読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『読書の極意と掟』 稀代の文学者・筒井康隆をかたち作った豊かな読書体験に、知的好奇心と読書欲を刺激される一冊

2020-09-06 14:13:00 | 「本」についての本


『読書の極意と掟』
筒井康隆著、講談社(講談社文庫)、2018年
(原本は2011年に朝日新聞出版より『漂流 本から本へ』として刊行)


SFやドタバタナンセンス、実験的な純文学、さらには戯曲にライトノベルと、ジャンルの枠を軽々と越える、旺盛な執筆活動を続けている筒井康隆さんが、幼少年期から作家として大成するまでに読んできた、66の書物について語った本です。
田河水泡『のらくろ』に始まり、ハイデガー『存在と時間』に至るまで、それぞれの書物といかにして出会い、それらがどのような形で創作活動に影響を与えたのかを語った本書は、単なる読書遍歴にとどまらない「筒井康隆形成史」としても、尽きない興味を与えてくれる一冊でありました。

少年期の筒井さんを夢中にさせた書き手の一人が、のちに筒井さんの才能を見出して商業デビューのきっかけをつくった江戸川乱歩。その『少年探偵團(団)』は、舞台となる東京下町の住宅地が自らの住んでいる場所と重なり、悪夢のような怖さを覚えたと語ります。
当時はすでに戦意高揚が叫ばれる世の中となっていて、子供たちも戦争ものや冒険ものを飲んでいた中で、筒井さんはそれらの本を読むことはなかったとか。「正統派を好まぬ性格はこの頃からではなかっただろうか」と、筒井さんはいいます。
少年期に筒井さんが読んだ書物の中で面白そうなのが『西遊記』。おなじみの中国古典を、東京日日新聞の記者でもあった弓館芳夫という人物が訳したものですが、「とんでもないギャグがあり、講談調、落語調、漫才調と自由自在のくだけた文章」で綴られた、かなり奔放な翻訳だったようです。また、アプトン・シンクレア『人われを大工と呼ぶ』は、イエス・キリストが禁酒法時代のハリウッドに降臨したことで起こる騒動を描いた諷刺文学にして聖書のパロディで、これもかなり面白そうです(訳者は〝林不忘〟名義で『丹下左膳』を書いた谷譲次)。この2冊は、のちにナンセンスやパロディ作家として勇名を響かせる筒井さんにつながっているような感じがいたします。
ほかにも、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』や、手塚治虫の初期傑作『ロスト・ワールド(前世紀)』といったSFの古典的名作も少年期に読んでいて、すでにこの時点で筒井さんの根っことなる要素があらかた形成されていることに、驚きを覚えました。

本書を読んでもうひとつ驚かされるのが、筒井さんの研究熱心さです。
大学で文学や芸術学を学ぶ一方、劇団に入って役者への道を歩もうとしていた青年時代には、戯曲を含む海外文学の名作を読み漁るとともに、「実社会の体験なしにいろんな人物を演じることはできない」と、フロイドをはじめとする心理学関連の書物を精読したりしています。この過程で、ドタバタ喜劇とシュール・リアリズムと精神分析が結びついたことが、のちの作家活動を支える屋台骨となっていくことになります。
その後は、サラリーマン時代に次々と翻訳出版されていた海外SFをむさぼり読むことで、SF作家としての方向性を固めていきます。そして、作家として大成してからも、ラテンアメリカ文学などの最先端の文学作品を吸収して、現状に甘んじることなく新たな領域を切り開こうとするのです。まさしく、その時々における探究心と読書が筒井さんを形作り、さらなる進化を促していったということが、本書からしっかりと伝わってまいります。

