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酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

「塩八女茶ソフト」と「そば季里 史蔵」

2020年11月01日 | まち歩き

年に2回の下草刈りで八女に行ってきました。

(快晴。)

シャクナゲ、モミジ、サクラを植樹した箇所の下草を鎌で刈っていきます。

(シャクナゲ。立派に育っています。)

モミジが少し色付き始めているように見えますが、現地の方に訊くと、紅葉の見頃は例年並み(11月中旬~下旬)とのこと。

ここ「くつろぎの森 グリーンピア八女」は、福岡県八女市の「森林セラピー」基地になっているとのことです。

自然の中を2km前後のんびりと森林浴をしながら歩くことで、リラックス効果やストレス緩和効果を得られ、心身ともにリフレッシュするそうです。

自然の中ということでは、こちら、先日訪れる機会があった「星野小学校」(八女市立)。地元の木材を使った校舎がとても素敵でした。

星野小学校の給茶機のお茶がめちゃウマでした。

八女茶、星野茶、、、このあたりは有数のお茶どころです

 

さて、1時間弱の下草刈りの後、一度食べてみたかった、2018年の「道の駅ソフトクリーム総選挙」で1位となった「塩八女茶ソフト」を食べるために、「道の駅たちばな」へ。

このソフトクリームは、道の駅の敷地にある「お食事処 招竹梅」の売店で売っています。

この看板が目印。バニラと抹茶があります。

(道の駅❝本体❞の売店でもソフトクリームを売っていますので、お間違いのないように。)

「塩八女茶抹茶ソフトクリーム」を注文。

まずはお茶の香りが立ち、最後に塩味がフワッときます。甘さはかなり控えめ。

さすが1位のソフトクリームです、一度食べてみる価値あり。

今日は中を探索しませんでしたが、「道の駅たちばな」は直売所としても充実しているようです。

(2011年「直売所甲子園」優勝。)

塩八女茶ソフトに大満足した後は、昼食へ移動。

「八女福島白壁の町並み」にある、そばの名店「そば季里 史蔵」(ふみのくら)。

(2010年開店。昭和初期に建てられた屋敷を改築。)

こんな感じで、「八女福島白壁の町並み」の一画にあります。

(写メした所が白壁がなくてイマイチ伝わりませんが、風情満点です。)

「八女福島白壁の町並み」は江戸後期から昭和初期までの伝統的な建築物が残る、国選定重要伝統的建造物群保存地区。

16世紀末、領主の筑紫広門がこの地に福島城を築城するも、一国一城制により約30年ほどで廃城されましたが、城下町は、その後、商人と職人の町として栄え、現在にも残る「八女福島の町並み」が形成されたそうです。

少々並びましたが、入店。

(店内にはジャズが流れています。見えているテーブル席の他、1階にはカウンター席も。急階段となりますが、2階席もあります。)

若き店主が修行した軽井沢の「きこり」というそば屋のお店の名前であろうお昼の御膳「きこり」を注文しました。

(主役のそばの脇を固めるのは、そばの実ご飯、天ぷら、豆腐(?)ハンバーグなど。これで1000円。)

他にも、つけ麺タイプの鴨南、天ぷらせいろ、そばアイス(?)など、魅力的なメニュー多数。

ごちそうさまでした。

 

土曜日朝から動くと気持ちがいいですね。

そう言えば、九州各地を旅行していますが、八女の街をじっくり歩いたことがないです、、、今が一番いい季節、ちょっと散策でもしてみようかな。


福岡空港の「SORAGAMIAIR」

2020年08月16日 | まち歩き

8月7日にオープンした、福岡空港のビアマルシェ「SORAGAMIAIR」に行ってきました。

(右側のパネルはサイネージ。)

読み方は「ソラガ ミエール」となります。(漢字だと「空が見え~る」ですね。(笑))

ターミナル最上階の4階のオープンテラスに大きく開口しています。

(外の景色がはめ込み画像みたい。)

外から「SORAGAMIAIR」を見るとこんな感じです。

(展望デッキから見ています。)

ニュースでもやっていましたので混んでいるかと思いましたが、10時半頃だったので空いていました。

ラーメンと鶏皮、ドリンクをいただきましたが、そこそこいいお値段がします。

(鶏皮、美味しかった。3階の「竹乃屋」のものです。)

まだオープン間もないのでオペレーションが安定していない印象でした。

お店側としては入口を1箇所に決めているようですが(そこで消毒・検温をします)、これだけの大開口、お客さんは好きな所からランダムに入ってきます。中には、無料休憩スペースと思って、ドリンク片手に入ってくる人もいます。

笑ってはいけないのですが、見ていると、妻と思わず笑ってしまうプチトラブルが発生しまくって面白かったです。(笑)

 

展望デッキでは、離着陸する飛行機を見ることができて、結構楽しいです。

(展望デッキ。巨大な円形スペースです。)

今まさに飛行機が着陸しようとしています。

(小型機なので黄色点線で囲んでみました。)

駐機場も一望できます。

強烈な日差しでとにかく暑いので、早々に建物の中に戻ります。

3階のレストランフロアも見て回りましたが、「ラーメン滑走路」という❝横丁❞もありました。

(床が滑走路のデザインになっていて楽しい。)

