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相模原障害者殺傷事件の被告に死刑判決

2020年03月16日 | 社会・経済

国の借金1000兆円という言葉と相模原障害者殺傷事件ー社会に染みつく財源不足と障害者差別の意識ー


藤田孝典  | NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授 
 

  Yahooニュース3/16(月) 
 
相模原障害者殺傷事件の被告に死刑判決

    やはり死刑判決であった。前代未聞の死傷者数を記録し、重度障害者を生きる価値がないものと身勝手に規定し、犯行に及んだ事件だった。 

    相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、利用者ら19人を殺害し、26人を負傷させたとして殺人罪などに問われた元同園職員、植松聖(さとし)被告(30)に対して、横浜地裁(青沼潔裁判長)の裁判員裁判は16日、求刑通り死刑を言い渡した。 

    被告は元障害者施設職員であり、福祉職の一人でもあった。 

    元職とはいえ、社会福祉に関与したことがある人物の凄惨極まりない犯行に対し、今も困惑しているし、生涯忘れることはない事件である。 

私自身も社会福祉士として、高齢者や障害者、生活困窮者などにかかわる立場であることから、事件には衝撃を受け、心苦しさを抱えてきた。 

そして、私たちが担っている社会福祉とは、社会保障とは何のために存在しているのか、考え続けてきた。 

福祉職を志す人々は程度の差はあっても、責任感がある人々が多い印象を持っている。 

少なからず、相談を受けたり、ケアをすることで、少しでも生活をよくしてあげたいと思うし、状況をよくしてあげられたらと思う人が多くいる。 

被告も入職当初は障害者との付き合いに楽しみや面白さを見出していた様子があるが、それが社会や施設の雰囲気などから変節し、犯行へと至っている。 

国の借金1000兆円という言葉の影響

    被告は今年1月27日の法廷で「重度障害者にお金を使っている場合ではない。彼らが不幸を生んでいる元になっていると気づいた。」と証言している。 

    日本の財政状況は厳しく、重度障害者をケアする余裕はないという理屈である。 

そして、彼らのせいで家族も職員も大変な生活をしており、彼らは存在しない方がよいと繰り返し主張してきた。 

    犯行現場となった津久井やまゆり園の入居者が「人間扱いされていない」と被告は証言しており、排他的な施設環境、家族や地域からの切り離し状況がより異常な思想を強化させることとなっている。 

    福祉予算が充実し、福祉職の人員も整備され、障害年金を含む手当が拡充している社会であれば、地域生活や在宅生活も可能だったかもしれない。 

しかし、日本の福祉予算では障害者の多くが今も施設暮らし、病院暮らしを余儀なくさせられている。 

もちろん、被告の主張通り、福祉専門職の処遇や給与は、その業務の大変さと比較して、極めて低水準であることは周知の事実である。 

    重度障害者のケアに予算がかけられていない政府や社会の事実から、被告は「不幸を生む存在」と規定したのだろう。 

    政府や財務省は国の借金が1000兆円あり、財政的な余裕はないことを繰り返し喧伝してきた。 

若者を凶悪犯に変貌させたアナウンス効果は絶大である。 

    福祉専門職は本来、この予算制約と闘い、日々福祉予算の確保を求める役割も負っている。 

    被告が政府や財務省の言い分を鵜呑みにし、予算拡充に力を入れてもらえなかったことが悔やまれる。 

    福祉関係者も近年、制度政策を導入すると「将来のコストはこれだけカットできる」「この予算は将来の投資だ」という文脈でしか、議論することができていない場面にも遭遇する。 

    例えば、子どもの貧困も子どもや親の人権や生活を守るだけでなく、必ず「将来の投資」「子どもは将来の納税者だから支える価値がある」と説明される。 

では、このような市場原理に適さない、あるいは投資するに値しない対象には予算措置をしないのだろうか。 

だからこそ、被告は犯行後にも「死刑になる罪ではない」と重度障害者の殺傷を予算削減のための行為として自己弁護する。 

    重度障害者は「将来の投資」でもないし、投資するに値しない対象だと、おぞましいが勝手に判断する。 

そして、最悪で醜悪なことは、この行為に賛同する世論がインターネットなどに広がっており、彼の言動を後押ししていることである。 

    私たちの社会は、重度障害者を排斥するのではなく、重度障害者へのケアの拡充や地域生活への移行、そのための予算・人員を整備することが可能である。 

    欧州や北欧でできていて、日本にできないはずがない。できれば、同じ事件を繰り返さないためにも、重度障害者のケアや福祉予算の拡充こそ、求めてほしいと思っている。 

「国を想う愛国者」としての被告

    要するに、本件は社会保障費増大で国の借金を心配する愛国主義者、偏狭なナショナリスト、歪んだ責任感が招いた事件という側面も有していることに注目してほしい。 

    被告は国の将来や財政を想い、安倍首相や衆議院議長への手紙を準備し、トランプ大統領のメキシコ移民の排外主義へ共感も示している。 

    世界各国で経済成長が行き詰まるなか、福祉予算、社会保障が岐路に立たされていることも事実である。 

    被告はだから、あくまで国を想い、財政負担を軽減させるために、重度障害者を殺傷したのである。 

言語道断であるが、この雰囲気や風潮を作ってきたのは誰だっただろうか。 

    「国を想う愛国者」は差別を助長し、財政を守るために人々を次々に排斥する役割を果たすことで良いはずがない。 

全ての人間が不完全であり、欠陥を抱えているからこそ、お互いが助けあっていく必要がある。 

社会福祉、社会保障とはそのための仕組みでもある。 

    被告のように、誰かを誤って勝手な理由で排斥する社会は、他の誰もが住みにくい社会であることは明白だから、当事者は差別や排除を許さずに抗ってきた。 

    私たちは健康であること、美しいこと、働くこと、生産すること、家族と仲良くあること、皆と同じであることなどに強い価値を置いている。 

それから逸脱しようものなら、差別をしながら、社会から排斥されることとなる。 

    障害者に限らず、「子どもを生むこと」「正社員として働いて給与を得ること」「家族を扶養すること」など私たちにも様々な規範、役割を押し付け「社会のお荷物」になることを否定する社会である。 

    生活保護受給者やひきこもりなどへの差別も根強く残っている。生産性がなければ必要性がないと言わんばかりである。 

このような風潮の先に相模原障害者殺傷事件があるということを忘れないでおきたい。


 

今日の散歩道


温泉に行こう!銭湯にも行こう!

2020年03月15日 | 健康・病気

温泉が減っている現実――日本の温泉の〈不都合な真実〉にどう向き合うか
  「サステナブル・ブランド ジャパン」2020.02.26 

※イメージ 
 山あいの静かな温泉につかり、自然の景色を眺めながらのんびりとくつろぐ……日本人に生まれて良かったと思う瞬間だ。温泉はまさに日本が誇るべき文化の一端であり天然資源だが、実は「これが本当に温泉? 」と言いたくなるような温泉施設がはびこり、一方で旅館の経営不振により年々温泉地が減っていると聞いたら驚くだろうか。知っているようで知らない温泉の“不都合な真実”とは――。 「もっと多くの人が目を向けるべき」という温泉紀行ライターの飯出敏夫氏に、持続可能な温泉のあり方を聞いてみよう。(いからしひろき) 
温泉ほど日本人の身近にありながら、その実態が正しく知られていないものもない。その証拠に「温泉とは何か」ということに明確に答えられる人は多くないだろう。

 国が定めた「温泉法」によれば、〈源泉温度が25度以上〉か〈19の特定成分のうち1つでも既定値に達している〉ことが温泉の条件だ。ただし、地下増温率により、地中を100メートル掘るごとに地下の温度は2~3度ずつ上昇する。つまり1000メートルも掘れば、そこから湧き出る地下水も大体25度以上になり、単なるぬるま湯でも温泉と認定されてしまうのである。

 本来、日本人が文化として育んできた温泉とは、地中から自噴し、その過程で溶け込んだ様々な成分により、入浴するものに多くの健康効果をもたらす「大地の恵み」であることは論を俟たない。

 その科学的根拠は分からなくても、経験によって人々は病気の治療や療養などに利用してきた。それが湯治である。

 しかし、掘削技術の進歩により、その位置づけが少しずつ変わってきた。この道30年以上で、今も年に100日以上温泉地を取材する温泉紀行ライターの飯出敏夫氏はこう言う。

「はっきり言って、いまの日本には多くの『これは本当に温泉と言えるのか? という温泉』がはびこっています。そのきっかけは、80年代後半から90年代前半にかけてのバブル景気。この時に起きたこと、行われたことによって、日本の温泉は今も『後遺症』に苦しめられているのです」 
 
その原因は、「ふるさと創生事業」と「大型温泉旅館の乱立」だ。

 1つ目の「ふるさと創生事業」とは、1988年から1989年にかけて日本の各市町村に対し地域振興の名のもとに国から1億円が交付された政策のこと。多くの自治体が競うように箱モノを作り、何のアイデアも無いところは1億円分の金塊を飾ったりした。

「その1億円で温泉を掘ろうという自治体が雨後の筍のように出ました。当時、温泉井戸を100メートル掘るのに100万円かかる時代。ただし元々温泉地ではないので、無理な掘削です。温泉が出れば良いほうで、出ても湯量はほんの少し。仕方ないから循環ろ過装置で使いまわし、不衛生になったことでレジオネラ菌による死亡事故が起きてしまった。それを最もコストが安い塩素消毒で解決しようとしたのが更なる間違い。おかげで今のほとんどの日帰り入浴施設の温泉は塩素臭漂う湯になってしまいました」

もう一つの「大型温泉旅館の乱立」も、根本は同じだ。

「バブル景気に乗じて、全国の温泉地で大型の旅館が建てられました。巨大展望風呂など大勢の宿泊客が入れる浴場施設も作られたわけで、温泉の量は当然足りなくなります。加水・加温・循環ろ過・塩素消毒が当たり前になり、『この湯船にはどれくらいの温泉が入っているのかわからない』なんていう、笑えない状況の旅館もあるくらいです」

もちろん温泉は限られた資源だから、より多くの人に利用してもらうためには、一定の加水・加温・循環ろ過・塩素消毒が必要な温泉地が出てくるのも仕方がないだろう。飯出氏も「私は源泉かけ流し至上主義者ではありませんが……」と前置きしつつ、こう言う。

「その温泉がどういう状態なのか明らかにされていないことが問題なのです。本来は〈温泉分析書〉という、泉質などを分析した証明書を脱衣所などに掲示しなければならないのですが、いまだ徹底されていません。利用者にとって、その温泉がどんな温泉なのかを知る唯一最低限の情報開示が、この温泉の履歴書ともいうべき温泉分析書なのです。最近は泉質を気にする人が増えましたが、まだまだ“聞いちゃいけない?”という雰囲気があります。利用者は温泉に関する情報開示を求める権利があるし、施設側も開示する義務があるのです」 
 
「温泉分析書」は必ずチェック 
いまやどんな事業でも情報開示が企業責任として求められるように、温泉においても情報をオープンにすることは必要最低限な前提だろう。

ただし、「泉質」よりも喫緊に取り組むべき課題があるという。

それは、「温泉旅館経営の維持」だ。

「とにかくいま、地方の温泉旅館は後継者不足、労働者不足が深刻です。休みもなく、朝から晩まで立ち働かなければならない過酷な労働環境の宿が少なくないため、担い手がいないのです。特に過疎地は人集めが大変。優れた自然湧出泉などの温泉地は過疎地に多いので、深刻化に輪をかけています」

実際、旅館を維持できなくて消滅してしまった温泉地もあるという。

 例えば、北海道岩内郡の「雷電温泉」。残った一軒の旅館がかろうじて営業していたが、2019年9月についに閉館。温泉地そのものが消滅してしまった。誰も人がいない廃墟の湯船に温泉だけがこんこんと湯気をたてて自噴している……などというのは笑えないブラックユーモアだ。

 環境省の調べ(平成29年度「温泉利用状況」)でも、2018年3月末現在の温泉地数(宿泊施設のある場所)は全国で2983カ所となり、前年同月時点と比べ55カ所減っていることが分かっている。これまで日本の温泉地の数について言及する場合は〈3000カ所以上〉が常套句だったが、今後は変えなければならないかもしれない。

 飯出氏によれば、そのような“立ち行かなくなった温泉旅館”を買い取り、格安プランが売りの宿にリノベーションするビジネスモデルも増えているそうだ。しかし、〈都心からバスで送り迎え〉〈どんな場所でも一律のサービス〉〈ビュッフェによる効率重視の食事〉などが、果たして日本の誇る温泉文化といえるだろうか。もちろん色々なタイプの温泉施設があってしかるべきだが、価格競争になってしまったら零細な個人経営の旅館は太刀打ちできない。

 少子高齢化・人口減少が進む日本にとって、観光は今後の日本経済を支える大きな収入源になると考えられている。そんな中で、どうすれば、古来の温泉文化を守りながら、健全な旅館経営を維持していけるのだろうか。

 労働者不足については、「定休日の導入や、外国人・定年後の元気なシニアを活用する方法もある」と飯出氏は提案する。

 集客力アップの方法としては、温泉風情や日本的な景観を訴求するのも手だ。例えば兵庫県の「城崎温泉」や山形県の「銀山温泉」などは、そうした方法でインスタグラマーや外国人観光客などの集客に成功している。

