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阪神御影駅

阪神御影駅で街頭活動を行いました。

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川井公園

川井公園ラジオ体操に参加しました。生憎雨がパラついていました

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青谷つくばね登山会のラジオ体操

青谷つくばね登山会のラジオ体操に参加しました。途中の山道にホタルブクロが3輪咲いていました。

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税理士による盛山正仁後援会総会

税理士による盛山正仁後援会総会が開催され、最近の国政についてご報告致しました

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観光立国推進セミナーin神戸の講演録

観光立国推進セミナーin神戸

(と き)6月20日(土)13:30-16:30

(ところ)神商ホール

特別講演「国際観光と地域活性化」  盛山正仁(衆議院議員)

 

【講演録】

 今ご紹介たまわりました衆議院議員の盛山です。お手元に1枚のレジメをお配りしている通り、5つのお話をしようと思います。

 第1のテーマの「ミナト神戸」ですが、先ほど久保観光庁長官のお話にもありました、ここ神戸は、港あっての「ミナト神戸」ではないかと思いますが、ペリーが黒船でやってきました日米修好通商条約で港を5つ開港するということで慶応3年12月7日(太陽暦1868年1月1日)に開港し、それから神戸は急激に発展しました。国際港湾都市であり国際都市神戸ということになったわけです。19世紀は鉄道の時代と言ってよかったのではないかと思います。1908(明治41)年、20世紀になって初めて自動車の時代、ヘンリーフォードがT型フォードを売り出して、これで自動車が普及することになりました。第1次世界大戦の時に飛行機が戦争の道具として出るようになり、しかしながらその飛行機を私たち普通の人間が旅客機として使うようになるのは昭和30年代の半ば以降というように思っていただければと思います。つまり神戸は、慶応3年12月7日(太陽暦1868年1月1日)以降、日本の海外に対する玄関口として、横浜とここ神戸が発展してきました。多くの外国人を受け入れて、そして六甲山の開発もそうですし、いろんな観光、あるいは今はもうなくなりましたがオリエンタルホテルを中心として洋食やパン、ケーキだとかスイーツ、そういうものが広がってきました。このハイカラな感じをもつ神戸というものは、この「ミナト神戸」ということで明治維新の開港とともに開けた、そんな街である。逆に言うとここから港をとったら何もなくなってしまう、神戸は港を上手く活かしていくこと、それがほかの地域、ほかの都市との大きな違いになる、そういう大きな強みを持っている、それが神戸の海の港であり、そして神戸空港、空の港、そういうことではないかと思います。

 第2のテーマの「観光立国」ということでございますが、平成17年に郵政の選挙、衆議院解散というものがありました。その時の自民党の選挙公約のひとつに観光基本法を改正する、というものがありました。郵政の選挙で自民党が議席を沢山頂戴したものですから、私もそこで選挙に出て議員になったわけですが、選挙公約を守ろうということで、観光基本法を全面的に見直そうということで、1年ほどかけて翌平成18年12月半ば、観光立国推進基本法というものを作りました。これは議員立法というものであります。議員が作る法律、本来は国会が立法府、内閣が行政府、最高裁が司法ということで三権分立であり、立法府、国会議員が法律を作るというのが本来建前なのですが、我が国の場合は議院内閣制をとっており、政権与党という言葉がありますが、今の場合は与党=自民党、公明党が政府と一体となって閣法といいますが内閣提出法案ということで与党と内閣が一体となって法案を作り、政府が法案として提出をする、これが大半であります。しかしながらこの観光立国推進基本法というのは議員が作った、そういう法律になります。

 私も法律案を作成するメンバーの一員となってこの法律を作ったのですが、観光立国の「立国」という言葉を入れるかどうかでだいぶ議論をしました。ビジットジャパンキャンペーンであるとか、いろいろなことをやって、これからは観光でしっかり日本を興していくんだ、そんなことはもちろん議論していたのですが、法律の名前に「立国」という文字まで入れるか、さすがに大上段すぎていけないのではないか、そのような話もしておりましたが、やはり今まで観光というのは不要不急のもの、物見遊山、遊びといったような感じで観光が見られてきた、もうそういう時代じゃないだろう。観光をこれからの国を引っ張る大きな柱にしていこうじゃないか。これまで長く重厚長大と言われました。鉄・造船・機械だとか物づくりの産業で日本は戦後の高度経済成長を発展したわけでありますが、観光ももう物見遊山として脇に置かれる時代ではない。3次産業の中で人が大いに交流をする。この観光で地域の創生、それぞれの地域が活性化する。経済的にも良くなる。そういうことを含めて、観光というものを前に出そうということで、色々議論した末「観光立国推進基本法」という名前にしました。

