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うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

動画で見る 北海道神宮例祭 神輿渡御

2014年06月17日 12時44分32秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常


昨日、6月16日は北海道神宮例祭(札幌まつり)の神輿渡御の日でした。
札幌には5年住んでいますが、今回初めて見にいきました。
思っていたよりもかなり壮麗で、人力車、維新隊、神輿行列、馬車、そして各地区毎の山車など、計1400人による1キロ近くに及ぶ見事な行列でした。


以下、動画から切り出した画像でハイライトを紹介します。



先頭は先導、総括の係が乗る人力車行列。
北海道神宮の神輿渡御は15kmに及ぶ長い行程なので、人力車を多用しています。


萬燈(先導役)。北海道神宮が鎮座する円山は、昔は街外れのほの暗い森の奥という様相だったそうで、そんな少々怖い場所にある神宮に安心して参拝できるよう、たくさんの桃燈を下げた先導行列が参拝者を案内したことに由来するそうです。


副講長の馬車です。
北海道神宮自体、歴史が新しいこともあって、普通の神社のお渡りでは見かけない近代的な乗り物が多く使われています。


童子の行列。猿田彦が先導しています。


維新勤王隊の先導で、神輿行列の本隊が近付いてきました。


楽隊行列です。
勇壮な維新マーチを奏でながら行進してきます。


明治天皇の神輿。
この後に、少彦名神、大那牟遅神、大国魂神の開拓三神の神輿が続きます。


神輿に続き、神宮役員の馬車が来ました。
今年、初めて十勝のばんえい競馬で活躍したばん馬が曳き馬に使われたそうで、大きな馬です。


神宮宮司の馬車です。
皇居での各国大使の信任状捧呈式の際には馬車が使われることがありますが、そこで使われる馬車と似たタイプですね。
北海道神宮の宝物の一つだそうで、詳しい来歴は不明ですが、皇室にまつわるものなのでしょう。


神宮責任役員の馬車の曳き馬です。こちらもばん馬です。


おそらく祭典区の役員たちの行列。
北海道神宮の祭典区は、第一本府祭典区から第三十一厚別祭典区までの31区から成り、そのうち第一本府祭典区、第三山鼻祭典区、第四豊水祭典区、第六西創成祭典区、第七東祭典区、第八豊平祭典区、第九東北祭典区、第十六桑園祭典区の8区は山車を持っていて、神輿渡御に続いて山車行列を運行しています。


豊水祭典区の山車。大正7年製作。
土曜日にすすきのに行ったときに、町内を巡行していました。


すすきのでの巡行の様子。(2014年6月14日撮影)


第六西創成祭典区の山車です。屋根の上に素盞鳴命が乗っています。実は明治末期に製作された古い山車です。
山車の中で踊り子がかっぽれを踊っています。


第二十琴似祭典区の山車。以前、琴似神社の例祭の折に目撃したことがあります(当該記事)。
例年は北海道神宮の渡御には参加しないのですが、今年は北海道神宮に明治天皇が祀られてから50年の節目にあたるため、縁の深い琴似の山車が行列に参加したとのことです。


開拓初期に北海道の鎮護としてまつられた北海道神宮。明治維新直後の時代を感じられる、壮麗な行列でした。



北大構内をサイクリング

2014年06月01日 19時25分37秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
この週末の札幌は好天に恵まれました。
最近、これまで共同研究先の学生さんにお願いしていた細胞の世話を自ら行うようになり、昨日も細胞の様子を見に北キャンパスの共同研究先に自転車で行ってきました。
その道中、動画を撮影したので、皆さんも自転車目線で初夏の北大構内の風景を楽しんでみてください。



道中にある歴史的建造物や学部を字幕で入れてみました。
動画は北8条西4丁目交差点に面する北大正門から始まり、中央ローンの南側の道を経てメーンストリートを北上、北キャンパスにある北20条西門までの約2.5kmの道のりが映っています。
本当はさらにもう少し北にある北大最北端の施設であるシオノギ棟まで映すつもりでしたが、途中でメモリーカード容量不足で切れてしまいました・・

ちなみに今週は大学祭が開催され、多くの人で大学構内が賑わうはずです。

さらば三弦橋

2014年04月06日 01時17分18秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
北海道は夕張市の山奥に、三弦橋という知る人ぞ知る鉄道遺産があります。
実は以前にこのブログの記事(日本最長普通列車の旅の帰りに車で立ち寄りました)でご紹介したことがあります。
改めて三弦橋とは何かとご説明しますれば、大夕張ダム(1962年竣工)の建設に伴って水没した森林鉄道の代替路線として架けられた、長さ382mの三弦トラスの鉄道橋です。正式名称を下夕張森林鉄道夕張岳線第一号橋梁といいます。


実物で説明すると、このようにトラスの弦材が下路に二本、上路に一本の計三本から成っており、断面が三角形になっているのが特徴です。


一方、普通の鉄道用トラス橋(例:大阪・淀川橋梁)はこのように弦材が上下に二本ずつあり、断面が四角形になっています。
三弦トラスは水道管の橋梁ではよく見かけますが、ある程度大きな断面積が必要な鉄道橋では四弦トラス構造が効率的なため、一般に用いられるのです。
そのため、鉄道用の三弦トラス橋は夕張のものが国内で唯一、世界的に見てもドイツにある「Dreigurtbrücke Düren」という複線・長さ78mのものが他に知られる程度で、とても珍しい存在です。
もっとも、この三弦橋は既に現役ではなく、実際に森林鉄道の線路として用いられたのは完成から僅か6年間だけで、以降は国道経由のトラック輸送に取って代わられてしまいました。

