還暦の年の卒業式
人生は、光陰矢のごとしです。歳はとったのですが、十分に経験を積んだとはとても言えません。「四十にして惑わず」とはなっておらず、ただ馬齢を重ねたという感じです。
これではいけないと「猿でもできる反省」を行い、平成21(2009)年夏の選挙で落選し充電をしなければとも思いましたので、一念発起して、平成22(2010)年4月から神戸大学の大学院に通い始めました。30年以上ぶりに大学のキャンパス通いです。
私の子供より若い学生さんに交じって授業を受けるのは最初気恥ずかしかったのですが、結構多くの社会人入学の方(中には70代の方も)がおられるので、少しずつ慣れていきました。
もっとも、さび付いた頭を動かしていくのは大変で、教科書を読むのも辞書を引くのも時間ばかりかかりました。今さらのように、学生時代にもう少しやっていればとため息が出ました。それでも、3カ月、半年と経つうちに、先生からの質問に対してもなんとかごまかしながら答えられるようになりました。(先生も大目に見てくれていたのでしょう。)学生さんではわからないこと、あるいは先生がご存じないことで私が経験をしていることもありました。そのようなときには、私のほうから発言して、少しは社会人入学の存在意義があるのかなと嬉しく感じました。
昭和40年代後半、私達が大学時代のキャンパスは反戦・学生運動のプラカードが立ち並び、ヘルメットをかぶった学生があちこちで口角泡を飛ばして議論をしていました。今では、下駄履きやバンカラを誇る雰囲気はなく、皆さん小ざっぱりとしたきれいな格好で、お行儀がよく、学生さんも大きく変化しています。
再選を目指しての地元回り、大学での教鞭、学生としての勉強と、3足の草鞋を履く生活で、この3年5カ月は寝不足と戦う毎日でした。大忙しの甲斐あって、今日、還暦の年に卒業式を迎え、法学博士の学位を頂戴出来ました。
小学生の頃のあだ名は「ハカセ」でした。昭和30年代はやっとTVが普及し始めた時期で、原っぱで走り回るか本を読むことくらいしか、遊びがなかった時代です。家の中にある本を手当たり次第に読んでいたので、同級生からは何でも良く知っていると思われていました。今日やっと本物の「博士」になりました。
いつの間にか還暦の年を迎えてしまいましたが、良い経験をさせていただきました。「人生に無駄はない。」と感じております。
法務委員会

法務大臣政務官としての主たる仕事は国会への対応です。具体的には法務省が提出している法律案を国会対策委員会や法務委員会等の先生方に説明してご理解を頂くために、与野党の関係者にご説明にあがることで、1月28日の第183回通常国会召集後、院内を走り回りまわっておりました。
通常であれば、衆議院で予算が可決されてから各委員会が動き出すのですが、暮れに選挙があったため、今年は平成24年度補正予算成立後、本予算審議の途中で年度内に成立を図らなければならない法案(いわゆる「日切れ法案」)の処理のために各委員会審議がスタートしました。3月12日には衆議院法務委員会の与党理事懇談会が開催され、13日に理事会が開催されて、私も理事会への陪席が許されることになりました。同日、法務委員会が開催されて谷垣法務大臣から大臣所信表明演説がなされ、法務委員会が動き出しました。
15日には大臣の所信に対する質疑が行われ、大臣政務官として私も答弁を行いました。これまで国会で何度も質問を行ってきましたが、政府側としては私にとって初めての答弁であり、また未だ慣れていない法務行政に関する答弁でしたので、緊張しました。
15日は9時から12時10分までと13時から14時30分までの4時間40分の委員会審議でしたが、記録用のカメラの前の答弁席にずっと座っているのはなかなか大変です。居眠りは許されませんし、トイレに立つのも毎回委員長の許可を得なければなりません。私の答弁は限られていますが、すべての質問を集中して聞き、答弁される大臣は大変だと実感しました。ましてや、本会議、予算委員会と連日のように国会で答弁が求められるわけですから、普通の人では務まりません。
19日には、参議院の法務委員会が開催されて大臣所信の聴取がなされ、衆議院では法務省提出の最初の法案(裁判所の定員に関する法改正)の提案理由説明がなされました。21日には参議院法務委員会で大臣所信に対する質疑が4時間行われ、22日には衆議院法務委員会で裁判所定員法改正に関する質疑が9時から11時40分まで行われました。また、22日には衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会が法務委員会と同時刻に開催され、大臣は答弁することが出来ませんので私が答弁に立ちました。
22日の私のスケジュールをご紹介しますと、6時頃自宅を出て、6時30分頃から大臣室で大臣以下の関係者によるその日の法務委員会の大臣レク(答弁の準備のことです)に出席。大臣は8時からの閣議出席のため7時45分に出発されますので、私は部屋に戻って政治倫理特別委員会の答弁のレクを受けました。8時35分に法務省を出発して、8時50分からの法務委員会理事会、9時からの法務委員会に出席。9時30分からは政治倫理特別委員会に出席し、答弁後10時20分に退席。法務委員会に戻り、11時40分に質疑が終了すると議員会館に戻って昼食(地下のコンビニで買ってきたラーメンをすすりました)。12時45分から自民党の代議士会、13時から衆議院本会議に出席。15時45分に本会議が終わると、やれやれという感じでホッとします。
国会で何をやっているか、関係者以外の方にはなかなかお分かりいただけないかと思いますが、このような毎日を送っています。
皆様方からのご期待にお応えするべく、地元神戸のため、日本のため、世界のために、これからも頑張ります!
