読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

東北のうまい酒と肴で、ゆるゆるとウチ呑みを。

2022-03-06 16:58:00 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂
昨日(3月5日)のこと。半ドン仕事の帰りがけに近所にあるスーパー「山形屋ストア」に立ち寄ると、毎年この時期にやっている「東北応援フェア」が始まっておりました。岩手・宮城・福島をはじめとする東北各県の美味しいものを集めたこのフェアは、わたしにとってこの時期の楽しみとなっております。
昨日の夕べは、その「東北応援フェア」で買ってきた福島県二本松市の日本酒「奥の松」と、宮城県塩釜市加工のサバ丸干しでウチ呑みを楽しみました。



酒どころ福島の名酒「奥の松 あだたら吟醸」(15度)は、キリッとした辛口の中に米の旨味がしっかり感じられる、わたしの好きな銘柄であります。そして塩釜加工のサバ丸干しは、食べごたえと旨味がたっぷりで、美味しいお酒をさらに美味しく、ぐいぐいと進ませてくれるのです。
サバ丸干しをあっという間に完食したので、勤務先の料理好きな同僚から分けてもらったポテトサラダの残りも引っ張り出しました。

ポテサラと日本酒という取り合わせはヘンだ、という向きもおられるかもしれませんが、このポテサラがまたお酒のアテにうってつけときてますし、こちらが美味しいと感じるのであればそれでいいのだよ(笑)。
かくして東北のうまいお酒と肴は、1週間の疲れをゆるゆるとほぐし、癒やしてくれたのでありました。

あの東日本大震災から、まもなく11年。あのとき感じた強い衝撃も、時を重ねていくうちに自分の中で薄れていくのを感じざるを得ません。
とはいえ、東北から遠く離れた自分にできることを、ささやかであっても続けていきたいという気持ちだけは、これからも忘れないようにしたいと思うのです。東北の美味しいものを買い求めることも、その一環であります。

宮崎県全域に出されていた、くそいまいましい「マンボウ」こと「まん延防止等重点措置」とやらもきょう(3月6日)でようやく終了。ということで今週末にはさっそく、久しぶりとなる呑み屋街での外呑みをたっぷりじっくり満喫するつもりであります。乞うご期待!・・・って期待してんのは自分なんだけど(笑)。

別府→日田・2年ぶりの湯けむり紀行(第3回) 古き良き情緒あふれる、日田の街歩きをとことん満喫

2022-03-06 15:44:00 | 旅のお噂
(第1回はこちら、第2回はこちらであります)

旅行2日目となる1月10日(日曜日)。朝早い時間に別府をあとにしたわたしは大分駅へ行き、そこから久大本線の特急列車に乗り換え、次なる目的地である日田に向けて出発いたしました。
大分駅を出てしばらくすると、のどかな田園風景や山里の風景が窓の外に広がってきます。旅の情趣をしみじみと掻き立ててくれる、久大本線のこののどかな窓外風景は、わたしの大のお気に入りなのであります。
大分を出て30分ほどすると、列車は湯平駅に停車いたしました。
リゾート地として高い人気のある湯布院の奥座敷ともいえる、山あいの小さな温泉郷である湯平。わたしは2年前の旅行で初めてここを訪れ、静かで風情あふれる雰囲気にたちまち魅了されました(その時のことは、当ブログにも詳しく記しました。→「別府→湯平湯けむり紀行」【その3】【その4】)。
それから半年も経たない2020年7月はじめ、九州を襲った豪雨によって、湯平を流れる花合野(かごの)川が増水、湯平は大きな被害を受けました。そのこと自体ショックでしたが、わたしが宿泊した旅館であった「つるや隠宅」さんのご家族4人が、増水した川に車ごと転落して亡くなられたことには、いまも辛さと悲しさで胸が締めつけられる思いがしてきます(そのことについても、当ブログのこちらの記事に記しております)。
実は今回の旅を計画していたとき、別府の次には湯平に行くことも考えておりました。しかし、2年ぶりとなる旅なのでとにかく楽しい思い出だけを残したいと思い、今回は湯平行きを見送って日田にしたのでした。
でも、次の機会にはぜひまた湯平に行きたいと思っております。そのときには、今回は果たさなかった「つるや隠宅」の皆さまへのお弔いを、必ずや果たすつもりであります。