しかし、三弦橋のスマートな赤色の見た目はダム湖(シューパロ湖)の景観に映え、これまで大夕張ダムの名物となっていました。
現在大夕張ダムの直下流では夕張シューパロダムという巨大ダムが建設中で、完成後はシューパロ湖の水面がこれまでより最大40m以上上昇するため、三弦橋は間もなく水没する運命にあります。
そして、この3月4日からいよいよ夕張シューパロダムの試験湛水が始まり、今夏には三弦橋が水没する見込みとなったため、水没前最後の姿を写真に収めようと、今回再び夕張を訪ねたのでした。


国道452号線から分岐する管理センターへの道中から夕張シューパロダムの遠景を望みます。堤高110.6m、堤頂長390mの北海道最大規模の巨大ダムです。


3月から夕張シューパロダム管理センターまでの道が一般車にも開放されており、このようにダムを間近から眺めることができるようになりました。ダム天端は道路になっていますが、まだ現時点では入ることは出来ません。


管理センターの下にある駐車場からは、目前に三弦橋を眺めることができます。
今回訪ねたのは3月も下旬でしたが、天気が不安定で、着いたときにはかなり吹雪いていました。


しばらく車中で待機していると、徐々に空が晴れ、三弦橋を綺麗に見通せるようになりました。
まだダム湖は完全に凍結しており、雪が積もっていました。湖面から橋の下部までの高さは約10mといったところでしょうか。実は三弦橋は湖底から最大で68mの高さがあり、水面下に橋脚の大半は隠れています。
なお、三弦橋の標高は下弦が268.3m、上弦が276.4mで、これまでの大夕張ダムの常時満水位が264.5mだったところ、新しい夕張シューパロダムでは297mまで水位が上昇することになります。大夕張ダム、夕張シューパロダムは農業用水を供給するため、水の使用量が増える夏場には水位が一時的に低下するのですが、ダムの巨大化によって貯水容積は5倍になるため、おそらく新ダムの水位変化はこれまでよりも緩やかなものになると思われます。つまり、三弦橋はよほどのことが無い限り普段は水面上に姿を見せることは無くなるのでしょう。


三弦橋は森林鉄道の第一号橋梁と上で書きましたが、第一号とわざわざ名付けているように、その他にもダム周辺に多くの橋梁が残存しています。写真に写っている橋もその一部で、手前から順に第二、第三、第四号橋梁となっています。いずれも三弦トラス構造の橋ではありません。
これらの橋についても、試験湛水によって間もなく水没する見込みです。


三弦橋の反対側には、夕張シューパロダムの堤体が聳え立っています。この時点でも水面から50mほどの高さがあり、かなりの迫力がありますが、実際は水面下にさらに50mの堤体がほぼ垂直に聳えています。
手前側にある黒い堤防のようなものが、元の大夕張ダムです。昨年の秋に運用が終了し、高さ67.5mの堤体の殆どが既に水没しています。


4月上旬には大夕張ダムが完全に水没し、三弦橋の下部が沈み始め、5月から6月頃には夕張シューパロダムの常時満水位に到達する見込みです。常時満水位に到達したときの予想写真を作ってみました。水面が大きく上昇する様子がお分かりいただけると思います。


三弦橋を見渡すこの眺めも、あと1ヶ月少々でまったく異なる景観に変化するはずです。
今回、水没前の最後の姿を見ることができて良かったですが、また水没する頃に様子を見にいってみようと思います。





大阪の変貌2014新春

2014年01月15日 22時21分54秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
こんばんは、もとすけです。

ふとパソコンでここ数年間の大阪駅北口の写真を眺めていたら、なにやら物凄い変貌ぶりでしたので、今回ご紹介してみようと思います。


こちらは2004年2月の大阪駅北口の様子。
梅田スカイビルの空中庭園展望台から撮影しました。
ちょうどこの頃、大阪駅北口の駅ビルが建て替えられるという話を聞いていて、記録用に撮っていました。
この写真の中だと、大阪駅南口の「アクティ大阪」と、左に見える「阪急グランドビル」が超高層ビルとして目立っていました。


そしてこちらは今年、2014年1月初めに同じ場所から撮った大阪駅北口の様子です。
一瞬、あまりの変わりように同じ場所であることを認識できないくらい変化しています。
大阪駅北口の新駅ビル「ノースゲートビルディング」、「梅田阪急ビル」、そして去年5月にオープンした「グランフロント大阪」の南館が完成し、駅前広場も整備されました。実は背景のビル群も結構変化が見られます。


こちらは少し広角に引いた写真です。
2009年1月に、久しぶりに空中庭園展望台に登った際に撮った写真です。この時点ではまだ「梅田阪急ビル」と「ノースゲートビルディング」は建設中でした。


2010年1月撮影。
「梅田阪急ビル」の超高層ビル(1期工事)が完成しましたが、「ノースゲートビルディング」は引き続き建設中でした。


2011年1月撮影。
「ノースゲートビルディング」の外観が完成し、今度は梅田貨物ヤード(現「うめきた」エリア)で「グランフロント大阪」の建設が始まりました。


2011年8月撮影。
半年後、超高層ビルの鉄筋がにょきにょきと伸びています。


2012年8月撮影。
さらに1年が経ち、「グランフロント大阪」の外観はほぼ完成しました。大阪駅北口の駅前広場はまだ建設中。


2013年3月撮影。
「グランフロント大阪」の開業(5月)が迫り、駅前広場もほぼ完成しました。


そして2014年1月。
最初の写真から10年を経て、大きく変貌した大阪駅北口ですが、実はまだ変化が続いています。
写真の下側、フェンスに阻まれて少し見にくいですが、「うめきた」にあった梅田貨物駅が廃止され、建屋の撤去工事がほぼ完了しました。(去年の写真ではまだ稼動中だったため、ドーム屋根などが見えていました)
今後、2020年頃まで「うめきた」の再開発は続き、大阪神ビル(阪神百貨店)と新阪急ビルの建て替え工事や、ヨドバシうめだ北側の新ビル建設、茶屋町エリアの再開発なども行なわれる予定ですから、10年後にはさらに大変貌を遂げることになるでしょう。。


