消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(269) オバマ現象の解剖(14) オバマ現象(6)

2010-01-31 22:18:01 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 参考文献

Andresen, Steven[2009], "Obama and his Critics, Wall Street Corruption," Touchy Subjects,
     September 3; http://shandresen.typepad.com/touchy_subjects/2009/09/obama-and-his-
     critics-wall-street-corruption.html
Brooks, Rosa[2008],"A national mood swing: Change isn't just a political slogan, it's a national
          yearning that's put the Democrats back on the offensive," Los Angels Times,
          February 07.
Cooper, Christpher & Brody Mullins[2009],"Wall Street Is Big Donor to Inauguration: Obama
          Bans Funding From Corporations and Big Donors, but Financial Employees Put Up
          $5.7 Million," Wall Street Journal, January 9.
Ehrenreich, Barbara[2008],"Unstoppable Obama," Huffington Post, February 14.; http://www.
          huffingtonpost.com/barbara-ehrenreich/unstoppable-obama_b_86677.html
Herbert, Bob[2008],"The Obama Phenomenon," New York Times, January 5.
Kiely, Kathy[2006], “Democrats See Obama As Face of ‘Reform and Change’: Junior Senator
          Poised to Step into National Spotlight,” USA Today, March 6.
Klein, Naomi[2007], The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism, Knopf.
Obama, Barack [1995, 2004], Dreams from My Father: A Story of Race and Inheritance. Three
          Rivers Press. 邦訳、白倉三紀子・木内裕也訳『マイ・ドリーム』ダイヤモンド


野崎日記(268) オバマ現象の解剖(13) オバマ現象(5)

2010-01-31 22:13:13 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 


(1) スーパー・チューズデー(Super Tuesday)とは、米国の大統領選挙がある年の、政党の大統領候補をめぐる各州の予備選挙が集中する二月または三月初旬の一つの火曜日のこと。この日は、一日で多数の代議員を獲得することができるので、大統領選でもっと注目される日である。

 また予備選挙とは、州政府が公営選挙として実施するもので、大統領選挙や連邦議会議員選挙に先立ち、政党公認候補を決める選挙のこと。予備選挙で選ばれた各州の党代表が、党大会の場でそれぞれの持ち票を推薦候補に投じ、最多数の指名票を受けた者が党公認大統領候補となる(http://www.whytuesday.org/answer/)。

 〇八年は二月五日の火曜日がスーパー・チューズデーであった。CNNテレビの集計によると、投票参加者は民主党が一四四〇万人、共和党が八七〇万人と推計され、ヒラリー・クリントン上院議員とバラク・オバマ上院議員の激しい指名争いへの関心が高かったことを示した。投票率は、前回の七%台をはるかに上回る一二%台であった。米国では、選挙管理委員会が投票率を集計しないことが多い。〇八年も推計値であった。予備選段階での投票率は、一桁程度の低水準にとどまるのが通例である(http://www.yomiuri.co.jp/world/
news/20080207-OYT1T00465.html)。

(2) スーパーボールは、米国最大のスポーツ・イベントで、アメリカン・フットボールのプロ・リーグ(NFL=National Football League)の優勝決定戦である。NFLは、NFC(National Football Conference)とAFC(American Football Conference)から成り、この優勝決定戦のおこなわれる日曜日は「スーパーボール・サンデー」と呼ばれ、事実上の祝日になってしまっている。この日は、全米人口の三分の一がテレビ放映にかじりつき、食糧消費量は、感謝祭(Thanksgiving Day=米国では一一月の第四木曜日)に次いで多い日であるといわれている(http://www.ideafinder.com/history/inventions/superball.html)。この試合の放映におけるコマーシャル代は天文学的数値である。〇八年のスーパーボールでは、三〇秒ものCMで二八〇万ドルはかかったとされている(http://money.cnn.com/2007/01/03/
news/funny/superbowl_ads/index.html)。

(3) ブルックスは、オバマ政権の国防総省政策担当次官(Under Secretary of Defense for Policy)であるミシェル・フルーノイ(Michelle Fluornoy)のアドバイザーに採用された。ブルックスは、『ロサンゼルス・タイムズ』のコラミスト時には、ジョージタウン大学の法学教授を務めていた。ジョージ・ソロス(George Soros)が主宰するニューヨークの「オープン・ソサイエティ研究所」(Open Society Institute)の特別評議会(Special Counsel)への勤務経験もある。また国務省法律顧問・ハロルド・コー(Harold Koh)のアドバイザーをも務めた経歴を持つ。彼女の新しいボスのフルーノイは、アルカイダ(al-Qaeda)との戦争指揮の重要人物であり、アフガニスタンにおける戦闘を担当している(http://blogs.telegraph.co.uk/news/nilegardiner/9534208/Rosa_Brooks_the_Pentagon%C3%A2s_
far_left_adviser/)。

