青海島
2012-05-10 | 山口
ゴールデンウィーク後半は予約投稿に設定して奈良と京都に行っていました 月曜日に帰ってきたのですが、写真の整理がまだなので山口旅行の続きです |
【夏みかん原樹】
夏みかんは山口県の青海島が発祥地だそうです 安永年間(1772~1780) 青海島の大日比に住む西本チョウが海岸に漂着した果実の種を植えたと伝えられています 昭和2年(1927)に国の史跡及び天然記念物として指定されたそうですが、今は根だけが原樹で上は接木だそうです |
【波橋立と青海湖】
ちょっと分かりづらいのですが・・ 畑の向こうに見える水面は青海湖 その向こうの木が生えているところが波橋立 そして、その向こうの水面が海(深川湾)です |
青海湖は山口県最大の淡水湖で日本海の潮流によって礫と砂が直線上に堆積した砂州で閉ざされてできた潟湖です 砂州は1.3kmにわたって続くクロマツ林の一本道で、波橋立と呼ばれています |
【余談ですが、萩に夏みかんが多いのは・・ 】
約130年前、明治維新を前に藩主が萩にいては攘夷の実現に都合が悪い藩の尊王攘夷派の主唱によって 長州藩13代藩主・毛利敬親は藩庁を山口に移しました 禄を失った武士たちは生活のために主のいなくなった土地を利用して夏みかんの栽植を始めたのだそうです |
'12山口旅行 |
萩藩主・毛利家の墓所と言えば、大方の人は大照院ではなく、この東光寺を思い浮かべると思います
国指定・重要文化財 三門
萩藩主・毛利家の墓所と言えば、大方の人は大照院ではなく、この東光寺を思い浮かべると思います 三代藩主・吉就は江戸城内で萩出身の江戸白金瑞聖寺主・慧極と初対面し、帰依しました 吉就は父綱広の信奉した黄檗宗開山隠元禅師の法統である彗極を信頼し、寺を建てようとしましたが 新寺の建立が禁止されていたので、廃寺であった下関の東光寺を萩に移しました 毛利家には大照院と言う菩提寺がすでにあったので、吉就以降、奇数代は東光寺、偶数代は大照院が 墓所となりました |
墓前碑が亀趺碑になっています |
|
国指定・重要文化財 大雄宝殿(本堂)
'12山口旅行 |
萩散策
2012-05-02 | 山口
【萩焼窯元 ミミズクもカエルも萩焼です】
【萩城跡指月公園】
【旧厚狭毛利家萩屋敷長屋】
毛利元就の五男 元秋を祖とする毛利氏一門・厚狭毛利家の屋敷のあったところで 建物は明治維新の際に取り壊され、仲間長屋と伝えられるこの長屋だけが残っています |
【松下村塾と松陰神社】
【藍場川】
その昔、農業用水路程度だった川を大きく開削した人工川、藩営の藍玉座が設営されたことから藍場川と 呼ばれるようになりました 農業用水路の他、庭の池や日常生活にも利用され、川舟を通していました |
【江戸屋横丁】
ガイドブックや旅番組では常連とも言える横丁には木戸孝允旧宅、蘭方医・青木周弼旧宅、 高杉晋作・伊藤博文ゆかりの円政寺などが並び、往時の面影を色濃く残しています |
【菊屋横丁】
|
|
碁盤目状に区画された萩の町筋は往時の風情を今に残しています 藩の豪商、江戸屋・伊勢屋・菊屋があった横町には、その店の名が残っています |
【十三世・坂 高麗左衛門は女性だった!】
十二世・坂 高麗左衛門さんは東京芸大の日本画専攻で陶芸とは無縁でしたが、坂家の婿養子となり作陶を始められました しかし天性の才能でしょうか、その作品の非凡さには目を見張るものがありました 又、従来の萩焼には見られない金彩や 銀彩を取り入れた作品も素晴らしいものでした そんな十二世の突然の訃音に接してから、もうだいぶ時が経ったと思います 今回、偶然にも十三世・坂 高麗左衛門さんの斬新な作品を目にし、後継者となられた方のプロフィールを知りたくなりました |
十一世の四女として生まれ武蔵野美術大学で日本画専攻 卒業後は十二代の絵付けアシスタントとなる 十二世の死去後、坂高麗左衛門窯代表となり、襲名を視野に本格的に萩焼の道に入る (私の備忘録) |
'12山口旅行 |
萩に着きました! 先ず、登録有形文化財(建築物、交通)旧萩駅舎へ
|
|
境内に国の史跡・萩藩主毛利家墓所がある 大照院 は臨済宗南禅寺派の寺院です 萩藩主の菩提寺は東光寺だと思っていましたが、大照院もそうだったんですね~ 初代 秀就(なぜか輝元を初代としていない)と、二代 綱広以降は偶数代の藩主と夫人や 藩士の墓所となっています |
もう、もう、ここは超パワースポットではないでしょうか
なかなかいい庭園なんですが... お寺の財政も大変なんでしょう、庭園も建物もかなり傷みが激しいです
'12山口旅行・桜 |