3階フロアには結構な店舗数のお店が入っていて、更にこの「ラーメン滑走路」もありますので、とても充実していると思います。「次は3階で食事しよう。」と妻と意見が一致しました。

 

福岡空港もお盆の時期としてはガラガラ状態、ゆったりとお店を見て回れるのは楽でいいですが、早くお客さんでにぎわう日が来るのを祈るばかりです。


土曜日の街に出てみると

2020年06月28日 | まち歩き

そう言えば、❝必要至急❞の私用で東京に帰った以外は、土曜日に街に出るのは久々かも。

土曜日の博多は、つかの間の晴れ、日差しはもう夏です。

街で思わず写メしたくなるものに出会いました。

銀行の建物の随分と高い階から出ているのは、「避難シューター」でしょうか。

(点検中なのでしょうね。写っているトラックはちょうど走り過ぎて行くところ。高さが分かります。)

これ、実際に避難するとなると、かなり怖いと思います。(というか、摩擦熱にお尻はもつのでしょうか。)

博多バスターミナルの貸ホールのご案内。

「日本仲人協会」というのが妙に気になりました。

何を勉強するのだろう、、、。

ホームページがありました、、、古き良き日本の慣行「仲人」というよりは、❝インセンティブビジネス❞という印象でした。(笑)

 

バスターミナルの紀伊國屋、ダイソー、ともにお客さんでにぎわっていました。

緩まず、第二波に用心しなければ。


浜松町駅のしょうべん小僧

2020年03月23日 | まち歩き

浜松町駅の一番端っこにしょうべん小僧の像があることをご存知でしょうか。

(妻の友人撮影。)

昭和27年10月14日、鉄道開通80周年を記念して、歯科医院の院長さんが寄贈されたそうです。

しばらくして、一般の女性の方が、裸ではかわいそうということで、季節やオリンピック(札幌冬季五輪)などテーマを持った着せ替え(お手製の衣装)をされていましたが、その方が亡くなってからしばらくは裸のままだったそうです。

その後、1986年(昭和61年)から、地元のボランティアセンターに登録している手芸グループ「あじさい」さんが、芝消防署から港区のボランティアセンターを通じてあった衣装づくりの依頼を受けて、現在に至っているそうです。

(衣装は、春の火災予防運動実施中にちなんで。)

ちなみに、このしょうべん小僧、2018年7月下旬に「猛暑のため夏休み中です」とのお知らせとともに、1ヶ月ほど撤去されていました。

駅のホームドアの設置工事のための安全なスペースを確保するために一時的に「お休み」をいただいていたそうです。

このあたりの経緯はBSの番組「沁みる夜汽車」で放送されたことがあり、福岡で単身赴任中の私は見に行くこともかなわないので、妻の友人の方に写メをお願いしたものです。

ありがとうございました!

 

今はどんな衣装を着て放尿しているのでしょうね。(笑)


2020節分

2020年02月02日 | まち歩き

2020年の節分は2月3日、月曜日。

博多の街の寺社でも「福豆まき」が催されるようです。

中には、豆の袋に「くじ」が入っていれば抽選で景品が当たる、なんてのもあるようです。

前日の日曜日、毎年見慣れた光景ではありますが、買い物のついでに、櫛田神社に例のものを見に行ってきました。

今年もおたふくの口にどんどん人が吸い込まれていきます。(笑)

川端商店街の方に抜けようと「清道」の方に入りました。

(清道の敷地にどーんとある「櫛田の銀杏」。)

こちらは初めて見ました。

「大桝」が❝建って❞います。

看板には「この大桝にお賽銭を入れると商売も家内も益々(桝桝)繁昌」と書いてあります、、、櫛田神社さんも繁昌ですなぁ。(笑)

境内の椿が満開でした。

自宅の庭の椿も同じような柄ですが、今年も咲いたかなぁ、、、。

櫛田神社でも明日は豆まき。

(「豆まき神事」、、、神事なのですね。)

商店街側の鳥居のおたふくも大人気。

2つのおたふくは、表情も髪型も違っていますが、両面ともかなり味があります。

川端商店街でちょっと見てみようと思ったのはこちら、「せいもん払い」(工事中)。

博多では知らない人がいない有名居酒屋。

確か3月まで改装中とのこと。

刺身はもちろん他の料理も全部美味しいので、昨年12月、東京から来福したみなさんをお連れしたお店。

改装前で良かったぁ~。


2020長崎ランタンフェスティバル

2020年02月01日 | まち歩き

1月29日~2月9日、中国の旧正月を祝う行事「春節祭」を起源とする、「長崎ランタンフェスティバル」が開催中。

長崎駅前にはさっそく大きなランタンがあって、その横では、「長崎おでん」と暖簾がかかったおでんコーナーが出現していました。

(日中なのでまだ点燈していません。)

長崎新地中華街など、ランタンフェスティバルの会場をそぞろ歩く前に、10月の「長崎くんち」で有名な「諏訪神社」へ。

想像していた以上に新しい印象なのは、江戸時代(1857年)の火災で社殿を焼失しましたが、明治時代(1869年)に再建、その後、昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭の際に造営され、現在の社殿となったためかもしれません。

やや高台にあるので、拝殿前で振り返ると、この絶景。

(大門。ちょうど雨が上がりました。)

正式名称は「諏訪神社」とのことですが、昔「鎮西大社」と呼ばれていたようで、HPには「鎮西大社諏訪神社」とあります。

お稲荷さんもあります。

(「玉園稲荷神社」。)

境内に「御朱印受付はこちら!」と大きくご案内があります、、、諏訪神社とお稲荷さんの御朱印をいただきました。

(美しい!)