湯平を出るとほどなく、列車は湯布院に停車。ここでたくさんの乗客が降りていきました。天気が良いこともあって、窓の外には由布岳がきれいに見えています。そういや、湯布院にももう長いこと行ってなかったなあ。久しぶりに湯布院でゆったり過ごすのもいいかもなあ。


湯布院を出た列車は、さらに大分の奥のほうへ。やがて、日田の少し手前あたりに位置している天ヶ瀬温泉郷が見えてきました。
玖珠川に沿って広がっているこの天ヶ瀬温泉もまた、2年前の豪雨によって大きな被害を受けました。川の両岸を見ると、ホテルが建っていたと思われるあたりで取り壊しの工事が行われていたり、新たに住居の建て替えが行われていたりしている様子を見てとることができました。

天ヶ瀬には、だいぶ前に一度訪れたことがあります。ここもまた、川沿いの温泉街ならではの情緒のあるいい場所でした。天ヶ瀬にもまた、機会をつくって訪れなければ。

大分駅を出て1時間40分、いよいよ日田に到着いたしました。日田を訪れるのは4年ぶり、3回目であります。

4年前に訪れたときの日田はかなり寒く、街を歩いているとチラチラと雪が舞ったりなんかして、朝ホテルで目覚めると外が一面の雪景色に・・・という、南国生まれ南国育ちの身には滅多に見られない風景に目を見張ったものでありました。しかし、今回訪れた日田は真っ青な空から日の光が降り注いでいてけっこう暖か。とはいえ、やはり別府に比べると幾分かは、空気がひんやりしているようにも感じられました。
日田といえば、昨年(2021年)の春に完結となった人気漫画『進撃の巨人』(講談社)の作者である、諫山創さんの出身地でもあります。なので、市内の至るところで作品とのコラボが見られました。

日田駅の前には、作品中の人気キャラクター・リヴァイ兵士長の銅像が立てられているほか、駅の構内にも作品のキャラを起用した、こんなパネルが。

そうだそうだ、久しぶりの日田をたっぷり楽しんで、悔いのない旅にしなくちゃなあ・・・そんな思いとともに、日田の街へと足を踏み出したのでありました。

日田に来てまず訪れたいのは豆田町。かつて「天領」として栄えた当時の面影を偲ばせる、風情ある古い町家が建ち並んでいて、観光客の人気も高いエリアであります。
日田駅からテクテク歩くこと20分、豆田の街並みが見えてまいりました。





江戸の面影を残す町家や蔵はもちろん、大正か昭和あたりのレトロ感が漂う建物もある豆田町界隈。こういう街並みの中を歩けることの至福感が湧きあがってきて、ワクワクした気分が高まってきました。

街歩きを楽しんでいると、「ひな人形ミュージアム〝雛御殿〟見ていかれませんか〜?」と、道ゆく人に呼びかける声が。ちょっと興味を惹かれ、入ってみることにいたしました。
日田を代表する行事のひとつに「天領日田おひなまつり」があります。かつて「天領」として栄えた日田には、豊かな経済力を背景とした町人文化が花開き、旧家には多くの古いひな人形が残されています。それらひな人形を一斉に展示・公開するのが「天領日田おひなまつり」で、毎年2月中旬から3月いっぱいにかけて行われます。
「ひな人形ミュージアム 雛御殿」は、そんな日田のひなまつり文化を反映させた施設といえそうなところ。貴重な江戸期の人形をはじめとして、人間国宝や現代の人形師による作品、猫やうさぎといった動物をかたどった人形、さらにはディズニーやハローキティ、リカちゃんといったキャラクターものでつくった変わり種まで、約4000体ものひな人形と、約4500点のひな道具が収集、展示されています。
運営しているのは、天保14(1843)年創業という老舗の醤油、味噌の醸造元「日田醤油」さん。入り口では味噌汁の試飲・販売も行われておりました。まろやかな甘味のする美味しい味噌でありました。
入場料を払って中に入ると、両側にはずらりと江戸期のひな人形が並んでおりました。典雅な趣きの古い人形は、かつての町人文化の繁栄ぶりを偲ばせる典雅な趣きが感じられました。
(内部は撮影OKということで、けっこうたくさん写真を撮らせていただきました。以下に掲げる画像は、そのほんの一部であります)