 環境省は「新・湯治」と銘打って、現代のライフスタイルに合う長期逗留を広めようと啓発活動を行っている。 


大正ロマンの雰囲気が人気の銀山温泉 

しかしもっと単純で、簡単な方法がある。それは──

「より多くの人が“本物の温泉”に足を運ぶこと、これに尽きます。例えば山形の『肘折温泉』なんて行くと、ひなびた湯治宿が軒を連ね、朝市では地元の食材がずらりと並ぶ……まさに日本の温泉地の原風景ですよ。そこで買ったものを自炊して食べ、そしてのんびり湯につかる。最高ですね」

まずは“真実”に目を向け、“本物”を知ろう。

SDGsの中でも、地方の文化振興・産品販促につながる持続可能な観光業の促進によって持続可能な経済成長を進めていくことが含まれている。

たかが温泉と言うなかれ。失ってからでは遅いのである。 


 と、いうわけで温泉のすすめではない。今、新型コロナで家にこもっているなら、観光客が来なくなって、営業の危機に瀕している「宿」を支援する意味からも、いってみてはどうだろうか?さらに昨日の記事にあるように新型コロナは湿気に弱いらしい。ということは「風呂」がうってつけではないか。のんびりとストレスを解消し、体を暖めて免疫力を高めるのもいい。そしてうまいものが喰えれば言うことなし。近くの銭湯なら毎日でも子どもを連れていける。わたしも毎日、地元の温泉に浸かっている。

今日のお散歩

ようやく沼の周りの土が出てきてふきのとうも現れました。

 


新型コロナウイルスは3日間滞留、弱点は湿度=米で報告書

2020年03月14日 | 健康・病気

   日刊ゲンダイ  2020/03/14  


    アメリカの「アレルギー感染症研究所」「国立衛生研究所」「国防総省先端技術開発庁」「全米科学財団」などの委託を受けて行われた「COVID-19(新型コロナウイルス感染症)媒介物報告書」がまとまった。

 今後、プリンストン大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、国立衛生研究所の専門家による内容精査が行われる。その概要が11日に公表された。その報告によると、今回のCOVID-19の感染力のしぶとさが想像以上に大きいことが明らかになった。

    要約すると、以下の通りである。「COVID-19のウイルスは空気中であれば3時間、プラスチックなどの表面の場合には3日間ほど滞留する」。そのため、「ヒトは空気感染や媒介物による感染リスクにさらされることになる」。

 この発見は重大だ。なぜなら、感染者と接触しなくとも、空気感染でウイルスが拡散する可能性がある。今後、専門家がチームを組み、空気感染するのかを確認することになっている。
従来は「感染者との濃厚接触がなければ感染はない」と思われていたが、そうした楽観論が打ち砕かれることになった。

 更にこの報告書によれば「ウイルスは空気中であれば3時間は生存するが、銅製品の表面であれば4時間、厚紙の表面では24時間、プラスチックやステンレスの表面の場合には2~3日にわたって生存すること」が確認された。
その一方、弱点があることも明らかになった。それは湿度に弱いということだ。加湿器を使い、湿度50%でカ氏72度(セ氏22.22度)にすれば、ウイルスの活動が収まることが判明したという。

(国際政治経済学者・浜田和幸)

 


フラワーデモが紡いだ「#WithYou」の輪。被害者は立ち上がった、司法は応えられるか

2020年03月13日 | 社会・経済

ハフポスト 2020年03月10日 

3月8日の国際女性デー。性暴力に抗議するフラワーデモが、全国各地で開かれました。

Aya Ikuta / HuffPost Japan参加者は、ミモザの花や「#MeToo」「#WithYou」などと書かれたプラカードを手に持った。

「みなさんが上げた声が、沈黙の闇を切り裂き、社会を変えています。私たちの言葉こそ灯火であり、暗闇を切り裂く松明なのです」
「しかし光が当たっていない部分はあまりにも多く、多くの被害者が暗闇の中で苦しんでいます」

Aya Ikuta / HuffPost Japan東京駅周辺に集まった参加者たち

3月8日の国際女性デーに、思い思いの花を手に集まり、性暴力に抗議するフラワーデモが全国各地で開かれた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、東京都内ではオンライン開催となり、東京駅舎を背景に作家の北原みのりさんらがスピーチを行い、約6000人の視聴者がこれを見守った。
冒頭のスピーチを行なったのは、性暴力被害の当事者団体「Spring(スプリング)」代表理事の山本潤さん。同意のない性行為を罪に問えるよう、刑法の改正を訴えて活動を続けてきた。 

Aya Ikuta / HuffPost Japan山本潤さん(右から2番目)
 
「なぜこんなに難しいのか」
スピーチはこう続く。
「私たちはいつまで加害者を裁判に向かわせずその責任を問うことすらできない社会で暮らさないといけないのでしょうか」
「私たちは、どこにいても、誰といても、性的な安全と自由が侵されることなく安心して生きる権利を持っているのではないでしょうか。でも、残念ながらこの日本で、それは保障されていません」
「同意のない性行を性犯罪にするというのが、なぜにこんなに難しいのか」

Kasane Nakamura / HuffPost Japan

相次いだ無罪判決「何かせずにはいられない」
フラワーデモは、Twitterのこんな投稿から始まった。
『#WithYou の気持ちを込め花を持って集まりましょう!好きな花でも、花柄の何かでも。声をあげなくてもOKです。現状を変えるため、集まって抗議の気持ちを示すことから始めませんか』
きっかけは、2019年3月に相次いだ4件の性暴力事件の無罪判決。
中でも、中学生の頃から実の父親からの同意のない性行為を強いられていたと認めながら、「抗拒不能」な状態だったと認定するには「合理的な疑いが残る」とした名古屋地裁岡崎支部の無罪判決(2019年3月26日)は社会を驚かせ、大きな議論を呼んでいた。
4月11日、花冷えのする東京で開かれた初めてのフラワーデモは、呼びかけ人でフェミニズム専門の出版社「エトセトラブックス」の松尾亜紀子さんのこんな言葉から始まった。
「何かせずにはいられないので、今日ここから始めていきたい」

Aya Ikuta / HuffPost Japan
 
「被害者は語れない、とされてきたけれど…」
以来、毎月11日に日本各地の街頭に広がっていった静かな優しい連帯の場。12回目の節目を迎える3月は、8日の国際女性デーに合わせ、初めて47都道府県すべてでフラワーデモが行われる予定だった。
新型コロナウイルスの感染拡大で実現はかなわなくなったが、街頭で、オンラインで、Twitterで……さまざまなかたちで1年をかけて紡いできた「#WithYou」の輪が広がった。

 
Aya Ikuta / HuffPost Japan

呼びかけ人の1人、作家の北原みのりさんは、スピーチの中で1年前のデモをこう振り返った。
「その晩、500人以上の方々が花を持って集まって、その輪がどんどんどんどん膨らんでいきました。まだフラワーデモという名前も付けていなかった。そこで始まったのは、みなさんが自らの痛みの過去を語り出したことだったんですね」
「私は本当に驚きました。これまで、被害者は語れない、とされてきたけれど、『WithYou』という気持ちがあれば、あなたの声を信じますという声があれば、語れるのかもしれない。私たちに足りなかったのは、安心できる空気だったのではないかと気付かされました」

Aya Ikuta / HuffPost Japan北原みのりさん(左から2番目)
 
2020年、刑法の見直しは実現するか?
フラワーデモがつないできた性暴力の被害者たちの声。「性暴力や性差別を許さない」という意思に、司法はこたえられるだろうか。
2020年2月には、1年前に下された4件の無罪判決の1件、福岡の準強姦事件が福岡高裁で逆転有罪となった。
3月12日には、名古屋高裁で実の娘への性暴力について無罪となった岡崎支部の控訴審判決公判が開かれる。

Kasane Nakamura / HuffPost Japan

2017年6月に行われた刑法改正では、110年ぶりに性犯罪が厳罰化され、被害対象が男性も含まれるようになったり、親告罪が廃止されたりした。
だが、「被害者の反抗を著しく困難にする程度の暴行や脅迫」がなければ罪に問えないという「暴行・脅迫」要件は依然残ったまま。性暴力の被害者支援団体などが改正案のたたき台も作っている。
一方、附則には、「性犯罪の被害の実情や改正後の状況を見ながら、必要があれば見直しを検討する」と記されている。その見直し始まる目処とされているのが、2020年の今年だ。
 北原みのりさんのスピーチは、こう締めくくられた。
「性暴力との戦いは、長い歴史があります。その歴史の中にフラワーデモがあり、この1年間かけて47の都道府県全ての土地で女性たちが横につながり、各地で様々な世代を超えて女性たちがつながってきた」
「今日は、区切りだけど、終わりではないです。今度は、社会が変わっていく番だ。だからこそこれで終わりではなく、新しいきっかけになるような、そういうことをみんなでしていきたいと思います」

Kasane Nakamura / HuffPost Japan

⁂  ⁂  ⁂

父親は逆転有罪 被害実態に沿う判断だ

  東京新聞社説2020年3月13日
 
 当時十九歳の実の娘への準強制性交罪に問われた父親に名古屋高裁は実刑を言い渡した。無罪の一審判決は抗議デモを呼んだ。被害実態に沿う判断を機に、性犯罪への司法のあり方を深く考えたい。
 怒りをおぼえる事件である。一審・名古屋地裁支部判決は娘が中学生当時から父親は性的虐待を繰り返していたが「性交の強要を拒めた時期もあった」として「抵抗が極めて困難な『抗拒(こうきょ)不能』(同罪の構成要件)に当たるとまではいえない」と無罪とした。
 これを含めて性暴力への無罪判決が昨年三月だけで全国の地裁で四件連続。抗議の「フラワーデモ」が同年四月に東京で始まった。今では名古屋など全国で、毎月、デモ行進が行われている。参加者は「不当な判決で被害者が泣かなくて済むように」と訴える。
 二審・名古屋高裁は娘が「抗拒不能」だったかが争点。一審判決後に娘を鑑定した精神科医が検察側証人として「長年の性的虐待で娘は抵抗意欲を失っていた」と証言した。娘は医師に「ペットのように扱われた」と話したという。
 判決で名古屋高裁は「抗拒不能」を認めた。一審判決を「抵抗が著しく困難だったことへの合理的疑いを検討していない」「事件は実子への性的虐待だという実態を十分に評価していない」と批判して無罪を破棄。求刑通り懲役十年の実刑を言い渡した。
 刑法の性犯罪規定は二〇一七年に大幅な改正があったものの、裁判官の心証で認定が左右されやすい「抗拒不能」は、準強制性交罪成立の要件として残った。専門家によると、恐怖を植え付けられた被害者は、加害者に迎合するような態度を取り、抵抗していないように見える場合がある。受け入れられない現実に接し、感情や感覚を体から切り離す「解離」の状態になる場合もあるという。
 性犯罪の審理では、裁判官ら法律家が、被害者と加害者の心理的な関係性などを十分に理解していないケースがあると指摘される。それゆえ、一七年の刑法改正では、裁判官らに性犯罪被害者の心理についての研修を行う、と国会で付帯決議されたが、実施率は低い。
 刑法自体も、そうした実態を反映していないとの批判があり、同年の改正では「三年後(今年)をめどに、実態に即した対処を行うための施策の在り方について検討を加える」と付則で述べ、見直しも示唆している。ぜひとも、迅速な議論を期待したい。


仁藤夢乃“ここがおかしい”第36回新型ウイルス感染症の影響で広まる不安、混乱はどこからくるのか?

2020年03月13日 | 社会・経済

  Imidas 連載コラム2020/03/11

    この1カ月半ほど、新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で社会が大混乱している。安倍晋三首相は「先手先手な対策が必要」「必要な対策を躊躇なくしてきた」といったようなことを口では言うけれど、実際には後手後手の対応が続いている。
 2020年2月29日にやっと首相会見を開いたが、初動の遅れにより新型ウイルスが広まるのを抑え切れなかったこと、横浜港大黒埠頭に停泊していた大型客船ダイヤモンドプリンセス号での感染拡大を防げなかったことなど、これまでの水際対策について反省の姿勢は見られなかった。それどころか、記者とのやりとりも事前に通告された質問に対して、事務方が用意した回答原稿を読み上げる形でしか行われなかった。
 記者会見というよりも、私には下手な「劇」を見せられているかのようだった。

広がる排除と差別ムード
 新型ウイルス感染症への不安が大きくなるにつれ、人々の間では差別や排除の雰囲気も高まっている。
 例えば、日本人を含むアジア系住民に対する人種差別は、世界各地で広がっている。ヨーロッパで最初に新型コロナウイルスの感染が確認されたフランスでは、ツイッターに「#私はウイルスじゃない」というハッシュタグも作られた。イギリスではアジアにルーツのある男性が、「ウイルスを持ち込むな」と路上で殴られる事件が起きた。
 同じようなことが各地で起こっているが、いかなる理由でも差別が正当化されることはあってはならない。しかし、こうした差別に明確に反対する首相やリーダーは多くない。
 日本でも、SNS上だけでなく、日常生活の中で中国の人々に対する差別的な言葉を聞くことが増えた。町の飲食店が「中国人の入店お断り」という貼り紙をしたり、そのような行為に同調する声が上がったりもしている。そんな中、先日訪れた東京・新大久保では、中華料理店の店先に「武漢加油(がんばれ)! 中国加油!」と大書されていて、日本にいる中国の人々は今、どんな気持ちで過ごしているのだろうと考えた。
 電車内でせき込んだ人やマスクをしていなかった人が、周囲の乗客から攻撃される事件も増えている。最近では、「ぜんそくがあります」「花粉症です」「このせきはうつりません」と書かれたバッジが売れているそうだ。が、プライベートなことまで明かして「私は違う」「私のせきは大丈夫」と表明しなければならない状況、そして、それを表明しない人たちへのさらなる攻撃や影響についても考えざるを得ない。
 差別や混乱を生まない、広めないためには、私たち市民一人ひとりが正しい情報に基づいて判断し、「差別はいけない」と表明したり、正しい情報を拡散したりすることが必要だ。しかし健康への不安が広がる中で、何が本当の情報なのか、どう判断したらいいのか分からなくなっている人は少なくない感じがする。

