消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(262) オバマ現象の解剖(7) インペリウム(7)

2010-01-15 01:18:48 | 野崎日記(新しい世界秩序)


  おわりに


 カトリーナの惨事には奇妙なことがいくつもあった。ニューオリンズの被災者たちを助けようとする外部からの救援隊をFEMA(米連邦緊急事態管理局=Federal Emergency Management Agency)が阻止した。カナダのバンクーバー市が救援機を送り込もうとしたが、米国内に入ることを米国から拒否された。鉄道会社のアムトラック(Amtrak)が用意した避難用の列車も、被災地に入ることをFEMAによって阻止された。ハリケーン上陸四日前の八月二五日からルイジアナ州は、連邦政府に支援を要請していたが、実際にFEMAが動き出したのは、ハリケーン上陸の五時間後であった。そして、救援物資が届いたのはその四日後であった。そして、ブッシュは九月二日、ルイジアナ州知事のキャサリン・ブランコに対して、州兵に対する指揮権を大統領に渡せと迫った。ルイジアナ州知事とニューオリンズ市長はいずれも民主党員であった。有事には指揮権は州政府から連邦政府に移すというのがブッシュ政官の方針であったと思われる。

 ハリケーンの被災者は棄てられたのである。ブッシュの州政府支配欲の犠牲になって。そして、二〇〇五年九月二四日、イラクからの撤退を求める一〇万人の集会がワシントンで開かれた。プラカードには、イラクよりもハリケーン対策に出費すべきであるとの主張が数多く掲げられた(『日本経済新聞』、二〇〇五年九月二六日付)。このできごとが世界の流れを変える潮目であった。

 オバマ政権になって、イラクは荒廃したまま放置され、アフガニスタン戦争の泥沼にますます米国ははまり込んでしまった。にもかかわらず、戦争をも糧にした巨大金融機関が新興市場に侵入し、カネの強欲を世界各地で生み出している。

 注

(1) キリスト教世界では、四世紀頃から人間を堕落させる大罪についての議論が続いていた。大罪を七つに限定したのは、六世紀後半のグレゴリウス一世(Gregorius I、五四〇?~六〇四年)である。「傲慢」(Superbia)、「嫉妬」(Invidia)、「憤怒」(Ira)、「怠惰」(Acedia)、「強欲」(Avaritia)、「暴食」(Gula)、「色欲」(Luxuria)がそれである。また、キリスト教の正式の教義ではないが、民衆の間ではそれぞれの大罪に悪魔が配置されるようになった。傲慢には「ルシファー」(Lucifer)、嫉妬には「レヴィアタン」(Leviathan)、憤怒には「サタン」(Satan)、怠惰には「ベルフェゴール」(Belphegor)、強欲には「マモン」(Mammon)、暴食には「ベルゼブブ」(Beelzebub)、色欲には「アスモデウス」(Asmodeus)である(小林珍雄[一九六〇])。

(2)  人工雨を降らせるように、人工的な仕組みの下で大金を稼ぐ弁護士を意味している。もともとは、米国の小説家、ジョン・グリシャム(John Grisham)の小説, The Rainmakerからとられた言葉(Grisham[1995])。この小説は、一九九七年にフランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola)監督によって映画化された。

 弁護士志望の青年ルーディ・ベイラーが苦労の末、悪徳弁護士のブルーザー・ストーンに雇われたが弁護士事務所の闇の世界に苦しむ。彼の初仕事は、白血病の子供のダニー・レイ対し、支払いを拒否している悪徳保険会社グレート・ベネフィット社を、その母ドット・ブラックに訴えさせたこと。示談を狙う会社側に対して、初めての法廷だけにルーディは苦戦。同僚の裏切り、人妻のケリーによる夫の殺人事件に巻き込まれたり、会社側の老獪な弁護士に翻弄されたりしたり、様々なサスペンスが盛り込まれて娯楽小説風に物語は展開する。裏切った同僚に隠されていた証人を探し出して逆転。陪審員が会社に有罪と多額の賠償金の支払いを宣告した。結局、社は直後に破産申告、賠償金は支払われなかったが、裁判には勝った。ルーディは司法関係の教育者になろうと進路変更を決め、正当防衛が認められて釈放された夫殺しのケリーと新たな人生を迎えるというあらすじである。

(3) ヘアの脚本による『同意させる権力』(The Power of Yes)が、二〇〇九年六月一七日にロンドンのナショナル・シアター(National Theatre)で上演され、大変な人気を博した。これは、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(Royal Bank of Scotland)の前会長、フレッド・グッドウイン(Fred Goodwin)の強欲さと公的資金を引き出す力を説明し、周辺の人脈を実名を挙げて糾弾したものである(http://www.nationaltheatre.org.uk/50093/productions/the-power-of-yes.html)。ヘアは現代社会の闇を告発できる最高のジャーナリストであるとの評判を英国でとっている(Billen[2009])。

