山の梅林の開花はまだまだ。3月中旬過ぎが見頃か。梅が終われば桜の季節はもうすぐ。
ということで、これからの散策の「足馴らし」に、奈良の壺阪・高取を歩いてきました。
コースはざっとこんな感じ。近鉄壺阪山駅が起点・終点。
もちろん、近鉄沿線からの散策に必携の「てくてくまっぷ」を手に持って。
7:50阿倍野橋駅発、8:37壺阪山駅着。ひとつ前の飛鳥駅は人気で賑わっていましたが、壺阪山駅で降りる人はほとんどいません。
駅から信号一つを渡れば、「土佐街道」というきれいに整備された街並みです。
石畳に昔ながらの漆喰壁。美しく雰囲気のいい街並み。
こんな立て看板がありました。
街並みを保存するために、家屋の建築・維持について、住民が自主ルールを設けているようです。色使いから格子・窓の配置まで細かに決められています。
この「土佐町」、さすがの歴史を有しているようです。
その由来は、6世紀頃、大和朝廷の都造りの労役のため、遠く土佐からこの地に召し出された住民が任務を終えた後、朝廷の援助がなく土佐に帰郷することができず、この地に住み着いたとか。望郷の念強く、せめて町名を「土佐」としたそうです。
大和朝廷、ひどいじゃないか。
土佐町では、3月いっぱい、「町家の雛めぐり」というイベントをやっているようです。
各家代々伝わるお雛様を飾り、観光客が自由に拝見できます。が、あまりに近所の方どうしで盛り上がっていたので、入りづらい。
変わり雛もある。
「雛めぐり」の最終ゴール地点には、「巨大雛」が鎮座まします。
今日の行程の最後に発見した「龍雛」。地域の老人会が運営されているようです。
と、3月3日を随分と過ぎたのにお雛様を見ながら、というちょっと妙な気分の散策のスタートですが、家々にはまだまだ驚きの発見が。
産婆さんがこの地域には現役でいらっしゃるのですね。自宅出産が普通なのか。
そして、とにかく立派な家が多い。
羽振りのいい商人も数いたとかで、ここ土佐町は高取の城下町として栄えていたようです。
さて、分岐点。道標には「右 つぼさか よしの 道」と刻まれています。
土佐街道を抜ければ人気のない道。いよいよハイキング道へ入って行きます。
昨日は雨だったので、山道はぬかるんでいるだろうと予想していましたが、案の定、歩きづらいです。
まっ、今日は泥だらけ覚悟だな。お地蔵さんに無事をお祈りして。
ひとつ目の目的地、「壺阪寺」を目指します。
ここまで1時間も歩いていませんが、足元が悪い以外は楽。「こりゃ、足馴らしにしては軽過ぎたか。昼までに終わるな。」と思っていました、、、この時までは。後程ハード過ぎる道が待っているとはつゆ知らず、、、
壺阪寺近くの妙な樹。赤い。
壺阪寺への最後の道は急坂。結構きついが、まぁ、それぐらいでないと、歯応えがない。
到着。一気に視界が開け、気持ちがいい。
入山料を納めてお参りを。
壺阪寺の由来。
大宝3年(703)、元興寺の弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した像を刻んで祀ったのが始まり。その後、朝廷より「壺阪山南法華寺」の正式寺号を賜った。真言宗。
明治の頃、失明快復祈願にまつわる「沢市お里」の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壺坂霊験記」が巷に大きな共感を呼び、寺への信仰も広まった。
お寺のテイストはこんな感じです。
さらに、、、
お足もとから、、、
アンコールワットばりのレリーフもあったりして、、、
まぁ、とにかくお像が多いこと。巨大観音様は平成19年にインドからお越しになったそうです。
壺阪寺の名を広めた「沢市お里」の悲劇と奇跡の物語。
ちょっとくどいですが、ご紹介。
・・・座頭の沢市は女房のお里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職という慎ましい暮しであった。
そんな沢市の胸中にひとつの不安が。というのも、明けの七つ(午前4時)になると、お里が毎晩床を抜け出していたからだ。「もしや好きな男が、、、」と問い質すと、お里は沢市の眼の病が治るよう、この3年もの間、欠かさず壺阪寺の観音様に朝詣でをしていると訴えた。
疑った自分を恥じた沢市は、ともに観音様にお参りすることにしたが、心の中で、盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責め、お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと谷に自分の身を投げてしまうのだった。
不吉な予感で慌てて戻るお里は、非情な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまう。
しかし、二人の切ない夫婦愛が、観音様の霊験により奇跡を呼び、沢市・お里は助かり、沢市の眼は開眼した。・・・
ということで、眼病治癒、開運開眼の御利益もあるそうです。
壺阪寺、境内が結構広く、高低差もあるので、景色もいいです。
ほぼ全景を見渡せる高台。
奈良盆地、飛鳥も良く見えます。
そうそう、ご本尊様も御開帳されていました。
さて、ここからは、「五百羅漢」の石仏像群を経て、「高取城跡」を目指します。
壺阪寺からは少し車道を歩いてすぐに山道へ逸れて行きます。
道はますます寂しくなり、靄ってきました。
到着。これは「五百羅漢」ではありませんが、突然山道にこれだけの地蔵様群が現われると、ちょっと怖い。
「五百羅漢」石仏群とは、山中の巨岩に無数に彫られた石仏。山道を巡りながらお参りさせていただきます。
「五百羅漢周遊歩道」なんて書いてありますが、「周遊歩道」と言うには厳し過ぎる山道。
壺阪寺までの道で今回の散策を若干なめていた余裕が吹っ飛びます。
石仏群の一部です。
厳しい山道沿いに石仏群が続きます。誰がこれだけの羅漢を彫ったのか。その執念が時を超えて伝わってきます。静寂の中の迫力。
ほとんどの石仏には、名札が無造作に置かれています。
「五百羅漢」石仏群の道を抜け、次は「高取城跡」へ。道は昨日の雨で滑りやすくなった落ち葉に覆われ、ますます厳しくなって、、、。
石仏群を抜けたと思ったら、突然こんなのがあったりして、結構びっくり。ちょっと怖い。