1月にお参りしたので、ギリギリ❝正月限定バージョン❞がありましたが、普通の御朱印にしました。

(なかなかの商売人ですなぁ。)

ちなみに、御朱印をいただくと、サービスでしおりもいただけます。

(諏訪神社の方は5種類、お稲荷さんは2種類のデザインから選びます。)

 

さて、ランタンフェスティバルの会場へ。

湊公園(だったかな)の会場。

金魚のランタンが私には「鬼灯の冷徹」の「金魚草」に見えてしまいます。

もう20年以上昔でしょうか、妻とランタンフェスティバルに来た時に衝撃を受けたお供え物、❝豚の顔面❞。

「まだ続いているかなぁ。」と思って、奥に進んでみると、ありました!

(相変わらずインパクトがあります。妻に写真を送っておきました。(笑))

別会場の舞台。

今はイベントの合間ですが、それにしても人出が少ないです。

中華街も人通りは少なく、聞こえてくる言語も日本語が多いですね。

ニュースでも大きく報じられていますが、ここ長崎でも入港する1000人キャパのクルーズ船には10人程度しか乗っていないとか。

商店街も人通りはイマイチで、ほとんどの方がマスクをしています。

(ドラッグストアのマスクは品切れだとか。)

それでも、中島川のこの風情、眼鏡橋には大勢の人がいました。

知らなかったのですが、この眼鏡橋の護岸の石垣にハート型の石、その名も「ハートストーン」があるそうです。

(ちょうど今歩いている人の前の人の頭あたり。)

ズームしてみると、これはまさしくハート型。

(沖縄の古宇利島の「ハートロック」よりも分かりやすい。(笑))

眼鏡橋の架かる中島川には黄色の提灯でしたが、中華街横の銅座川には桃色の提灯がかかっていました。

ランタンフェスティバル、提灯の数ももちろんですが、素晴らしいランタンの数々、是非たくさんの観光客に楽しんでもらいたいものです。

 

少し山手の方には、いわゆる寺町筋の「風頭(かぜがしら)・寺町風致地区」があります。

(路面電車の通りと平行に走っているので裏道になっているもよう。交通量多し。)

お寺の他、「亀山社中跡」もあります。

寺町筋の幼稚園がすごいです。

(奥の山門に幼稚園の堂々たる表札がかかっています。)

通りを歩いていると、こんな案内板が大きく出ています。

この案内板の前から寺町筋に直角の通り(磨屋通り(とぎや))を見ると、眼鏡橋が見えます。

「興福寺」まで歩いてみました。

(ここもランタンフェスティバルの会場。)

この後、所用があるため、拝観はしませんでしたが、山門の先からは有料です。

 

さて、ランタンフェスティバルのそぞろ歩きも終了。

戻って、ここでお世話になっている方と待ち合わせです。

帰りの列車の時刻ぎりぎりまで絶品の料理を堪能します。

お刺身。

(ブリ、イシダイ、サバ、フグ。)

ブリは〆て10日目の熟成もの。

ブリは獲れ立て=美味しい、2日目=美味しくない、3日目以降=徐々に美味しさが増してくる、、、一番美味しいと思うのは10日目ぐらいか、とのことです。

この刺身の数々、その美味しさを表現できませんが、長崎の銘酒「六十餘洲」のぬる燗と合わせれば、とめどなくいただけます。

他にも、7時間蒸し上げたアワビ、アナゴの煮こごり、このわた、スルメイカの肝など、絶品の数々をいただき、天ぷらをいただき始める頃には、「もう時間が、、、」。

(車海老。激ウマ。)

車海老の向こうの素材にも目を奪われますが、幸運にも間に合いました。

大きなシイタケにはご覧の通り包丁の目が細かく入っています。

一品目から最後の天ぷらまで、全品感動でした。

お店の大将、女将さん、ご一緒した方々との会話、そして料理とお酒、最高の1時間半でした。

 

長崎駅に戻ると、最初に見たランタンが点燈していました。

(臨時❝おでん横丁❞もお客さんが入っているようです。)

 

新型コロナウイルス、いずれ対応できる薬が開発されるのでしょうけど、それまでは、手洗い・うがいに加え、今日のような豊かな気持ちで健康を維持したいと思います。

 


名古屋早朝散策

2020年01月16日 | まち歩き

新年第2週、仕事で名古屋に出張しました。

交通トラブルなどで遅れることがあってはいけない、社外の方々との仕事ですので、前夜に名古屋入り。

名古屋駅の「エスカ地下街」で晩御飯です。

いわゆる名古屋めしの味噌系よりも、名古屋コーチンの気分なので、ここに入店。

(「鳥開総本家」。)

「5年連続全国丼グランプリ金賞受賞」という言葉にも惹かれて、注文は、から揚げや蒸し鶏も付いた親子丼のセット。

味、濃いめですね。(笑)

名古屋のみなさんに叱られそうですが、味、コスパともに九州・福岡に軍配かな。(すみません。)

 

ホテルの部屋からの朝の景色。

(ちょっと幻想的。)

