うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

No money, No car!

2010年04月25日 21時41分47秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
↑現「愛車」

気付けばまた一週間経ってしまいましたね・・。
本当に、近頃は時間が経つのが早く感じます。
私は日々、希望に燃えたり落ち込んだりを繰り返しながら、忙しない日常を送っています。
そろそろ雪が無い札幌の町並みも見慣れてきた今日この頃ですが、私の研究机から見える北大の農場も徐々に芝が生えてきて、だいぶ春めいてきた感じがします。桜が咲くのはまだしばらく先のようですけれども。
そうこう言っているうちにゴールデンウイークが近付いてきましたね。金曜日をサボれば7連休になります。去年までの私なら迷わずそうするところですが、今年の私は真面目な院生なので、そんな恐れ多いことはしません。(私にとっては驚異的なことに、去年の10月から正規の休み以外は一度も研究室を休んだことはありません・・)

雪が無くなって、最近は自転車で走るのもかなり楽になりました。街中でも、この数週間で自転車の数が一気に増えました。
私の自転車は、去年の12月に前の自転車が盗まれた直後に研究室の先輩から貰った、折り畳み自転車です。車輪が小さいので雪上でも比較的安定性が良く、ずっと私の通学を支えてくれています。ただこの自転車、サドルが破れていて座りにくいし、やはりあくまで折り畳み自転車なので長距離走行には不向きなようです。

私は元々サイクリング好きで、小学校時代からよく遠乗りに出掛けていました。
中学時代には通学用自転車の爆走族と呼ばれ(自称)、高校時代は風紀委員に目を付けられながらもマウンテンバイクで通学し続けたものです。高校3年生の夏、数学の補習に寝坊してしまい、寝起きに猛スピードで学校まで漕ぎ続けたところ、教室に入っていきなり過呼吸でぶっ倒れたのも懐かしき思ひ出です。

大学に入って最初に買ったのも、やはり自転車でした。4月1日に沖縄入りし、入寮手続きした直後に那覇の自転車屋さんに買いに行きました。

こちらがその自転車。格好良いマウンテンバイクでした。赤い流線型のヘルメットをかぶり、毎日海パン姿でこれに乗って大学に通っていました。毎週末は那覇にサイクリングに出掛け、市内探検に興じたものです。国道330号線で時速60km出し、西原町の琉球大学から那覇市のおもろまち新都心まで僅か15分で駆け抜けていました。大雨の日には、後輪の水の跳ね上げがもろに背中にかかってびしょ濡れになったのも思い出です。しかし、購入からわずか4ヶ月後の7月に盗難に遭い、我が自転車生活は急に終わりを迎えました。

その後、大学1年生の夏休みに原付の免許を取得し、10月に中古バイク店で初の原付を購入。

こちらがその初代原付の、ホンダ・Dioです。購入直後、沖縄県立芸術大学の構内で撮影した写真で、背後に首里城が見えています。乗り始めてしばらくは故障が続き、頻繁に修理に出しました。見た目は結構格好良いのですが、実は90年式の古いバイクで、その後も半年に一度は故障に遭い、複数のバイク屋さんにお世話になりました。
沖縄本島や離島を縦横無尽に走り、2年間の走行距離は2万km近くに達しました。

大学3年生の秋、ホンダ・Dio様は突然エンジンが故障し、そのまま帰らぬ人になりました。バイト通勤にすぐに代替車が必要だったため、名残惜しむ間もなく故障当日中に近所のバイク屋に走り、新たな原付を購入しました。

それがこちら、スズキ・レッツ4です。04年式の新しいバイクで、燃費がすこぶる良いのが自慢でした(実燃費で55km/L)。Dio様とはエンジンの構造が違い、リミッター制限も掛かっていたため、あまりスピーディーな走りではありませんでした。しかし、片道20km以上離れた那覇空港近くのバイト先までほぼ毎日通勤したり、大学の研究実習のために北部の瀬底島まで何度も往復したりと、私の生活を一身に支え続けてくれ、しかも一度も故障することはありませんでした。最後は、去年の9月に沖縄を離れる際にバイク王に引き取ってもらいました。(残念ながら評価額は0円でした・・)

そして、我が愛車と言えば、この車、

ダイハツ・オプティ(95年式)です。実に可愛い車でした(私には不釣合いなくらい)。
実際に使っていたのは9ヶ月ほどでしたが、その間、研究室の友人を乗せてあちこち走り回り、沖縄生活最後の思い出作りにかなり役立ちました。走行距離16万kmのベテランでしたが、エンジンの調子は良く、思った通りに走ってくれるので、今まで乗った中で最も運転し易い車でした。可愛さのあまり、ついつい色々チューンナップしたくなり、タイヤをエコタイヤに履き替えたり(これは安全のためでしたが)、ETCを付けたり、内装をウッディに変えてみたり、カーナビを付けてみたりと、結構弄くりました。この車を購入した、研究室の後輩の自動車整備工場に修理に出した際、あまりの変貌ぶりに「(あの)オプティが!?」と親父さんが絶句したそうです。でも、そのおかげもあって、9月の沖縄撤収の際には満載の荷物を積みながら実家に帰り着くという大役を、無事にこなしてくれました。

では、そんなオプティの思い出写真をいくつかお見せしましょう。

私がオプティを買ってすぐの去年1月、沖縄本島北部の八重岳に桜見物に行ったときの写真です。車は寝泊りできるので、夜を跨いだドライブにもよく出掛けました。


去年7月、インディペンデンス・デイに嘉手納基地に潜入したときの写真です。奥の方に格納庫や軍用機が見えています。そしてオプティが停まっているこの場所は、まさしく滑走路の上です。こんな場所での車の写真が撮れるのも、沖縄ならではでしたね。


去年12月、奈良・信貴山にて。冬休みに、母と弟を連れて信貴山朝護孫子寺(今年の干支、トラに縁の深いお寺です)に参拝した際に、オプティを使いました。燃費も良く、平均で17km/Lは走りましたから、近場のドライブにぴったりな車でした。
ちなみにこの車の横顔、実は私には見覚えがありました。

私の幼少時代、持ち物の名札に付いていた車のマーク(イラストby母)にそっくりだったのです。この車が出た当時は、丸っこい車が流行っていたようで、ミニカやキャロル、ヴィヴィオなどの他社の車にも似たデザインが見られます。母の車のイラストも、その辺から影響を受けたのかもしれません・・。

こんな可愛いオプティでしたが、実家に持ち帰って以来は出番も減り、車検の時期も迫ってきたため、今後の処遇をどうするかが問題になっていました。私は金欠の身ですから、しばらくの間は北海道で車を持つのは無理ですし、オプティで雪道を走る自信はちょっと無かったので、誰かに譲り渡すか、廃車にするかという状況でした。こんな可愛い車を廃車にするのは忍びなく、しばらく譲渡先を探していたのですが、この春休み、ちょうど免許を取得した知人が見つかり、先日その方にお譲りしました。翌日には名義変更されて、今は奈良ナンバーで市街地を走っています。再びオプティが活躍することができて嬉しい限りです。

次の私の愛車はどんな車になるのでしょうか・・。
今住んでいるアパートは駐車場が付いておらず、札幌の市街地のみで乗ることを考えれば、原付があればちょうど良いのにな・・と近頃とみに思います。でも、今は原付を買うお金もありませんので、しばらくは現「愛車」で頑張るしかないですね・・。




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