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宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『学術の森の巨人たち』 学術書の編集人としてのあるべき姿を体現した、講談社学術文庫編集者の随筆集

2020-05-16 11:07:00 | 「本」についての本


『学術の森の巨人たち 私の編集日記』
池永陽一著、発行=熊本日日新聞社、発売=熊日出版、2015年


青い背表紙にトキのマークでおなじみの、講談社学術文庫。1976(昭和51)年の創刊以来コンスタントに刊行を続け、発行点数は今年(2020年)5月現在で2600点近くに達しています。まさしく、学術・教養系文庫を代表するレーベルといえましょう。
その講談社学術文庫の創刊から長きにわたり、編集者として携わってこられたのが、本書『学術の森の巨人たち』の著者である池永陽一さんです。本書は、学術文庫の立ち上げ当時の奮闘や、編集を手がけた書物と著者との出会いにまつわるエピソードなどを綴った随筆を一冊にまとめたものです。

「学術をポケットに!」をモットーに、近寄りがたい学術書を文庫という親しみやすい形で提供する講談社学術文庫ですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
創刊当初は、出版大手の講談社が学術部門にまで進出してきたということで、自分たちの領域が侵されると感じた学術系の出版社、とりわけ中小の版元の反発が大きかったといいます。他社から刊行されたものを学術文庫に収録しようとしても、相手の出版社から版権を譲ってもらえないことも多くあったとか。その一方で、学術部門では後発の講談社には専従の部署がなく、学術文庫とともに医学系事典の企画・編集を掛け持ちするなど、編集体制も一定せず流動的だったりして、池永さんら編集メンバーも大いに苦労なさったようです。
そんな中でも、できるだけ読者の便宜を図ろうと原本にルビや注、付表や写真を盛り込むなどの編集を施し、物によっては原稿の手入れに一日に3、4ページを費やすことも多かったとか。そういった地道で良心的な仕事の積み重ねが、今に続く学術文庫の基礎と評価を築き上げたのだなあ、と感じ入りました。

池永さんら編集メンバーによる丹念な仕事によって生み出された、学術文庫の一冊一冊にまつわるエピソードも実に興味深いものがありました。
福島県に生まれ、早稲田大学を首席で卒業したのち渡米して、エール大学の歴史学教授となった朝河貫一が、日露戦争後に世界から孤立する道を辿る祖国日本への忠告と批判を試みた『日本の禍機』。池永さんですら全然知らなかったというこの書物を「時代こそ違えまさに今日の日本への警鐘だ」と推薦したのは、英文学者の由良君美さん。学術文庫として刊行後、「朝河の予見の確さと祖国愛には学ぶべきものが多い」と高く評価されたこの本は、現在もロングセラーとして読み継がれています。わたしも、この本のことはまったく知りませんでしたので、大いに読んでみたくなりました。
トロイア遺跡発掘の過程を綴った『古代への情熱』で有名なシュリーマンが、幕末の日本を訪れたときの記録『シュリーマン旅行記 清国・日本』が学術文庫に収められていたことも、本書で初めて知りました。この本のもととなったのは、翻訳者である石井和子さんの私家本。子供の頃からシュリーマンに憧れていた石井さんの息子さんがパリの国立図書館で見つけ、母親である石井さんに訳を託したものだったのだとか。これも読んでみたいなあ。

池永さんが熊本のご出身ということで(本書の中心をなすエッセイの多くは、熊本の地元紙である熊本日日新聞に連載されたものです)、熊本ゆかりの人物についての文章もいくつか収められています。その一人が、現在の益城町に生まれ、明治から昭和にかけての日本に大きな影響を与えた言論人、徳富蘇峰です。
皇室中心主義を唱え、大東亜戦争のイデオローグとして戦犯に指名された一方、歴史を見る眼の確かさや視野の大きさが評価されてもいる蘇峰。学術文庫では、その蘇峰の代表作である『近世日本国民史』(50巻まで刊行されるも未完)に加えて、敗戦後に記された『終戦後日記 ー 頑蘇夢物語』が収められています。
この本は、蘇峰が「自分の死後100年経ってから出版するように」と柳行李に保管していた原稿を、「蘇峰の名が人々の記憶にある今のうちになんとか本にして残しておけないだろうか」というお孫さんからの相談を受けて書籍化したもの。この中で蘇峰は、勝者による一方的な裁きである東京裁判の不当性を激しく弾劾する一方で、当時の天皇をはじめとする指導者らの戦争敗北の責任も厳しく指摘しているのだとか。蘇峰に対してある種の固定観念を持っていたわたしですが、これもまた、なんだか読んでみたいという気になりました。
熊本ゆかりの人物で意外な存在なのが、日本人として初めてアフリカ航路を開いたという船長、森勝衛(かつえ)。「海の上でも、陸の上でも常に日本男児としての誇りを持ち、毅然として生きる」「熊本人ならではの男らしい『もっこす』」だったというこの人物、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』のもととなった小説の作者、ロレンス・ヴァン・デル・ポストと寄港先で知り合い、以来戦争という時代を挟みながらも50年もの長きにわたり、厚い友情で結ばれていたのだとか。ううむ・・・熊本はそのような人物も輩出していたのか。

本書『学術の森の巨人たち』の巻末には、全6巻の『小泉八雲選集』などで学術文庫とも縁が深い比較文化論の大家、平川祐弘さんによる解説文が収められています。それによれば、「真面目人間であればあるほど観念の色眼鏡でものを見る度合いが強くなり、それが正義と思い込む」「視野の狭い活字社会」(←いささか手厳しい物言いではありますが、たしかにこういう一面があることも否定できない気がいたします・・・)にあって、池永さんは「どうしたわけかイデオロギー的自家中毒の気配がな」くて、「右にも左にもぶれない」お方なのだとか。
そんな池永さんのお人柄は、本書にも十分に表れております。ともすれば「戦犯」として否定されてしまうような徳富蘇峰の業績をきちんと評価する一方で、2001年に山手線新大久保駅のホームから線路に転落した男性を身を挺して救い、電車にはねられて亡くなった韓国人留学生とその両親への畏敬の念を語ったり、ドイツの文化人や出版人とも交流する「インターナショナリスト」(平川さんの解説文より)の池永さん。まさしく、学術書の編集人としてのあるべき姿を体現した方だなあ、という思いがいたしました。

本書を読んでいると、取り上げられている講談社学術文庫を読んでみたくなってきます。上に挙げた書物のほかにも、哲学者・木田元さんの『反哲学史』や、やはり熊本出身である幕末の思想家・横井小楠の『国是三論』、俳句初心者の紋切り型表現から俳句の真髄を説く『俳句ー四合目からの出発』(阿部宵人著)、森鷗外が処世の術を211の箴言の形でまとめた『森鷗外の「知恵袋」』、『日本の禍機』の推薦者でもある由良君美さんの著書『言語文化のフロンティア』、ドイツとドイツ人の厚みのある文化の特性を解き明かす『ドイツの都市と生活文化』(小塩節著)・・・などなど。さらには本書に出てくる書目以外の学術文庫や、他社から出ている学術・教養系文庫にも、いろいろと食指を伸ばしたくなります。
「学術の森」の豊饒な深みを垣間見せてくれる一冊でありました。


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