 その時、ビジットジャパンキャンペーンを始めた頃、さきほどの久保長官の資料をご覧いただくとおわかりになりますが、平成15年4月にビジットジャパンキャンペーンを始めたのですが、日本にお見えになる外国人の数は520万人程度だったかと思います。それから私たちはとにかく1000万人に来てもらおう、ビジットジャパンキャンペーンで海外のお客様に来てもらおう、とインバウンドの観光対策を進めていたわけです。その昔ジャパンバッシングと言われ、日本の貿易黒字が大きい頃、私たちはテン・ミリオン計画と言って、日本人の観光客を1000万人外国に送りましょう、と昭和62年から力を入れてやっておりました。そういう意味では観光政策の中心が180度反対の方向に向いたわけです。ところがそう簡単に1000万人の大台に達しません。520万人が600万人になり、700万人になり、800万人になり、また下がる。リーマンショックで景気が悪くなると当然下がります。あるいは鳥インフルエンザやサーズなど病気があるとまた下がります。なかなか進みませんでした。

 そのような中、平成18年12月に観光立国推進基本法をつくって施行が平成19年1月、そして我々は観光を推進する観光庁を、インバウンドだけでなく国内観光も推進するための組織、それがばらばらではいけない、観光庁という組織を国土交通省に置くのがよかろう、と。そして観光庁を中心として各省庁が協力をして観光に力を入れていこうではないか、という組織要求を平成19年の夏にしました。そして平成20年10月に観光庁ができました。そしてこの観光庁ができることにより、政府の取り組み、予算が少しずつうまくまとまって、バラバラ感がなくなるようになってきました。

 しかしそう簡単に日本に来るお客様が1000万人になるわけではありません。そうこうして取り組んでいましたら一昨年、1036万人になりました。びっくりしました。800万人台から200万人増えて1036万人になりました。本当に嬉しかったです。そして去年は1341万人です。ぐんぐん伸びています。今年はいったい何万人になるかよくわかりません。観光庁長官は控えめな数字をおっしゃられましたが、2000万人は今年は無理かもしれませんが1900万人くらいはいく。そんな勢いで急に変わってきました。

 こうなると本当に不思議なもので東京で観光の会合をやっても一昨年までは人がほとんど来なかった。ところが一昨年、そんな数字になることが分かると人がたくさん詰めかけられるようになりました。あるいは経団連その他経済界の方も「これからは観光だね」と、そのような事を言っていただきます。観光に対する期待が高まり、注目が高まるというのは本当にありがたいなぁと思っているのですが、今回の講演のタイトルにも「国際観光と地域活性化」と書いてありますが、観光で日本全体が良くなっていくと同時に、神戸もそうですが、それぞれの地域地域にいろんな人にお越しいただく、これは日本人にも来ていただく、外国人にも来ていただく。そうすることで地域を発展させること、これが観光立国の目的なんだと思います。

 私たちの日本の観光とは、ミナト神戸が開港してというお話をしました。「観光」ということでまず政府として最初に取り組んだのが、日清日露戦争で国が借金をしました。戦争するのに大砲や砲弾を買うのに借金をしました。当時の日本の国家予算の6.5倍の戦費がかかりました。ですから、外国債を発行しました。それをどうやって返そうか。ここ神戸にもお茶畑がありました。当時の日本の輸出品はお茶の葉であり、生糸であった。そんな時代です。まだ綿織物や機械を輸出する時代ではありません。そんな時困った日本はどうしたかというと、外国人に日本に来てもらおう、日本に外貨を落としてもらおう、そのお金で借金を返そうではないか。あるいは日清日露戦争の後、三国干渉というのがありました。当時の清の応援をするファンが欧米に多かったわけですが、急にのし上がってきた日本に応援をしてくれる国はありませんでした。これではいけない、日本の実情をよく知ってもらおう、国際交流が大事であるということで観光が始まりました。まずインバウンド、そしてお金を落としてもらう、そして交流を増やす。そこから始まりました。そして戦後は、国内の観光となり、海外へ出ていくことになり、そしてまたもう一度インバウンドと観光の政策は変わっているわけです。いずれにせよ共通していることは観光で国を興す、そして地域を活性化していくということ。仕事をつくる、経済的にも良くしていく。それが観光、国の光をみる、いいところを見てもらう、交流を増やす、そしてまたもう一度行こうということにつながるのだと思います。

 第3のテーマの「観光が成功する三要素」ですが、「見るもの、食べるもの、買うもの」といわれます。フランスやイタリアを考えていただくとわかりやすいと思います。フランスもイタリアも見所がいっぱいあります。自然のすばらしさ、博物館の素晴らしさ、いろんなものがあります。そしてイタリア料理、フランス料理、食べるものも美味しいです。そしてお買い物、特に女性の方のとってはハンドバック、スカーフ、洋服その他いくらでも買うものがあります。このように3つ揃うと観光は発展します。