(4) FSAは、預金や保険、株式など、ホールセールからリテールまでのすべての金融サービス業務を監督する英国の機関である。二〇〇〇年の金融サービス市場法(Financial Services and Markets Act 2000)に基づいて二〇〇一年に設置された民間組織である。監督対象は三万社と超える。調査や制裁などの面で強い権限を持つ。中央銀行であるイングランド銀行が持っていた銀行の監督機能やロンドン証券取引所の上場審査機能もFSAに移された。CEOなどトップの任命権は英大蔵省にあるが、運営費は規制対象である金融機関が負担している。関連する組織として、金融機関と投資家の紛争の仲裁を担当する金融サービス・オンブズマン制度などがある。伝統的に英金融街のシティは「業界自治」を尊重しており、FSA設立までは業界ごとの自主規制機関が大きな役割をはたしていた(『日本経済新聞』二〇〇四年一一月一〇日付、『日経金融新聞』二〇〇五年二月一六日付「ミニ辞典」)。

(5) そうした積極性の存在にもかかわらず、ネグリ&ハートの「帝国」論は、眼前で進行している米国の、あまりにも傲慢な世界秩序破壊に対して一顧だにしてない。このことは、彼らの「帝国」論が学問上の堕落だとの厳しい批判にさらされることになるのも当然であろう。ネグリ&ハートの弱点を克服するには、「インペリウム」概念の歴史的変容を確かめることであろう。馬場宏二は、彼らの「帝国」論は、「アメリカのヒステリー的破壊行動を」説明しようとせず、「歴史的構図がまるでピンボケ」である。こうした「呑気な帝国論」は、「自立的認識としての社会科学がなによりも警戒すべきで思想的俗化」であると酷評した(馬場[二〇〇四])。

(6) スミスは、古代ギリシャの植民地がは独立性を保証されていたのに、古代ローマ帝国の植民地がローマの支配下に編入されていたことを示す証左として、植民地の名称の差を挙げている。彼は、ギリシャ語の植民地が"apoichia"(分家、出立)、ラテン語のそれが"colonia"(栽培地、入植地)となっていることに注意を喚起している(Smith[1976], 邦訳、第Ⅱ巻、二九〇ページ)。

(7) 畠中訳では「架空論」(キマイラ)となっている。日本では、キマイラともキメラとも表記されている。欧文でも、"chimera"、"chimaera"、"khimaira"と、表記は確定されていない。キメラとは、ギリシャ神話に出てくる空想の動物で、ライオンの頭・ヤギの胴・ヘビの尾を持ち火を吐く雌山羊の怪物である(http://hp.vector.co.jp/authors/VA024828/Words/frameWords_main.html)。

(8) 米国では、平時には軍人の訓練をしないことで文民優位を確保していた。文民である国防長官の権力を高めることが文民統制(control)の強化になると理解されていた。しかし、それがいきすぎた。ラムズフェルド国防長官時代は、「統制」が「インペリウム」に転じ、国防長官があたかもかつて存在していた「戦争長官」であるかのごとく、軍事指令権を世界に向かって行使するようになった(村井「二〇〇五」、二二三ページ)。

 「ロバート・マクナマラのペンタゴン以来、文民当局がこれほど深く戦闘の指令に食い込んだことはなかった」(Time, December 29, 2003, p. 74)、「二〇〇三年、ドナルド・ハロルド・ラムズフェルド、七一歳が、戦争の代名詞だった。彼が戦争を計画し、売り込み、いまだ片付いていない戦後の情景の中をふんぞり返って歩き回った。・・・彼の権力は絶対の域に達し、ホワイトハウス高官の中で彼を御することができる人はいるのかと危惧されている」(ibid., p. 73)。

 ちなみに、戦争長官は、いまは存在していない。米国の建国当初、国防省はまだなく、「戦争省」(War Department)のみがあり、その長官が「戦争長官」(Secretary of War)であった。その後、海軍省、空軍省が新設され、三省は一九五七年に統合されて国防総省になった。一九四九年、戦争省は陸軍省となり、戦争長官は廃止され、陸・海・空の三つの省の長官は、閣僚ではなく、国防長官の指揮下に入れられた。国防省は、国防総省と呼ばれることが多いが、三つの省を統合して国防省ができた経緯からそう呼ばれたのである(村井[二〇〇五]、二〇三ページ)。

(9) サンキュロット(sans-culotte)とは「キュロット」(culotte=半ズボン)を持たない人の意味。フランス革命当時、議会の外で激しい運動を展開した民衆のことを指す。当時、キュロットは帰属やブルジョアが着用するものであったが、武装蜂起した民衆は、仕事着のパンタロンをはいていたので、そう呼ばれた(広辞苑)。