(4) このオバマの演説は以下のサイトで聴くことができる(http://www.americanrhetoric.
com/speeches/convention2004/barackobama2004dnc.html)。
(5) ジョージ・スミス・パットン(George Smith Patton, Jr.、一八八五~一九四五年)の指揮する部隊。文脈から判断すると、オバマの母方の祖父は、パットンがヨーロッパに進軍したいくつかの戦闘の一つに参加したのであろう。パットンが指揮したヨーロッパにおける戦闘は、一九四三年八月のシチリア進軍(米国第七軍)、一九四四年のノルマンディー上陸作戦では、米国第三軍の指揮を執り連合軍部隊の最西端を担った。強力部隊として有名。しかし、アイゼンハワーからは疎んじられていたらしい(http://www.generalpatton.com/
biography.html)。

(6) 「復員兵援護法」)(G.I. bill=Servicemen's Readjustment Act of 1944)は、フランクリン・ローズベルト(Franklin Roosvelt)の署名によって成立した法律であり、連邦政府によって、九〇日以上従軍したGIに、失業給付金を給付し、住宅・教育資金を貸し付けることを定めたものである(http://www.oise.utoronto.ca/research/edu20/moments/1944gibill.
html)。GIとは、米軍兵の俗称。官給品(government issue)からきた言葉で、豊富な官給品に恵まれた米軍兵を羨望を込めて他国兵から命名された言葉といわれているが定かではない(http://www.wordorigins.org/index.php/gi/)。

 また、退役軍人のために、"52/20 Club"(五二週の失業期間において、一週間当たり二〇ドルが支払われるという意味)という援助制度もできた。こうした法律の整備によって、従軍前までは、大学に進学できなかったり、アフリカからの移民のように、限定した職にしかつけなかったものが、退役後は、大学への進学が可能になり、就職できたり、住宅を入手したりできるようになった。この法律は、いまでも「モンゴメリーGI法」(Montgomery GI Bill)として、軍隊のリクルートの役割をはたしている(http://www.oise.utoronto.ca/
research/edu20/moments/1944gibill.html)。

(7) 連邦住宅局は、住宅ローンの債務保証をする米国政府機関であった。住宅ローンの貸し手(オリジネーター)が、住宅ローンを貸し出すさいに、ローンの債務者が債務不履行となった場合に、債務者に代わり、これを保証する業務をおこなっていた(http://www.
nomura.co.jp/terms/english/f/fha.html)。一九三七年に米国連邦政府によって設立。一九六五年には、連邦住宅・都市開発省(HUD=Department of Housing and Urban Development )に統合された(http://portal.hud.gov/portal/page/portal/HUD/)。

(8) ゲールスバーグは、東部ニューヨークの牧師、ジョージ・ゲール(George Washington Gale、一七八九~一八六一年)が、単純労働者のためのカレッジを作りたいと、教会関係者二五人とやってきて一八三六年に建設したイリノイ州西部にある労働者の町である。現在の人口は約三万人。町を作った翌一八三七年には、州はノックス・カレッジ(Knox College)の設立を認めた。カレッジは、奴隷を逃亡させる地下組織の役割を担い、リンカーンを支援していた(http://www.southwind.us/cinderella/galesburg.html)。

(9) メイタッグ社は、全米第三位の家電メーカー。イリノイ州ニュートンにある同社工場で、新労働協約をめぐる労使交渉が決裂。労働組合は、二〇〇四年六月一〇日(木)からストライキに突入。二〇〇四年七月一日(木)、労使間で暫定合意が成立。翌七月二日(金)に組合員投票。四年間有効の新労働協約が正式承認。七月六日(火)から職場復帰がおこなわれた。新労働協約は以下の内容。①二〇〇五年にCOLA(物価調整手当て)として四五〇ドルを支給、その後は毎年五〇ドル増額。②二〇〇七年六月まで基本給を据え置く。そして二〇〇七年六月に二・五%の賃上げをおこなう。ニュートン工場の二〇〇四年時点での平均時給は一九ドルであった。③企業業績に応じてボーナス支給。④これまで全額会社が負担してきた医療保険料の一~二割を労働者が負担する。⑤新規採用者は、もはや現役労働者が加入している確定給付年金に加入することができない。新規採用者には、四〇一(k)が提供される(http://www32.ocn.ne.jp/~everydayimpress/New_Folder/
article272.html)。しかし、オバマ演説に見られるように、多くの労働者が解雇された。

(10) ジョン・フォーブズ・ケリー(一九四三年生まれ)は、マサチューセッツ州選出上院議員。二〇〇四年の米国大統領選挙で、民主党の大統領候補に指名された。この年に大統領選を争ったジョージ・ウォーカー・ブッシュ(George Walker Bush、一九四六年生まれ)とは遠い縁戚にあたる(http://www.ancestry.com/landing/strange/bush4/tree.html)。

