法制度整備支援
~セルポート「永田町より一筆啓上」掲載記事より~
「法制度整備支援」
暮れの12月10日からベトナムとラオスに法制度整備支援に関する協議のため出張しました。私にとっては、平成17(2005)年9月に衆議院議員になって以来初めての公務出張でした。
ベトナムは、人口約9,200万人、GDP約3,600億ドルと成長しており、我が国は、ノイバイ国際空港や同空港と首都ハノイ市街を結ぶニャッタン橋等の基幹インフラを建設・支援しています。首都ハノイは自動車と無数のオートバイで混雑し、街中は活気に溢れて賑わっていました。国力が向上し、インドシナ半島の主要国となっているベトナムは、法制度整備支援を始めて20年が経過して、法令の整備が進み、司法関係者のレベルも相当高くなっており、そろそろ自立できる段階になってきています。クオン司法大臣、ルック内閣官房副長官、ビン最高人民検察院長官他と協議を行ったのですが、クオン司法大臣から、「目に見えるものより、目に見えないものの方が重要である。」と我が国の法制度整備支援を高く評価して頂き、嬉しく思いました。
ラオスは、人口約700万人、GDP約200億ドルの小国ですので、ラオスにとって我が国は重要な支援国です。首都ビエンチャンの交通渋滞は限られており、ハノイに比べてまだまだのどかで、30~40年前の日本といった印象を受けました。ブンクート司法大臣他と協議を行い、国立司法研修所及び国会を視察しました。ラオスでは、司法省に大きな権限が与えられており、日本では各省が制定する法令まで司法省が整備することになっており、ブンクート司法大臣から「専門家を20人程派遣してくれ」と日本からの法制度整備支援に対する要望がなされました。しかし、現在、民法案を国会で審議しており、未だ民法、刑法といった一番基礎的な法律すら整備されていませんので、そのような状況で様々な実体法を定めるのは時期尚早ですし、また、国立司法研修所を視察した限りでは法制度を担当する関係者の法律に対する理解が十分とは言えない段階です。
我が国では、安政5年に江戸幕府が締結した不平等条約を是正するため、明治政府は明治5年に初代司法卿に江藤新平を任命し、ボアソナード他のお雇い外国人を招き、また、将来を嘱望する人材を欧米に留学させて、明治13年に刑法を、明治22年に帝国憲法を、明治23年に民法を制定し、法治国家の建設を急ぎました。また、法令整備に加えて、日本が文明国であることを示すために、明治16年に鹿鳴館を落成させ、また、官庁集中計画を進め、その象徴として千代田区霞が関1-1-1に明治28年に司法省本館(現在の法務省赤レンガ棟)を竣工させました。そのような努力の結果、領事裁判権の撤廃、関税自主権の一部回復、片務的な最恵国待遇を撤廃する内容の日英通商航海条約を明治27年に締結することができたのです。明治政府発足後、約20年でこのような法整備、法治国家を建設した当時の日本人の努力には頭が下がります。
他国に我が国と同様のことを期待するわけにはいきませんし、当時と状況は大きく異なっていますが、ベトナムやラオスが今後発展していくために法制度を整備することは不可欠です。我が国としても、日本の法制度と同様の法制度を採用する国が増加していくことは重要であるだけでなく、日本企業の活動にも大変有利に働きます。日本政府は、これからも途上国を中心に法制度整備支援に取り組んで参ります。
阪神淡路大震災から21年
阪神淡路大震災から21年です。神戸市役所南側の東遊園地での1.17のつどいに参加し、地震が発生した午前5時46分に黙祷を捧げ、その後、献花致しました。10時からは「六甲アイランド阪神淡路大震災メモリアル元気と感動!ウォーク&ラン」で、日常の準備が大事ですとご挨拶させて頂きました。その後、HAT神戸で、宅地建物取引業協会神戸東支部の皆さまがお餅をふるまっておられるテントに伺いました。11時50分からはHAT神戸で兵庫県による1.17のつどいに出席しました。
野口健さんによる『エベレストに生きる』を聞いて
オリンパスギャラリー大阪で、野口健さんの『エベレストに生きる』の講演を聞きました。生と死の危機を乗り越えてきた体験談、昨年のネパール大地震に遭遇して支援活動を続けている話し等を伺い、野口さんの行動力に敬意を払いました。
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