遅ればせながら、漸く東京国立博物館の特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝 に行ってきました 世界中から多様な時代・ジャンル作品収集が続けられ、収蔵昨品は45万点以上に及ぶボストン美術館 中でも欧米に於いて質・量ともに最高を誇るのが日本美術コレクションで収蔵品は十万点を超えます その膨大な収蔵品から、今回日本が厳選した作品、要望がほぼ受け入れられて92点が里帰りしました |
東京国立博物館 平成館内 撮影はここまで | 図録 |
入場規制の待ち時間が少し減るまでと、旧東京音楽学校(現・藝大)奏楽堂 と 藝大美術館 へ行きました
日本初の本格的西洋式音楽ホールは中央部天井をヴォールト状にするなど音響への配慮 壁面・床下に藁・大鋸屑を詰めた層を設けるなど遮音への配慮がなされています また、日本最古級のコンサート用パイプオルガンは現存日本唯一の空気式アクション機構 |
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芸術の森を意識して? 上野公園の施設案内も凝っています
明治初期の日本では廃仏毀釈によって仏像や仏画など貴重な文化財が破壊され、多くの寺院が困窮を極め、現在国宝となっている奈良・興福寺の五重塔が売りに出され、薪にされそうになったなど、大寺院ですら伝統の寺宝が叩き売られる状況にありました 日本の美術に深い関心を寄せ、その収集と研究に傾倒していたフェノロサは、明治維新後の盲目的な西洋崇拝の風潮で日本の古美術品が軽視され、見捨てられている中、単に趣味としてコレクションするだけでなく、国家による保護が必要であると強く感じました フェノロサは文化財行政に関わって古社寺の仏画や大名の旧蔵品などを手に入れる機会を得たことにより、他のコレクションには不可能なほどの優品が集まりましたが、そのコレクションはボストン美術館に寄託するという条件で明治18年(1888)、ボストンの外科医ウェルドに譲渡されました 一方、フェノロサによる古美術品の散逸と流出防止の提言は実現への道を歩んでいましたが、これは提唱者であるフェノロサに、散逸の防止としての収集活動が海外流出を生むという矛盾を自覚させるものでした それはフェノロサの弟子で文化財行政の推進役であり、帝国博物館設立時には美術部長を務め、後にボストン美術館の中国・日本部長となった岡倉天心にとっても同じ問題となって行きます |
日本にあれば、国宝・重文級のものばかりですから、どれも見応えがあり圧倒されます それをひとつひとつ見落とすまいとじっくり鑑賞したら・・ どっと疲れが出てしまいました でも... 機会があれば、もう一度(否、何度でも)観に行きたいッ とくに『吉備大臣入唐絵巻』と『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』の 二大絵巻、 曽我蕭白の『雲竜図』との出会いはこの上ない感動の瞬間でした |
博物館めぐり |