消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(267) オバマ現象の解剖(12) オバマ現象(4)

2010-01-30 22:06:18 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 三 不透明な選挙資金
 

 バラク・オバマ大統領が大統領選で集めた選挙資金は、史上最高額の七億四五〇〇万ドルであった(http://www.fec.gov/DisclosureSearch/MapAppCandDetail.do?detailComeFrom
=mapApp&cand_id=P80003338&cand_nm_title=Obama,%20Barack)。それだけではない。公的助成を受け取らずに当選した史上初の大統領でもある。

 米国では、政党内の大統領候補を選ぶ選挙も含めて、企業や労組から候補者への直接献金が禁じられている。つまり、選挙資金は個人献金から賄われる。その個人献金もほとんどの場合、二三〇〇ドルが上限になっている。そして、献金者一人について、二五〇ドルが、米財務省の管理する特別基金(マッチング・ファンド=matching fund)から、候補者に助成金として支給される。しかし、公的助成を受けると、支出内容が法的に制約されてしまう(草野厚研究会第二班「大統領選挙から見る現在のアメリカ」、http://web.sfc.keio.
ac.jp/~bobby/klab/hokokusho/election.pdf)。

 共和党の大統領候補、ジョン・マケイン上院議員は、約二億八四〇〇万ドルを集め、それに対応する公的資金を約八四〇〇万ドル受け取り、総額三億六九〇〇万ドルの選挙資金を得た(http://www.fec.gov/DisclosureSearch/MapAppCandDetail.do?detailComeFrom
=mapApp&cand_id=P80002801&cand_nm_title=McCain,%20John%20S)が、オバマは受け取らなかった。公的助成を受け取らない方が、選挙戦での自由度が増すからである。

 米国では、どれだけの選挙資金を集めたかがジャーナリズムで大々的に宣伝され、多くの資金を集めた候補者がそれだけ有利になる。そのために、支持者は懸命に献金することになる。結果的には莫大な選挙資金が集まることになる(http://business.nikkeibp.co.jp/article/
topics/20090310/188698/?P=1~3)。

 大口献金者(big donor)というのは、上限二三〇〇ドルの献金しかできない個人を多数まとめ得た人のことを指している(http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20080123-02.html)。

 オバマ陣営は、豊富な資金をテレビでの宣伝費に投入した。衛星放送のディッシュ・ネットワーク(Dish Network)に「オバマ・チャンネル」(Obama Channel)を設定し、大統領選挙の六日前、つまり、二〇〇八年一〇月二九日、地上波テレビのNBCやCBS、Fox、ケーブル・テレビのMSNBC、BET、TVワン(One)、スペイン語放送のユニビジョン(Univision)等々の米東部時間での午後八時のゴールデン・アワーズを買い取った。ただし、ABCは拒否した。

 選挙戦終盤でこれほど長時間にわたり、単独候補を前面に押し出した「放送枠買取り」は滅多に見られない。一九九二年にインディペンデント候補として出馬した大富豪のロス・ペロー(Henry Ross Perot)でさえ、オバマのようにケーブルテレビまで包括的に取り込む企画はできなかった。まさに前代未聞のテレビ広告戦略であった。

 選挙広告に使った費用を見ると、マケイン陣営の一億三〇〇〇万ドルに対し、オバマ陣営は三億九〇〇〇万ドルと圧倒した。

 米国の国民的スポーツであるメジャーリーグ(MLB)の頂上決戦ワールドシリーズ、フィラデルフィア・フィリーズ対タンパベイ・レイズの第五戦。フィリーズが二八年ぶりのシリーズ優勝に王手をかけたが、雨天のため六回表のレイズの攻撃で試合中止となった(http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/206)。

 ところが、〇八年一〇月二九日に再開された第六戦の開始時間は、八分間遅らせられた。米民主党の大統領候補オバマ上院議員のテレビ出演のためであった(http://sankei.jp.msn.
com/sports/mlb/081017/mlb0810170958003-n1.html)。

 オバマの選挙選は、史上最大の三〇〇万人を超える小口献金者達(平均献金額一〇〇ドル以下)によって支えられたものであると、オバマ陣営は豪語していた。しかし、この数値はごまかしであった。一〇〇ドル以下の献金者の比率は、連邦選挙管理委員会(Federal Election Commission)に提出されたデータで見る限り、二〇〇四年のブッシュ陣営の実績よりも小さかったのである("Obama Donors Pick Up Pace: A $32 Million Month,"
Washington Post, February 1, 2008)。

 法的には個人献金の上限は二三〇〇ドルに制限され、格別の個人的理由があればさらに二三〇〇ドルの積み増しが認められている。しかし、現実には膨大な金額が献金として選挙主宰者の手に渡っている。これは「合同基金募集委員会」(joint fundraising committees)なるものが抜け穴として積極的に利用されているからである。

 マケイン陣営は「マケイン勝利二〇〇八」(McCain Victory 2008)を利用した。オバマも「オバマ勝利ファンド」(Obama Victory Fund)を設立して、個人献金をここに集約させた。ここに集めた基金は選挙に直接回されるだけでなく、党運営に、あるいは地方組織にまわせることができうるという、使途に柔軟性が付与された資金である。この組織に献金するならば、個人の献金は二万八五〇〇ドルまで可能であるとされている。されに民主党は「変化委員会」(Committee for Change)というものを作った。この基金へなら、個人は、六万五五〇〇ドルを上限として献金できる(Washington Post, October 22, 2008)。