深夜からの冷たい雨も上がって、今日は暖かく快晴の予報です。

仕事までには少し時間がありますので、ホテルを早めにチェックアウトして、熱田神宮へのお参りなど、早朝の散策をすることにしました。

名鉄に乗って、神宮前駅で下車。

(駅から熱田神宮側へ渡る歩道橋の上にて。)

まだ8時過ぎなので人もいないだろうと思っていたら、通勤途上の方々でしょうか、結構お参りされています。

(まだまだ初詣バージョンです。)

朝の澄んだ空気と御神域のオーラでピーンと緊張感のある空間に気圧されて、お参りをした後に参道に戻ったあたりで1枚パチリ。

(白いフェンスは、初詣バージョンの巨大お賽銭投げ入れエリア。お金だらけでした。)

熱田神宮は早朝7時から御朱印をいただけます。

ちなみに、熱田神宮では、御朱印ではなく「御神印」と言う、と事前の勉強で知りました。

熱田神宮の御神体は、三種の神器の1つ、草薙剣(天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ))であることはご存知の通り。

 

熱田神宮の境内・外には本宮・別宮など43社が祀られていますが、その中で、「摂社 上知我麻神社」(かみちかまじんじゃ)と「別宮 八剣宮」(はっけんぐう)にお参りします。

上知我麻神社。

上知我麻神社は、熱田の地主神で、「知恵の文殊様」として合格祈願にお参りされる人が多いそうですが、境内には、大国主社(おおくにぬししゃ=大黒様)と事代主社(ことしろぬししゃ=恵比須様)をお祀りしています。

(こちらはお参りされる方もほとんど見えません。)

同じ境内に鎮座する、八剣宮。

八剣宮は、本宮と同じ祭神をお祀りし、社殿も本宮と同じ造り、年中祭儀も同様だそうです。

武門の信仰が篤く、織田信長、徳川綱吉らにより社殿が修造されたそうです。

上知我麻神社、八剣宮にお参りして、合わせて御朱印(御神印)をいただきました。

熱田神宮を出て、道路沿いに地下鉄神宮西駅へ。

(8時半前だったと思いますが、車も人も見当たりません。)

歩いていると、道路に面して鳥居がある、「下知我麻神社」(しもちかまじんじゃ)。

地下鉄神宮西駅(への入口)です。

次は、地下鉄を乗り継いで、ビジネス街・官庁街の「丸の内」にある「名古屋東照宮」に行ってみようと思いますが、途中下車して、「大須観音」へ。

大須観音のお寺の正式名は「北野山真福寺寶生院」。

ちょっと派手目のお寺は、外国の観光客にも人気のようで、朝からアジアからのいくつかのグループが来ていました。

御朱印をいただこうと、入りづらい寺務所に行ってみましたが、朝のお勤めでしょうか、読経が聞こえて来ました。

ちょっとお願いできそうにもない雰囲気でしたので、やめておきました。

ちなみに、大須観音は、「日本三大観音」だそうです。(あとの2つは、浅草観音(東京都)と津観音(三重県)。)

隣接の商店街もまだまだ眠ったまま。

随分と昔、この商店街だったか、名古屋の方にひつまぶしのお店に連れて行っていただいた記憶があります。

昔は、ひつまぶしもサラリーマンがランチで食べることができる値段でしたが、今やびっくりするような高値ですね。

 

ここから丸の内までは地下鉄利用でも良いのですが、気持ちのいい朝ですので、歩くことに。

「白川公園」ではもう春の花が咲いていました。

スマホのナビ機能で迷うこともなく、歩くこと30分弱、無事目的地に到着。

「名古屋東照宮」と「那古野神社」が隣接していることは事前に知っていましたが、実際に来て見ると、何と、境内を❝共有❞しているようなイメージ。

こちらは東照宮の鳥居。

本殿は鳥居をくぐって左に直角に曲がりますが、曲がらず直進すると、那古野神社の鳥居に当たります。

(那古野神社の鳥居。)

鳥居が向かい合っているという不思議な位置関係で、思わず行ったり来たりしてしまいました。

まずは、名古屋東照宮と隣接の東照宮末社の「福神社」にお参り。

(名古屋東照宮。)

その名の通り、御祭神は徳川家康公です。

福神社。

徳川家康公は大黒様と恵比須様を篤く信仰していたそうで、末社としてお隣に祀られています。

何と、天海僧正が彫った像が御神体となっているそうです。

御朱印をいただきますが、こちらの御朱印帳を買おうと思っていました。

東照宮の御朱印帳は、神事である「東照宮祭」が描かれた豪華な錦織。

東照宮祭は通称「名古屋祭」と言うそうですが、お祭りで使われていた9両の山車の版画が残っていて、これが名古屋東照宮の御朱印帳のデザインの元になっているそうです。(山車の実物は焼失。)

御朱印をいただきました。

トップページに見開きで御朱印をいただくので、本当のトップページ(半ページ)が空白となります。

そこで勧められたのが、ヒノキの薄板に描かれた、東照宮祭の山車のひとつで一番山車の「橋弁慶車」。

(空白となるトップの半ページへの貼付用です。ヒノキのいい香りがします。家庭用の糊で貼ることができます。)

