盛山正仁の本<田村元とその時代―55年体制を生きた政治家―>
この度、創英社/三省堂書店から「田村元とその時代―55年体制を生きた政治家―」(定価¥3,700税別)を出版致しました。
昭和30(1955)年10月に社会党の右派と左派の両派が統一し、翌11月に日本民主党と自由党が保守合同により自由民主党を結成して、いわゆる55年体制がスタートしました。その後、平成5(1993)年8月に細川連立内閣が発足するまで、自由民主党は38年間政権政党であり続けました。野党に転落したものの1年足らずで、自民党は社会党、新党さきがけと連立を組んで平成6(1994)年6月に村山内閣を作って政権に復帰し、平成8(1996)年1月には再び自民党から総理を選出して橋本内閣を発足させます。その後、平成21(2009)年9月~平成24(2012)年12月まで民主党を中心とする政権が発足した3年3か月を除いて、自民党は政権政党を続けています。
田村元は昭和30(1955)年2月に三重県第二選挙区で野党自由党から初当選して保守合同に立ち会い、衆議院が中選挙区制から小選挙区制に移行する平成8(1996)年9月まで、14回連続当選して41年7か月にわたり国会で活動を続けました。保守合同から自民党下野まで議員を続け、さらに民主党政権の発足と崩壊を目の当たりにしたのは、中曽根元総理と田村元だけでした。
平成26(2014)年2月に「鉄道政策」の論文を仕上げた私は、義父田村元の足跡をたどることが、自民党を中心とする我が国の政治、経済を振り返ることになると考え、執筆に着手しました。田村元には、「聞きたいことが色々ありますが、少し原稿をまとめてから、話を聞かせて下さい」と言って、資料の収集等を始めました。ある程度、準備が進んだ同年10月26日に、田村元に長崎で被爆した時の話を聞いたのですが、その時には、それから一週間後に亡くなるとは全く想像できませんでした。田村に聞くことがかなわなくなり、文献その他にあたって一年祭(一周忌)に間に合わせようと準備を進めたのですが、12月中旬までかかってしまいました。
私の限られた能力と経験では、十分に田村元とその時代について記述することが出来ませんでしたが、79名の皆様にご寄稿を頂いたお蔭で、田村元の人となりを明らかにすることができました。
田村元をご存じの方、我が国の政治の動きにご関心をお持ちの皆様に、お手に取っていただけると幸甚に存じます。
「田村元とその時代―55年体制を生きた政治家―」 盛山正仁 編著
(2015年、発行 創英社/三省堂書店)
本体価格¥3,700
下水道議員連盟決議申し入れ
~日本水下道新聞掲載記事より~
11月5日に、自民党本部で下水道議員連盟が開催されました。多くの議員が出席して、下水道予算の現状と今後の下水道サービスを維持していくための問題点について議論を行いました。
ピーク時(平成10年)に1兆7,813億円に上った下水道予算が最近では3分の1以下の約5,000億円程度になっていること。昭和40年代以降、全国の下水道整備が進んだため、古い設備は約50年を経過しており、場所によっては下水道管の破裂・毀損が起こっていること。老朽化した汚水処理施設の統合等、効率的な汚水処理の整備・運営管理が求められていること。地球温暖化に起因すると考えられる豪雨災害による市街地における浸水対策、国土強靭化対策が、国民の生命・財産を守り、都市の経済活動を維持するために喫緊の課題となっていること。下水汚泥や下水熱等の下水が有する未利用の資源・エネルギーの活用を推進する必要があること。人口減少や財政状況が深刻化する中で、民間活力の活用など社会環境の変化に対応した施策の推進が必要であること、等です。
これらの下水道を取り巻く課題は待ったなしの状況となっているため、来年度予算要求に関しての決議を全会一致で行いました。
11月24日に逢沢一郎副会長、田村憲久事務局長他の議員で財務省主計局の茶谷次長、彦谷主計官に対して、決議文を持参して申し入れを行いました。
その主なポイントは、以下の通りです。
1.所要の事業費等を確保するための予算の増額
2.下水道技術開発の計画的推進
3.幅広くPPP/PFIの導入を進める施策の実現
4.効率的な浸水対策事業への支援等、必要な制度の創設
主計局からは、議連の申し入れを重く受け止め、検討するとの回答がありましたが、安全・安心の暮らしを実現するために、法の支配の実現だけではなく、これからも下水道等の整備に務めて参ります。