突然の休校要請による影響
 そんな中、2月27日に安倍首相が突然、全国の小中高校に「休校要請」を出したことから社会は更に混乱した。「来週から、子どもをどこに預けたらいいのか」「仕事に行けなくなるかもしれない」と多くの親たち、学校、自治体も慌てた。共働き家庭や一人親家庭では子どもの預け先が見つからず、仕事に行けずに収入が減る世帯が数多く出るだろうし、現に北海道の病院では子どものいる看護師約170名が出勤できなくなり、運営に影響する事態となっている。
 さらに今回の休校要請は、子どもがいない人の生活にも影響を及ぼしている。人手不足になった職場で、過剰労働を強いられることになった人も少なくない。私の知人の10代女性は、勤め先のアパレル店が人手不足で営業時間を短縮せざるを得なくなり、シフトを減らされて生活が成り立たなくなると困っている。
 今回の突然の休校要請を安倍首相は周囲にもほとんど相談せず、自民党内から反対や懸念の声が出たにもかかわらず決めてしまったという(東京新聞「〈新型コロナ〉首相、異論押し切り独断 一斉休校要請、決定の裏側 」)。その後の対応からも、休校要請を発表した時点では、家庭や子どもたち、社会への影響を考えていなかったと思わざるを得ない。
 政府は休業補償について検討すると言っているが、その内容は「子どもがいる正規、非正規社員が有給休暇を使って休みを取得した場合に、企業に支払われる」というのもで、フリーランスの人や、子どもがいないけれど臨時休校の影響によって仕事がなくなった人たちにどう対応するのかは明らかにされていない 。また売り上げが急減した中小企業には、「補償」ではなく借入金を100%「保証」するとした 。

弱者にしわ寄せがいく対策
 私は、1日の食事を学校給食に頼って生活している困窮家庭の子どもたちもたくさん知っているので、学校がない間のそうした子どもたちのことも心配せずにいられない。学校施設を開放し、給食も提供すると決めた自治体もあるがごく一部だ。
大阪府内の学校に勤めるスクールソーシャルワーカーからの情報によると、臨時休校中は学校を全面的に閉鎖すると決めたある自治体では、その間にスクールソーシャルワーカーが子どもや保護者と面談したり、家庭訪問したりすることもできなくなったそうだ。彼らは子どもたちが抱える悩みやさまざまな問題に関わる専門職で、こういう時こそ彼らの力が必要だ。しかし自治体によっては、虐待、生活困窮、いじめ、不登校などの困難を抱える子どもや、行き場に困った子どもの見守りすらできなくなっている。
 このように市民の暮らし、生活への影響にどう対応するのかが示されず、弱い立場にある人にしわ寄せがいく政府の対応にますます不安がますます広がっている。
 私が代表を務めるColabo(コラボ)でも、夜の渋谷と新宿で定期的に開催している10代無料のバスカフェの開催を一時見合わせた。しかし、こういう非常時こそ支援が必要であると考えて再開を決め、開催時間を延ばしたり開催日を増やす方向で行政と調整中だ。
 災害などの非常時には、子どもや女性への性犯罪が増えることが知られているが、特に今回は大人の見守りが手薄になった子どもたちが大勢いるので心配だ。学校が一斉に臨時休校に突入するや、街中には中高生たちが溢れ始めた。突然やることがなくなり、ふらふらしている。大人が作った状況がそうさせている。小学生も朝から広場や公園、スーパーの店先などで所在なさげにしている様子が見られる。
 そうした子どもたちには「外に出るな!」と言うのではなく、安全に過ごせる場所を確保するべきだ。地域での見守りも強化してほしい。

デマや混乱が広がっていく
 非常時にはデマも横行しやすい。
 2月27日頃からはSNSを中心に「新型コロナウイルスの影響で中国の生産工場が止まり、トイレットペーパーが輸入されなくなる」「原材料がマスクの製造に回されるためトイレットペーパーが不足する」などのデマが流れた。実際には、トイレットペーパーなど紙製品の多くは日本製で、在庫は十分にあるのだが、デマを信じた人や、そういう人たちの買い占めによって在庫がなくなることを危惧した人の買い込みで、トイレットペーパーや生理用品などの紙製品が日本中の店から消えた。
 Colaboが運営しているシェルターでも、トイレットペーパーがなくなった部屋の子が何軒も店を探し回った挙句、買えなくて途方に暮れたり、胃腸炎になった子がトイレを我慢したり、身近なところに影響が出た。
必要な時に必要な量だけをそれぞれが買えば、みんなに行き渡るのに、焦った一部の人たちの行動が更なる混乱を呼んでしまった。
 今も続いているマスクやアルコール消毒液の不足や、学校給食の中止を受けてスーパーの食品が一時品薄になったのも、膨らんだ不安が影響して起きたのではないか。私が関わる10代の子たちも、自分や周りの人が体調が悪いと分かると、すぐに「コロナではないか? 命に関わるのでは?」と慌ててしまうことがある。
 私たち一人ひとりが、デマに躍らされないよう普段から情報源を確認することは大事だが、今回は政府が十分なリーダーシップをとれないでいることや、場当たり的な自粛や休校の要請等に振り回され、いつまでこの生活が続くのか分からないことへの不安の影響も否定できない。

政府への不信感が不安を増長
 私は、今回の社会的混乱は新型ウイルスによるものではなく、為政者による「人災」であるとも感じている。政府は「責任をとる」と言っているが、どのように市民の生活を保障するのか、具体的な対策、責任のとり方を示してもらえないと安心できないし、信用できない。その不信感から、ますます不安が大きくなって、私たちの生活に影響をもたらしている。
 休校要請によって高校最後の時間を奪われてしまった一人で、Colaboのシェアハウスで暮らす子が、卒業式前最後の登校日となった日の学校の友だちや先生、クラスの様子を話してくれた。先生も涙目になりながら、突然の終わりを生徒たちに告げていたこと、午後の授業が急きょ変更になり、卒業式や壮行会で歌う予定だった歌を先生たちの前でだけ発表したこと、高校生活が終わったと言われてもまだ実感が湧かないという。
 彼女は、「休校するにしても、もっと早く言ってほしかった。金曜日、今日で最後と言われた時のことは一生忘れられないと思う。まだ、現実のものとして受け止め切れない」と、早めにもらうことになった卒業文集を見せてくれた。
 今は、春からの新生活や就職に向けても大切な時期であるし、まだ就職や進路が決まっていない生徒への支援も必要だが、生徒たちのケアをしたくてもできない状況の学校もある。
 新型ウイルスへの対策は大切だが、私は感染の恐怖以上に、市民生活への影響を想像し切れていない政権の対応に危機感を持っている。私たちの生活についてあまりにも知らない、想像できない人たちが政治を担い、私たちの生活を左右する権限を持っている。この混乱を生み続けている政府の責任は大きい。

落ち着いて冷静な判断を!
 そして、この混乱に乗じて「憲法を改正し、緊急事態条項が必要だ」と、言い始める議員もいる。政府が緊急事態を宣言すれば、国会での審議を行わずに法律を作ったり、国民の権利を制限したりすることができるという大きな権力を政府に与えるというものだ。
 しかし、そうした政治家たちを選挙で選んだのは私たちだ。今回の休校要請で、政治を自分ごとだと気づいた人たちも少なくないだろう。次の選挙では、私たちの暮らし、生活の実態を踏まえた判断をし、誠実で、隠ぺいや改ざんはせずに責任をとる、開かれた政治のできる人たちが多く選ばれてほしい。
 また今回、見えない不安によって私たち人間はこれだけ混乱してしまうのだということも突き付けられた。こういう時だからこそ、冷静に、落ち着いて情報を判断することが大切だ。不安になっている子どもたちや、弱い立場に置かれた人が周りにいたら、声を掛け、正しい情報を分かるように伝えてほしい。もし学校が休みになった影響で、食べるものや居場所に困っている子どもがいたら、児童相談所や支援団体、地域の民生・児童委員の方などに積極的に連絡して状況を伝えてほしい。
 決して弱い立場の人にしわ寄せがいかないように。「この危機を乗り越えましょう」などと呼び掛ける人もいるが、もともと苦しい生活を強いられ、耐えている人たちに、更に負担がいくことになってはいけない。こういう時だからこそ、使える支援や制度は積極的に活用していくことが大切だ。もしも新型コロナの影響で生活に困ったら、積極的に生活保護を利用してほしい。ためらわず行政に相談してほしい。
 今の日本のリーダーは、何が必要か分かっていない。だからこそ、私たち一人ひとりが「困っている」「こんな支援が必要だ」と我慢をせずに声を上げなければならない。この危機的な状況を耐え忍ぶことよりも、皆が自分ごととして声を上げ、政治を変え、市民の手に取り戻していくことが必要だ。

⁂  ⁂  ⁂

個別性なき政策対応を断罪すべし

  浜矩子(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)
 Imidas連載コラム 経済万華鏡 2020/03/11

 政策というものには個別性が肝心だ。新型コロナウイルスへの日本政府の対応を見ていて、つくづくそう思います。
 小中高校への全国一斉休校要請。全国的非常事態宣言への道を開くための新型インフルエンザ等対策特別措置法改正提案。バッサリ、バッサリ。ズンズン、ドンドン。個別事情への配慮がおよそ皆無のまま、丸ごと主義の政策方針が打ち出されていきます。
「やってる感」をアピールすることばかりに神経が集中している。今、どこで何が求められているのか。何が最もやるべきことで、何をしてはいけないのか。これらのことをきめ細かく仕分けして、個別対応していこうとする構えが全く見受けられません。

 こうした政策姿勢は、今回のコロナ問題に限ったことではありません。安倍政権のやり方は、いつでも、何についても、この調子です。消費税増税分の使い道として、突然、打ち出された教育無償化についてもそうでした。
 今、教育に求められているのは、本当にバッサリした無償化政策なのか。幼稚園や保育園の現場が必要としているのは、人手不足の解消であり、職員の待遇改善ではないのか。地域別に見れば、それぞれ異なる事情や要請があるはずです。十把ひとからげに料金をただにすればいいというものではないでしょう。
 派手で目立ちさえすればいい。得点稼ぎにつながりさえすればいい。支持率アップをもたらしてくれさえすればいい。何もしてないじゃないかと言われるのが一番怖い。減点されるのは嫌だ。加点につながりそうなことなら何でもやる。地味に地道に丹念に、個別事情を調べ上げて的確に対応するなどというのは、面倒臭くて性に合わない。大胆に大英断を下している感じを出したい。彼らは、こんなことしか考えていないようです。

 大型さばかりが指向されて、個別性がどんどん切り捨てられていく。今の政策環境はもっぱらこの感じです。これはとてもまずいことです。政策が個別性への敏感さを失って、「一斉」とか「一括」とか「全国」ばかりを追い求めるようになると、一斉に一括して全国的にとんでもなく間違った方向に追いやられてしまう危険があります。コロナ対策で、大型クルーズ船の乗客乗員を、長期に渡って全員船内に足止めしたのが、この問題の典型事例だったと言えるでしょう。
 どうしてこういうことになるのでしょうか。それは、政策責任者たちが世のため人のために政策に取り組んでいないからです。今の彼らは、自分たちのために政策を行っている。自分たちがどう評価されるかということしか、考えていない。だから、減点を恐れ、加点にこだわり、目立つことばかりに飛びついていく。
 人命と人権が危機にさらされている今、こんな集団が政策責任を担っているというのは、実に恐ろしいことです。彼らの言動を厳しく注視していかなければなりません。


雨宮処凛がゆく! 第514回:「UR住宅餓死問題調査団」の結成、そして新型コロナウイルスによる今後の生活困窮に備えるための情報。

2020年03月12日 | 社会・経済

マガジン9 By 雨宮処凛 2020年3月11日 

  https://maga9.jp/200311-8/

 新型コロナウイルス感染拡大を理由に、全国の小中高校が休校となる前日の3月1日、東京都江東区のあるUR住宅を訪れた。
 昨年のクリスマスイブ、男性二人が餓死した状態で発見された場所だ。亡くなったのは72歳と66歳の兄弟。部屋の電気、ガスは止められ、冷蔵庫に入っていたのは里芋だけだったという。いずれも痩せ細り、兄の体重は30キロ台、弟は20キロ台しかなかった。水道は5ヶ月前から料金を滞納し、止められる直前だったという。弟は以前運送会社に勤めていたものの、無職となっていた。兄は警備会社で働いていたが、昨年9月頃から体調を崩し働けなくなっていたという(「見過ごされた”困窮死” 痩せ細った72歳と66歳の兄弟死亡」NHK NEWS WEB2月6日)。
 兄弟が住んでいたUR住宅は、「巨大団地」という言葉がふさわしい場所だった。敷地内には保育園や介護事業所、飲食店なども併設されていて、まるでひとつの「町」のようである。日曜日だったため、敷地内の公園では大勢の子どもたちが歓声を上げてボール遊びをしていた。「餓死事件が起きた」UR住宅ということで、老朽化し、住民の高齢化が進んだ団地を勝手に想像していた。しかし、ファミリー層が多く住むことを伺わせる集合住宅は建物も綺麗で、その光景は予想を裏切るものだった。
 それを見て思い出したのは、2012年、北海道札幌市白石区で二人が餓死・凍死した状態で発見された現場のマンションだ。亡くなったのは42歳の姉と40歳の妹。両親はすでに亡く、妹には障害があり、姉は非正規の仕事を転々としながら食いつないでいた。が、姉が体調を崩したことをきっかけに、姉妹の生活は坂道を転げ落ちるように逼迫する。生前に3度も役所に生活保護の相談に訪れていたが、いずれも「若いから働ける」などと追い返されていた。3度目に相談に訪れた半年後、姉妹は遺体で発見された。
 その二人が困窮死したマンションもまた、綺麗な物件だった。女性が好みそうなおしゃれな外観。しかし、その単身者向けだろうマンションでは、近隣住民との繋がりなんて生まれないだろうな、と思ったことを覚えている。翻って、江東区のUR団地は近所付き合いが生まれそうだった。しかも兄弟はここに20年も住んでいたのだ。が、兄弟には近所付き合いがほとんどなかったという。
 札幌の姉妹餓死事件が起きた12年には、全国各地で餓死、孤立死が多発した。以下、思い出せる限り書いてみよう。