第80回自由民主党大会
年に一度の党大会が都内のホテルで開催されました。
野党であった昨年までの党大会と異なり、参加者の数も多く、会場には熱気が溢れていました。
安倍総裁の挨拶は「日本を建て直す」という意欲がほとばしる熱のこもったものでした。また、石破幹事長の挨拶は東日本大震災追悼式での被災者代表の方のご発言・ご要望をふまえた、大変力強いものでした。
昨年暮れの総選挙で、私たちは有権者の皆様から小選挙区では43%のご支持で237議席(小選挙区300議席の79%)、比例では27%のご指示で57議席(比例180議席の32%)、全体では294議席(480議席の61%、前回は119議席でしたから約2.5倍になりました)という安定多数の議席を頂戴しました(公明党は小選挙区で1.4%の支持で9議席、比例で11.8%の支持で22議席、合計31議席で、自公併せると325議席(全体の68%)となります)。市場は政権交代を評価して、株価は上昇し、行き過ぎた円ドルレートは修正される等、経済状況は明らかに改善されてきました。
しかし、石破幹事長は「今回の勝利は民主党の自壊と第三極の乱立によってもたらされた面が否めない。」と党大会で私たちに自戒が必要であると述べています。というのも、参議院では私たちは少数与党のままで、依然ねじれの状態が続いており、法律一本通すにも野党の合意が必要不可欠であるからです。今回の党大会は、そのような状況をふまえ、参議院選挙必勝決起大会とセットで開催されたものでした。
景気の回復、実りある日米首脳会談が行われる等、内政・外交共に「日本の建て直し」がやっと進みだしたところです。
衆参のねじれを解消して「決める政治」が実現するよう、7月21日(予定)の参議院選挙に向けて私たちは一丸となって取り組み、全力で頑張って参ります。
東日本大震災二周年
平成23(2011)年3月11日の東日本大震災から2年が経過しました。
今日は東京の国立劇場で「東日本大震災二周年追悼式」が挙行され、参列致しました。14時46分に黙とうをささげ、安倍総理の式辞、天皇陛下のおことば、衆参議長・最高裁長官の追悼の辞に引き続き、ご遺族代表が思いを述べられました。岩手県も宮城県も福島県の御代表もそれぞれの方の強い思い、気持ちがにじみ出る言葉でした。
18年前の阪神大震災で私の実家が全壊し「これからどうしよう」と途方に暮れたことを思いだしました。阪神大震災は地震のゆれと火事による大災害にあいましたが、東日本大震災では地震のゆれと津波さらに原子力発電所事故により荒涼とした光景を目の当たりにしました。
震災直後から「私たちが政権を担っていたら・・・」と思うことは多々あり、悔しい思いをして参りました。昨年暮れにやっと私たちの自公政権に変わり、福島出身の根本さんが復興大臣となり、2月1日には福島復興再生総局を設置し、復興庁事務次官の峰久さんを福島の事務局長にするという異例の人事を行って、東京と福島の二元体制としています。
御地元の方々の「頑張ろう」というお気持ちを支えていけるよう、一日も早い復興・再生に向けて政府全体で取り組んでいかなければならないと考えています。