 さて日本はどうか、ここ神戸はどうか、ということになります。この神戸にも見所は色々あります。ただ、さきほど周遊ルートの話を観光庁長官がされましたけれど、それをもっとうまくアピールをしていく。そういう部分はまだまだあるのではないかと思います。北野にはこのようなものがあります、旧居留地にはこんなクラシックな建物があります、あるいはどこそこに行けばこんな昔の神戸がわかる施設があります、そういったものをどうやって上手くミックスをしてアピールしてメニューを増やして行くのか、そういった工夫をこれからも一層強めていく必要があります。食べるもの、神戸ビーフもあれば、明石の鯛やタコもあります。世界遺産に登録された素晴らしい和食を堪能していただく、あるいは和食以外のほかの食事を堪能していただく。買うもの、神戸としてこんなものがあります、パールシティ神戸は、真珠の集散地、輸出の中心地でありました。真珠以外にも神戸に来るとこんなものがあります。そういうものを上手くアピールしていくことが大切です。日本人は自分のことをアピールすることが下手です、そういったところが足りていないところがあります。このあと久元神戸市長からもお話がありますが、神戸の良さをもっと多くの人に知ってもらう。来てもらって良かったら、もう一度来てもらう。それが観光にとっては大切なことです。

 第4のテーマの「ツーリストの立場に立った政策」です。「ここに来たらこんなものがある、これいいですよ。」と言いますね。確かに素材、提供商品が良くないと来てもらえません。しかしコストパフォーマンスがあるか、ニーズに合致しているかが大切です。インバウンドで外国人旅行者が増えているお話がありました。例えば関空に外国人団体客がやって来る。そしたら関空で観光バスに乗り換えて、三宮・北野・元町に来る。さて観光バスが上手く止まるところはありますか?あるいは限られた1時間で観光客が免税で上手く買い物ができる売店がありますか?あるいは食事で、立派な日本食を食べたい人もいれば、30分で食べて買い物をしたい、という人もいるでしょう。さまざまなニーズがあります。ツーリストのニーズにあった観光の受け入れの設備、対応ができているでしょうか。そういったことも大事ではないでしょうか。さきほども観光庁長官の資料にもありましたが、我々の予想以上の急速なスピードで海外から日本への観光客が増えています。そうすると空港がいっぱいになります。関空はLCCで中国のお客さんがどんどん増えています。そうすると入国管理で1時間とか時間がかかってしまいます。これは良くない。我々でも10分、20分で終わるとあぁ良かったと思いますが、1時間待たされるようなところへ行くと、なんでこんなところへ来たんだろう、というふうに思います。そのためにはCIQの体制の強化も必要です。しかしそれだけではダメです。空港自体を大きくしていかないといけません。あるいはここ神戸はクルーズの街、クルーズの拠点になるところです。そうすると旅客船ターミナルも大型化していかないといけません。ツーリストの視点にたって、どのような対応をしていくことができるのか、あるいはボトルネックにならないように、本当はもっとニーズがあるんだけれど、これが上手くできていないから悪いけどここまでにしてくれ、受け入れられません、こういうようなことにならないためにはどうしていったらいいかを考えることが必要です。

 さきほど久保長官のほうから周遊ルートの話もありましたが、ある観光の第一人者の方から伺った話によると、その方は昭和30年代に旅行会社に入社されました。その当時、日本への外国人旅行者から言われたのは瀬戸内海の旅客船。このチケットが取れるかどうかで日本への旅行が決まった。そんな風に言われています。今度「海の道」ということで取り組まれる、大変ありがたいことです。瀬戸内海というのは本当に素晴らしい海です。内海ですから揺れません。スーっと船で行くと島影から次の白い浜や緑の松が出てきます。こういうところを逃す手はありません。あるいは鳴門の渦潮もあります。そういうものを上手くみせるような、そのような船旅を上手く提供できるか、ニーズがあればお客様のニーズにあったモノを提供できるか。神戸港に着いたときに「あぁ、神戸港に着いた」あるいは「ああこれが神戸か」と、正面に碇山やいろんなものが見えて、そしてポートタワーを含めて素晴らしい神戸の街がある。やはりこれは神戸ならではだと思います。それをどのように上手く活かしていくのか。そしてそれをどのように上手く提供していくことができるのか。それによってお客様の気持ちを掴むことができると思います。あるいは旅行会社がそういう商品を作ろう、あるいは大きな外国客船であれば、大阪に寄港するのではなくて神戸に入ろう。あるいは横浜や東京に行くルートでなく、神戸に行くルートにしよう、ということにもつながっていく。それがツーリストの立場に立った政策。つまり独りよがりのこっちがこうだからどうだ、これがいいだろう、ということだけではなくて、お客様の目線になって、それを上手く提供できるか、それが大事だと思います。