1月12日:北海道釧路市で84歳の夫と72歳の妻の遺体が発見される。夫は介護が必要な状態で、介護してくれる妻が病死したあと、ストーブの燃料切れによって凍死したとみられている。 
2月13日:東京都立川市で45歳の母親と4歳の障害を持つ息子の遺体が発見される。母親がくも膜下出血で突然亡くなり、介護を受けられなくなった男の子が餓死したと見られている。男の子の体重は4歳児平均体重の約半分の9キロだった。
2月20日:埼玉県さいたま市で60代夫婦と30代の息子の遺体が発見される。所持金は数円で冷蔵庫機は空。「親子三人餓死」と大きく報道された。
3月7日:東京都立川市で95歳の母と63歳の娘の遺体が発見される。
3月11日:東京都足立区で73歳男性と84歳女性の遺体が発見される。
3月14日:埼玉県川口市で92歳の母と64歳の息子の遺体が発見される。
3月23日:埼玉県入間市で75歳の母の遺体が発見される。45歳の精神疾患を持つ息子は母の死後約10日後に助け出される。
3月23日:東京都世田谷区で93歳の父と62歳の息子の遺体が発見される。父の遺体は白骨化、息子は自殺とみられている。
3月27日:福島県南相馬市で、69歳の母親と47歳の息子の遺体が発見される。母は認知症で、息子が病死したことにより、介護を受けられなくなって凍死したと見られている。また、当時、南相馬市からは原発事故によって避難している人も多く、周囲の人は親子を見かけなくなったことについて「避難したのかと思っていた」と語っている。
3月30日:秋田県鹿角市で90代の母と60代の息子の遺体が発見される。
4月11日:茨城県守谷市で、63歳男性の遺体が3ヶ月以上経って発見される。 
 ざっと12年の前半を振り返っただけでも、4ヶ月の間に20人以上もの人がひっそりと亡くなっている。

 このような餓死、孤立死の頻発を受けて12年、厚労省は通知を出している。行政がライフラインの滞納情報を把握できるよう、業者との連携を進めることに関する通知だ。
 江東区の兄弟の場合、電気、ガスはすでに止まり、水道料金も5ヶ月前から滞納していた。札幌市白石区の場合も、真冬の北海道でガス、電気が止まり、ガスストーブが使えない状態だった。それ以外の餓死、孤立死の現場でも、必ずと言っていいほど滞納によるライフラインの停止が起きている。それらの滞納情報を行政が把握できれば、早い段階で困窮者を発見し、福祉につなげることができる。が、そのような通知が出された12年以降も、「困窮のサイン」の多くは見過ごされ続けてきた。
 東京水道局はすべての区市町と情報提供の協定を結んでいるものの、この5年間、23区で通報した困窮者情報はわずか8件だという。
 そうして2月、またしても悲しいニュースが飛び込んできた。2月22日、大坂府八尾市の集合住宅で57歳の母親と24歳の長男が遺体で発見されたのだ。部屋の水道とガスは止められ、部屋には食べかけのマーガリンや小銭しかなかったという。長男は高校卒業後、介護の事務職やコンビニ、鉄工所などで働いたが長続きせず、母と二人で野宿生活をしていたこともあったという。その際、警察に保護されたこともあったそうだ。しかも母親は生活保護を受けていたというのだ。行政と警察に困窮が把握されていたにもかかわらず、失われてしまった親子の命(毎日新聞2月28日)。
 これまで、餓死や孤立死などが起きるたび、支援団体や法律家たちと行政に申し入れをしたり調査団を作ったりしてきた。
 12年の札幌姉妹餓死事件の際には調査団を結成して札幌に飛び、区と話し合い、市に再発防止の申し入れをした。さいたまの親子3人餓死事件の際もさいたま市に申し入れをした。さいたまではその2年前、電気代滞納で電気を止められ真夏に熱中症で男性が死亡するという事件も起きていた。だからこそ、ライフライン滞納は困窮のサインということは共有され始めていた。
 16年、利根川で親子心中事件が起き、高齢の両親が死亡、生き残った娘が自殺幇助と殺人で逮捕された際には深谷市に申し入れをした。また、17年には、東京都立川市で生活保護廃止の通知を受けた翌日に自殺した男性について、「立川市生活保護廃止自殺事件調査団」を結成し、調査や市との話し合いを続けてきた。
 そうして3月1日、江東区のUR団地を訪れた日、「住まいの貧困」に取り組む人たちとともに「UR住宅餓死問題調査団」を結成した。背景を調べ、再発防止のためにできることを提言していくつもりだ。
 「なんでそんなことするのか」と聞かれることがある。そのたびに思い出すのは、06年、07年に相次いだ北九州での餓死事件だ。生活保護を受けられず、あるいは辞退させられた果てに起きた餓死事件。亡くなった男性が残した「おにぎり食べたい」というメモの言葉には多くの人が涙した。あれから、10年以上。ずっと貧困の現場を取材し、運動を続けている私には、この国の人々が少しずつ「餓死」という究極の事態にさえ慣れてきているのを感じる。
 北九州の事件の時は、世間もメディアも、もっと驚き、同情を寄せ、怒っていた。もちろん、その背景には当時の北九州の生活保護行政のひどさもあった。が、毎年のように餓死事件が報じられる中、世間の空気に「またか」という諦めが混じっているのをこの数年、感じる。だからこそ、「餓死なんてあってはならない」ということを、声を大にして言いたい。言わなければならない。
 さて、餓死、孤立死が相次いだ12年は、東日本大震災の翌年である。リーマン・ショックからは4年後だ。リーマン・ショックから一年ほど経った頃から、単身者ではなく「家族ごとの困窮」「家族のホームレス」が増えたという話を耳にするようになった。リーマンショックによってじわじわと追い詰められた人々の生活が、震災という「最後の一撃」によって破綻し、餓死や孤立死が頻発したという側面もあったのかもしれない。
 そして今、状況は3・11後と符合することが多くある。新型コロナウイルスによって停滞する経済。特に飲食業や観光業、ライヴハウスやカラオケなどが大打撃を受けている。ちなみに私の実家は感染者が多い北海道。観光業をはじめとしてあらゆる業種の人たちから「もう廃業するしかない」という悲鳴が上がっていると聞く。一方、名古屋ではデイサービス事業所に2週間の休業要請が出た。親が介護事業所を利用できなくなったことにより、仕事を休まざるを得ない人が大勢生まれる。休業要請された事業所を利用する高齢者は約5800人というのだから大変な事態だ。
 このように、あらゆる業種の人々が影響を受けている。
 これから生活困窮に陥る人が大勢出るだろう。生活困窮者支援団体「もやい」の大西連さんも勧めるように、ぜひ制度を使ってほしいと思う。
 そしてこの記事とも重複するが、使える制度はさまざまある。新型コロナウイルスの流行を受けて作られた制度も様々あるが、まだ実績がないのでここでは紹介しない。
 まず「今月の家賃も払えない」という人に勧めるのが、生活保護だ。
 ものすごくざっくり言うと、貯金がなくて収入のあても資産もなくて今の全財産が6万円以下くらいだったら受けられると思ってもらえばいい。ちなみに、働いていても受けられる。例えば月の収入が8万円など生活保護基準以下であれば、足りない分の給付を受けられる。生活保護はそういう使い方もできるのだ。そうして収入が生活保護基準を上回れば、生活保護を卒業すればいい。もちろん、自営業者だろうがアーティストだろうが受けられる。
 また、今住んでいる賃貸物件を追い出されそう、追い出されたという際には、住居確保給付金が使えるかもしれない。仕事を探すなどを条件に、一定期間の家賃が給付される。
 他にも求職者支援制度というのがある。職業訓練を受けながら月に10万円が支給される制度だ。使った人を結構知っているが、遅刻や欠席に厳しいので要注意。
 また、社会福祉協議会の貸付金もある。
 以上、紹介したものは、いろいろと条件があったりして自分がその対象になるかわからない場合も多いので役所の窓口で聞くといいだろう。が、親切に教えてくれる役所もあるが、中にはそうでない場合もある。湯浅誠氏は以前、そのような役所の対応を「メニューを見せてくれないレストラン」というような言葉で表現していたが、役所の中には、たくさんの素晴らしいメニューがあるのに決してそれを客には見せてくれない意地悪なレストランのようなところもある。「客」が一字一句メニューを間違えずに注文した場合のみ、「フッフッフ、お主、なかなかわかっておるな…」という感じでその料理を出してくれる(制度に繋げてくれる)という「道場か?」的な対応をするところもあるのだ。
 原稿の冒頭に札幌で餓死した姉妹のことを書いたが、そこの区役所がまさにそのような対応で、「若いから働ける」などと姉を3度に渡り追い返していた。このような対応を「水際作戦」という。極端だが、最悪、そういうところもあるということは覚えておいていいかもしれない。
 なぜ、公的な窓口であり、そこで助けてもらわないと「死ぬ」確率が一番くらいに高い窓口なのに、このような対応がまかり通っているのか。もちろん、親切に対応してくれる自治体も多くある。が、こういう「自治体格差」みたいなものがおかしいと思っていろいろやっているのが私のような反貧困運動の活動家である。ちなみに「一人じゃ不安」という人のために、窓口に同行してくれる支援団体もある(後述)。
 さて、いろいろ制度について書いてきたが、私が「生活が苦しい」「アパート追い出されそう」「所持金十数円で家も失った」など相談を受けた場合、だいたい前述のような制度を紹介し、しかし、最終的には多くが生活保護制度を利用する。制度によって雇用保険の対象外かどうか、求職できる状態かなど、さまざまな「条件」があるため、結局使えるのが生活保護しかないということが多いのだ。
 貧困問題に十数年かかわってきた身として今、強調したいのは、どうか貯金が尽きる前、住まいを失う前に相談してほしいということだ。一人でギリギリまでなんとかしようとして誰にも助けを求めず、住む場所を失い、所持金が30円くらいになって相談してくる人と少なくない数、会ってきた。そうなると電車賃もなければその日の食費、ネットカフェ代もないので、本人も支援する方も大変だ。それより、まだ数万円ほど手元にあって家賃は滞納しているけれど部屋を追い出されていないという方がもろもろ非常に楽である。本人のダメージが少なくて済む。そして生活を早く立て直せる。
 また、とりあえず食料だけが必要という場合にはフードバンクもある。
 と、ここまで書いてきたようなもろもろの制度を網羅しているのがビッグイシューの「路上脱出・生活SOSガイド」だ。全ページ無料で見られるので、今のうちに見ておいてほしい。無料低額診療や、「追い出し屋」対策の窓口も紹介されているし、窓口に同行支援してくれる支援団体の情報もある。この数ヶ月で、あなたの周りで「本当に困った」という人が必ず、出てくるはずだ。その時に、教えてあげてほしい。


  今日は、紹介したい記事がたくさんあって困った。また後で投稿するかもしれません。

昨日からの雪が積もりました。起きて窓を開けると幻想的な風景。

晴れた空のもと、風は冷たいが心地よい散歩道。

 

 


福島の子どもたちは今

2020年03月11日 | 社会・経済

福島県立高校養護教諭 森田奈津子
 「しんぶん赤旗」2020年3月10日

保健室から思う復興
 「『いかにも福島のことを考えています』みたいに言ってるけど、実際は違うよね」
 保健室でオリンピックのことが話題になった時の、生徒の言葉です。
 「震災と東京電力福島第1原発事故から間もなく9年」。この言葉を聞いて、子どもたちが少なからず傷つけられていたことや、いろいろと心に秘めていたことに改めて気づかされました。
 「聖火リレーは福島から」「復興オリンピックを」と盛り上がる中で、それを素直に受け入れられない子どもたちを、ただのひねくれ者とは思えません。
 9年間、少しずつ復興は進んでいますが、国全体で総力をあげて復興に取り組んでくれているとは受け取れない。それほど大変な経験や思いをそれぞれにしてきたのだと思います。
 原発事故による避難者であるA子は、保護者からの虐待が発覚して児童相談所に保護されました。最初は「家に帰りたくない」と言っていたA子ですが、いざ保護者から引き離されるときには泣いて抵抗しました。
 避難する前は、それなりに笑いに満ちた家庭だったようです。それが原発事故を境に環境が一変しました。保護者はアルコール依存症とパチンコ依存症もあり、まともな養育は望めないと判断されました。
 その後、A子は幸いなことに学校に復帰することができ、施設から毎日元気に登校しています。でも、その笑顔をみるたびに、どれだけのことを我慢しているのだろうと気になります。
 誰もが前向きになれるわけではない。マイナスの気持ちを持つこともある。どの子も安心して素直に自分の気持ちを話すことができる、そしてそれをしっかりと受け止められる、そんな保健室でありたいと思います。