お金のことを言うと嫌らしいですが、御朱印帳1800円、御朱印は2社分で600円、橋弁慶車のヒノキ薄板500円。

御朱印帳の華やかさといい、この商売上手といい、「さすが名古屋だなぁ。」と感心してしまいました。(笑)

続いて、お隣の那古野神社にお参り。

御祭神は、須佐之男神と奇稲田姫神。創建は平安時代前期と言われていて、当初は「亀尾天王社」(かめのおてんのうしゃ)だったそうです。

戦国時代、合戦のため社殿が焼失するも、織田信長の父である織田信秀により再建、時代は進んで、第二次大戦の名古屋大空襲で再び焼失するも、戦後に再建され、今に至る。

御朱印もいただけるのですが、あいにく社務所には「現在所用で不在です。しばらくしてから再度お越しください。」との書置きがありました、、、残念。

 

さて、名古屋の早朝散策も残すは仕事の場所まで歩くのみ。

丸の内から駅前まで、徒歩20分というところでしょうか。

東京とも大阪とも、もちろん福岡とも違う街の雰囲気です。

駅前に近づいてくると、高層ビル群が視界に入ってきます。

目的地の❝裏手❞に到着。

(タコ焼きか?)

表に回って、無事到着となりました。

名鉄や地下鉄も利用しましたが、何だかんだで1時間は歩いたと思います。

ウォーキングに不向きの革靴で歩いたせいか、足(なぜか股関節)が痛くなりましたが、その後の仕事には全く支障はありませんでした。

 

仕事も無事終えて、新幹線で博多に戻ったのは21時過ぎ。

散策、仕事、帰路、とても有意義な1日でした。


年の瀬の久留米

2019年12月25日 | まち歩き

年の瀬、仕事で久留米に行きましたが、調整時間を利用して、年内最後のお参りをしてきました。

まずは、耳納(みのう)連山の最西端の高良山に鎮座する、旧国幣大社で「筑後国一の宮」である「高良大社」(こうらたいしゃ)。

ネットで勉強してみると、創建は履中天皇元年(400年)と伝えられ、寛平9年(897年)には正一位を授けられ、また延喜式内の名神大社として高い地位にあったそうです。

中世、その勢力は国司と拮抗するまでになり、南北朝の頃は、征西将軍懐良親王の祈願をうけ、山下に征西府がおかれた由緒ある社、とのこと。

現在の本殿、幣殿、拝殿は、久留米藩主有馬頼利の建立で、いずれも重要文化財です。

久留米は銘酒どころ、こんな看板が立てられていました。

高良大社は、絶景スポットとしても有名で、平地から見ると屏風のように切り立って見えることから「屏風山」とも呼ばれる、東西30kmにおよぶ耳納連山の一番西の端にある「高良山」(標高312m)に鎮座されています。

展望所もあり、耳納連山の幻想的な景色を望むことができます。

(この後、小雨がぱらつきました。)

お参りして御朱印をいただきました。

(令和元年12月25日。)

 

次は、全国の水天宮の総本宮の「水天宮」へ。

東京に地下鉄の駅名にもなっている水天宮がありますが、ここ久留米の水天宮が❝総元締め❞なのですね。

これまたネットで勉強してみると、創建は建久年間(1190~99年)と伝えられ、平家が壇ノ浦の戦いで破れた後、官女按察使局が筑後川の辺り鷺野ヶ原に逃れ来て初めて水天宮を祀ったもので、後の慶安3年(1650年)2代藩主有馬忠頼の時、筑後川のほとりの現在の地になりました。

水にゆかりの社として海運守護神となり、河童伝説との結びつきも伝えられ、今は、ご存知、安産の神様として知られています。

(筑後川が悠々と流れています。)

河童のお守りもありましたが、地元の子どもたちが小さい頃、健やかな成長を願って(筑後川で安全に水遊びできるように)、首に提げる「ひょうたん」のお守りが有名なようです。

(ネットより拝借。「瓢箪守(小)」は300円。)

お参りして御朱印をいただきました。

(椿の名所でもあるようです。)

年の瀬、どんどん気温が下がる寒い中、巫女さんが水拭き掃除をされていました。

お掃除中に御朱印をいただき、ありがとうございました。

 

ランチは、「蔵屋敷そう馬 わから」というオシャレな食事処で。

本来は夜のお店のようですが、好評につきランチも始めたようです。

店内はゆったりとした和風の作りで、大きな窓の外にはいろいろな木が植栽されています。

(植栽されている木は洋木が多いようですが。(笑))

ランチの種類はコースの他、6種類ほどだったか御膳系もあります。

私は、オリーブを練り込んだ(?)島原そうめんと天ぷら、寿司・刺身のセットを。

このそうめん、色がグリーンがかっていて最初びっくりしますが、食べてみると、そうめんと言うよりはそばに近いほどしっかりしていることに再びびっくり。

たっぷり乗ったかぼすのほど良い酸味と香り、しっかりめのダシが島原そうめんにドンピシャで、とても美味しかったです。

優雅にランチを楽しむ周りのおばさま方は、限定20食(?)の「わから御膳」(だったかな)を注文している方が多かったです。

少々高めの値段設定ですので、ランチタイムでも混み合うこともなく、美味しいだけでなく見た目にも美しい料理を楽しむことができますよ。

ごちそうさまでした。

 