 最後のテーマの「ユニバーサルデザイン」ですが、私はバリアフリーにずっと取り組んできました。駅にエレベータ、エスカレータを付けるバリアフリーでございます。平成10年の暮れ、50億円の予算を取ったところから駅のバリアフリーが始まりました。スタートした当時東京駅の新幹線のホームにはエレベータもエスカレータもありませんでした。つまり全国の殆どの駅にエレベータ、エスカレータはなかったわけです。それが補助をする仕組みを作った、鉄道会社、神戸市をはじめとする地方公共団体のご協力を得てこの16~17年でバリアフリーが上手く浸透するようになりました。これはたまたま上手く時代のニーズにマッチしていた、そしてそれを進める制度ができた、ということです。旅行においてもそれが求められています。足の悪い方、車椅子の方、そういった方にどうやって上手く旅行をしてもらうか、それも大事です。そして障害をお持ちの方というのは、足の悪い方だけではありません。目の悪い方、耳の悪い方、知的障害お持ちの方、いろんな方がいらっしゃいます。そのような人にどのように対応することができるか。

 東京オリンピック、パラリンピックが2020年に開催されます。そこにむけて東京だけでなく、どのように日本全体を変えていくことができるか、これが今内閣府を中心にオリンピック、パラリンピックのひとつとして取り組んでいるところでございます。そして観光の場合、障害を持っている人と同列にするとお叱りを受けますが、外国の人にとっては言葉がわからない、日本語がわからない。そういう人にとってはやはり障害を持っているのと同じことになります。本来いろんな事ができるはずなんだけど、日本語が読めない。どこへ行って何をすればいいかわからない。それをどのように解消していくのか。これもユニバーサルツーリズムです。

 このユニバーサルというのはバリアフリーということだけではなく、分け隔てない誰にとっても使える、これが国連の障害者権利条約に規定するユニバーサルデザインの概念でありますから、このユニバーサルデザイン、誰にとっても使える、それをどのように進めていくか、これがまた大事なところです。

 さきほど観光庁長官の話にもありましたように、最近はICテクノロジーが進んでおりますから、タブレットあるいはスマホをお持ちになっている方が多いです。それをどのように上手く活かしていくのか。つまり日本語の情報を英語、フランス語、中国語、韓国語にどのように転換していくのか。そしてまたそれを観光地あるいはその地域がどのように上手く良いコンテンツを作っていくのか。例えば三宮の駅に降り立った人が、まずお腹がすいてるからどこかで食事をしたい。あるいは港に行って船が見たい。あるいは港のクルーズをしたい。あるいはバスはいつ、どこに行けばあるだろう。そういうのをタブレットを持っていれば全てわかるようにしていくということ。これはハードの部分の機械の開発、プラスその地域のコンテンツをどのように上手くつくっていくのか。こういうことによっていくわけです。そしてそれができることで、神戸以外の地域から来た日本人は、日本人で日本語がわかっても、どこに行けばバスがある、どこに行けば美味しいお店がある、お土産屋さんがある、それがわからないという点では外国人と同じなのです。そういった旅行者にとって使いやすいものをどのように上手く観光の観点からICTと上手くミックスをして提供していくことができるのか。バリアフリーのルートももちろんですが、それだけではなく、その地域で今こういうイベントやってますよ、ここに行けば何があります、今日はお休みですがこういうものがあります。そんなことを上手くわかるように提供することができるようにすること。それが私たちに求められていることではないかと思います。観光庁もそれに取り組むでしょう。また、このあとお話しされる久元神戸市長をはじめとする神戸市や兵庫県も取り組みを強化していくことになると思います。

 これからは、観光でもっと多くの方がこの日本にお見えになると思います。日本はもともと外貨を稼ぐために観光を始めたんだ、という話をしましたけれど、去年は55年ぶりに我が国の観光収支が黒字になりました。これまで観光というのは赤字が当然であり、貿易収支の黒字を観光収支の赤字で少しでも国際収支の黒字を減らしていた。そんな時代だったのですが、この数年で本当に変わってきました。観光で外貨が稼げるような、そんな時代にもなってきた。それは外貨だけではありません。去年日本に1341万人の外国人が来ることによって、2兆円以上のお金が観光で日本に落ちるようになった。そして国内の人がゆっくりと旅行をする、地域を楽しむ。そういうふうに生活を変えていくことで私たちの生活がもっと豊かになると思いますし、この神戸をはじめとするそれぞれの地域が観光で発展していくことになるのではないか、と考えます。

 そして経済的なものだけではなく、交流を深める、その地域の文化や伝統や習慣を理解してもらう。それが観光の目的である。それによって国際観光と地域活性化がすすむ。私はそのように思っております。

 残念ながら時間でありますのでこのあたりで終わらせていただきます。ご清聴誠にありがとうございました。

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