「モーニングショー」に矛先

2020年03月10日 | 社会・経済

安倍首相と新型コロナ特措法 なぜ「モーニングショー」に矛先が向かったのか?
内閣官房、厚労省ツイッターが番組に反論
  文春オンライン 2020.3.10 プチ鹿島


    「100日後に死ぬワニ」が話題だが、あれが「この1、2週間で死ぬワニ」と言い続けていたら微妙だったはずだ。期限が曖昧だからだ。
 政府が出した「この1、2週間が瀬戸際」というコロナ対策も、言う人によってスタートの日付が違うので曖昧。そもそも2月24日の専門家会議の会見で尾身茂副座長は「3週ではないのかと言われれば3週かもしれないけど」と説明していた。これならワニの寿命も伸ばしていいのかもしれない。

「総理主導で進んでいるとアピールしたい」に反論
 さてそんな情報発信に注目していたら不穏な記事があった。

「番組での論評に反論投稿 内閣官房公式ツイッター」(朝日新聞3月7日)である。
 何があったかといえば、5日放送の「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日)で「特別措置法改正」にこだわった政府の狙いについて、
《後手に回った対応への批判を払拭しようと「総理主導で進んでいるとアピールしたい」とする政治アナリストのコメントを紹介した。》
 すると、内閣官房国際感染症対策調整室の公式ツイッターがわざわざ「法律改正をする理由はそうではありません。あらゆる事態に備えて打てる手は全て打つという考え」と投稿し、コメント内容を否定したのである。

内閣官房国際感染症対策調整室
@Kanboukansen 3月6日
【#新型コロナウイルス】
法律改正をする理由はそうではありません。あらゆる事態に備えて打てる手は全て打つという考えで法律改正をしようとしています。(2/3)

「これ、誰かに言わされているんじゃないか」
 菅官房長官も「事実関係の誤りを指摘するなど、政府から必要な発信をすることが自由な論評を阻害することになるとは考えられない」(6日の記者会見)と発言。
 つまり政府の見解が絶対に正しく、ほかの解釈はできないということになる。ああ、これこそ緊急事態ではないか。

このほか厚生労働省のツイッターも「モーニングショー」に反論していた。しかし「不正確な反論をして報道機関に再反論されたり」(毎日新聞3月7日)というまさかの展開となった。
 厚労省ツイッターが不正確な反論というのもギョッとするが、「これ、誰かに言わされているんじゃないか」と私は当初から感じていた。すると、
「官邸幹部が指示」
《首相官邸幹部は「事実と異なる報道には反論するよう指示した」と明かした。》
 というではないか(毎日新聞・同)。ああ、やっぱり。
 先ほど私は緊急事態と書いたがなんのことはない。いつもの通常営業だったのである。

「政府」「自民党」「厚労省」も同じことを言っていた
 ではここで読み比べの深掘りをしてみる。
「特別措置法改正」の狙いは「総理主導で進んでいるとアピールしたい」と番組でコメントをしたら政府ツイッターに反論されたというが、実はこれ、新聞記事ではいくつも出ていた論評であり解釈だった。別に政治アナリストだけではないのだ。
ではこのような論評が成り立つことを誰が言っていたのか?

 驚くなかれ、実は「政府」「自民党」「厚労省」なのである。引用する。
《政府・自民党内には「現行の特措法でも適用できる」「特措法を使うほどの非常事態ではない」との声もあるが、厚労省関係者は「官邸が法改正したいというので仕方ない」と話す。》(毎日新聞3月5日)
 となれば当然こういう論評も出る。
《野党を引き込む「道具」として、官邸主導で法改正を持ち出したようだ。法案審議で野党の協力が得られれば、政権批判が緩むことも期待でき、成立すれば「ウイルスと闘う」(首相)姿勢のアピールにもなる。》(毎日・同)
自民党中堅も「首相が『これをやりました』と言いたいためのもの」
 まだある。
 旧民主党政権で成立した特措法には対象疾病として「新感染症」も規定されていた。これではなぜダメなのか。以前から言われていたことである。するとこんな「証言」が。
《与党内からは「いまさら適用するとは言えない。『なぜもっと早く適用しなかったのか』と批判される」(公明党ベテラン)との声も漏れる。》(朝日3月5日)
 こういう証言があるから、次の見立ても出てくる。
《首相が野党党首に直接、法改正への協力を求めたのは、政権批判をかわす狙いもある。》
《特措法の改正後、政府は緊急事態を宣言することも視野に入れる。私権制限を含む対応を国民に求めても、野党の協力を得た法律となれば批判を分散できると見ている。》
 上の2つは朝日の論評(5日)だが、こちらも読んでいただきたい。
《公明党幹部は「実態よりも対策のアピールがねらいだろう」。自民党中堅も「首相が『これをやりました』と言いたいためのもの」と話す。》(朝日3月5日)
 いかがだろうか。新聞がする前に与党から「論評」されていたのだ。

なぜ官邸は、各ツイッターで否定させたのか?
 つまり、官邸はテレビ番組でのコメントを各ツイッターを使い否定させたが、その論拠となる証言は「政府」「自民党」「厚労省」など身内から出ていたことになる。いかに内部も呆れているかがわかる。
 この“情報流出”にイラッとなった官邸はテレビ番組に矛先を向けたのではないか。そうすれば自分たちの「いいお客さん」が支持してくれると踏んだのだろう。相殺されると計算したのだろう。しかしここでも後手後手となってしまったことになる。
 特措法改正だけでなく、中国と韓国からの入国者に対する検疫強化に対しても内部の声が紙面に出ていた。

《政府内にも動揺が走った。「驚いた。もう水際対策を緩めようと考えていたから」。ある政府関係者はこう語る。》(毎日3月6日)
 記事のタイトルは「また唐突 首相要請」だった。
読売新聞にも詳細な「論評」が載っていた。
「新型肺炎 水際対策 中国制限 後手に…『習氏国賓来日』控え配慮」(読売オンライン3月6日)
《後手に回っていた感が否めなかった。日本政府がこうした対応をとったのは、4月上旬に中国の習近平国家主席の国賓来日が控えていたことが大きく影響したとみられる。習氏の来日は、日中関係改善を目指す安倍外交の集大成として、重視されていた。日本政府関係者は「入国拒否の地域を拡大し、国賓来日に水を差すわけにはいかなかった」と明かす。》
 読売にも対応が後手と「論評」された。
 産経新聞は「防疫より中国に忖度したのか」(3月3日)と一面のコラムで早々に書いていた。これも「論評」だろう。
映画『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(ロブ・ライナー監督、2017年)は、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった大手新聞がブッシュ大統領の「イラクに大量破壊兵器の保持」を伝えるなか、疑問を持った中堅新聞社の報道を描いた作品だった。
 そのなかで支局長が記者たちに言うセリフがある。「政府が何かしたら必ずこう問え。それは真実か?」 。政府の情報だけを報じるのはただの広報なのである。 その都度疑問を持ちチェックするのは当たり前の姿勢というセリフ。 
 今回の件、メディアの論評すら牽制し、政府の公式見解だけを強調する姿勢はおかしい。そして何より焦りがみえて危なっかしい。政府の苛立ちは野次馬案件でもあるが、国民にそのうち返ってくるかもしれない危険な現実であると思う。
 政府が緊急事態宣言を出すというなら、メディアは異常事態宣言を出したらいかがだろうか。


 安倍政権だからこそ「緊急事態宣言」は危ないのだ。アベの大好きな「おもちゃ」だ。

 今日は一番の暖かさ。+7℃を上回る。昼過ぎからは雨になる。これで融雪も進むだろうが、明日の天気予報は雪。

散歩道(以下は昨日の晴天時の様子。)
高速道路の脇道が除雪され、散歩道になった。

こちらの橋から奥の橋を渡って一回りするとおよそ2500歩。緑の屋根はバス停に下りる階段。

融雪剤(木灰)を撒く。

わずか、水面が出てきた。


「茶番」会見を変える

2020年03月09日 | 社会・経済

安倍総理「茶番」会見を変える 署名活動に込めた新聞労連委員長の覚悟

立岩陽一郎  | 「インファクト」編集長 3/8(日)

    新型コロナウイルス対策についての安倍総理の記者会見をきっかけに、事前にやり取りが決められた総理大臣の会見の在り方を変えるための署名活動が始まっている。呼びかけたのは新聞労連の南彰委員長。署名はオンラインで集めるもので、当初の予定だった1万を超えた。南委員長は署名の狙いは「報道機関を変えること」と明言した。

 署名を呼び掛けるオンライン・サイト
「十分な時間を確保したオープンな「首相記者会見」を求めます!」とする署名活動がオンライン上で始まっている。 

十分な時間を確保したオープンな「首相記者会見」を求めます!

    新型コロナウイルス対策に関する安倍総理の記者会見が事前に質問が提出され安倍総理が答弁書を読むだけだったことに加えて、江川紹子氏などが「まだ質問が有ります」と呼びかけても打ち切られたことで、総理大臣の記者会見への批判が高まっている。署名活動は、自由な質疑を行える首相会見を求めたもので、署名者は3月8日の昼過ぎに当初の予定だった1万人を超えた。 
    求めているのは、従来の慣行である官邸記者クラブ主催ではない形での記者会見。具体的には、日本記者クラブ主催にし、参加者の枠を広げて自由に質問できる場を作るというものだ。 
    署名活動の主体は、MIC(マスコミ文化情報労組会議)だが、その発案者は全国の新聞の労働組合で作る新聞労連の南彰委員長だ。南氏は朝日新聞の政治部記者で、官邸記者クラブに所属していたこともある。 

変わるべきは報道機関

    南氏は私の取材に、開口一番、「マスメディアが改革してこなかったつけが出ている」と話した。どういうことか? 
「安倍総理は報道の自由について否定的な姿勢が顕著です。そして、同時に、平成の30年あまりかけて進められた権力の一極集中が安倍政権で完成した。これによって、今まで慣行として行われていたものの、あまり目立って問題にならなかったものが、一挙に目に見える形で出てきている」 
そして言った。 
この署名は、官邸を動かすというより報道機関を動かすという取り組みです。その狙いは、報道機関を変えることにあります。署名のあて先は官邸が最初に来て、次が報道機関になっていますが、本当は報道機関を先にもってくるべきだと思っています」 
では、なぜそれは署名活動だったのか? 
「マスメディアへの不信感が有る中で、署名を集めることで、『変えないといけない』という意見を可視化させる必要が有ると考えたのです。それには署名活動しかないと考えました」 
そう考えたタイミングが有ったという。 
「2月29日に記者会見が行われ、その会見のことが国会でも審議された。そこで安倍総理自身が、会見にシナリオが有ると公言した。それを3月3日の朝日新聞が記事にしたが、『これは、報道機関が釈明しているだけではすまない』と思った。マスメディアが変わることが問われている時に、記者クラブ制度の中で、マスメディアには、政権に対して適切な会見を全会一致で求めるという感覚がない。これは、何かしないといけないと思ったんです」 
「可視化が必要なんです」と、南氏は強調した。 

安倍政権で変わった状況

    私はYahoo!ニュース個人で安倍総理大臣と記者との会食、そして安倍総理大臣の会見を問題にしてきた。その中で指摘したのは、これは安倍総理だから行われたことではなく、従来の慣行だという点だった。それは南氏の冒頭の、「マスメディアが改革してこなかったつけが出ている」という言葉と符合する。 
    しかし、朝日新聞で政治部記者として政治を見てきた南氏は、安倍政権で特にそれが際立った事情が有ると話した。 
「官邸記者クラブにいた時から、総理大臣の会見が儀式に近いというのは感じていた。それでも問題だと感じなかったのは、会見とは別に取材の場が有ったからなんです」 
    どういうことか? 
「歴代の総理大臣は官邸記者クラブとの間にルールを持っていて、例えば、テレビの単独インタビューは順番に行う。そして、そのタイミングで新聞、通信各社は3社を1つのグループにして取材を受ける。そこで厳しい質問も含めてやりとりをするということをしていた。だから、NHKの中継で全国に流される記者会見は儀式の様になっても、それは仕方ないという考えが有ったんです」 
それが安倍政権になって変わったという。 
「2012年に政権復帰して、先ず慣例を無視して産経とTBSの単独インタビューに応じたんです。ただ、最初はそれでも平等に応じる姿勢は見せていました。しかしそのうち、それが変わります。産経とNHKに対する取材対応が突出していきます。そして民放の情報番組にも出る」 
安倍総理は明確に、自身にとって都合の良いメディアを選ぶということを始めたということだ。しかし、「メディア側はそれをのまざるを得なかった」という。なぜか? 
「そもそもなんで(官邸)記者クラブだけで(総理大臣への取材を)独占しているのかというメディア不信を官邸側にうまく使われているんです。確かに、そう言われると弱い。そこでうまくコントロールされているわけです」 
巧妙な安倍政権ということか? 
「そう思います。ですから、マスメディアが変わらないと何も変わらない。今、取材の過程そのものが可視化されているわけです。取材の過程が不信の目で見られたら、新聞もテレビも信頼は得られない。会見できくべきことをきく。勿論、会見以外でも取材はするが、会見でしっかりと取材するというところに立たないといけない。『表』はきかなくてよいから懇談の様な『裏』できく、というのはもう通用しない」 
    集まった署名は官邸と報道機関に送る予定だ。南氏は、「既にマスメディアは共犯関係にある」と言い切った。 
「儀式としての首相会見はなぜ成り立っているかというと(官邸)記者クラブが支えるから儀式が貫徹している。そこを国民が見ている。ここを脱しないといけない」 