圧巻だったのは、歌舞伎や浮世絵を題材にして、厚紙に布を貼り合わせて作った「おきあげ雛」と、小さな人形を連ねた「吊るし雛」をいっぱいに飾った広間(下の画像では見切れてしまってよく見えないのですが、広間の両側には吊るし雛がずらりと下げられておりました)。
そしてさらに圧巻だったのが、日本最大級というふれこみの10段飾りが、室の中いっぱいに広がる大広間。そのスケールの大きさと絢爛ぶりには目を見張りました。とはいえ、いくら目を大きく見張っても、奥に居並んでいる人形たちがよく見えなかったりもするのですが・・・いやはやとにかくすごかったなあ。
微笑ましかったのが、小さく作られた木目込みの人形たち。デフォルメされたその姿は実に愛らしいのですが、女の子の表情が一様に、岸田劉生の「麗子像」風なのがちょっと笑えたりもして。そんなブキミ可愛さも、またいいのでありますねえ。
もうひとつ面白かったのが「見栄っ張り雛」。約230年前の享保時代に作られたもので、女雛の袖を長く広くすることで、大きく豪華に見せようとしたのだそうな。中でも、下に掲げた画像の女雛の「見栄っ張り」ぶりはかなりのもので、思わず笑ってしまいました。
現代作家の人形では、「藤匠」こと後藤由香子さんによる一連の作品が目を惹きました。ひな人形にウエディングのようなイメージを纏わせたものや、黒を基調にしたものなど、伝統的な技法と現代的なイメージをミックスさせた作風で、美しくも実に面白いものでした。

絢爛豪華なひな人形で目を楽しませているうちに、時刻は昼時分となりました。さてどこかのお店でお昼ごはんを・・・と思ったのですが、すでに多くの観光客が豆田を訪れていたようで、お目当てだったお店2軒はいずれも満席状態。ああこれはやはり予約しておいたほうがよかったかもなあ・・・と思いつつ、やや焦りながら別のお店をあたってみることに。
お店を探している途中、妙に目を惹く表示がありました。

なぬ?「足フェチ専門店」だとお?と思いつつ近づいてみると、上のほうに小さく「豚」の一文字が。実はこのお店、豚足を焼いて売っているお店のようで、店からは煙とともに美味しそうな匂いが漂っておりました。お店探しに焦りながらもこういう看板に目が惹かれてしまうわたしも、やはり相当「足フェチ」のケがあるようで・・・。
足フェチにココロ惑いながらお店探しを続け、気になっていたお店のひとつであった「いたや本家」さんに入りました。江戸期に創業して170年近い歴史を持つ、うなぎと川魚料理の老舗であります。
幸いなことに席が空いておりましたので、ホッと一安心して席についたところで、まずはやっぱり生ビール。ご当地に工場があるサッポロビールの「黒ラベル」の生とともに注文したうなぎの肝焼きは、炭火の香ばしさがビールを進ませてくれます。

そして運ばれてきたのが、このお店の看板メニューである「天領せいろうな重」。せっかく「天領」にやってきたんですから、ここは奮発して「上」にいたしました。長年使いこまれたと思しき〝せいろ〟が、またいい感じでありますねえ。
蒸しあげられてふっくらとした、うなぎの身の美味しさは格別で、まんべんなくタレが染みこんだごはんの美味しさもまた最高。こうなるとさらに日本酒が欲しくなり、こちらもご当地を代表する地酒である「薫長」純米酒を注文いたしました。スッキリした飲み口は、うなぎとも良く合うのであります。

美味しいうなぎとお酒を堪能することができたわたしは、ほろ酔いとなったアタマの中で「余は満足じゃ〜〜」とつぶやきつつ、お店を出たのでありました。
お店を出ると、豆田の街は多くの観光客で賑わっていて、狭い道にはクルマや観光バスがしきりに行き交っておりました。そりゃ飲食店も満席状態になるわけだわなあ。何はともあれ、コロナ騒ぎに負けずに日田が賑わいを見せ、観光客がみんな楽しく過ごせるのは良きこと良きこと・・・と、なんだか嬉しい気持ちになったのであります。