初日の出2014

2014年01月01日 09時00分00秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
ブログをご覧の皆様

あけましておめでとうございます。
しばらくブログ更新をサボってしまいましたが、私は元気に過ごしております。
今年も、どうぞ「うちなーえぞ日記」をよろしくお願いいたします。

今年はもう2014年、9月には大学院博士課程を修了し、長かった学生生活にも終止符を打つ予定です。
もしかしたら(というか、ほぼ確実に)「うちなーえぞ日記」というブログタイトルもまた変更になるかもしれません。
博士課程修了後、北海道外の大学か研究機関で学振PDとして研究に従事するつもりですから・・。
海外になるか、国内のどこになるかはまだ決まっていませんが、十中八九、北海道外になると思います。


さて、今年は初日の出を実家の近所の御斎(おとぎ)峠の「伊賀盆地絶景展望台」に見にいってきました。
ここは三重県伊賀市と滋賀県甲賀市の境にある峠で、標高は630m、名前のとおり伊賀盆地を見渡すことのできる場所です。数年前に展望台が出来たそうなのですが、私はこれまで知りませんでした。去年、青山高原まで初日の出を見にいって運転に疲れた経験があったので、今回は近場で初日の出を見ようと、「伊賀市 初日の出」でGoogle検索したところ「御斎峠」がヒットし、今回行ってみたのです。


午前6時過ぎに実家を出発して、30分ほどで御斎峠に到着しました。
御斎峠はJR伊賀上野駅から北西に数キロのところに位置しますが、細い峠道を少し登らねばならないため、運転には注意が必要でした。しかも元旦は地元の「歩こう会」のイベントがあったようで、道中で多くの歩行者に出くわしました。

で、着いたは良いものの、天候はご覧の通り小雨の降る曇り空・・。先に地元の写真愛好家の方が来られていましたが、「望み薄だねぇ」と呟いていました。


日の出時刻の7時4分を過ぎても、太陽が出てくる気配は全くありません。
他にも若者グループ数人が初日の出を見にきていましたが、しばらくすると帰ってしまいました。


先に来ていた写真愛好家のおじさんも、7時30分頃には諦めて帰ってしまいましたが、私はせっかく来たのだからと、もうしばらく粘ることにしました。
すると、8時前になって雲が晴れ、日が出てきたのです!
快晴のときにはまず見られないであろう、ドラマティックな光芒を伴った美しい初日の出を独占することができました。


光芒に照らされる伊賀盆地。美しいです。


田んぼのある風景が実に日本的ですね。


日が照り始めると、朝もやが出てきました。
盆地に点在する丘が、島のように浮かび上がって見え、神々しさすら感じました。


上野城(白鳳城)の天守閣も朝もやに浮かび、最近流行りの天空の城「竹田城」のような様相を見せてくれました。

元旦にとても美しい光景を拝むことができ、今年も何か良いことがありそうな予感が湧いたのでした。


スマホで初日の出のタイムラプス動画も撮ってみました。なかなかに神々しい映像です。


ちなみに、今年の年賀状の写真はこちら、冬休み帰省の往路でPeachの機上から見た富士山です。
なんと日本海・佐渡島の上空から本州を挟んで遠距離から見えました。


[14/01/16記]


虹日和です。

2013年10月29日 17時23分41秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
ここのところ北海道でよく虹に遭遇します。
週末にどこかに出掛けると、毎週のように見かけるのです。

調べてみたところ、10月から11月にかけては全国的によく虹が見えるのだそうです。
秋になって太陽の高さも低くなり、比較的粒の細かい雨が降り易いからだとか。


昨日の昼過ぎに研究室から見えた虹は、一風変わっていました。
写真を良く見ると、虹の内側にさらに虹が続いているように見えます。
はっきりと見える虹の場合、メインの虹(主虹)の外側に色の順番が逆転した虹(副虹)がもう一本見えることがありますが、それではありません。


コントラストをいじって見易くしてみました。
なんと、4回も虹色が繰り返しています。
調べてみますれば、この内側に繰り返す虹のことを「過剰虹(干渉虹)」というそうで、水滴のサイズが小さく揃っているときに見られる、比較的珍しい現象だそうです。


さてさて、ついでなので以下に最近見かけた虹をご紹介します。


先々週、札幌市の定山渓近くで見かけた虹。


同日、洞爺湖で見かけた虹。湖面近くに出ていて、綺麗でした。


さらに同日、洞爺湖と登別の中間付近にあるオロフレ山の中腹から見た虹。
まるでミネラルウォーターのボトルイラストのような美しい光景でした。


さらにさらに同日、帰りの路上からははっきりとした副虹を伴った大きな虹が見えました。
なんとこの日だけで9回も虹を見られました。


続いてこちらは一昨日に新千歳空港で見えた虹。美しいアーチです。
この日もよく虹を見かけました。


着陸機と絡めた一枚。我ながら良い写真です。

虹は殆どの場合一瞬で現れ、消えてしまいます。
昨日見えた過剰虹も、窓の外を見なければ気付かなかったでしょう。
仕事に追われる毎日でも、ふとした瞬間に空を見上げてみると、ちょっぴり幸せになれるかもしれません。

学振DC2に採用内定(予定)しました!

2013年10月17日 22時11分15秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
今日午後2時半過ぎ、日本学術振興会特別研究員、通称"学振"の合否が開示されました。

この特別研究員制度は、「我が国トップクラスの優れた若手研究者に対して、自由な発想のもとに主体的に研究課題等を選びながら研究に専念する機会を与え、研究者の養成・確保を図る制度(日本学術振興会HPの説明文より引用)」です。
特別研究員は独立行政法人 日本学術振興会が採用します。採用者には返済の必要のない研究奨励金(月給)が支給されるほか、特別研究員奨励費として科学研究費補助金(いわゆる科研費)を申請することも可能です。
また、この"学振特別研究員"という肩書き自体が"優れた若手研究者"として認められたことを意味するため、世の博士課程の学生達の登竜門のような位置づけになっています。

で、この学振特別研究員のDC2(博士課程2年次以降の学生向け)という枠で私も応募していたのですが、なんとこのたび見事採用内定したのです!