新たな会見のイメージとは

    実は、この署名集めには、特に私の様な主要メディアに属していないジャーナリストから批判が有る。それは、「そもそもこれは新聞、テレビが作り上げてきたものであり、その中でフリーのジャーナリストを排除してきたのは政府というよりも、新聞、テレビといった主要メディアではないか」という不信感から来る。それについて南氏に問うた。 
    「その不信感を私自身も突き付けられました。賛同者になってくれた方の中には、そうした不満を持ちつつも、今は動かすことだと賛同してくれた方もいます。それを私たちは受け止める必要が有る」 
では、署名の中で求めている日本記者クラブでの記者会見はフリーのジャーナリストも参加できる「オープンな会見」になるのだろうか? 
「日本記者クラブでやるという趣旨は、日本記者クラブは報道界全体で考える場として面々が集まっている場としてという意味です。現状は会員になっている人しか入れないが、首相会見については会見に出られる枠を広げていく必要がある。フリーランスで頑張っているジャーナリストも出てもらう必要があると考えます」 

改革のチャンス

    これまで続いてきた慣行の弊害が、安倍政権で一気に噴き出したと言った南氏。一方で、安倍政権によって改革のチャンスがもたらされたととらえている。 
「歴代の自民党政権はそれなりに民主主義を考えていた。マスメディアはそうした政治家の良識に甘えていた。それが第二次安倍政権になって新しい時代になった。マスメディアにとっては試練だが、それは良い試練だと思う。それを一つ一つ解決していかないといけない」 
    そして最後に言った。 
「今起きていることは安倍政権で終わるわけではないんです。安倍政権はいつか終わる。しかし、安倍政権によって顕在化したマスメディアと権力との関係は消えることはない。だから、今、変える必要がある」 
署名活動のサイトには、権力を憲法で縛る立憲主義を説いた本として知られる「檻のなかのライオン」の挿絵が使われている。権力をライオンに、憲法を檻に例えた事例が話題となった一冊だ。南氏が頼んで使わせてもらったという。 
    マスメディアは檻の役割を担えるのか?それとも、ライオンを野に放つために檻を壊す側にまわるのか? 
署名は3月10日にも、官邸と官邸記者クラブに加盟する報道各社に送られる。

立岩陽一郎 
調査報道とファクトチェックを専門とする「インファクト」編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクとして主に調査報道に従事。政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「ファクトチェック最前線」「トランプ報道のフェイクとファクト」「NPOメディアが切り開くジャーナリズム」「トランプ王国の素顔」など。


Women's DAY2020

2020年03月08日 | 社会・経済

<女性に力を>「あなたは一人じゃない」 フラワーデモから1年 きょう国際女性デー

 東京新聞 2020年3月8日 07時03分
 
 月に一度、花を持って街角に集まり、性暴力被害者の声に耳を傾ける「フラワーデモ」が始まってまもなく一年。相次いだ性暴力事件の無罪判決に怒った女性らが東京と大阪で始め、自主開催が各地へ広がった。国際女性デーの八日は、新型コロナウイルス対策のためネット中継なども駆使し、ほぼすべての都道府県で開かれる。沈黙を破った被害者の語りは、社会を少しずつだが確実に変えようとしている。 (出田阿生)

 「あんなに大勢集まるとは」。デモ呼び掛け人で作家の北原みのりさんは、東京駅前に四百人以上が集まった昨年四月の第一回を振り返る。性暴力は被害者側の「落ち度」で「恥」だとする圧力があり、多くの人が被害を隠してきたからだ。
 自発的にマイクを握り、震える声で話し始める人が次々現れた。参加者は花を手に静かに見守る。語り手が涙で言葉に詰まると「大丈夫だよ」と声が掛かる。不特定多数の人に見られる場なのに、安心感が漂う。ある参加者は「奇跡のような空間」と語った。

 神奈川県の森澤法子さん(48)は、十四歳から高校時代まで父にレイプされ「誰かに話したら一家心中だ」と脅されていた。「自分の体を引き裂きたかった」
 結婚、出産し、一時は落ち着いた。だが昨年三月、娘を中学生の時から性虐待してきた父親を無罪とする名古屋地裁岡崎支部判決が報じられると、長年抑えていた苦しみが噴き出した。
 昨年八月、東京駅前のデモでマイクを握った。「本当は助けてほしかった」。十四歳の時に言えなかった言葉を初めて言えた。「膝がガクガク震えた。でもみなさん真剣に聞いてくれて、その気持ちが温かくて」
 地元にも同じように苦しむ人がいるはずだ-。「あなたは一人じゃない、と伝えたい」。十二月から横浜市でデモを開催。男性や性的少数者の人も参加する。
 群馬県高崎市でデモを開く田嶋みづきさん(33)は「実際の被害がどんなものか伝えることで、世の中を変えられる」と信じている。
 その兆しはある。性暴力被害を訴え、刑事事件としては不起訴にされたジャーナリスト伊藤詩織さんが昨年十二月、民事訴訟で勝訴した。今年二月には福岡高裁が、泥酔させた女性への準強姦(ごうかん)罪に問われた男に、一審無罪を覆し有罪判決を言い渡した。
 月一回の定期開催は今回が最後で、今後は各地がそれぞれのタイミングで開く。呼び掛け人の一人、編集者の松尾亜紀子さんは「全ての都道府県に広がった。このうねりは止まらないと思う」と話している。

<国際女性デー> 女性の政治的・社会的な自由と権利獲得を語り、行動する日。多くの国で記念行事が行われる。20世紀初めに北米や欧州で女性が選挙権や労働条件改善を求め声を上げたのが始まり。1975年に国連が3月8日と定めた。この日にイタリアで男性が女性へ贈る花の名前から「ミモザの日」とも。
(東京新聞)


昨年4月のスタートから回を重ねるごとに開催地が増えていったフラワーデモ=先月11日夜、東京駅前で(出田阿生撮影)


新型コロナ対策

免疫に関する専門家のビデオですので、傾聴する価値はあるのかと思い、ご紹介いたしました。

古賀チャンネル #012

「地球温暖化にも緊急の対策を」
ブリュッセル 4000人デモ行進
    「しんぶん赤旗」2020年3月8日
 ロイター通信によると、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(17)とともに約4000人が6日、ベルギーの首都ブリュッセルをデモ行進し、各国政府が新型コロナウイルス対策ほどの緊急性を持って地球温暖化に対応していないと抗議しました。
 海洋生物学の学生アンダガさん(25)は「コロナウイルスを心配して何人かの友人は参加しなかった。私もその心配はあったが、行進への参加をやめるほどではなかった」と話しました。
 映像作家のフロ氏は「各国政府は、コロナウイルスの状況が大変だとみんなに気付かせ、対策を取るよう行動している。ところが気候変動になると、ほとんど手をうっていない」と話しました。
 トゥンベリさんは「気候と環境の非常事態が長く無視されてきたのは恥ずべきことだ。一度も危機のように扱われてこなかった危機のなかに私たちはいる」と訴え、気候変動対策の強化を訴えました。


安倍政権と内調の闇を暴いた映画『新聞記者』が日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞する快挙! 主演女優賞、主演男優賞も

2020年03月07日 | 映画

  リテラ 2020.03.06


 快挙と言っていいだろう。安倍政権を批判した映画『新聞記者』が、本日発表された第43回アカデミー賞で、最優秀主演女優賞、最優秀主演男優賞、さらに最優秀作品賞を受賞した。
 主人公の女性記者を演じたシム・ウンギョンが、最優秀主演女優賞。受賞を予想していなかったと号泣しながら、共演者たちへの感謝を述べた。
 もうひとりの主人公・内閣情報調査室ではたらくエリート官僚を演じた松坂桃李も、最優秀主演男優賞を受賞。これほど踏み込んだ作品のオファーを受けた理由を問われ「純粋にこの作品の根底に、いろんな情報があるなかで、自分の目で自分の判断でちゃんと意思を持とうよっていうメッセージ性がしっかりと込められているなと思ったので」と答えた。
 さらに最優秀主演男優賞受賞が決まると、松坂は『新聞記者』が世に出るまでの紆余曲折・苦労をこう打ち明けた。
「この作品は、僕の知る限り、実現するまで二転三転四転五転ぐらい、いろんなことがあって。それでもこの作品を届けたいという人たちが集まって、撮り切ることができました。僕自身もものすごく、10年ちょっとですけど、やってきて、ものすごくハードルの高い作品、役だと思ったんですけれども、ウンギョンさんと一緒にお芝居できて、最後まで駆け抜けることができました」
 映画公開にいたるまでたくさんの紆余曲折があったのも、演じることに高いハードルがあったのも、言うまでもなく、この作品が安倍政権の闇、とりわけ官邸の“謀略機関”となっている内閣情報調査室を描いた作品だからだ。
 本サイトが、公開前日にこの映画を紹介した記事を以下に再録するので、ご一読いただきたい。
 権力者から直接的な命令はなくともその意向を忖度し、同調圧力のもと民衆同士も空気を読み合い監視し合う、ゆるやかな全体主義ともいえる安倍政権下の日本。そこで奪われているものは何か、それを打破するために必要なものは何か。
 受賞をきっかけに、あらためてこの映画の突きつける問いを多くの人に受け止めてもらいたい。
(編集部)
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 明日、あまりに衝撃的な一本の映画が全国公開される。菅義偉官房長官に果敢に切り込みつづけている東京新聞・望月衣塑子記者の著書を原案とした藤井道人監督の『新聞記者』だ。
 一体、何が衝撃的なのか。それは、劇映画というフィクション作品でありながら、ここ数年のあいだに安倍政権下で起こった数々の事件をまさに総ざらいし、あらためてこの国の現実の“異常さ”を突きつけていること。そして、その“異常さ”の背後にある、官邸の“謀略機関”となっている内閣情報調査室の暗躍を正面から描いていることだ。
 ストーリーは、東都新聞という新聞社に、ある大学新設計画にかんする極秘文書がFAXで送られてくることからはじまる。取材に動くのは、日本人の父親と韓国人の母をもち、アメリカで育った女性記者・吉岡エリカ(シム・ウンギョン)。そうした最中にも、政権に絡んだきな臭い問題が立てつづけに起こるのだが、その裏側で動いているのが、内閣情報調査室だ。
 内調に出向している若き官僚・杉原拓海(松坂桃李)は、粛々と任務をこなしていた。政権を守るための情報操作に、政権に楯突く者たちを陥れるためのマスコミ工作……直属の上司である多田内閣参事官(田中哲司)は「国のため」「国民のため」だと言うが、そんななかで杉原の元上司である官僚が自殺したことをきっかけに、吉岡が追う大学新設計画にかんする国家ぐるみの計画を知ることになるのだが──。
 観客にとってきっと忘れられないシーンになるであろうラストまで、息をつかせない重厚な政治サスペンスが繰り広げられる『新聞記者』。だが、あらためてハッとさせられるのは、物語を大きく動かしていく大学新設計画の問題のほかにも、政権に睨まれた元文科省官僚に対するスキャンダル攻撃や、“総理ベッタリ記者”による性暴力被害ともみ消しを訴える告発、政権とメディアの癒着・圧力、官僚の自殺など、さまざまな事件が起こってゆく点だ。
 微妙な違いはあるものの、これらは言うまでもなく、この国で実際に起こった森友公文書改ざん問題での近畿財務局職員の自殺や、加計学園問題に絡んだ前川喜平・元文科事務次官に仕掛けられた官邸による謀略、伊藤詩織さんによる告発などが下敷きになっている。実際、本作の企画・製作をおこない、エグゼクティヴ・プロデューサーを務めている河村光庸氏は、このように述べている。
「これらの政治事件は本来であれば一つ一つが政権を覆すほどの大事件です。ところがあろうことか、年号が令和に変わろうが継続中であるべき大事件が一国のリーダーと6人の側近の“令”の元に官僚達はそれにひれ伏し、これら大事件を“うそ”と“だまし”で終りにしてしまったのは多くの国民は決して忘れはしないでしょう」(「論座」6月23日付)
 普段、御用メディアによる報道しか接していない人がこの映画を観れば、「こんな腐敗や不正が立てつづけに起こるなんてフィクションだ、映画の世界の話だ」と思うかもしれないが、これはすべて実際に、短期間のあいだに起こったことなのだ。逆に、この一連の動きを知っている観客ならば、本作によって、あらためてこの国の現実に背筋が凍ることは間違いない。
 そして、なんと言ってももっとも衝撃的なのが、官邸と一体化した内閣情報調査室の暗躍ぶりだ。「こんなことまでやっているのか」と驚愕させられる謀略の数々に、これもまた観客のなかには「映画だから」と言う人もいるかもしれないが、内調の問題を追及してきた本サイトから先に言っておくと、映画が描いている内調の謀略は現実にやっていることがほとんどだ。
 たとえば、映画では、伊藤詩織さん事件をモデルにしたと思われる事件をめぐり、松坂演じる杉原が上司に命じられるままチャート図をつくって週刊誌に横流しするシーンが出てくるが、現実でも同じことが起きていた。伊藤詩織さんが司法記者クラブで実名顔出しで記者会見をおこなった際、詩織さんと詩織さんの弁護士と民進党の山尾志桜里議員の関係をこじつけ、詩織さんを「民進党関係者」だとするフェイクチャート図の画像がネット上に出回ったが、これも、内調が謀略チャート図を政治部記者に流していたと「週刊新潮」(新潮社)が報じているし、本サイトの調査では、内調が情報を直接2ちゃんねるに投下した可能性すらうかがわれた。
本物の前川喜平氏も映画に登場し“出会い系バー”通いの謀略を証言!