本書に登場する書物の中には、残念ながら現在では絶版・品切れとなって図書館か古書をあたるしかない作品も多いのですが、その中にも興味をそそられるものがいろいろとありました。
たとえば、アルツィバーシェフというロシアの作家が書いた『サアニン』。「人生とは自分の欲望を自然のまま満たすことに他ならず、それ以外はすべて偽り」という考えの持ち主である、極端な合理的個人主義者である男を主人公にした物語はなかなか面白そうです。また、「死に方の中でいちばん自然なのは自殺であり、人類の滅亡が理想だという男」の感化を受けた主要人物のほとんどが自殺してしまうという、同じ作者の『最後の一線』も、なんだかスゴそう。筒井さんが「この二作からぼくが受けた影響は計り知れない」と言っておられる作品だけに、とても気になります。
東海林さだおの短篇漫画「トントコトントン物語」も面白そうです。いろんなところに押しかけて釘を打ちまくる男を描いたこの作品、あらすじを読んでも、わかるようなわからないようなナンセンスな内容で、東海林さんがここまでシュールな作品を描いておられたとは知りませんでした。雑誌に掲載されたのみで単行本には収められていないようなので、なんらかの形で再刊されるのを切望したいところです。

そして、とりわけ読んでみたいと思わされたのが、ブーアスティン『幻影の時代』。「マスコミが製造する事実」という副題をもつこの社会科学書は、「現代人の飽くことを知らぬ途方もない期待に応えようと、マスコミが、政府が、時にはわれわれ自身が生み出す作られた出来事」である〝擬似イベント〟をテーマにした一冊です。この本から「作品の大きなテーマを与えられた」という筒井さんは、擬似イベントテーマSFの傑作である短篇「東海道戦争」や、長篇『48億の妄想』を生み出すことになります。
いま日本を覆っている、新型コロナをめぐるいささか過剰なまでのパニック状況は、感染拡大という事実に根ざしているとはいえ、恐怖を煽り立てるニュースを売りにし続けるマスコミと、それを求める受け手による「作られたパニック」であるように思われてなりません。コロナパニック以外にも、マスコミと世論とのある意味「共犯関係」によって、本来はそこまで大事でもないはずの出来事が、社会を揺るがすような「世紀の大事件」であるかのように祭り上げられることは数多くあったりいたします。
そんな状況の中で、何かと示唆されることが多いように思われる『幻影の時代』、ぜひ一度読んでみたいと思うのですが・・・なんらかの形で復刊してほしいものです。

数多くの警察小説で厚い支持を得ている作家・今野敏さんによる巻末解説も、実にいい文章でした。今野さんは本書について、「読書好きに対するコンプレックス」を刺激し、知性に触れたということを実感できると評した上で、このように述べています。

「そう。知性は読書でしか磨かれないのだ。映画も絵画鑑賞も美食も重要に違いない。しかし、それは読書を補完するものでしかないような気がする。
人間の成長には実体験が何より重要という人がいる。それは認める。だが、人ひとりが生きていく上で、そんなに多くのことを経験できはしないのだ。読書による擬似体験も成長に大きく寄与するはずだ。
いや、あるいは読書のほうが影響が大きいということもあり得る。経験を言語化して理解し自分のものにするためにも読書はおおいに役に立つのだ」

まさしく。人間が成長していく上で、読書がいかに大きな影響をもたらすのかということを、本書からは実感することができます。そして若いときにとどまらず、生涯を通じて、読書を通じて成長、進化することができるのだ、ということも。そのことは、とても大きな励みともなってくれるように思いました。
稀代の文学者・筒井康隆さんの豊かな読書体験に触れ、大いに好奇心と読書欲を刺激される一冊でありました。


【関連おススメ本】

『創作の極意と掟』
筒井康隆著、講談社(講談社文庫)、2017年(原本は2014年に講談社より刊行)

「凄味」「破綻」「会話」「逸脱」「文体」などなど、31のキーワードをもとに、小説表現の秘訣を語り尽くした、面白くて興趣の尽きない創作論です。『読書の極意と掟』にも取り上げられているアプトン・シンクレア『人われを大工と呼ぶ』や、ガルシア=マルケス『族長の秋』などのいくつかの作品を、文学的技法の側面から詳細に論じており、こちらも必読であります。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