 これだけの膨大な金額が大統領キャンペーンでテレビ局に入る。しかも、オバマが勝利してもまだ莫大な金額をオバマ陣営は懐に入れている。いくらでもテレビ宣伝費用にそれらを支出することができるのである(Amy Goodman,"Change Big Donors Can Believe In,"http://www.truthdig.com/report/item/20081022_change_big_donors_can_believe)。

 オバマは、まさにウォール街の献金で大統領選に勝利したと、なんと、『ウォールストリート・ジャーナル』紙に書き立てられたのである(Cooper & Mullins[2009])。


 おわりに

  オバマが始めた戦争ではないが、米国は、少なくとも〇九年一〇月段階では、イラクで、アフガニスタンで戦争当事者であった。ところが、戦争の一方の当事者のオバマ大統領へのノーベル平和賞(2009 Nobel Prize)の授与が決定した。大統領就任後九か月も経っていなかったのにである。

 『ロサンゼルス・タイムズ』紙は、〇九年一〇月一〇日の社説でこの授賞決定を批判した。

 「私たちは、オバマ大統領を支持し、彼の前任者よりもはるかに好んでいるが、なぜ就任直後にノーベル平和賞の授賞が決定したのか分からない。ノーベル委員会は、オバマ大統領を当惑させて、賞自らの信頼を損なった」。

 翌日の11日に同紙がおこなったオンライン世論調査によると、回答者の四六%が「オバマ大統領は賞の受賞を断らなければならない」といっていた。

 九日の『ワシントン・ポスト』紙の批判も厳しかった。「(これは)慌てて授与したおかしな平和賞」であり、「イラン大統領選挙不正に抗議して亡くなったイラン女子大生などの、他の候補が明らかにいながら、なぜノーベル委員会が今回の決定を下したのか分からない」。

 同紙による九日の、三万七六七五人へのオンライン世論調査では、五六%が今回の受賞に反対していた。投票者の中には、「インドのマハトマ・ガンジーさえ平和賞を受け取れなかったのに、政治的には新人のオバマが受けたことにより、ノーベル賞の権威を自ら貶めた」という意見もあった。

 一〇日の『ウォールストリート・ジャーナル』紙は、一〇日付のコラムも酷評した。
 「今回の授与は邪悪で無知。ノーベル委員会は、たんに、オバマがジョージ・W・ブッシュでないだけで賞を与えた。平和賞が『尊敬の対象』から、『冷やかしの種』に転落した」(以上は、http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1012&f=national_1012_012.htmlによる)。

 ノーベル平和賞選考委員会の議長は、トルビョルム・ヤーグラント(Thorbjorn Jagland)である。彼が説明した授賞理由は、尋常でない国際外交と人々の協調を強化したことによる」とし、記者会見で「全会一致の決定だ。大統領が唱える政策こそ長年、委員会が目指してきたものだ」と語り、「これで大統領は世界を主導するスポークスマンになった」と話したhttp://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/m20091010043.html)。

 出席した記者たちは辛辣な批判をヤーグラント議長に浴びせた。
 「約束を履行するだけの任期をオバマ大統領は与えられれていないではないか」という質問に対して、議長は、ノーベル賞はそうした姿勢を支持するというのが伝統であると答えたのみであった。

 「オバマはアフガニスタン侵攻の中心人物である。その点について選考委員はどういう見解を持つのか」という質問には、紛争が解決される機運が生じることを願っていると解答を逸らせた。

 ちなみに、オバマは、一九〇六年のセオド-ル・ローズベルト(Thodore Roosvelt、一八五八~一九一九年)、一九一九年のウッドロー・ウィルソン(Woodrow Wilson、一八五六~一九二四年)に継ぐ三人目のノーベル平和賞受賞大統領である(12)。
 ベストセラー、『ザ・ショック・ドクトリン』(Klein[2007]の著者、カナダのナオミ・クライン(Nomi Klein)もオバマの授賞を酷評した。

 この授賞は、ノーベル賞を貶めるものだ。いままでもそうであったし、これからもノーベル賞委員会はノーベル賞を貶め続けるであろう。彼らは具体的な行動に対してではなく、単なる希望を述べただけの人(注、オバマのこと)を励ますために賞を授けた。世界には具体的な行動によって、平和を実現させようとしている人がいる。それも危険を冒して。そういった人々にノーベル平和賞は考慮を払うべきであった。

 たとえば、コンゴの残酷な女性レイプ問題に命を張って阻止しようとしている人たちがいる。ムケゲ(Mukwege)医師もそのひとりである(13)。もし、ムケゲがノーベル平和賞を授与されていたら、どれほど多くの難民に希望をもたらしていただろうかと、クラインは力説した(http://www.democracynow.org/2009/10/9/as_us_continues_afghan_iraq
_occupations)。

 国内政治も世界政治も巨大マスコミの手で操作されるようになって久しい。歴史は、マスコミ操作術で際だった技術を駆使した代表としてオバマ陣営を語ることになるだろう。時代は、まさに、「オバマ現象」の様相を呈している(http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/
2008/02/post_01be.html)。