 さらに、映画には、前述したように、前川喜平元文科事務次官の“出会い系バー通い”リーク問題を下敷きにしたと思われる事案も登場する。
 本サイトでは繰り返しお伝えしてきたが、前川氏の“出会い系バー通い”の情報は、もとは公安出身の杉田和博官房副長官や内調が調査して掴んだものだったという。それを使って加計学園問題の「総理のご意向」にかんする前川氏の告発の動きを封じ込めるために、読売新聞にリークしたのだ。
 当時、本サイトはいち早く報じたが、じつは読売の記事が出た直後から、官邸記者クラブのオフレコ取材では読売記事についての話題が出ていた。そのなかで読売に情報を流したと言われている安倍首相側近の官邸幹部が、記者にこう言い放っていたことをキャッチしている。
「読売の記事にはふたつの警告の意味がある。ひとつは、こんな人物の言い分に乗っかったら恥をかくぞというマスコミへの警告、もうひとつは、これ以上、しゃべったらもっとひどい目にあうぞ、という当人への警告だ」
 内調と官邸が一体化し、告発者だけではなくマスコミまで恫喝するために、何の事件性もないものを最大手の新聞社に記事として掲載させる──。とんでもない話だが、映画では、この内調の前川元次官に対する謀略報道とそっくりなディテールが登場するのだ。
 しかも、驚いたのは、前川氏本人が映画に登場したことだ。主人公が見ている「番組」という設定で、前川氏や新聞労連委員長で朝日新聞記者の南彰氏、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長であるマーティン・ファクラー氏、そして原案者である望月氏の座談会の模様が挿入されるのだが(この動画は公開前に「ハフィントンポスト」がYouTubeで公開中)、前川氏はそのなかで週刊誌にも“出会い系バー通い”がリークされたことを明かしている。
「あるほう(「週刊新潮」)は『新宿である店に出入りしているそうだけども、その話が聞きたい』と言ってくる。もうひとつのほう(「週刊文春」)は『そういう話を聞いたんだけども、そっちの話じゃなくてあっちの話を聞きたい』と。そっちは書かないけれども、書かない代わりに、ある大学の獣医学部設置にかかわる内情を聞きたいと。そういうアプローチがあったんですよね。これは非常にわかりやすかった。それは出所は同じだったんだろうと思うわけでね」

原案の望月記者も「望月さんを内調が調べ始めた」と国会議員らから聞かされたと証言

 もうひとつ興味深かったのは、この座談会で、東京新聞の望月記者も自分が内調に狙われていたことを明かしたことだ。
「私自身の記憶で言うと、やはり非常にバトルを官房長官とやっていたときに、ある内調(の人物)が、非常に仲が良いと、私はその議員が誰だか知らないんですけど、その国会議員に、内調が『望月さんってどんな人?』という調べる電話をかけてきた。この国会議員が非常に仲が良い、あるジャーナリストの人に『望月さんのこと内調が調べ始めたよ』という話をするんですね。この人(ジャーナリスト)から私に『望月、調べられているから気を付けておけ』っていう」
「彼(内調)が知っている政治家とかジャーナリストを使って、あなたを見ているんですよと、ウォッチングしているんですよ、ということを、やっぱり政権を批判的に言ったり厳しめにつっこんでいる私とかに対して、間接的な圧力になるように、そういうことをやると」
 官房長官会見で質問をおこなうことは記者として当然の行為であり、それに答えるのが官房長官の務めだ。しかし、その当然のことをするだけの望月記者に質問妨害をおこなったり、官邸記者クラブに恫喝文書を叩きつけている官邸。だが、それだけではなく、内調を使ってこんな脅しまで実行しているのだ。
 いや、内調と官邸による情報操作、マスコミ工作は映画で描かれているもの以外でもいくらでもある。
 たとえば、2014年、小渕優子経産相や松島みどり法相など、当時の安倍政権閣僚に次々と政治資金問題が噴出した直後、民主党の枝野幸男幹事長、福山哲郎政調会長、大畠章宏前幹事長、近藤洋介衆院議員、さらには維新の党の江田憲司共同代表など、野党幹部の政治資金収支報告書記載漏れが次々と発覚し、政権の“広報紙”読売新聞や産経新聞で大きく報道された(所属と肩書きはすべて当時)。ところが、この時期、内調が全国の警察組織を動かし、野党議員の金の問題を一斉に調査。官邸に報告をあげていたことがわかっている。
 
 また2015年、沖縄の米軍基地問題で安倍官邸に抵抗していた翁長雄志・沖縄県知事(当時)をめぐって、保守メディアによる「娘が中国に留学している」「人民解放軍の工作機関が沖縄入りして翁長と会った」といったデマに満ちたバッシング報道が巻き起こったが、これも官邸が内調に命じてスキャンダル探しをおこない、流したものといわれている。
 野党や反対勢力だけではない。前川氏に対してもそうだったように、内調は官僚の監視もおこなっている。2017年には韓国・釜山の総領事だった森本康敬氏が電撃更迭されたが、これは森本氏がプライベートの席で慰安婦像をめぐる安倍政権の対応に不満を述べたことを内調がキャッチ。官邸に報告した結果だったと言われる。

報道の萎縮が進行するなか、映画『新聞記者』が突きつけるメディアの使命!

 まるで映画のような話だが、この映画のような謀略が、この国では当然のようにおこなわれているのである。そういう意味では、『新聞記者』が描いているのはフィクションではなく、まさに現実なのだ。
 しかし、このような独裁的な振る舞いを平気で見せる安倍政権下で、状況をさらに悪くさせているのは、あらためて指摘するまでもなく、メディアの姿勢だ。映画『新聞記者』は、吉岡記者の姿を通し、強大な権力と対峙する恐怖のなかでも真実を伝えようとするジャーナリストの使命を浮き彫りにしている。
 前述したエグゼクティヴ・プロデューサーの河村氏は、製作にあたっての思いをこうも述べている。
「前提としてですが、私はどこかの野党や政治勢力に与するものではありませんし、この作品は一人の記者を礼賛するでもありません。むしろ報道メディア全体、記者一人一人に対するエールを送るつもりで作りました。
「これ、ヤバいですよ」「作ってはいけないんじゃないか」という同調圧力を感じつつ映画を制作し、宣伝でも多くの注目を浴びつつも記事にはしてもらえず、それでも何とか公開まで持っていこうというのが今の状況です」
 大手メディアで政権への忖度がはたらき、報道の萎縮が進行しているなかで、映画でこの国の問題に正面から向き合う──。河村氏をはじめ、見事な作品へと昇華させた藤井監督、製作側の思いに応えたキャスト陣(とりわけ人気俳優でありながら、この挑戦的な作品に主演した松坂桃李)には、大きな拍手を送りたい。そして、ひとりでも多くの人が劇場に足を運び、映画のヒットによって大きなうねりが生まれることを期待せずにはいられない。
(編集部)

⁂  ⁂  ⁂

 最優秀監督賞は「翔んで埼玉」の武内英樹監督、最優秀助演男優賞は「キングダム」の吉沢亮さん、最優秀助演女優賞は同映画の長澤まさみさん、最優秀アニメーション作品賞は「天気の子」、最優秀外国作品賞は「ジョーカー」に贈られた。
 他の主な部門の最優秀賞は以下の通り。(敬称略)
 美術賞=斎藤岩男(キングダム)▽撮影賞=河津太郎(同)▽録音賞=久連石由文(蜜蜂と遠雷)▽編集賞=河村信二(翔んで埼玉)(東京新聞)


内田樹「打って一丸」の危うさ

2020年03月07日 | 社会・経済

BLOGOS 2020年03月06日 
  内田樹

 ある媒体のロングインタビューの中で「打って一丸となる」ことの危うさについて語った。日本人が「打って一丸」となるとだいたいろくなことはないのである。では、国難的状況でわれわれはどうしたらいいのか。

──内田さんの『生きづらさについて考える』を読んでいて目から鱗だったのは、政権与党側が、わざとまともに質問に答えなかったり、ヤジを飛ばしたり強行採決したりして、もはや議会制民主主義が機能していないという印象を与えることで、計画的に投票率を下げている、という分析でした。

 立法府に対する信頼を掘り崩してゆくことが自民党の長期的な狙いで、それは成功しています。国会審議は無意味な政治ショーに過ぎない、国会議員というのは知性においても徳性においても優れた人間ではないというイメージを広めてゆけば、有権者は選挙に関心を失います。投票率が下がれば、今の選挙制度では、組織票を持っている政党が勝ち続ける。

 安倍政権はその計画的な国会審議の空洞化にはみごとに成功したと思います。どんな質問にもまともに答えない、平然と嘘をつく、前言と矛盾してもまったく気にしない、与党が出す法律はどれほど野党が反対しても最後は強行採決される・・・そういうことを7年繰り返していれば、国民も「国会には存在理由がない」と思うようになります。結果的に、閣議決定や内閣の恣意的な法解釈が国会での審議や立法を代行するようになりつつある。「法の制定機関」と「法の執行機関」が同一である政体を独裁制と呼びますから、その定義を適用すると、安倍政権はすでになかば事実上の独裁制になっています。

 これまでの憲政の常識を当てはめればもう10回くらいは内閣総辞職していないとおかしいくらいに失政・不祥事が続いているにもかかわらず、安倍政権は何ごともないように延命して、憲政史上最長記録を日々更新しています。

 ふつうは内閣支持率が6割近くないと円滑な政権運営はできないので、どんな内閣も国民のマジョリティの同意をめざして政策を立案するものですけれど、安倍内閣は違います。30%ほどいる自分のコアな支持層だけに受ける政策を採り続けている。そして、確かにそれで十分なのです。というのは、残り70%の有権者は自分たちの意志はしょせん国政には反映しないという無力感に蝕まれているので、投票のインセンティブを失っているからです。「自分たちの意志が国政に反映されている」と感じる30%と「何を訴えても国政には反映されない」と感じる70%に有権者を二分すれば、30%が選挙では勝ち続ける。そういう仕掛けです。

──それにより安倍政権は歴代最長の政体になりましたが、いまの政権や自民党の状況は、これまでの日本の政治のなかでどのように位置づけられるでしょう?

 末期です。安倍政権が終わった時に同時に自民党という政党も終るでしょう。自民党がかつてのような国民政党としてもう一度党勢を回復するということはないと思います。

 70%が反対する政策であっても、30%が支持すれば実施できるという成功体験に自民党は慣れ過ぎました。国民を分断して敵味方に分けて、味方を優遇して敵を冷遇するというネポティズム政治しか彼らは知らない。立場の違う人たちと対話して、譲るところは譲って、「落としどころ」を探るというような高度な交渉技術を持っている政治家はもう自民党内にはいません。かといって野党政治家にそれだけの力量があるかと言えば、これも心もとない。でも、ポスト安倍期に必要なのは、60年安保闘争で岸信介が国民を二分してしまった後に登場してきた池田勇人が「寛容と忍耐」を掲げましたけれど、あれと同じような「国民の再統合」だと思います。

──そのような状況が変わる可能性はあると思いますか?

 分断された国民の再統合が果たさなければ日本に未来はないですから。でも、「打って一丸となる」ということを勘違いしないで欲しいんです。高度経済成長期もバブルの時もそうでしたが、どちらの時期も、日本人は金儲けに夢中でしたが、国民的な分断はなかった。僕のような反時代的な、生産性も社会的有用性のまるでない人間のことも構わず放っておいてくれた。「なんで金儲けをしないんだ。バカじゃないか」と冷笑はされましたけれど、していることを「やめろ」と言われることはなかった。みんな自分の仕事に忙し過ぎて、隣の人がやっていることに口を出す暇がない。それが僕の考えるとりあえず現実的な国民再統合のイメージです。

 今日本は分断されていますけれど、それは隣の人間のやっていることをうるさく詮索して査定して、気に入らないと「非国民」とか「反日」とかレッテル貼りをするバカが湧いて出ているからです。「日本人は一つにまとまるべきだ」と言い立てながら、国民的分断を進めている。そのせいで日本はここまで国力を失った。

「自分がほんとうにやりたいことに専念する」というのが一番生産性を高めるふるまいであることはどなたでも同意して頂けると思いますけれど、ただし「専念する」には「他人のことに構ってる暇がないほど」という条件がつくんです。

 隣の人間が何しようとどうだっていいんです。自分が何をするかだけが問題なんだから。幕末のころには「志士」というのが大挙して登場しましたけれど、あの人たちは「オレが頑張らないとこの国はダメになる」と思っていた。個人の努力が国の運命を左右する、と。そういう一種の関係妄想を病んでいる人間の人口比率が一定の値を超えると、国力は増大し、国運が向上する。逆に、その比率が少ないと(つまり「オレが何をしようと、国の運命には影響がない」と思っている人ばかりだと)、国運は衰える。明治の日本が東アジアで例外的に短期間に近代化に成功したのは、その比率が例外的に高かったからだと思います。

 でも、安倍政権は70%の国民に対して、「自分が何をしても世界は変わらない」という無力感を刷り込み続けて、ついにそれに「成功」してしまった。残り30%は「オレが別に頑張らなくても、あっちの方からぜんぶお膳立てしてくれる」という居心地のよいネポティズム政治に居着いてしまった。「オレが頑張らないとこの国はダメになる」という使命感に身を焦がす・・・というタイプの人間を減らすことを制度的に推進したのです。それでは国力も低下します。