年末年始も仕事の方も多くおられると思いますが、私は残すところ営業日2日。

オフィスも単身住まいも片付けて掃除しないとぉ~。


「斎場御嶽」 / 那覇散策

2019年12月17日 | まち歩き

今年、沖縄本島を、テーマを決めてめぐりました。

6月には「琉球八社と城跡めぐり」、10月には「本部半島めぐり」。

そして、師走の日曜日、いつか訪れてみたいと思っていた、南部の「斎場御嶽」(せーふぁーうたき)に行ってきました。

首里城、玉陵、首里金城町石畳道など、那覇もたっぷりと散策してきました。

 

月曜日朝一番からの仕事のため、前日の日曜日に沖縄入り。

「てだこ浦西駅」まで延伸した「ゆいレール」で、ホテルのある「旭橋」へ。

ゆいレールの駅直結のホテルは、「那覇バスターミナル」とも直結という、公共交通機関で旅するには抜群のロケーション。

(本日、半袖でOK。)

チェックインまでにはまだ早いので、荷物をフロントに預けます。

14階のフロントからの景色はこんな感じ。

バスターミナルに向かうべく歩いていると、ちょうどゆいレールが通過。

(2両編成。来年(?)3両編成になるとか。)

こちらが那覇バスターミナル(の入っているビル)です。

(1階がバスターミナル。)

「斎場御嶽」の最寄りのバス停は「斎場御嶽入口」で、那覇バスターミナルから路線バスで約1時間(850円)。

7番乗り場、特に時刻表もチェックせずに来ましたが、びっくりするくらい便数が少ない、、、15分後にちょうどある、ラッキー!

待っている間に待合室にあるコンビニで昼食を買って腹ごしらえ。

のんびり1時間の路線バスの旅、、、と思ったら、前に通路を挟んで座ったおばさん2人が会社の話をノンストップでし続けて興をそがれました。

が、「斎場御嶽入口」でバスを降りると、一気にテンションがアップ。

まずここでチケットを買ってから、10分程離れた入口へ向かいます。

この券売所の後ろの景色がきれいそうなので、ちょっと行ってみました。

(海の色が美しい!)

それでは入口に向けて出発、、、暑い、今日の沖縄は最高気温25度を超えていると思います。

念のために着て来たTシャツになって歩きます。

途中、民家でしょうか、豪邸がありました。

立派なリュウキュウマツの下の石垣からブーゲンビリアが美しく咲き出ています。

(12月とは思えない景色。)

入口に到着。

パンフレットより、、、御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。(中略) 斎場御嶽は、琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(あがりうまーい)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。

こちらが斎場御嶽にある6つの拝所の地図です。

パンフレットより、、、御嶽の中には六つのイビ(神域)がありますが、中でも「大庫理」(うふぐーい)・「寄満」(ゆいんち)・「三庫理」(さんぐーい)は、いずれも首里城内にある部屋と同じ名前をもっています。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものでしょう。

さて、歩き始めますが、さっそくスイレンが咲いていました。

(私の自宅では6月に咲くのですが。)

1つ目の拝所「大庫理」(うふぐーい)。

(「大庫理」とは大広間や一番座という意味があるそうです。)

美しく敷かれた石畳の端っこにきれいな実をつけた植物を発見。

歩道が整備されていますが、石畳道の素材は「琉球石灰岩」で、かなりの凹凸があり、スニーカーかトレッキングシューズがおススメです。(歩きにくい靴(ヒールなど)の場合は受付で靴を貸してくれます。)

(見た感じは美しい石畳道ですが、歩行注意の凹凸。)

そして、こちらにも注意。

沖縄南部は戦火が激しかった所、こういった戦争遺跡が保存されています。

2つ目の拝所「寄満」(ゆいんち)。

(「寄満」とは台所を意味しますが、実際に調理していたわけではないそうです。)

全ての拝所にこの注意看板が立てられています。

(ここは聖域、見せていただけるのだからルールを守るのはマナーです。)

「三庫理」(さんぐーい)の入口となる三角形の空間。

(超巨大な岩2つが当たってできた三角形は自然の驚異。)

三角形の空間を通って突き当りが「三庫理」ですが、その右側にも「香炉」が置かれていますが、これは巨岩の上の拝所「チョウノハナ」のためのもの。

「三庫理」の左側(「チョウノハナ」用の香炉の真後ろ)には、このように海を望む開けた場所があります。

(「三庫理」は写真右手前。)

海の方をアップにしてみると、島が見えます。

この島が久高島(くだかじま)で、琉球王朝時代から数々の神事が行われ、「神の島」と呼ばれているそうです。

パンフレットより、、、はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島から運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめました。その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「お新下り」(おあらおり)でした。

「三庫理」と「チョウノハナ」、そして久高島にそれぞれ合掌。(有料ガイドさんが「それでは拝みましょう。」と言っているのが聞こえたので。)

「三庫理」側から見た三角形の空間、とにかくダイナミック。

巨岩の下あたりで1枚。

通り抜けて、少し大きく見てみようと思って1枚。

この写真の右端(2人がいる所)が、2本の鍾乳石から滴り落ちる「聖なる水」を受けるために置かれた2つの壺、「しきよだゆるあまがぬぴー」と「あまだゆるあしかぬびー」。

