うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

【101023】日本最長普通列車2429D乗車の旅 その後(「炭鉱萌え」)

2010年11月21日 06時24分36秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今週も学生実験と酵母培養、その他諸々で忙しい日々でした。ただ、最近は順調に研究が進捗しているので、今後の具体的なスケジュールも掴めるようになり、この峠を登り切る目処が立ちつつあります。ゴールが見えるのと見えないのとでは、精神衛生上だいぶ違うので、これは非常に有難いことです。

日本最長普通列車の旅については、前回までで何とか書き終えました。しかし、せっかく釧路へ行った(私は3年ぶり)のに、その後何もしなかったのかと言えば、そんなわけは無く、短時間でしたが少々面白い場所へ寄り道してきたのですよ。今回はそんな顛末を紹介します。


釧路駅に着いたのは午後6時前。釧路の主要観光スポットであり、「勝手丼」で有名な和商市場は、午後6時で閉店のため、既に多くの店が片付けを済ませており、丼を食べられそうな雰囲気ではありませんでした・・。


ちなみに、3年前の3月に食べた和商市場の「勝手丼」。最初にご飯だけよそってもらい、各店舗で具材を買って載せていくという形式の丼です。これで1000円分くらいだと思います。(なんかオマケで色々つけてくれるので・・)
今回は食べられなくて残念・・。

午後6時過ぎに列車追跡班(滝川から車で2429Dを追いかけてきた二人)と合流し、とりあえず幣舞橋たもとのフィッシャーマンズワーフMOOへ向かいました。


2003年当時のフィッシャーマンズワーフMOO。(今回外観を撮れなかったもので・・)



皆お腹が減っていたので、2階の屋台村で海鮮丼を食べました。店員のおばちゃんが非常に賑やかな方で、色々とオマケをつけてくれました。(外食先で学生扱いされたのは久しぶりだなぁ・・)

食後、そのまま札幌へ向かっても良かった(実は私はこのとき酵母の小規模培養中で、翌朝までに研究室へ行く必要がありました)のですが、もう少し釧路に滞在したかったので、この後鉄道研究会メンバー同士の旅に相応しい場所を巡ってきました。


知人港頭貯炭場の夜景。
釧路市沖には海底炭鉱があり、現在も採炭が続けられています。現在では日本で唯一残る坑内掘の炭鉱であり、石炭王国であった頃の北海道の面影を残す貴重な場所です。この貯炭場には23万トンもの石炭が保管できるそうで、選炭場から運炭鉄道でここまで運ばれてきます。写真中央左に山積みになっているのが石炭です。


運炭鉄道の線路。(踏切脇から撮影)
運炭鉄道もこれが現存唯一です。釧路の海底炭鉱は、釧路コールマインが採掘業務を、太平洋石炭販売輸送が輸送業務等を受け持つ分担体制で事業が行われており、この運炭鉄道は太平洋石炭販売輸送の運営となっています。運炭鉄道は釧路市の南岸を通って、春採の選炭場までの4kmを結んでいます。以前は東釧路駅まで繋がっていて、旅客営業も行われていた
そうです。



次に向かったのがこちら。釧路コールマインの益浦事業所です。海底炭鉱へは春採・興津・益浦の3つの斜坑が掘られており、ここもその斜坑の入口の一つです。釧路コールマインの本社所在地もここです。
先ほどの運炭鉄道はここを通りませんが、この事業所内には抗外軌道が敷かれており、小型の電気機関車が使われています。北海道の鉄道の大半は非電化であり、なんとここが日本最東の電化路線とされています。写真にも、ちゃんと架線が写っていますね。
(事業所の敷地外から、フェンス越しに撮影)


太平洋石炭販売輸送 春採駅。
続いて一向が来たのがこちら。先ほどの運炭鉄道の拠点、春採駅です。
写真の奥の建物にホッパーがあり、そこで石炭を貨車に載せます。


春採駅停車中の運炭列車。
この運炭鉄道では、ディーゼル機関車を貨車の前後につけて、プッシュ・プル運行しているそうです。私はこれまで写真でしか運炭列車を見たことがなかったのですが、黒々とした貨車と鮮やかな朱色の機関車のコントラストに萌えてしまいました。


春採駅前のコープ。ここで少し買い物しました。営業時間が実に中途半端です・・。


釧路市滞在を終え、ひとまず札幌方面への帰路につきました。
釧路市の国道沿いのマクドナルドの屋上に、ドナルドのバルーンがあったのですが、ライトアップされていて益々恐く感じました・・。親御さんから苦情が来るレベルかと・・。

釧路から占冠までは私が運転しました。結構眠かったですが、3人の命を預かっているので、気合で200km強を走りぬけました。
占冠からは別の人に運転を変わってもらい、一路札幌へ・・といかないところが我らが鉄道研究会・・。


夕張で少し寄り道して、大夕張ダムのダム湖である、シューパロ湖にやってきました。
ここには、世にも珍しい鉄道遺産があるのです。
それが、上の写真に写るトラス橋、「三弦橋」です。


ぱっと見、何が珍しいのかよく分からないかもしれません。しかし、よく見ると橋のトラスの上弦材が1本しかなく、断面が三角になっていることが分かります。


ちなみに通常のトラス橋(九州自動車道の筑後川橋梁)。上弦材は2本で、断面は四角です。

三弦で構成される鉄道橋は国内唯一で、世界的にも稀です。有名どころではこことドイツの「De:Dreigurtbrücke Düren」くらいしかありません。しかも、この夕張の三弦橋は、大夕張ダム建設によって沈んだ森林鉄道の代替路線として建設されたのですが、橋の規模は森林鉄道としては破格のものであり、長さが382mもあります。
1958年に完成したものの、林道の整備が進んだことで森林鉄道が衰退し、わずか6年後の1963年には廃線となってしまった勿体無い遺産だったりもします。


そんな世界的にも貴重な鉄道遺産ですが、実は消失の危機に瀕しています。現在、大夕張ダムのすぐ下流に、夕張シューパロダムという巨大ダムが建設中で、堤頂高がおよそ2倍にもなるため、シューパロ湖の湖面が一気に上昇し、三弦橋が水没してしまうのです。
既にダム建設は佳境に入り、2013年には完成予定。あと3年もしない内に三弦橋は見えなくなることでしょう。(しかも、水没後の水路の安全を図るため、トラスも一部撤去される予定です)
鉄道研究会のおかげで、こんな貴重な鉄道遺産が北海道にあることを知り、現存する間に見られて幸せでした。

その後、夕張から下道で札幌まで戻ってきました。
一晩の間に釧路の現役炭鉱施設、夕張の三弦橋など、北大の鉄道研究会ならではのスポットを見学して、「炭鉱萌え」の感覚がちょっと理解できました。
釧路の運炭鉄道は是非昼間に走行している様子を見てみたいですね。