私は一昨年から毎年申請し続け、最初の年は不採用B(不採用者の上位20~50%)、去年は不採用A(不採用者の上位20%以内)と徐々に評価が上がってきていたので、少しは期待していたのですが、そのとおり、今年は採用内定(正確には採用内定予定)と相成りました。
「採用内定予定」というのも、なんとも分かりにくい表現ですが、実は学振の特別研究員の選考は、1次(書類)選考と2次(面接)選考から成っており、1次選考で成績上位だった人は面接が免除され、「内定予定」となるのです。正式に内定が出るのは全ての選考が終了してからです。ちなみに、今年は私の応募した生物学分野では451人が申請し、97人が1次選考のみで「採用内定予定」、24人が面接候補者、残り330人が不採用という結果になったようです。割合としては、採用内定予定者は全体の21.5%となります。今年は経済も回復基調なので、採用者数も増えるかと思ったのですが、最終的には去年度とほぼ同じ倍率(面接採用者を含めて25%程度)になりそうです。

・・・とまあ、採用内定されたからこそ、こんな悠長に記事を書いていられるわけですが、もしも採用されていなければ、今頃たいそう落ち込んでいたことと思います。
ここ数日は、合否の開示が近付くにつれてドキドキしてしまい、なかなか寝付けませんでした。休日に自宅に居ると学振のことばかり考えてしまうので、吹っ切るために毎週末山登りに出掛けたり、とにかく気が気ではありませんでした。
学振DC2の採用年数は2年間で、途中で博士号を取得すると、翌月から学振PDという資格に切り替わり、研究奨励金が増額されます。私の場合は来年9月に修了予定のため、残り1年半を学振PD資格で過ごせる見込みです。学振PD資格を持っていると、博士課程修了後に他大学の研究室に移動して研究するのに非常に有利であり、だいぶ私の研究者としての将来展望も明るくなってきました。
また、学振の審査は各研究細目(生物物理学とか構造生物学などの細かい分類)ごとに行なわれるのですが、私の申し込んだ細目の採用者は例年5名程度です。つまり、私の研究計画や業績、将来性を加味して、この研究分野の博士課程学生で一応5本の指に入ると評価していただけたということです。これまで、まだ賞などは取ったことがなく、初めて公に私の研究を評価していただいた嬉しさも感じています。

とはいえ、まだ採用内定予定ですし、これからは学振特別研究員の名に恥じないよう、ますます研究に励んでまいる所存です。 (`・ω・´)ゞ

中秋の名月 2013

2013年09月20日 14時52分18秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
昨夜は旧暦の中秋の名月でした。
なにやら暦の都合上、必ずしも中秋の名月が満月とは限らないそうで、一昨年・去年・今年は3年連続で満月でしたが、次に中秋の名月が満月になるのは8年後だそうです。


今年は一応お月様が見えたので、スマホでタイムラプス撮影してみました。
少し性能の良いアプリを導入したので、だいぶ滑らかな動画が作れるようになりました。(ただ、無限遠に設定したため、手前の景色が若干ピンボケ・・)
BGMもそれっぽくしてみました。
どうぞご鑑賞ください。

定山渓に行ってきました。

2013年09月18日 22時26分55秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
昨日から今日にかけて、我が研究室の講座旅行で定山渓温泉に行ってきました。

定山渓といえば札幌の中心部から車で40分ほどの距離にありながら、自然豊かな環境に囲まれて上質の温泉を楽しめる、札幌の奥座敷といえる一大温泉地です。
定山渓からほど近い豊平峡温泉には日帰りでしょっちゅう行っていますし、中山峠に向かう道の沿線にあるため、何度も通ってはいるのですが、定山渓温泉自体にはこれまで泊まったことがありませんでした。
我が研究室の講座旅行は温泉地にいくのが恒例となっており、私が来てからだと登別⇒洞爺湖⇒ルスツ⇒定山渓という風に推移しています。まあそれ以前も大体は定山渓・登別・洞爺湖のローテーションで回ってきたようです。これらの温泉地のホテルは北大向けに格安の学生宿泊プランを用意してくれているので、コスト的に候補が絞られてしまうわけです。
今回の講座旅行についても、富良野やニセコ案もありましたが、所要時間や値段(定山渓なら5000円強(!)で食事付きで泊まれます)との兼ね合いで、定山渓に決まりました。

最初は定山渓と聞いてがっかりしていたのですが、いやはや実際に行ってみた感想はといえば、結構良かったです。


昨日は午後3時に大通から無料送迎バスに乗って定山渓のホテル鹿の湯に向かいました。
約1時間で定山渓に到着、晩ご飯まで時間があったので、早速行動を開始しました。


現在、定山渓ではかっぽんラリーという企画が開催中です。
定山渓温泉のあちこちにあるカッパ像を巡り、隠されたキーワードを集めて回るという内容で、キーワードは全部で6文字あり、全て集めて観光案内所に持っていくと豪華景品が当たるクジが引けます。
今回は講座旅行の参加者ほぼ全員で回ってみました。


最初は観光地の企画なので難易度はそれほどでもないだろうと踏んでいたのですが、意外にカッパ像の在り処についてのヒントが少なく、探し出すのが大変でした。
ラリーのコースもよく出来ていて、定山渓温泉の名所を一通り巡れるようになっていたのですが、観光案内所の営業時間が午後5時までで、ラリーを始めたのが午後4時15分・・。
かなり本気で走ってまわる感じでした。