拝所をめぐり終わりました。

出口に戻る途中で、琉球王朝時代、斎場御嶽に入る前にみそぎをした場所「ウローカー」への分岐道があったので、行ってみました。

(これがまた厳しい道で、トレッキングシューズを履いている私でも細心の注意で。)

5分も歩かないうちに海が見えます。

(一部このように歩きやすくなっています。)

戦時、防衛基地として据えられた砲台の跡があります。

「ウローカー」への最後の道は、何とも南国風情があります。

ここが「ウローカー」。

写真中央部には水が湧出していて、この水でみそぎをしたそうです。

(ちなみに、結構な数のイモリが泳いでいます。(笑))

これで斎場御嶽の見学は終了です。

私たちを信用して聖域を見学させていただいていることに感謝でございます。

 

さて、券売所やバス停のある方へ戻る途中、行く時に気になっていた、かわいいお店に立ち寄りました。

「新垣(あらかき)瓦工場」のショップ。

沖縄の景色を彩る「赤瓦」を生産している工場で、その技術を使った商品を出しているようです。

水滴を吸い取る赤瓦のコースター。

(斎場御嶽店限定!)

お土産に、新垣瓦工場のオリジナル柄の「花瓦菊紋」と、この斎場御嶽限定商品を購入。

このあたりはパラグライダーにも適しているようです。

(予約も経験も不問なようです。(笑))

バス停に戻って来ました。

念のため時刻表を確認すると、5分後くらいに那覇バスターミナル行きのバスが来ます、、、その次は、えっ、2時間は来ない。

ということで、「知念岬公園」というもう1つのスポットはスルーすることにしました。(暑さでちょっとバテ気味でしたし。)

バスの一番前に座って、頭上の冷房の吹き出し口を自分に向けます。

(こんな感じの田舎道を走ります。)

行きの時のようなしゃべりまくる人はいないので、路線バスの旅をゆったりと楽しめました。(笑)

車窓をぼんやり見ていると、何やらゼッケンを付けたランナーたちが走っていますが、「沖縄100Kウルトラマラソン」という大会をやっているようです。

この停留所では、赤瓦が積まれていて、このあたりで生産しているのでしょうか。

(帰宅後ネットで調べたら、この近くに「沖縄県赤瓦事業協同組合」があるそうです。)

行きの1時間よりも随分と早く感じた1時間、那覇バスターミナルに戻って来ました。

ホテルもチェックインできる時刻でしたので、さっそく部屋に入って、荷物を整理して、那覇散策へ。

ざっくり計画は、ゆいレールで「首里駅」まで行って、首里城の状況を実際に見る、訪れてみたかった「玉陵」を見学、「首里金城町石畳道」を歩きつつ「大アカギ」を見る、という感じです。

結局、歩きに歩いて、首里エリアから「国際通り」を通って「旭橋」のホテルに戻りました、、、2万歩以上歩いたのでは。

(点線が歩いた道。首里城から那覇バスターミナルまで。)

首里駅から歩くとすぐに首里城の入口に当たりますが、さっそく城壁の中の道を歩くことに。

「久慶門」。

階段の脇に「首里城復興モデルコース」という案内板があり、火災のため立入禁止になっているエリアを除く城内一周コースを案内しています。

ここから城内に入っても良いのですが、「歓会門」までこのまま歩きます。

(「歓会門」。)

「歓会門」をくぐると、「瑞泉門」へと続く広場と広い石階段が現れます。

上ったあたりで振り返ると、午後の太陽が街を照らしていました。

「漏刻門」、続いて「広福門」を通ると、「正殿」前の「御庭」に続く「奉神門」前の広場に出ます。

(ここから先は立入禁止。)

ここから火災の被害に遭った所を目にすることになります。

見学は一方通行で、「系図座」(けいずざ)と「用物座」(ようもつざ)という役所があった建物(今は情報案内所・休憩所)方向へ抜けていくことになります。

少し小高い場所から、「正殿」方向「御庭」周辺の被害状況を見ることができます。

(「正殿」は焼失しています、、、。)

復興のための寄付をこれからも機会があるごとにしていこうと思いました。

16時を回っていますが、日差しは強いままです。

汗をふきふき、城壁に沿って、「守礼門」に向かって歩きます。

(これまで見たどの城(ぐすく)よりも威容を感じます。)

「守礼門」はいつものように美しく建っています。

そして、那覇は修学旅行の学生で大賑わい、ここ守礼門でも記念撮影中。

首里城の見学はこれで終了。

翌日の月曜日に沖縄の方に教えていただきましたが、首里城-斎場御嶽-久高島は一直線に並んでいるそうです。

琉球王朝時代の神事や祈りに通じるパワーを今に感じますが、首里城の復興を心から祈ります。

 

次は、「玉陵」と「金城町石畳道」へ。

まずは、「玉陵」(たまうどぅん)です。

観覧券300円を払って、最初に建物地下の資料展示室で「玉陵」について勉強します。

実際の「玉陵」の中は非公開なので、模型で内部を見せています。

「玉陵」はその名の通り王(尚氏)のお墓(陵墓)で、1501年、尚真王が父の尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、以降、尚氏王統の陵墓となったそうです。

(歴代王の遺骨を納めた壺(?)の写真がずらり掲出されています。)

それでは、実際の「玉陵」を見学。

(美しく掃き清められている印象です。)

