盛山正仁東京後援会発足
平成18年10月31日、東京千代田区紀尾井町のホテルニューオータニにおいて「盛山正仁東京後援会発足記念の会」が開催されました。3月10日に新神戸オリエンタルホテル(現クラウンプラザ神戸)で行われました「神戸後援会発足記念の会」同様、約1000人の方がご出席下さり、賑やかな門出となりました。
田村憲久総務副大臣が司会を担当し、舩山龍二東京後援会長のご挨拶に引き続き、来賓として古賀誠宏池会会長、久間防衛庁長官(現防衛大臣)、石破茂元防衛庁長官、山本有二金融担当大臣、谷垣禎一前財務大臣、甘利明経済産業大臣、田村元元衆議院議長からお祝辞をいただきました。盛山正仁からの謝辞の後は、川崎二郎前厚生労働大臣のご発声で乾杯をしていただき、その後到着された中川秀直幹事長、逢沢一郎議員運営委員長からご挨拶をいただきました。後半は私の同期であります83会(ハチサンカイ)議員の紹介、豊藏一セリーグ会長の中締めの挨拶で、お開きとなりました。
昨年の選挙の感激同様、今回お集まり頂いた皆様からのご支援を決して忘れることなく、「盛山を応援して良かった。」と言って頂けるよう誠心誠意頑張って参ります。
(平成18年10月31日)
海事産業都市「神戸」の復権を目指して
敏馬(みぬめ)の浦や大輪田の泊まり等、万葉集にはこの地を詠んだ歌が多数有り、柿本人麻呂の「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に船近づきぬ」は有名です。このように大和・奈良時代の昔から、神戸は瀬戸内海、朝鮮半島、中国大陸や京の都、東国との間を結ぶ港町として栄えてきました。
明治維新で開港し、アメリカ領事館があったことから「メリケン波止場」の名前がつくようになり、アメリカの船をはじめ諸外国の商船が入港して賑わいました。その後、神戸は、綿花、羊毛、生ゴムの輸入、綿糸、生糸、マッチの輸出を中心に世界と日本を結ぶ日本一の貿易港として発展しました。川崎汽船、三井船舶等戦前はほとんどの海運会社が神戸に本社や主力業務を置いていました。
第2次世界大戦後もアジア最大のハブ港として、日本の高度成長期の発展を支えてきました。昭和48年(1973年)から昭和54年(1979年)までコンテナ貨物取扱量は世界一を誇り、一時期は最先端の港湾施設を持つ世界最大の国際貿易港として、世界の海上物流をリードしてきました。 また、造船業も地の利を得て昔から盛んであり、松方コレクションで有名な川崎造船、三菱重工業等神戸は日本有数の造船、舶用工業の拠点となっています。
船を動かす人材についても、昭和27年に神戸商船大学が設立され、我が国の商船学の先導的役割を果たすとともに、世界中で活躍する多くの船長や幹部船員を輩出してきました。
一方で、北野町界隈の異人館に代表されるように、港を通じて外国人が多く来神し、商都大阪とは異なるエキゾチックな香りが漂うハイカラな街としてミナト神戸は繁栄してきました。風見鶏の館として有名なドイツ貿易商のトーマス邸、萌黄の館として有名なアメリカ総領事のシャープ邸等200棟以上の異人館が建てられました。また日本最古のインド・イスラム様式の神戸ムスリムモスクもありますし、南京町もあり外国人の多い街となっています。
その神戸繁栄の原動力であった港が、大震災後少し元気をなくしています。寂しく思っているのは私一人ではないと思います。もう一度活力を取り戻してほしいものです。
平成16年7月には、神戸港がスーパー中枢港湾に指定され、18年度には、21年度の供用開始を目指し、8,000TEUクラスの大型コンテナ船が入港可能になるよう水深16mの最新鋭バースの整備に着手致しました。また、港の競争力を高めるため、ポートチャージ(港の使用料金)の引き下げや神戸港にはじめて入港する新造船舶の入港料及び岸壁使用料を免除、さらに(元日を除いて)年中無休の港湾荷役、CIQ(通関、入国審査、検疫)の簡素化等関係者が協力して、神戸港の復権に向けてスクラムを組んでいます。
造船業については、常に世界のマーケットにおいてトップクラスを維持してきましたが、現在では韓国が我が国を陵駕するほどの造船大国となり、さらに、中国を含め、今後国際競争が一層激化するものと思われます。そのような中で、技能者の高齢化が進んでおり、今後、大規模な世代交代の時期を迎えることになりますが、我が国造船業の国際競争力を支えてきたこの技術・技能レベルが低下し、競争力を喪失することのないよう各社で対応が検討されています。
また、神戸商船大学は、平成15年に神戸大学の海事科学部として再編され、法学部、経済学部、工学部等と一体化した総合大学となりました。今後、海事産業は、ますます国の枠組みを超えたグローバルな展開が予想される中、海運国日本として、世界の表舞台で活躍し続けていくためには、新しい経営感覚と総合的・国際的な視野を持った人材を育成していことが期待されています。このような国際的な交流の試みの一つとして、去る5月25日にはセント・キャサリンズ・カレッジ 神戸インスティテュートで第1回オックスフォード・神戸国際海事セミナーが開催され、8カ国から多くの参加者を迎えました。私も参加しましたが、今後このセミナーが定着していくことが期待されています。
神戸は、港を中心に海運業、造船業、港湾運送業、倉庫業、舶用工業、自動車運送事業等の集積に加えて、金融、商社、保険業、さらには大学、研究機関等が多数立地し、集積による業務の効率性や相乗効果、情報の集中等のメリットを享受してきました。その神戸が、阪神大震災と関西経済の地盤沈下に伴い、集積の効果に希薄化が見え始めています。
厳しい状況ではありますが、先人達の永年にわたる努力の結晶である数々の集積と伝統を活かし、港湾管理者をはじめ関係者が一丸となって、神戸が海事産業都市として見事に復権し、神戸から世界に対してこれまで以上に積極的に発信していくことを願って止みません。
そして、神戸で育ち、神戸を選挙区とする私としては、そのために全力を尽くす覚悟です。関係者の倍旧のご支援とご協力を心からお願い申し上げます。
海事振興連盟 機関誌 「うみ」 No.39 2006年10月 発行