なんとか午後5時に観光案内所に辿りつき、キーワードを記入した紙を渡すと、クジを引かせてくれました。
殆どの参加者は参加賞である13等だったのですが、私はその中でもっとも良い7等「ホテルミリオーネ日帰りペア入浴券」をゲットしました。
通常一人1500円するそうなので、かなり得した気分です。ただ、いったい誰と行くのでしょうか・・。(期限は12月末まで)


かっぽんラリーで走り回ったあとは、晩ご飯です。
今回の夕食は(多分学生プラン向けの)バイキングでした。


5000円ほどの宿泊料金を考えれば十分すぎる品揃えで、満腹になりました。


夕食後、部屋で一休みした後に、温泉巡りに出かけました。
ホテル鹿の湯では、宿泊客向けに「湯巡り手形」というものを貸し出しており、定山渓にある他の4つのホテルのお風呂に入ることが出来ます。


まずは鹿の湯の向かいにある定山渓ホテルのお風呂に入りました。
ここは以前にも日帰りで入浴したことがあり、お風呂の中にあるプールで食後の運動をすることを目当てに行きました。


定山渓ホテルは定山渓温泉でも屈指の老舗なのですが、殊温泉については色々と風変わりで面白いです。
例として、お風呂の中に滑り台がある、"ミラクル波動水"の浴槽がある、露天風呂(底から泡が出てくる)に「温泉最高・露天はもっと最高!!そしてバイブ・夢でした。」という謎の売り文句が掲げられているetc..
とはいえ、他のホテルよりも浴槽の数が多く、色々な種類のお風呂を楽しむことが出来るのがこのホテルのお風呂の魅力でした。

定山渓ホテルでお風呂に漬かった後、夜9時からは部屋で宴会となりました。
ビンゴゲーム大会や結婚観の話などで盛り上がったのですが、そこはかとなく眠くなってきたので、私は11時半頃に離脱、鹿の湯の内風呂に入りにいきました。
鹿の湯のお風呂は浴槽の数こそ定山渓ホテルより少ないですが、十分に広く、露天風呂からは目の前に豊平川が眺められる良いお風呂でした。
また、湯上りには立派な休憩室が設けられていて、お茶やお水を飲みながらリクライニングチェアーでゆったり寛げました。
そうそう、鹿の湯・・というか、定山渓のお水はどれも非常に美味しかったです。定山渓周辺は札幌市の水源地となっているので、普段から我々も水道水として飲んでいるわけですが、水源地で飲む水は特に美味しく感じられました。

部屋に戻ると、まだ宴会は続いておりまして、結局午前3時にやっとお開きになり、就寝。


今朝は6時に起床。

ホテル前の橋の上で朝の定山渓のタイムラプス動画を撮ってみました。
最近はスマホ単独でタイムラプス撮影できるので、実に便利です。
ただ、アプリが安物だったので、フォーカスやらコントラストやらが固定されておらず、ちょっとチカチカした動画になってしまいました。。


7時半頃まで撮影していたのですが、いい加減体も冷えてきたのでホテルに戻ろうとしたところで、ちょうど友人が湯巡り手形を持って近くを通りかかりました。
というわけでそのまま湯巡りの続きに出発。まずはホテル山渓苑に向かいました。
山渓苑は中規模のホテルで、なんとなくアットホームな印象でした。お風呂も小さめでしたが、お湯が湯もみされていて、心なしか肌触りが柔らかくて気持ちよかったです。


続いて今度は定山渓グランドホテル瑞苑へ・・。
ここはグランドホテルという名に相応しく、なかなか豪華な内装でした。
お風呂も非常に凝った造りで、女神の石膏像が置かれていたり、ガラス張りの天井から光が降り注いでいたりと、ローマ風呂のようでした。
露天風呂は定山渓でもっとも広いそうで、ちょっとしたプールくらいの大きさ。全体的に温泉リゾートらしい雰囲気でした。

ホテルミリオーネも湯巡り手形の対象に入っていましたが、せっかく日帰り入浴券を貰ったので、またの機会に入ることにして、今回は残りの3つ全てを回ることができました。
各ホテルとも、やはりお風呂の趣向が異なっていて興味深かったです。宿泊客の客層もそれぞれ違うようで、うまいこと住み分けていることが分かりました。

はしご湯から戻った後、バイキングの朝食を食べ、送迎バスで札幌市街地に戻ってきました。
昨夜はみな夜が遅かったので、研究室に登校した人も眠たげ・・。殆どの人がいつもより早く研究室から帰宅していきました。

札幌から至近の定山渓。泊まってみることで、これまで知らなかったこの温泉の楽しみ方を味わえました。

新日本海フェリー すいせん その3

2013年09月17日 00時41分53秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
引き続き、新日本海フェリー新造船「すいせん」の船内を紹介していきまーす。

今回は5階の休憩スペースから・・


左舷側、グリルに隣接する吹き抜け脇のスペースにはマッサージチェアーとPC作業用デスクが設けられています。
それにしてもこの空間の広さ、船の中だというのに贅沢ですねぇ。


吹き抜けの前方には、多目的の貸し部屋、アミューズボックスがあります。
新日本海フェリーでは以前からビデオの貸し出しを行なっており、TVが備え付けられている個室以外の乗客向けに、ビデオルームを設けていました。
新造船では、ビデオルームとカラオケルームの機能を統合し、アミューズボックスとして運用しているようです。
カラオケの料金も、船上の割にはお安いので、グループで乗船した場合には結構良いでしょうね。


ステート(1等)客室区画を通り抜けて船首最前方には、フォワードサロン「ポセイドン」があります。
前回の記事から、各施設の名前がちらほら出てきていますが、それぞれギリシャ神話の神様に因んでいます。
このフォワードサロン、かなり内装が凝っていて、まるで豪華客船のようです。


