G8サミットは、日、米、英、仏、独、伊、加、露八か国の首脳及びEUの委員長が参加して毎年開催される首脳会議である。EUの委員長が出席する点が重要。狭義のサミットは首脳会合を意味するが、首脳会合の前に開催される外相会合及び蔵相会合を含めた全体をサミットと呼ぶ。
G8とは、首脳会議に参加する八か国の総称としてのGroup of Eightを意味している。
サミットでは、経済・社会問題を中心に国際社会が直面する様々な課題について、首脳は一つのテーブルを囲みながら、非公式かつ自由な意見交換を通じてコンセンサスを形成し、トップダウンで物事を決定する。その成果が宣言としてまとめられる。つまり、単なる友好的なお話会ではなく、きわめて重要な決定が行われる場である。わずか八か国が世界の命運を決定している。
サミットの準備は「シェルパ」と呼ばれる首脳の個人代表が首脳の指示を受けて緊密に連絡を取り合って行われる。「シェルパ」とは本来「登山者が山の頂上(サミット)にたどり着くための手助けをする案内人」という意味である。
サミットを開催する国が、開催する年の一年間、サミット議長国となる。サミット議長国は、サミット開催に向けた事前の準備会合や、実際の首脳会合、外相会合、蔵相会合の開催のための諸準備及び議事進行を行う。その時々の国際情勢を反映して、必要に応じて緊急会合の呼びかけを行うこともある。これまで日本は一九七九年、一九八六年、一九九三年、二〇〇〇年の四回議長国となっている。
ジスカール・デスタン仏大統領(当時)の提案により、一九七五年一一月、パリ郊外のランブイエ城において、日、米、英、仏、独、伊の六か国による第一回首脳会議が開催された。
一九七六年のプエルトリコ会議からはカナダが参加し、一九七七年のロンドン会議からは欧州共同体(EC)(現在は欧州連合(EU))の欧州委員会委員長が参加するようになった。一九九一年のロンドン会議より、G7サミット終了後、ロシア大統領と各首脳がサミットの枠外で会合を行うようになった。ロシア大統領は、一九九四年のナポリ会合以降は首脳会議のうち政治討議に参加するようになり、一九九七年のデンヴァー会議以降は「世界経済」「金融」等の一部セッションを除き基本的に全ての日程に参加することになった。一九九八年のバーミンガム会議以降は従来の「G7サミット」に代わり「G8サミット」という呼称が用いられるようになった。さらに、二〇〇三年のエビアン・サミット以降、ロシアは「世界経済」に関するセッションを含め、完全に全ての日程に参加するようになった。
一九七五年のランブイエ首脳会議の結果、世界経済問題に対応するために先進国の首脳が集まって政策協調のための議論の場を持つことの重要性が認識され、各国が持ち回りで議長国を務めつつ毎年首脳が集まって会合をもつことになった。
その後、世界経済の諸問題と並んで、冷戦を背景とした東西問題、冷戦崩壊後の国際問題、南北問題やその時々の世界情勢などの政治問題が議論の対象とされるようになり、さらには環境、麻薬、テロ、エイズ等感染症などの地球規模の社会問題についても議論されるようになっている。
第一回(一九七五年)会議では石油ショックと変動相場制の確認、第二回(七六年)貿易と通貨、第三回(七七年)日・米・独「機関車論」、第四回(七八年)エネルギーと通貨、第五回(七九年)議論の大半が第二次石油危機、第六回(八〇年)アフガン問題と供給政策、第七回(八一年)東西関係、第八回(八二年)GATT強化、第九回(八三年)通貨の国際的監視、第一〇回(八四年)GATT新ラウンド、第一一回(八五年)GATT新ラウンド開始時期、第一二回(八六年)途上国の構造調整、第一三回(八七年)NICs論初めて、第一四回(八八年)途上国累積債務問題、第一五回(八九年)ブレイディ提案、第一六回(九〇年)環境問題、第一七回(九一年)国連中核論、第一八回(九二年)ポスト冷戦、第一九回(九三年)国連環境会議、第二〇回(九四年)WTO設立、第二一回(九五年)IMFによる監視体制、第二二回(九六年)債務問題、第二三回(九七年)環境とアフリカ開発、第二四回(九八年)アジア通貨危機、第二五回(九九年)ヘッジファンド、第二六回(二〇〇〇年)朝鮮半島、第二七回(〇一年)環境と食の安全、第二八回(〇二年)大量破壊兵器、第二九回(〇三年)市場経済の推進、第三〇回(〇四年)企業家能力、第三一回(〇五年)気候変動、第三二回(〇六年)核不拡散、第三三回(〇七年)ダルフール、そして、第三四回(〇八年七月七日~九日、洞爺湖サミット)。第九回(八三年)のウィリアムバーグ・サミットでレーガン大統領の提案で予め議案を固定しないことになった。今回も何が議論されるのかは公式には不明。
以上は、外務省の公式ホームページの記事を利用した。