墓室は、「東室」、「中室」、「西室」と3つあります。

手前から「東室」(王と王妃)、「中室」(洗骨前の遺骸を安置)、「西室」(限られた家族)です。

首里城とは異なり訪れる人も少ない印象ですが、静謐な墓所なのでその方が良いのかも、などと思いつつ合掌。

石壁の外に隣接して建物がありますが、「東の御番所」(あがりのうばんじゅ)と言い、法事の際の王の控室だったそうです。

「玉陵」、とても勉強になりました。

 

「金城町石畳道」へ。

道路の植え込みにはハイビスカスが咲いています。

これまた首里城とは違って、訪れる人もかなり少ないようですが、石畳道に入りました。

そして、ここでもハブに注意。

太陽は夕日になってきましたが、まだまだ暑いです。

ここで脇道に入って、「首里金城の大アカギ」を見に行きます。

歩くこと5分くらいでしょうか、案内板も地味ですが、ちょうどガイドさんを連れたグループがいたので、さりげなくついて行って、無事到着。

ここには3本の大アカギがありますが(一番奥のアカギが最も大きいとのこと)、樹齢は推定300年だとか。

神が降臨するというパワースポットだそうで、ここも信仰の対象の地のようです。

石畳道に復帰します、、、どこまで続いているのだろう、とやや不安に。

斎場御嶽の道と同じく、整備はされているけど、かなり歩きづらい。そして、見た目以上に急坂なので、体力を奪われます。

分岐点に来ました。

(右上から下ってきました。)

那覇中心街に戻れるのか不安になってきましたが、迷わず下り続けることに。

そして、ついに「金城町石畳道入口」に到着。

これ、首里城から下って来たからまだ良かったのかも。上りだったら相当きついだろうなぁ。

 

ここから西へ西へと歩きながら、車用の表示板で道を確認しつつ、、、

歩くこと、30分強でしょうか、へとへとになりながらも「国際通り」に出ましたぁ。

これまでの道中とは一変、一気に観光モードの道になりました。

「蔡温」という交差点にある、「さいおんスクエア」に巨大シーサーがいます。

「さいおん♡うふシーサー」という名前で、「さいおん」=「蔡温」は18世紀の琉球王国時代の宰相、「うふ」は方言で「大きい」の意味、とのことです。

国際通りは18時までは歩行者天国。

(写真では暗いですが、肉眼ではまだ明るいです。)

時間と体力があれば、「壺屋やちむん通り」もぶらぶらしてみたかったのですが、もうへとへとで、、、。

ホテルの部屋のコップは「やちむん焼き」。

「平和通り商店街」に逸れることもなく、夕食の店を探します。

(興味をそそる商店街なのですが、何せへとへとで、、、。(笑))

「夕食はステーキにするぞぉ。」と決めていました。

まぁ、通り沿いにあるわあるわ、ステーキや鉄板焼きの店。

(石垣牛なので)高そう。

「やっぱりステーキ」。

(以前(2017年10月)、出張の時、「〆のステーキ」で食べたことのあるお店。別のロケですが。)

「STEAK HAN’S HOUSE」。

「STEAK HOUSE 88」。

さて、どこにするか?

もう空腹の限界なので、「STEAK HOUSE 88」に飛び込みました。

(大丈夫だろうかと思わせるギラギラ感。)

間口の狭い階段を上がると入口。

(入口は安定感を感じる老舗のイメージ。)

注文は迷わず、「赤身200g」!

ステーキソースは3種類あるので、少しずつ試してみましたが、私は真ん中の当店のオリジナルが一番美味しかった。

飲み物はオリオンビールではなくコーラを注文して、何となくアメリカンな夕食。

200gは全く飽きることなく、とても美味しくいただきました。

ごちそうさまでした。(お釣りの一部をレジ横に置かれていた「首里城復興寄付」に投入。)

 

すっかりエネルギーも充填されたので、再び歩いてホテルへ。

国際通りの景色を楽しむ余裕もあります。

ドンキの看板がえげつない。

Tシャツを着せた犬のぬいぐるみの大群。

何だかよく分からない「御菓子御殿」。

(「紅いもタルト」の老舗だそうです。)

途中で沖縄そばのお店があれば入ろうと思いましたが、そそる店がなかったので、ホテル下のコンビニで甘味を購入。

お向かいの那覇バスターミナルのイルミネーションがきれいでした。

部屋に戻ってから、那覇の夜景が見えるバスタブにお湯をたっぷり入れて、足の疲れなどを癒しました。

 

斎場御嶽、首里城、玉陵、金城町石畳道、国際通りなどなど、充実の1日でした。

次は別のステーキ店に行ってみようかな(かつ、250gにしようかな)。(笑)

 

翌朝、今日も暑いようです。

仕事でお昼を食べることができないかもしれないので、朝食をガッツリといっておきました。

(メインの他、❝朝カレー❞、昨晩食べ損ねた沖縄そば、大好きなもずくなどなど。)

部屋から港を遠望すると、すごいクルーズ船が停泊していました。

(こりゃもうビル、ホテルですな。)

この後、沖縄の方と合流して仕事へ。

午前中最後の仕事は那覇空港でした。(笑)

沖縄のみなさん、ありがとうございました!

ちょっと早いですが、良いお年をお迎えください。