左右にはソファー席もあり、エンジンから最も離れた静かな場所でゆっくりと過ごすことができます。


もちろん、サロンからは船首の景色もばっちり見えますよ。ただし、冬場は波しぶきで窓ガラスが割れるのを防ぐため、鉄板で窓が覆われてしまいます。


今度は一気に船尾側に向かいまして、レストランの脇にあるプロムナードデッキ(展望通路)です。
実は、前の記事のレストラン入口の写真の左側に、プロムナードデッキが少し見えていました。
2人がけの小さなソファー(V字型になっているのは多分横になる人が出るのを防ぐためでしょう)が並んでいます。
プロムナードデッキを奥に歩いていくと、後部甲板に出ます。


こちらが後部甲板です。
船の左右一杯に広がっており、結構広いです。
船尾方向の景色を眺められる他、ビーチサイドのようにテーブルが並んでいて、ビールを飲んだりジンギスカンを食べたりすることもできます。


後部甲板が一番賑わうのは、午前10時過ぎです。
なにやら遠くを見ていますねぇ・・。


そう、姉妹船との行き違いが見られるのです。
プロムナードデッキやカフェテリアからも見られるのですが、窓ガラスに塩が付いていてやや見辛かったりするので、後部甲板に人が集まってくるのです。


事実、姉妹船「すずらん」の後部甲板にも多くの人影が見えました。
さすがに夏休み、大勢の乗客ですね。


それではいよいよ最上階、6階の施設の紹介です。


6階の吹き抜けの左右には男女のお風呂があります。
旧「すいせん」・「すずらん」ではお風呂の狭さが不評だったからか、新造船ではかなりお風呂に力が入れられています。
浴槽は窓に面していて、最上階なので展望も良いです。また、サウナも完備で、さらになんと露天風呂まで付いているのです。

新日本海フェリーHPより「露天風呂」の写真

手すり付近と天井が開けていて、海風を感じながらお風呂に漬かれます。
さすがに他の人が入っているところで写真は撮れなかったので、お風呂の高解像度の写真はご容赦ください。


右舷側、男性風呂の後方には、スポーツルームがあります。
エアロバイクやランニングでの運動が可能です。


さらに、部屋の奥にはミニ卓球台が置かれています。案内所でラケットと球を格安で貸し出し(1時間200円とかだったと思います)ているので、暇つぶしの運動にもってこいです。
私も今回、弟と1時間みっちり楽しみました。揺れる船内での卓球は、思いの外楽しいですよ。

また、女性風呂の後方にはゲームセンターがあり、少し年式の古い太鼓の達人やクレーンゲームなどが揃っていました。


吹き抜けの前方にはシアタールームがあります。
既存の新日本海フェリーの船では、座席は平らな床に並んでいたのですが、新造船では本格的な階段状の配置となっています。


座席もしっかりとしたもので、腰を落ち着けて映画を観られます。
映画上映は、今回は午前中に子供向けを1本、午後に大人向けの洋画と邦画を1本ずつ上映していました。


さて、ここまで「すいせん」の船内を紹介してきましたが、如何でしょうか。
陸上の施設に負けない充実した船内の設備の数々です。
苫小牧~敦賀航路は約20時間の船旅ですが、これだけ設備が揃っていれば、船内で暇を持て余すことはまずありません。
しかし、これらの設備を利用するもしないもまた乗客次第。せっかく陸から遠く離れた船旅、ゆっくりと眠りたいという人は部屋でゆっくりもできます。タダで長風呂することもできますし、朝昼晩と違う場所で食事を取ることもできるのです。今回は紹介できませんでしたが、新日本海フェリーは個室の客室設備も良いですから、どのように過ごしても船旅を楽しむことはできるでしょう。
他のフェリー会社もこれくらい幅広く船内生活の選択枝を用意してくれれば、フェリー業界も活性化するのでしょうねぇ。。
燃料費の高い高速フェリーで、なおかつこれだけの巨大船を安定して運用できる新日本海フェリーの凄さを感じます。

新日本海フェリー すいせん その2

2013年09月16日 20時48分59秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
こんばんは。
今日は台風の最中の敬老の日でしたが、皆様被害はありませんでしたでしょうか。

さて、前回に引き続いて今回は私の夏休み帰省で利用した新日本海フェリーの新造船「すいせん」の紹介を続けていきます。


まずは部屋から。
今回、私はツーリストAという等級を利用しました。
新日本海フェリーは新造船投入を機に等級呼称を変更しておりまして、これは以前の2等寝台に相当します。
元々旧「すいせん」・「すずらん」も2等和室(いわゆる雑魚寝部屋)の割合は低く、僅か50名程度の定員だったのですが、新造船では個室重視の傾向がさらに強まり、2等和室を廃し、ツーリストAが最も安い部屋となっています。
ツーリストAのベッドは上下の段をセパレートして階段で上段に登れるようになっています。最初にこのタイプの寝台を導入したのは瀬戸内海航路の名門大洋フェリー「フェリーきょうと2」・「フェリーふくおか2」(2002年就航)で、他にも太平洋フェリーの新造船などで見らます。
以前は通路を挟んで2段ベッドが向かい合って4名が同じ空間を共有する状態だったのが、このタイプの寝台なら上段同士・下段同士の2名で空間を共有することになり、2等でありながらよりプライベートな空間を確保できます。今回の利用の際は弟と一緒だったので、半ば個室のような感覚でした。
余談ですが、このタイプの寝台、何故か他の船会社ではロールスクリーンになっていることが多く、お洒落なのは良いのですが寝台の中に熱が籠もり易いのが欠点でした。しかし新日本海フェリーでは通常の横引きカーテンとなっており、適宜隙間をあけることで涼しく過ごすことができます。
ちなみに、料金は以前の2等寝台の場合、学割でも9600円ほどかかったのですが、現在はツーリストAで7400円ほどとお安くなっています。(しかも、繁忙期期間が今年から短くなったらしく、8月9日の乗船でも学割が効きました)


