神戸海軍操練所
~ソトコト9月号より~
今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」は大変な人気です。出身地の高知だけでなく、全国各地で龍馬にちなんだ催しが開かれています。
神戸にも龍馬ゆかりの場所があります。海軍操練所跡です。徳川幕府の軍艦奉行勝海舟が神戸に開設し、坂本龍馬が塾頭となっていました。
幕末の万延元年(1860年)咸臨丸に乗ってサンフランシスコを訪問した海舟(福澤諭吉も同乗)は、文久2年(1862年)に軍艦奉行に就任し、列強に伍していくために海軍の設立を考えます。網屋吉兵衛が私財を投じて神戸安永新田の入江に建設した船蓼場(ふなたでば、フナクイムシを駆除するための乾ドック)を目にして、ここに海軍操練所の開設を決意し、文久3年(1863年)軍艦に乗船して巡視で神戸村に上陸した14代将軍家茂から海舟は海軍操練所設立の許可を得るのです。
土佐藩を脱藩し江戸で海舟を訪ねて門人となっていた龍馬は、海軍操練所設立のために奔走し、「エヘンの手紙」として有名な手紙を故郷の姉に送って海舟に仕える喜びを語っています。元治元年(1864年)に神戸海軍操練所は開設され、幕府派、反幕府派、浪人から町人まで約200名が集まって、塾頭の龍馬以下操船術を学んだのです。しかし、同年8月の禁門の変に塾生が参加していたこと、反幕府的な考えを持つ塾生が多かったこと等から、海舟は軍艦奉行を罷免され、慶応元年(1865年)に神戸海軍操練所は閉鎖されてしまいます。
海軍操練所開設の期間は短かったものの、跡地は船入場として整備され、慶応3年(1867年)11月に近江屋で龍馬が暗殺された直後の12月に、日米和親条約による5開港の一つとして開港され、世界に門戸を開きました。これ以後、神戸は日本を代表する港として発展していくことになるのです。
皆さんも神戸海軍操練所跡に立って龍馬が夢見た「藩の枠にとらわれない日本」「世界の中の日本」を考えてみませんか。
(写真)海軍操練所跡 (写真)網屋吉兵衛顕彰碑 (写真)旧海軍操練所に隣接する第一突堤に停泊する日本丸