(11) 特命全権大使(Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary)とは、外交使節団の長で最上級の階級。受け入れ国の元首に対して、外交交渉、全権代表としての条約の調印などをおこなう。国連などの国際機関の政府代表部に対しても派遣される。職業外交官でない各国駐在大使のことを指す場合が多い(http://encyclopedia.farlex.com/Ambassador
+Extraordinary+and+Plenipotentiary)。

(12) ノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)は、アルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel、一八三三~一八九六年)によって創設された五部門(物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞。ちなみに経済学賞はノーベル賞ではなく、「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞」である)の賞の一つであるが、アルフレッド・ノーベルはスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して、「平和賞」の授賞は、ノルウェーでおこなうことにした。

 セオドール・ローズベルトの授賞理由は、一九〇五年の日露戦争終結のポーツマス条約(Treaty of Portsmouth)の斡旋の功績による。ウッドロー・ウィルソン は、有名な一九一八年「一四か条の平和原則」で国際連盟創設につながった功績で授賞した(http://
nobelprizes.com/nobel/peace/peace.html)。

(13) コンゴ民主共和国(Democratic Republic of Congo、旧ザイール)の博士、医師であるデニス・ムケゲ(Denis Mukwege)が人権運動家の心を捉えている。パンジー(Panzi)に病院を建設し、同国で数十万人にのぼるといわれる性的暴力被害者の女性のケアをおこなっている。元国連人道問題担当事務次長でノルウェー国際問題研究所(Norwegian Institute of International Affairs)のヤン・エグランド(Jan Egelangd)によると、現在のアフリカ諸国には集団レイプという「忘れられた戦争」があると指摘している(http://www.
afpbb.com/article/life-culture/life/2526553/3411170)。

 二〇〇八年一月一三日、CBSの「六〇分」(60 minutes)で詳しく報道された("War Against Women-The Use Of Rape As A Weapon In Congo's Civil War"、二〇〇八年八月一四日、再放送)。かなりきわどい表現もあるので、端折って要約しよう。

 ここ一〇年、コンゴでは何十万人もの女性がレイプされている。多くは集団暴行だ。パンジ病院は、被害者等で一杯になっている。病院で治療しているのは大人だけではない。「子供もいる。一番若いのは三歳だったと思う」とデニス・ムケゲ医師はいった。

 一〇年以上も前に、隣国のルワンダ(Rwanda)で一〇〇万人近い人々が殺された大虐殺があった。それはコンゴにも波及した。それ以来、コンゴ軍、外国の支援を受けた反乱軍、地元の民兵がお互いに権力と土地を求めて戦っている。世界最大の金、銅、ダイヤモンド、錫の鉱脈をめぐるいさかいである。現在ではコンゴのミッションは国連史上最大の平和維持活動になっている。

 二〇〇五年以来、約一万七〇〇〇人の国連軍と職員が常駐しているが平和は訪れていない。戦闘に続き、略奪とレイプが繰り返されている。〇七年には五〇万人以上の人々が立ち退きさせられた。

 CNNの記者、アンダーソン・クーパー(Anderson Cooper)が訪れたあるキャンプは、二か月前にできたばかりなのに、すでに超満員であった。そして、まだ増え続けていた。戦争が広まったため、より多くの暴力が蔓延し、レイプは日常茶飯事になってしまった。レイプは大規模かつ組織的、残虐なものである。恐怖の見せつけである。レイプが戦争の武器として使用されている。

 クーパー一行は、ワルング(Walungu)と呼ばれる、コンゴ東部にある山の孤立した村に向かった。長年、武装グループがこの地域で戦闘を展開している。何千もの男が森から現れて、村人を脅して女性たちを奪っていく。ある村では、女性の九〇%がレイプされた経験を持つ。村の男たちはたいてい武器を持っておらず、反撃することができない。

 「私はかつて男たちが逃げるのは無責任だと思っていた。しかし、いまは違う」。ムケゲ医師はクーパーに語った。「男たちは、彼らの妻がレイプされたから逃げるのではない。彼ら自身がレイプされたように感じるから逃げるのだ。彼らはトラウマを抱え、屈辱を感じている。なぜなら、妻や子供たちを守るために何もできなかったからだ」。

 同医師はいう。「これは力、武力の誇示なんだ。人間を破壊するためだ」と。
 紛争が広まるにつれて、次第に一般市民もレイプするようになった。いくつかの色あせた看板にはレイプは犯罪であると書かれているが、コンゴ警察がこの問題を深刻に捉えているという証拠はほとんどない。これまでに裁判にかけられた事件はほとんどない。刑務所には、フェンスもなく、見張りもいない。ここでは、レイプをしても、まったくとがめられないし、殺人を犯してもとがめられない。逮捕される可能性はゼロである。

 パンジ病院では毎朝、みんな集って大声を上げ、礼拝で歌を歌う。我々の現世での苦しみは天国で解放される、と彼女らは歌う。