ではいよいよ公室の紹介に移ってまいります。
ツーリストの客室がある4階には乗下船口があり、エントランスロビーに面して案内所や売店が配置されています。


案内所と売店は隣接しています。
売店の面積はそこまで広くはないですが、スリッパや歯みがきセットなどの日用品から北海道土産まで品揃えは充実していました。


ロビーを挟んで向かい側には、キッズルームや自動販売機コーナーがあります。


また、4階の後方にはペットルームがあり、ペット連れの利用客のために船尾甲板上にドッグフィールドが設けられています。
「すいせん」は高速船のため甲板に乗客が出ることは制限されていますが、このドッグフィールドのみ、屋根の無い甲板で遊ぶことができます(ペット連れ限定ですが)。


そうそう、4階の案内所前にはこのように船の現在地などを表示するディスプレイとタッチ操作可能な案内端末が設置されているのですが、この案内端末について、ちょっと驚きの事実を見つけてしまいました。それについては別の機会に紹介します。。


続いて、5階の施設を紹介していきましょう。
この写真は吹き抜け前から船尾方向を撮影しています。船の構造上、5階が最も広くなっており、主だった施設が集まっています。


まずはカフェ「アリアドネ」。
カラフルな床の模様が特徴的です。椅子はぱっと見プラスチック製に見えるのですが、座ってみるとちゃんとクッションがあり、なかなかの座り心地の良さでした。
ここではレストランの営業時間外に軽食や飲み物を提供しています。


また、カフェの前方には小さなステージも設けられていて、このようにショー(この日はジャグリングでした)やビンゴゲーム大会などの船内イベントが行なわれます。


さらにこのカフェ付近には多くの座席や机が配置されており、飲食の利用者以外も思い思いに休憩することができます。


カフェテリアの後方に隣接して、レストラン「バッカス」があります。


レストランは朝昼晩に数時間程度営業しています。好きな小鉢を選べるカフェテリア方式ですが、海鮮丼やラーメン、ステーキ定食などのセットものもなかなか充実しています。
特に今回昼ごはんに食べたえび味噌ラーメンはかなり美味でした。




座席は右舷側がカウンター席、左舷窓側にテーブル席が並んでいます。


レストランの中央にはカジキのオブジェが躍っていて、お洒落です。


また、新日本海フェリーでは予約制でコース料理を提供するレストランを別途用意しており、「すいせん」では5階左舷側にグリル「ダフネー」が設けられています。入口からして、普通のレストランとは違います。
スイートルーム及びジュニアスイートの利用客は運賃にグリルでの飲食代が付いており、それ以外の等級の乗客でも、船内で予約することができます。結構お高いので、私はまだ一度も入ったことがありません・・。

長くなってきたのでここら辺で記事を一旦区切ります。

新日本海フェリー すいせん

2013年09月13日 21時44分35秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
こんばんは、もとすけです。

いやー、決まりましたね!2020年東京オリンピック!東日本大震災の復興、景気対策、世界情勢、近い将来起きるとされる数々の地震などなど、問題山積でなかなか先行きの明るい話が出にくい昨今でしたが、久々にぱっと明るい未来の話が舞い込んできた感があります。
私もこの前の日曜日は午前5時過ぎから起きてドキドキしながらテレビを見ました。
もちろんオリンピックが決まったからといって、我が国にのしかかる数々の課題がすぐさま解決するわけではありませんが、将来への希望を示すことで人々の課題克服への意気を上げることもできると私は思います。
久々の日本でのオリンピック、是非成功してほしいものです。

さてさて、今回は夏休み記事の補完的な内容です。
帰省の往路に利用した新日本海フェリーの新造船、「すいせん」について紹介したいと思います。

新日本海フェリー「すいせん」は、帰省の記事でも書いたとおり、去年の夏に就航した新造船です。


こちらは去年夏に退役した先代「すいせん」。2010年の4月に利用した際に撮影した写真です。
元々この船は姉妹船「すずらん」とともに小樽~敦賀航路に就航しており、時速60km近い、29.4ノットの高速を生かし、以前に同航路に就航していた船よりも所要時間を3分の2に短縮し、関西と北海道の距離をぐっと縮めた韋駄天フェリーでした。その後、小樽~舞鶴航路にも新造高速フェリー「はまなす」・「あかしあ」が導入され、「すずらん」・「すいせん」は苫小牧~敦賀航路に配置転換され、北海道の太平洋側と関西を短時間で結ぶ役割を担うようになりました。

冒頭の新造船「すいせん」と旧「すいせん」を見比べて明らかですが、新造船は一回り大きくなりました。
全長は25m伸び、幅も1m大きくなり、車両の搭載台数及び旅客定員も増えています。
なにより、まだ就航から15年ほどしか経っていない旧船を早々に退役させての大型新造船投入は、ここのところ元気のない国内旅客フェリー業界の中ではかなり強気な投資だと思います。

で、この大型化により旅客スペースも広くなったため、色々と船内設備も改善されました。


まずは外観から。。
上から順に、旧「すいせん」、新造船「すずらん」(「すいせん」の同型姉妹船)、小樽~舞鶴航路の「あかしあ」の写真を並べています。
旧船からの大型化が良く分かるとともに、新造船は「あかしあ」の改良型であることも見て取れます。
全長・全幅は同じで、最大速力こそ「あかしあ」の方が速いのです(小樽~舞鶴航路の方が苫小牧~敦賀航路よりも距離が長いため)が、外見は新造「すずらん」の方がより洗練されたフォルムに見えます。また、旅客定員は「あかしあ」の746名に対して「すずらん」は613名と少なくなっており、その分船内のオープンスペースが広くなっているのが特徴といえるでしょう。


