮索することにどれほどの意味があったのだろう。現実はMM定理の想定とはまったく別物であることを認識すべきである。
金融市場の動向によっって、現実の経営者は、資金調達方法を変えるものである。資金調達方法の変化にもかかわらず、企業の株式の時価総額が変化しないのではない。時価総額の変化が、企業の資金調達方法を変えるのである。それが現実である。
自社株が市場で経営者が期待している水準以上に高く評価されている場合、企業は新規に株を発行して資金調達を行う。しかし、株価低迷時には、株式発行による資金調達は行わない。むしろ、自社株価の低下を防ぐべく自社株買いに走る。そして、市場の評価は、ファンダメンタルズというよりも、人気といった心理的な要素によることの方が大きい。
利益を増加させている企業が自社株への配当をどのように行うかも、ファンダメンタルズよりも、市場の動向に左右される。利益を配当せずに内部留保に回そうと経営者が意図した場合、市場がそれを嫌って株価が下がるというのが、もっともありうることであるが、しかし、マイクロソフトがそうした選択をしたときには、同社の株価は下がらなかった。利益を内部留保するのは、成長企業として当然だと市場は受け止めたのである。逆に言えば、これは、典型的な成長企業であるというイメージ作りにマイクソフトが成功し、その成功の上で無配当のまま新規株式を発行し続けることができたことを意味している。これは、「迎合理論」(catering theory)と呼ばれている(同上、五九ページ。オリジナルはBaker & Wurgler[2004])。
市場の心理によって、企業自身の投資行動が変わるのは、M&Aブームによって示されている。
企業Bを買収使用とする企業A株が、企業B株よりも市場で過大評価されていると判断した企業Aの経営者は、自社株と企業Bの株式とを交換して、企業Bを吸収してしまう。自社株が過大評価されているうちに、企業買収をしてしまおうという心理に経営者が駆られるのである。企業の長期戦略によるM&Aではなく、市場の動向に駆られて衝動的になされるM&Aである。自社株価が下がる前に、他社株を取得しておく方が、得であるとの判断に基づくものであり、安い買い物であるという意識で実施されるM&Aの方が、株式市場が活況時にはむしろ一般的である。
こうした考え方は、「行動企業金融」(Behavioral Corporate Finance)と呼ばれている。それは、不合理な世界における投資行動を分析する理論であり、長期的な動きを統計的に分析することを主眼とした理論である。Stein[1996]の論文がそうした理論の先駆であり、Baker & Wurgler[2000]が代表的な研究である。
不合理な世界を前提とした人々の不合理な心理に駆られる行動を分析の対象にしたという点で、投資理論の世界でもてはやされる「行動ファイナンス」論ではあるが、私には不満を禁じ得ない。
完全市場を否定する大胆な理論が、なぜ、証券投資の狭い世界に限定されてしまうのか。なぜ、人々の生活圏全体の理論に押し立てようとしないのか。そもそも、わずか論文一編で、大理論のようにもてはやされるという投資論の世界には、私は正直に告白すると違和感を抱いてしまう。
短い論文がノーベル記念スウェーデン銀行経済学賞の受賞対象となることにどうしても私は納得できないでいる。そもそも、複雑な人間社会の説明が、短い論文、しかも、狭い証券投資の世界に限定された論文で可能なのだろうか。