真っ昼間からほろ酔い気分になったところで、いま呑んだばかりのお酒が生まれる場所へ行くべし!ということで、やはり豆田の中にある「薫長」の醸造元に向かいました。

こちらもまた、江戸時代から続いている老舗の蔵元。現在使われている5つの酒蔵は、いずれも江戸から明治、大正にかけて建造されたもので、一番古い蔵は元禄15(1702)年の建造といいますから、その歴史の長さに驚かされます。
その歴史ある蔵のひとつは資料館となっていて、かつて酒造りに使われていたさまざまな道具が保存、展示されています。それらの道具からは、往年の蔵人たちの息づかいが伝わってくるかのようでした。


日本酒や焼酎、酒粕などを直売している売店には、ちょっとしたカフェスペースもあって、そこではご夫婦連れと思われる先客が日本酒の飲み比べセットを賞味しておられました。わたしはここで「吟醸酒アイス」を味わってみました。吟醸酒の酒粕と、お酒で炊いた赤米を用いたアイスは思いのほか清涼感があって、昼食後のいいデザートになりました。


「薫長」の醸造元を出たあと、次に訪れたのは「岩尾薬舗 日本丸館」。かつて「日本丸」という薬の製造・販売元であった薬屋さんで、木造3階建ての母屋は江戸時代の長屋をベースに明治時代に改築、以後昭和初期に至るまでに幾度かの増改築を経たもので、国登録有形文化財にも指定されております。
内部は資料館となっていて、昔の生活用具や薬に関する資料、さらには「日本丸」に関する資料が多数展示されています。入り口で入館料を払って見学いたしました。
昔の薬に関する資料を集めた「薬品室」には、明治から昭和にかけて実際に販売されていた薬の袋や箱、瓶などのほか、薬の広告や看板といったものも展示されていて、レトロ好きにはなかなか楽しいのであります(こちらも内部は撮影OKでした)。


とりわけ楽しかったのが、ネズミを駆除する「猫イラズ」のパッケージ。猫イラズのためにお役御免となり、「免職」と書かれたリボンを付けられてつまらなさそうにアクビする猫と、「ハライモノ」というリボンを付けられたネズミ捕りのイラストがかわいいのであります。

もうひとつ面白かったのが、どこかで見たようなネーミングの名前とデザインの鎮痛薬の袋。某「ケロリン」の模倣品がいろいろとあったことが窺えて、ちょっと笑いました。

ここがかつて製造、販売していた「日本丸」は、鹿から取れた麝香(じゃこう)やカモシカの角、熊の胆、真珠などの動物漢方に人参などの薬草を配合して作った赤い丸薬。最盛期には大都市圏である東京・大阪・京都・名古屋・札幌に加え、当時の満州や京城(ソウル)にまで販売店があったとか。
この「日本丸」を世に出した、岩尾家15代目の岩尾昭太郎はなかなかの傑物だったようで、首相だった吉田茂や日銀総裁だった一万田尚登といった政財界人、さらには詩人の西条八十といった文化人まで、実に幅広い人物との交流があったことを示す資料もございました。

母家の3階には展望楼があって、そこからは豆田の街並み、そして日田の山々が一望のもとに見渡せます。江戸から近代にかけての日田を代表する豪商ともいえそうな、岩尾家の権勢ぶりが窺えるかのような見事な屋敷でありました。


資料館を出るとき、いやーこれだけのものをよくぞ集めましたねー、と受付の女性に申しますと、「ありがとうございます。でも維持するのがけっこう大変で・・・」と笑いながらおっしゃいました。そうだろうなあ。公的な資料館ではなく、個人で運営しているわけだしなあ。

と、こんな感じで豆田町散策を満喫したわたしは、この日の宿泊先であるホテルにチェックインすべく、三隈川に面した日田温泉へと向かいました。
日田温泉へ向かう途中、日田駅からほど近いところにある「西洋菓子処 MOMO」さんに立ち寄りました。このお店の人気商品であるシュークリームが目当てでしたが、残念ながらすでに売り切れ。それならと、あまおう苺のプリンを買い、それを三隈川まで持って行って賞味いたしました。コクのある甘さとイチゴの酸味がマッチした、とろけるような美味しさでありました。

プリンを味わったあとは、しばし三隈川沿いを散策して、今度は水郷日田の情緒をじっくりと味わったのでありました・・・。




                              (最終回につづく)