新造船「すいせん」のエントランス。
壁には「すいせん」のエンブレムが掲げられ、乗船の際には船旅への期待を高めてくれます。


エントランスから続くロビーは3層吹き抜けの大空間となっています。
本来、フェリーは狭い船内空間を有効活用するため、吹き抜けを設けなかったり、あったとしても開口の小さな空間であるものなのですが、新造船は大型化の恩恵を受けて、とても贅沢な空間構成を行なっています。


ほぼ同型船の「あかしあ」ではこのように吹き抜けの開口は小さく、しかも真ん中にどどーんと折り返し階段が鎮座しているため、あまり開放的ではありませんでした。
新造船では階段の配置や船内各施設の配置を工夫することで、とても大きな空間を実現しました。

ちなみに、この大胆な空間構成は旧「すずらん」・「すいせん」ゆずりだったりします。

旧「すいせん」の階段(エントランスから)。


旧「すいせん」の階段(上から)。

フェリーの常識を打ち破る、3層を貫く直階段は陸上のホテルを彷彿とさせる豪華さで、初めて乗船した際には惚れ惚れとしたものです。
ただ、やはりこの大胆な階段の配置は船内空間を犠牲にしていたようで、お風呂が狭かったりなど、船内設備は他の新日本海フェリーの船よりも相対的に貧弱でした・・。


新造船「すいせん」の船内は、全フロアとも絨毯敷きです。
これも、一般的なフェリーではまず見られない光景でしょう。見た目も良いのですが、絨毯を敷くことで足音は大幅に軽減され、客室環境の向上に貢献しています。


船室側の廊下も広々としていて、ぱっと見では船内とは思えません。

この船の場合、1~3階までが車両甲板で、客室は4~6階の3層となっています。
4階は2等相当のツーリストキャビン及びエントランス及びキッズルーム・ペットルーム、5階が1等相当のステートルーム及びカフェテリア、レストラン、グリルなどの飲食施設群とフォワードサロン、プロムナードデッキや後部オープンデッキなどの休憩スペース、そして6階がデラックスやスイートの上級船室及び展望浴室、シアター、スポーツルーム、ゲームセンターなどの娯楽施設群という、分かり易い船内配置です。

次の記事から、船内の各設備について紹介していきたいと思います。

帰省の記録

2013年09月07日 23時45分18秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
こんばんは、もとすけです。
ご無沙汰しております。。

すっかりブログの更新頻度がさがってしまっていますが、ブログ継続の意欲が無くなったとか、体調が悪いとか、そういうわけではございませんでして、ひとえにパソコンの性能不足と私のずぼらさゆえであります。
研究生活の方は、7月に現在の研究のプロシーディング(ミニ論文的なもの)を投稿し、現在は本丸のフルペーパーの完成・投稿作業を一所懸命に行なっています。
自分の研究成果を世に出せるようになることは研究者冥利につきるのですが、やはり初めて自力で一から論文を作るとあって、てんてこ舞いな毎日を過ごしております。
おかげさまで、論文の方は順調に仕上がってきましたが、ブログの方は完全に疎かにしてしまっていました。。

というわけで、久しぶりのブログ記事としまして、この夏休みの帰省について紹介したいと思います。


今回の約2週間の帰省の往路は、苫小牧から新日本海フェリー「すいせん」を利用しました。
去年6月に新造船が就航し、かねがね乗ってみたいと思っていたので、大はしゃぎでした。


さすが新造船、エントランスも3層吹き抜けで、フェリーの船内とは思えない広々とした空間でした。


空は曇り、波もまあまあある程度で、船旅を楽しむには問題ない天気でした。
今回は北大のオープンキャンパスに来ていた弟と二人で乗船したので、船内では一緒にご飯を食べたり、卓球したり、ゲームコーナーで遊んだりして楽しみました。
詳しい船内の紹介は後ほど記事にする予定です。
ともあれ、福井県の敦賀港に定刻通り夜8時半に入港、電車を乗り継いで実家近くの柘植駅まで向かいました。
途中、夕立の激しい落雷で踏み切りが故障していたり、駅で寝ていた酔っ払いを起こしに車掌さんが向かったりして、列車が多少遅れはしましたが、無事に実家に帰り着くことができました。


帰省の間は久々に何も考えずに寛げました。
ペルセウス座流星群を観察したり(あまり写真には撮れませんでしたが数十個は見えました)、


2年半以上使っていた我がスマホの調子がいよいよ悪くなってきたので、大阪・日本橋に新古スマホ(SoftBank 102SHⅡ(去年夏発売))を買いに行ったり、


親戚の法事に出席するために熊本に行ったり(これも後ほど別記事にする予定)、


熊本の帰りに新装成った博多駅で琉球大学時代の研究室の同僚(現在九州大学院生)とプチ同窓会したり、


(ちなみにモツ鍋でした・・!美味しかったぁ。)


夜行バスで帰ってきた大阪で再開発巡りしたり、


ついでに伊丹空港まで足を延ばして久々に飛行機ウォッチングしたり、


帰省の後半には奈良の秘境、十津川村の谷瀬の吊り橋に弾丸ドライブしたりして大いに遊びまわりました。


楽しい楽しい帰省もあっという間に過ぎ、帰りは中部国際空港(セントレア)からエアアジアで札幌に戻りました。
このエアアジア、この8月末で中部-札幌便の運航を休止しており、撤退間近に利用したのですが、さすがに夏休みだけあって、ほぼ満席でした。


LCCなので狭い機中ではありましたが、飛行中の天気はかなり良く、札幌到着まで遊覧飛行を楽しめました(これも時間があれば別記事にします)。

という感じで、この夏休みの帰省は終わりました・・。
先週の月曜日に帰省から戻ったのですが、早速12月の学会(@神戸)の発表申し込みを行い、今週は後期最初のゼミ発表をそつなくこなし、現在は論文完成に向けて作業に熱中しています。
まあ、特にホームシックも感じず(当たり前ですが)、元気に過ごしております。