 安部政権は個人の努力が国運向上にリンクするという幻想をみごとに粉砕しました。そうすることで、無気力な、権威に尻尾を振るだけのイエスマンの大量育成には成功しましたけれど、そんな人間をどれほど頭数揃えても、国は衰えるばかりです。


新型コロナは中高年ほど重症化 肝心の「免疫力」とは何か

2020年03月06日 | 健康・病気

   日刊ゲンダイヘルスケア 2020年03月06日


    新型コロナウイルス感染症で、感染リスクが高く重症化しやすいのは中高年だという。中国の疾病管理予防センターが2月上旬までのデータを分析したところ、年代別致死率は40代は0・4%だが、50代1・3%、60代3・6%、70代8・0%、80代以上14・8%だった。しかも、感染に気付かずに活動する若い世代からウイルスをうつされる危険性があるというから恐ろしい。新型コロナウイルス感染症には有効な治療法はない。回復するか否かは患者の免疫力次第だ。そんな中、中高年は何をしたらいいのか。「弘邦医院」(東京・葛西)の林雅之院長に聞いた。

「よく、免疫力をアップさせれば感染症は防げるのではないか、と考える人がいますが、そう簡単ではありません。そもそも免疫力という言葉は曖昧で、科学的な用語ではありません」

    (中略)

 ウオーキングやストレッチなどで白血球やリンパ球が流れる血液やリンパの循環を良くすれば免疫を高めることは可能です。しかし、運動習慣のない人が急に運動をすれば、それだけでストレスとなり逆効果です。それなら、免疫力アップよりも低下しないことを考えることが大切です」

 実際、「余命3カ月」を宣告された男性のエイズ患者が落ちていた免疫力を元に戻すことで3年間延命したという話があるという。

「当時は今ほどエイズという病気がわかっておらず、その男性は家族と離れて孤独な闘いを強いられていました。主治医が、死期が近いその男性と子供たちを毎日会えるように取り計らったところ、男性はすっかり元気を取り戻して笑顔で過ごすようになりました。最終的にエイズで亡くなったのですが、人と触れ合うことが免疫力を回復させ、長生きにつながったのだと思います」

 笑いや人との交流が人間の免疫力を維持・強化させ、逆に孤独は免疫力を低下させ肥満や喫煙と同程度の病気リスクとなることが知られている。

 ところが今は感染拡大阻止のため、風通しの悪い空間で至近距離から話すのは控えるよう促されている。テレワークが推奨され、カラオケ、立食パーティー、自宅での大人数での飲み会も危険とされている。これでは中高年は行き場がない。
「私は、中高年は部下や大勢の飲み会は避けるにしても、感染リスクに配慮しつつ少数の親しい同年代同士でお酒やお茶を楽しんだりしてストレス解消するのも手だと思います。若い人をあまり見かけないゴルフ場に出かけるのもいいでしょう。サラリーマンの多くは今が年度末で慌ただしいうえ、異動や転勤など心が不安定になりやすい。自営業者にとっても借金の返済を迫られる時期でストレスがかかります。子供の受験もあり、離婚件数も多い。なにより3月は自殺が一年間でもっとも多く、政府も例年、自殺対策強化月間に指定しています。新型コロナウイルスに打ち勝つだけでなく、心の健康を得るためにも、会話と笑いが必要だと思います」

 散歩やジョギングといった屋外活動、買い物や美術鑑賞など人との接触が少ない活動は感染リスクが低い。政府がそれを奨励するのは当然だろう。しかし、ストレスが重くかかる中高年がそれで心が満たされるわけではない。むしろ、窮屈さや孤独からストレスが増して免疫力が低下し、新型コロナウイルス感染症にかかりやすくなるかもしれない。「50歳時」の未婚率を示す「生涯未婚率」は男性23・4%、女性14・1%で独身の中高年が多いのだ。

 こういうときだからこそ、中高年は感染リスクに気を配りながらも、語り、笑い、絆を確かめるための居場所づくりに知恵を絞るべきだ。


尾木ママ、新型コロナ対策で屋外卒業式など提案「機械的に中止というムードになるのは…やり切る姿勢が大事」

2020年03月06日 | 社会・経済

スポーツ報知 3/5(木) 13:01配信 


    尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏(73)が5日、自身のブログを更新。新型コロナウイルス対策の休校措置により、多くの学校で卒業式などが中止となっていることを受け「工夫して出来る」と私見をつづった。

    尾木氏は「子ども排除は疑問!?」のタイトルで記事をアップし、「疑問というよりも間違いではないでしょうか? 学校の休校だけでも子どもたちには致命的なのに図書館からキッズ施設 部活までも全面的に禁止 卒業式まで出来ない?」と記述。

 「スポーツの全国大会も機械的に中止というムードになるのはいかがでしょうか?」とし、「格闘技などは困難かもしれないですがソフトや野球などは屋外ですし工夫次第では可能ではないでしょうか?」とつづった。

 さらに連続更新したブログで「卒業式は工夫して出来るような気がします!」とコメント。「もちろんコロナな専門家ではありませんから確信は持てませんが」とした上で「晴れなら校庭で間隔とって、在校生参加してーー保護者は周り取り囲んで」「雨なら体育館で窓空け換気して」とアイデアを示し、「万全のウイルス対策してなんとか工夫してやり切る姿勢になることが大事ではないでしょうか」とした。

  その上で「今は子どもたち悪者扱い 排除しています!子どもたちの理不尽感満ちています!大人不信 社会不信 これ以上増大べきではないように思います!」と主張。「高齢者も子ども悪者扱いに辛くなっているように思います!子どもたちへの表現にも気をつけたいですね!」とつづっていた。



 無思考で「命令」に従うよりも、いかにしてやりきるのかを考えた方がおつむの発展に寄与するだろう。「考える有権者」にならなければ社会は変わらない。


雨宮処凛がゆく! 第513回:新型コロナウイルスと「非国民」バッシング、そして持つ者と持たざる者。

2020年03月05日 | 社会・経済

 マガジン9By 雨宮処凛 2020年3月4日
    https://maga9.jp/200304-3/

新型コロナウイルスで世界が大変なことになっている。
 日本でもコンサートが中止になったりイベントが延期になったりスポーツの試合が無観客になったり学校の休校が突然発表されたりしている。
 「不要不急」ではないからとイベントなどの中止を要請される側からは多くの悲鳴が上がっている。観客にとっては「楽しみ」「遊び」であるイベントだが、それが「仕事」である人たちにとってはたまったものではないだろう。出演者はもちろん、スタッフやイベンターやその他もろもろの人が、その仕事で生活している。大規模なものであればあるほど、いろんな職種の人たちがそれを裏で支えている。一度のイベントの中止を受けて「倒産の危機」を迎えたり「今後の活動継続」が危ぶまれたりしている人たちもいる。が、補償などについては今のところ不透明だ。
 私自身も、2月や3月に予定されていた講演やイベントが続々と中止になっている。企画されていたものも軒並み「収束するまで待ちましょう」と日程を決めることもできない。これらの現実は、フリーランスの私には、かなり痛い。なぜなら、それらは貴重な収入源だからだ。出版不況と言われる中、雑誌は次々と廃刊し、ネット媒体で書くことも多くなり、自分自身の実感で言うと原稿料は下がり続けている。そんな中、イベントや講演が収入に占める割合は大きい。それが軒並み中止でなんの補償もないのだから、はっきり言って相当痛い。
 コロナウイルスがまだ今ほど感染拡大していなかった初期の頃は、「こういう事態ですが中止にはしません」というイベントがいくつかあって、内心「助かった」と思っていた。しかし、連日の報道を見ていてどんどん不安になってきた。コロナウイルスそのものへの不安もある。だけどそれより大きかったのは「中止にしないと非国民扱いされるのでは」「めちゃくちゃバッシングされて再起不能なほど叩かれるのでは」という不安だ。
 結局、私の出演予定だったものはすべて中止、延期、もしくは無観客となったが、そんな経験を通して思い出したのは3・11だ。
 東日本大震災のあと、東京に住む私の日常のすぐそばにあったのは、飲みに行ったり楽しんだりというような行動をすると「非国民扱いされる」ような空気だった。脱原発デモが批判されることもままあった。「デモなんかする暇あったら被災地にボランティアに行け」という批判。実際、デモを主催したり参加したりしている人の中には被災地ボランティアに行く人も多かったのだが、そんなバッシングをよく受けた。また、直接的な被害を受けていない東京でも、当時は「震災切り」のような解雇が相次いでいた。震災による業績悪化を理由に派遣切りなどが横行していたのだ。それに対して声を上げた人に「被災もしてない奴が失業くらいでガタガタ言うな」と口を塞がれるような光景を何度も目にした。
 その後の電力不足の時も似たようなことがあった。冬、電力危機で節電が奨励された時期のこと。みんなで節電して乗り切ろう、という空気がこの国を覆っていた。陽当たりのいいタワマン上階なんかに住む人たちは、昼は暖房をつけずに過ごしたことをSNSなどで発信していた。一方、昼間でも電気をつけなきゃ薄暗い、陽当たりゼロのアパート1階なんかに住む人が、昼に電気をつけていることを諫められる、なんて光景もあった。
 それはそのまま、この国の格差を象徴するような光景だった。
 日差しが降り注ぐタワマンと、年中じめじめして薄暗いアパート。そして貧しい後者の方がよりかかる電気代。夏だってそうだ。アスファルトの熱と住宅密集地にこもるエアコンの排気熱。窓を開けても風が通り抜けるどころか熱風に晒される後者の方がエアコンの稼働率は高いだろう。
 非常時には、格差がむき出しになる。持つ者と持たざる者の差が歴然と開く。そして、「国民一丸となって乗り切ろう」みたいな時に、様々な事情からその「一丸」に加われないとたちまち「非国民」扱いされ、糾弾される。
 そうして今回の「休校」では、またひとつ、格差が剥き出しとなった。子どもの世話をしてくれる親が近くにいる人や、お金を払ってプロに頼める人がいる一方で、自分が働かなければたちまち生活が破綻する母子家庭がある。
 そうしてコロナウイルスで仕事が流れても、貯金があって大して痛くない人もいれば、蓄えなどまったくない人もいる。また、完全歩合制の私のようなフリーランスもいれば、出勤しなければ1円にもならない非正規もいる。このような、貯蓄や「助けてくれる人間関係」などを総合して湯浅誠氏は「溜め」と言ったが、まさに「溜め」のあるなしが今、残酷なほどに分かれている。
 そして今の悲劇は、日本で一番くらいに「溜め」がある人が政策を決めているということだ。
 彼らはおそらく、子どもがいる世帯には専業主婦、もしくは家政婦やシッターがいると思っているのだろう。彼らの生きてきた世界ではそれが当たり前なのだから。そんな彼らは果たして、満員電車に乗ったことなどあるのだろうか? ライブやイベントは続々と中止され、学校は休校になりながらも満員電車が走り続けていることに疑問の声を上げる人は多い。が、満員電車と一生縁のない人が、現在の危機的状況の中、あらゆる決定権を握っている。
 それだけではない。麻生財務大臣は2月28日、休校中の学童保育の費用負担について記者に問われ、「つまんないこと聞くねぇ」と発言。そう、つまらないことなんだろう、彼らにとっては。「そんなはした金」なのだろう。人々の死活問題が何かもわからない人が、この国の政策を決めている悲劇。新型コロナウイルスは、日々、それを残酷なほどに露呈させている。そんな中、今まで決して政権批判などしなかったような人々までもが政府への怒りを口にし、SNSに投稿するようになっている。毎日「え、この人が?」と驚かされている。それほどに、無策さが際立っているのだろう。
 さて、2月25日、加藤厚労大臣は「みなさまが一丸となってこの新型コロナウイルスに立ち向かっていく」などと発言、「戦時中かよ」と批判されたが、みんなが一丸となるどころか、この騒動に便乗して分断や排除を煽るような動きが一部にあることが非常に気になる。例えば2月20日には、中国人の来日を拒むビラを電柱に貼ったとして旭化成の課長が逮捕された。また2月29日には、新型コロナウイルス流行を口実に、銀座で中国人を排斥するデモが開催されている。コロナに便乗するようにして顔を出す排外主義。
 一方、数日前からスーパーに行ってもトイレットペーパーなどを見かけなくなった。なくなることはないと言われながらもあちこちで「自分だけは」と買い占めが起きている。それだけではない。電車の中で咳でもしようものなら突き刺さるような視線に晒される。コロナが問題となってから、私は電車に乗るのが怖くなった。コロナウイルスが怖いのではない。自分ではなくとも誰かが咳をするたびに凍りつくような空気や苛立ったような舌打ちが怖いのだ。実際、北九州では乗客が咳をしていたという理由で電車の緊急停止ボタンが押された。誰かが「ウイルス」扱いされ、非難の目を向けられる。誰かを「バイキン」扱いする子どものいじめの構図にそっくりだ。もちろん、自分の身を守ることは大切だ。しかし、それを理由に行き過ぎた防衛、排除が大手を振っている気がしてならないのだ。誰かを吊るし上げる口実を常に探しているようなこの国の空気が、怖い。
 この騒動の中、大切なものを決して見失わないようにしようと自分に言い聞かせている。一方、心配なのは、あと一ヶ月もしたら、生活困窮者支援団体の相談窓口はコロナによる失業者や仕事が流れた自営業者たちでパンクするのでは、ということだ。
 ほんの少し前までの日常が、異様に恋しい。